生なる死者の物語
これは、たとえばの話だけど。
あの空の向こうに天国があったとして。
この地面の下に地獄というものがあったとして。
その二つに挟まれるようにして存在している、今私がいるこの場所は何なのだろう?
全てが満たされているわけではなく、かといって苦しみだけがあるわけじゃないこの世界。
善も悪もありふれていて、どちらも消えそうにないこの世界。
〝あの子″がいて、同時に〝私″も存在してしまっている、この世界。
誰かの天国と、誰かの地獄が混ざりあうこの世界は一体、何処に繋がっていくのだろう?
その中で、私は何処へ行くのだろう?
これは、たとえばの話。
一人の馬鹿なコドモが、大切な宝物を無くすだけの。
一つの狂った世界が、誰かを壊すだけの。
そんな、何処にでもある、ありふれすぎた御伽話。
私が君に語るのは、たとえば、そんな物語。
月曜日。午前七時。
五月蝿く鳴り続ける目覚まし時計に手刀を喰らわせ、起き上がる。後頭部が痛むのは、何か重い病気にでも罹ったせいだろうか。それとも、また夜中にベッドから落ちたからだろうか。恐らく、後者だろう。先々週受けた定期健診では、異常など見つからなかったハズだ。
「いい加減治んないかなぁ、ベッドから落ちる癖。」
言いながら、ベッドから出てタンスの引き出しに手をかける。寝るときは基本的に服を着ないので、今は全裸だ。同年代の輩と比べ圧倒的なボリュームを誇る胸も、形よく引き締まったヒップも、二本の(自称)美脚の間にある叢も、早朝独特の澄んだ空気にさらされている。こんな姿を誰かに見られたりでもしたら、お嫁に行けなくなる。速攻で刑務所行きだ。罪状、殺人罪。シット!
もっとも、月曜日のこんな時間から私の部屋に入ってくる人なんていないから、そんな心配なんてしなくていいのだけれど。
「メンドクサイし、今日は休むかな、ガッコー。」
なんだか休み足りない気もするし、休日明けの学校なんて、行く気がしないものだ。それに今日は〝あの子″も来ない事だし。気兼ねなくサボる事にしよう。
火曜日。午前九時半。
頭上から降り注ぐ天使の声で目を覚ます。寝惚け眼を擦りながら起き上がると、目の前には可愛い女の子が。
「いただきます。」
何も考えず、無心でその子に抱きつく。というか、その子を抱きしめる。
「あの……ちょっ……」
触る。触る。触る。
「ちょっ……まっ……」
触る。揉む。撫でる。
「なっ……あっ……」
舐める。弄る。玩ぶ。
「あっ……んっ……」
脱がす。抱く。辱め――
「んっ……あっ……ン―――――」
*********
「ヒドイよ京華ちゃん!」
目の前には純白の少女。艶やかな黒髪と、くりくりとした大きな瞳が特徴的な女の子。ぷっくりと頬を膨らませて怒るこの子は、私、一宮京華の唯一無二の親友、双葉黒江ちゃんだ。
「せっかく起こしに来てあげたのに、いきなり抱きつくなんて!辟易しちゃうわ!大体、京華ちゃんは……」
持ち前のロリータボイスで、その外見には似合わない言葉遣いをする。本好きの彼女らしい、豊富な語彙からくるモノなのだけれど、その容姿と声のせいで、背伸びして難しい言葉を使おうとしているコドモの様で、微笑ましく見えてしまう。どうしよう、可愛すぎる。
「ちょっと!聞いてるの?」
可愛いなぁ~。もう一回抱きしめようかな?怒るかもしれないけど、怒った姿も可愛いからいいよね♪よし!それでは再びいただくとしましょうか。
「ちょっと!聞いてるの?」
聞いてますとも。天使の声を聞き逃すわけないじゃないの。という事で気を取り直して、いただきま――
「いい加減にしてくれないと、もう起こしに来ないよ。」
「マジすんませんしたー!」
瞬時に土下座。トーンの下がった冷たい声で言われたら、従うしかないよね。朝のお楽しみは失いたくないし、蔑むような視線にはゾクゾクしちゃうケド。
「ほんっとに反省してるから。機嫌直してよ。クロエ。」
なおもむくれているクロエをなだめすかす。
「もう二度とやらないから。」
嘘だけど。
「何かお詫びもするから。」
コレはホント。
「抱かせてくれたお礼もするから。」
あれ?コレはおかしいかな?
