ヴァルハラの鐘 5
ヴァルハラに来てから、夢を見たことがなかった。
本当に久しぶりの夢。
天使に恋をする夢。
愛し合い、想い合う。でも彼女は遠い、遠い…
「メア?」
キスククの声に目が覚める。
「うなされてたみたいっすけど…ナイトメアだけに?」
愉快そうに笑う彼。楽しそうで腹が立った。
「だめだねー、キスククくんは。分かってないわよ。
そゆ時は甘い囁きをしてだね、頭でも撫でないと!」
私のむくれた顔に即座に反応したフィヨル。
まだ人間の姿を保っている。
…ていうか、なんだか二人とも仲良くなってるのね。
朝日が昇ってきていた。気を張っていたのか、すっかり深く眠ってしまったようだ。
久しぶりに、朝の感覚を思い出す。
「メアが寝てる間にキスククくんと仲良くなっちゃったわよー。
あんなこととかこんなこととか聞きました!」
「あっ、いや、フィヨル、てめー!
秘密は守れよな!」
まるで友達みたい。見てるこっちが微笑みたくなる。
「なんでもいいけど…それで、フィヨル。
これからこういう戦いはあとどのくらいあるの?」
ほのぼのしたくなるけど、ここは戦場。
体は休めたけれど、結局ゴールが見えなければ意味がない。
フィヨルはしばらく黙って空を見上げた後、可愛らしく舌を見せる。
「えっと、すっごいいっぱい。正規でいくと、確か888階なの。
でもねー、そんなにやってたらあたしも死んじゃうし、依頼なのにメアたちに丸投げすぎじゃない。
なので、こっそりだけどね、あたしの力で次元をねじ曲げまくっててさ。なんとかしてます。
すごいでしょー。
神様的な面倒くさい色んな制約とかあってさ、干渉してんの見つかるとまずいし、でもあと何回かだけにできると思うよ」
「それなら良かったわ。
さすがに888回だと私も自信ない。
そういえば…山にいる女神ってのは、フィヨルの知り合い?」
山の上にいる女神。彼女だけがこのヴァルハラの戦いを止める術を知る…。どんな神なんだろう。
フィヨルだってこんなに人間味があるのだから、きっと何かしら人格らしいところがあるはず。
世間話のついでのつもりで聞くつもりだった。
けど…答えを聞く前に、またあの赤い獅子が現れた。
「今度は一体どんなやつっすかねぇ…」
キスククの呟きに、どこからか男の声がした。
その声はひどくかすれていて、一瞬風の音かと。
『…僕は』
なんとか聞き取れるところは、そこだけ。
フィヨルのはじめの声と同じ。
…なんだ?
「…なんか、声が聞こえないっすか?」
キスククが眉をひそめる。赤い獅子は座り込んだまま、静かだ。
「え、やだー。怖いよ、キスククくん」
どうやらフィヨルには聞こえてないみたい。
ということは、私たちに向けて何かを伝えようとしているのだろうか?
『…くは…ると…ってた…』
聞こえない。
なんだろう。物悲しい声。何を言おうとしている?
『……を……早く…せ…』
その声はやっぱりひどくかすれていて…
「うりゃっ!」
フィヨルが駆け出し、赤い獅子の首を槍で突き殺す。
うなり声をあげて、獅子の姿は風に混ざるように消えた。
「どしたのー、二人とも。
チャンスだったからサクッとやっちゃったけど、悪く思わないでよねー」
声も聞こえなくなった。
…なんだったんだろう?
「声が聞こえたの、男の人の声よ」
「俺も!なんか聞こえました!」
私たちの言葉に、やっぱりフィヨルは首をかしげてみせた。
「えー? あたしには聞こえなかったわよ?
あれじゃない、精神攻撃とかなんじゃない?
あたしはこれでも女神だから人間ちゃんの精神とはステージが違うもんで。
だから聞こえなかったのかもよ。
気を付けなよー、あたしの兄弟にもそういうことする悪ーいやつがいるからさぁ」
なるほど、と私は静かに納得した。
私たちと同じ、女性の姿をとっているので忘れかけていたが、フィヨルは女神。
私たちと同じ構造ではない。それなら精神攻撃が効かないのも分かる…が、あれは攻撃だったのだろうか?
悲痛な、胸をえぐられるような後悔の声…。
「メアさんも聞いたんすか、でもなに言ってるかよく分かんなかったっすね」
キスククの言う通り、聞き取りづらかった。
気にはなるが…今では確認する術がない。
「聞き取らせることが目的なら、また次にも同じことが起こるかもしれないわ。
手がかりも少ないし…とりあえず今は次の戦いに備えましょう」
「ごめんねー、二人とも。
けっこーショートカットしてるんだけどさ。
まだもう少し、てっぺんまでかかりそー」
どうやってショートカットをしているのかは、はかり知ることはできないけど、私たち人間の人知を越えたやり方で次元をねじ曲げているんだろう。
フィヨルはほにゃーっとしているけど、たまに強い意志のある目を見せる。
ふざけているだけかと思ったけど、そうでもないみたい。
「そういえば途中だったけど、フィヨルの探してる人ってのは、そういう…精神攻撃したりする悪いヤツなの?」
「あ、ううん。
あたしの探してる子はねぇ、そういう面倒くさいことはやらないんだけど、とりあえず性格が悪いのよね」
戦いも終わり、いつものように…もはや慣れてきたところがあるが…私は座り込む。
キスククも興味はあるようだが、遠目で聞いている。
「あたしの妹なんだけどね、まぁ可愛いんだけど…なにかと悪戯っ子でさ。
あたしが秩序の女神として統治してるのを、知っててルール違反したりして…っていう感じ。
今でも頂上に隠れてあたしの事をにやにや見てるんじゃないかって思うんだけどさー」
悪戯って…。フィヨルが苦笑して軽く笑ってるのが、信じられなかった。
「冗談じゃないわよ」
もちろんフィヨルのせいじゃないんだけど。
でも同じ神様なら、もう少し重さを分かってほしい。
「人間の人生をまとめて弄ぶのが神様の権利なら、私がその女神を殺してやりたいわ。
それが人間の精一杯の抵抗よ」
空気が冷たくなる。それでも私は握った剣の柄を離さない。
「………おー、こわこわ。
案外、選ばれるのはメアだったかもね」
「選ばれるって?」
「鐘を鳴らす者よ。
メアって別にすっごい腕力とか強い訳じゃないんだけど、心の中の芯があるっていうの?
だいたい終わりの鐘を鳴らしてきた戦士達はそういう人が多かったわよ。
少なくとも、あたしはメアのこと好きよ」
そう言われても。もし鐘を鳴らす事が出来るなら、すぐにでもしたい。
そうすればこの不毛な戦いは終わるし、皆が元に帰れる。
「キスククくんも好きだよねぇ」
「なっ…てめぇっ! …いや、えとっ!」
フィヨルの軽口にものすごい勢いで反応するキスクク。
まぁこの状況では嫌いって言えないだろう。
かわいそうに。
「あんまりからかわないであげて。
…それにしても進展しないわね、この戦い。
景色も変わらないから分からないしね」
倒してはいるけど、手応えがない。
でも赤い獅子のやり方が毎回変わるので、デジャブを感じることは少ない。
次はどんな攻撃が来る?
「なんか変な感覚…」
星が登り始める。
かねてから感じていた違和感が、ゆるゆると滲み出ては消えていく。
流れていく星を眺めて、寒くも暑くもない空気を吸っていた。