兎に角、思いつく限りの言葉で謝罪(?)を、する。クロエと違って、某ネコ型ロボットのお友達レベルに貧弱な私の語彙が尽きるまでという、長いんだか短いんだかわからないくらいの時間を経てようやく、
「仕方ないなぁ。」
と、ため息混じりで許してくれる。
「その代わり、〈SEARCHMAN〉の、デラックスパフェおごってもらうからね!」
と、条件を出されてしまったけれど。まぁ、カフェのデザート程度で機嫌を直してくれるなら安いものだ。クロエとデート出来る口実にもなるわけだしね!
水曜日。午後十二時五十九分。
駅前、小さな時計塔的モニュメントのそばに、私はいる。〝時計塔″と言わないのは、このモニュメントが時計塔の形をしていながら、時を計る機能を持っていないから。なんでも、第二次大戦で大規模な空襲があった時、辺り一面焼け野原になる中、唯一倒壊しなかった当時の時計塔をリスペクトして建てられたものだそうだ。ちなみに今、本物は地域の博物館にある。どうでもいいけど。
兎に角、モニュメントのそばに、私は、いる。
理由?そんなの勿論、クロエとデートするためだ。本当は、昨日の大学の帰りにでも寄って行こうと思っていたのだけれど、クロエに用事があったそうなので、今日の十三時にここで待ち合わせをする事になった。
「おまたせ。京華ちゃん!」
待ち合わせ時刻ぴったりにクロエが現れる。いつもの事なのだが、この娘は時間に正確すぎると思う。一秒の狂いすらないのだから。
*********
「いらっしゃいませ。」
眼鏡のウェーターさんにテーブルまで案内されて、席につく。ふむ。褐色肌の、なかなかのイケメンだ。ちょっと得した気分になる。
「デラックスパフェとイチゴのショートケーキ、ダージリンティー二つください。」
あらかじめ決めておいた二人分の注文を済ます。(デラックスパフェだけで、ショートケーキと紅茶二杯の値段超えるなぁ)とか、(あのウェートレスさん可愛いなぁでも、クロエの方が可愛いよね)とか考えながら、駄弁っていると、ものの数分で注文したメニュー全てがそろう。そこそこ混んでいるというのに、この店はいつも客を待たせないので、とても良いと思う。
「いただきます!」
高さ30センチオーバーのパフェに、クロエが挑む。様々な種類のフルーツと和菓子の入ったこの巨大パフェには、有名甘党芸能人ですら音をあげたという話を聞くというのに、私の目の前の少女は全くひるまない。凄いよ、クロエ。私は見ているだけでお腹いっぱいになってきているというのに。もう、今の貴女は、甘味を貪るモンスターにしか見えないよ!勿論可愛い系のそれだけどね。
*********
「ごちそうさまでした。」
クロエが顔の前に手を合わせ、丁寧に言う。こういう、礼儀作法をきちんとやるトコロも彼女の魅力の一つだ、としみじみ思う。ちなみに、今、彼女の前にあるのは、デラックスパフェが盛りつけられていた高さ30センチの器とケーキが乗っていたお皿が3枚だ。パフェだけでも普通の人には食べきれない量のハズなのに、それに加えてケーキ三つを食べきるなんて、どんな胃袋をしているのだろう。四次元ポケット的なモノになっているのなら、ぜひとも一度見ておきたいものだ。
木曜日。午後五時。
大学へ提出するレポートを作成するため、図書館に来ていた私とクロエは、只今、絶賛帰宅中だ。昨日、〈SEARCHMAN〉でクロエにパフェをおごった後、なんだかんだで惰性的に深夜まで遊び歩いてしまったので、今日は二人とも半分寝ているようなテンションだ。おかげで、レポートは遅々として進まず、誤字脱字は多くなるわ、言葉の言い回しは変になるわ、あまつさえ、気を抜いているとどちらかが、座ったまま舟を漕ぎだすわで、凄く無駄な時間を過ごしてしまった。という事で、作業効率を考えた結果、今日は休もうということとなり、図書館閉館の四時間前だというのに、帰路についているのだ!キラッ☆
「クロエ~今夜泊めてくれない~~?」
自分の家に帰るより、今は早く眠りたい。ココから徒歩圏内のクロエの家のベッドに飛び込むのが最善策だ。
まぁ、別の目的もあるんだけどね。
「いいけど、寝るならベッド以外のトコで寝てよ。貴女の抱き枕になるのはゴメンだからね。」
ううっ、流石クロエ。私の考えている事なんて、お見通しらしい。
「そんなこと言わないで、一緒に寝よ~よ~。」
「イヤだ!」
即答された。若干傷つく。でも、あきらめないよ!
「二人で寝るの、楽しいよ~?」
主に私がだけど。とりあえず、押しまくれば……
「貴女の〝楽しい″は、〝悦しい″でしょ。絶対イヤ。」
図星を突かれるって、こんなに痛いものなのですね。泣きそうだよ。
「お願い!一生のお願いだから!」
「貴女の〝一生のお願い″、既に五,六回聞いてる気がするのだけど。」
またもや図星。もう、私には策は残っていないのかな?
拝み倒し以外に、思いつかない。半分寝ている頭では何も考えあれない。そろそろ、諦めが脳裏をよぎってきた。
しょうがないよね。抱きつかれてばかりじゃ鬱陶しいかもしれないし。
が、それでも、クロエは優しかった。
「仕方ないなぁ……」
と、言いながら、私のお願いを聞いてくれる。
「ありがと――――!」
言いながら、私はクロエを思いっきりだきしめる。
私には、それしかできないから。そんなお礼しか思いつかないから。たとえクロエが嫌がっても、クロエを抱きしめ、クロエに抱きしめられているときだけしか、幸せになれないのだから。だから、抱きしめる。私の〝幸せ″が、クロエに伝わるように。届くように。強く、強く抱きしめ続ける。
ブンッ!
何かが風を切る音がした。
と、同時に私を激痛が貫く。
紅い、ストロベリー果汁のような液体が噴き出す。
「やっぱり、〝こう″なるんだ……」
クロエのその科白を耳がとらえた時には、太い鉄骨が私の身体だけを正確に寸断し、真っ二つになった私は、絶命していた。
金曜日。午後十一時。
場は自室。目の前に転がるは親友の亡骸。
私、双葉黒江は、二つに裂け、冷たくなった最愛の人の前で、座っている。
涙は流れない。そんなもの、とうの昔に枯れ果てている。
だから、この場にあるのは、ただの事実と後悔だけ。
またダメだった。また失敗した。そんな想いだけが、胸の奥で渦を巻いている。
「次こそ。次こそ必ず、救い出す。」
幾度目かわからないその決意を、今は亡き友に誓う。
白くなるまで唇を噛み、瞳を閉じて、ただひたすら時を待つ。一宮京華が甦る時を。
*********
〝この現象″が発見されたのはいつかと問われた時、正確に答えられる自信は無い。
だけど、〝この現象″が、京華に適応されたのはいつかと聞かれれば、すぐに答えることができる。忌まわしきあの、四八週間前だと。
『死者対象型行動反復性症候群』略称、『死動症』。それが、今、京華を呪っている現象の名前。それが、今、セカイを壊しつつあるビョーキの名称だ。
ある時、何の前触れもなく突然発生したこの現象は、その名の通り、〝死者″を〝対象″として、ある一週間の〝行動″を〝反復″させる。
このビョーキを患った〝死者″は、生前とほとんど変わらぬ身体能力と思考パターンを持ち、生前に体験した、ある一週間を延々と繰り返すようになる。
勉強したり、仕事をしたり、運動したり、休んだり。まるで生きているかのように行動する〝モノ″になってしまう。
ほとんど、生きている人間と変わらない彼らでも、生者と異なるトコロもある。まず第一に、『一度以上死んだ事がある』事。次に、『絶対に〝死動症″以外の病気を患わない』事。さらに、『必ず特定の曜日に〝死ぬ″』事だ。〝死者が死ぬ″。おかしな表現だが、それ以外にこの事象を示す言葉が無いのだから仕方がない。
『死動症』の患者は、各々が〝初めて″死んだ曜日に、必ず〝致命傷相当の傷″を負い、生者が死ぬ時の様に、活動を停止する。壊れたおもちゃの如く、動かなくなる。
そして、勿論、と言って良いのかどうか。『死動症』の患者は、何度死んでも甦る。次の一週間を〝リピート″するために。
と言っても、〝死″後すぐに復活するわけでもない。
〝死亡中″の全ての『死動症』患者は、死んでから
二十四時間以上経過した午前零時に、甦るのだ。
死ぬときに負った全ての怪我が完治した状態で。
「何故傷が治るのか」とか、「何故零時きっかりに甦るのか」等の疑問は、いまだ解明されていない。この現象でわかっている事は、〝ただ、そういう事が起こっている″という事だけなのだから。
土曜日。午前零時。
京華が〝甦″る。およそ三十一時間前と同じ状態で。
この〝甦り″によって復活した患者は、死ぬ直前の記憶が無くなり、自分が〝死んだ″という事実に気づく事は無いそうだ。つまり、『死動症』を患っているかどうかという事は誰かから聞かされない限り自覚できないという事になる。実際、私も京華には『死動症』の事は告げていないため、彼女は四九週目のリピートを開始した今でも、自分が死んでいる事に気づいていない。というか、実は『死動症』患者の九割は、自分が患者だという事を知らないそうだ。周りの人間も、自分と親しい間柄の人間に「お前、死んでるぞ。」なんて言えないだろう。本人の幸せのためにも。
「クロエ~まだ寝ないの~?」
京華がベッド中から呼んでいる。
「はいはい、今行くからまってて!」
急いで布団に潜り込もう。今日は土曜日。京華のぬくもりに包まれて、一日潰すのも悪くない。
日曜日午後五時。
赤い。朱い。紅い。
夕日が辺り一面を照らして、世界を紅く染めている。
「クロエ、今日は楽しかったね!」
隣にいる京華が笑う。
「また来ようね!」
私も、親友に向かって微笑みかける。
遊園地の中、観覧車を横から見上げ、二人、手をつなぐ。
私の右手と、京華の左手が繋がっている。
「ねぇ、キス、しよ?」
夕日に照れされながら、笑う想い人。その魅力的な唇を見ていたら、自然と口から言葉が出てしまった。
恥ずかしい!そう思いながらも、京華の眼を見てしまうと、取り消せなくなってしまう。その瞳に、とらわれてしまうから。
「……いいよ。して。」
ふふっと、色香を漂わすような微笑とともに、京華は瞳を閉じて、私を抱き寄せる。顔と顔が近付き、互いの間は、あと5センチほど。鼓動で張り裂けそうな胸を抑えつけながらも、徐々に唇を近づけていく。
あと3センチ。2センチ。1センチ。ゼロ。
唇同士が触れ合う。その瞬間、私は京華を全力で突き飛ばした。彼女は、突然の事に驚き数歩後ろによろめいた後、尻もちをつく。
大きく見開かれた眼。
鳴り響くような風の音。
真っ赤に染まった世界。
そのすべてを感じながら、私はつぶれていく。
*********
ガンっ!
大きな音がして、そこで我にかえる。
目の前には碧い塊。観覧車のゴンドラの一つ。
本来なら自分の上方で、鉄骨に支えられているはずのそれが、目の前にある。数瞬前まで、自分がいた場所に。今もなおクロエがいるハズの場所に。
ただただ、ソレのみが見える。
夕日の赤も、鉄塊の碧も、その全てが無くなったように、ソレだけが、見える。
流れる紅い液体。ひしゃげた細い腕。白い、フリルの付いたワンピースの端。
想い人を創っていたもの、飾っていたものが、無残な姿になって、目に飛び込んでくる。
「ごめんね。また、救えなかった……」
自分の声でさえも、酷く、遠く聞こえた。
世界は今回も、私の宝を壊していった。
私の心も、彼女の全ても。