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ダミー  作者: 砂原真夜
2/5

病室2

「笹塚爽輔、でしょう」

 顔も体型も全く違う。私の知っている笹塚爽輔は、もっとずっと小さかったし、もう少し髪が長かった。けれど、叶さんの曖昧な頷き方も笠原を見やる仕草も、もう笹塚本人としか思えない。

 笠原は口元に手をやり、笹塚と私を交互に見る。

「知り合い、か?」

 唸る笠原を亜鶴が肘で突いた。

「先生、叶さんには里志の中の人教えてないんでしょ」

「あ、そうだな。篠崎杏子。覚えがあるか?」

 途端、叶さんは目を見開いて此方を凝視した。

「杏子……なのか……?」

 首肯すれば、彼はがばりと飛びついてきた。



 爽輔は今、叶さんとして、この病院で働いているそうだ。とはいえ、病院とは名ばかりの保健室のようなところだという。

「まさか会えるとは思わなかった。夢でも見てるのかと思ってたけど、知り合いが同じ状態になってるとなんだか本当のことみたいに思えるね」

 嬉しそうに爽輔は声を弾ませる。チワワが柴犬になったような、不思議な感じだ。

 恋人だと告げても、笠原は退出しなかった。気を使うどころか見張るつもりらしい。「共犯かもしれないからな」とのことだ。たしかに、二人揃って芝居を打っている可能性はなくはない。口裏を合わせて架空の人物を演じることは出来なくもない。だがそれはない。はっきりとこの頭が記憶しているのだ。人前だからか、見た目が男だからか、爽輔は大っぴらに引っ付いてきたりはしなかった。

 態度は余所行きだが、彼はまるで笠原たちが見えないかのように話し始める。

「杏子はどうやってここに来たか覚えてるか」

「ええと、コンビニで……」


 一通り覚えていることを話した。黄色いテープは爽輔も頷いた。彼もあれを跨いできたらしい。ただ、爽輔は一日早くこっちに来ているという。

「階段上の子どもって」

 爽輔が笠原を見上げた。白衣の裾についたほこりを払いながら、医者は首を揺らす。

「まあ、あいつらだな」


 ガッシャーン。


 食器棚をひっくり返したような音に、全員が廊下の方へ顔を向けた。

「噂をすれば、だな」

 笠原が笑い、亜鶴が出て行く。

「おぉクソガキどもが、何してんだゴラァ!」

 さっきの物音より迫力のある怒声が壁から床、窓へと駆け抜けた。ひぃ、と爽輔は耳を塞いでいる。きゃあきゃあと小さい子どもが散っていく音がして、しんとまた静かになった。驚いて声も出ない私に、笠原が笑い声を濃くした。

「安心しろ、今のは亜鶴だ」

「うそぉ?!」男の声だったぞ。

「まあ、一種の特技だな」笠原は白衣を翻して踵を返す。「さて、俺も仕事に戻るよ。まだ安静にしてないと、身体おかしくするからな。じっとしてろ」

 ドアノブに手をかけて、ちらりと振り返る。

「お前の身体じゃないんだからな。考えてくれよ」



  ◆  



 ダメだダメだといわれると、やりたくなるのが人の常。爽輔も仕事に戻って一人になれば、あっさりと窓から抜け出すことが出来た。安堵とは恐ろしい。爽輔(かもしれない人)に会えただけで、もう何があっても大丈夫な気がしていた。

 退出直前の彼の言葉に思い出し笑いをしてしまう。

――まさか男になってるだなんて、くっつきにくいな。

 たとえ女の身体であっても他人だ。出来ればそうほいほいと人に抱きつかないでもらいたい。なにはともあれ、あの抱きつき癖で確信した。「叶さん」は笹塚爽輔だ。元に戻るときには彼も一緒に。

 元に、戻る……。

 浮かれていた。まずどうやって戻るのかを考えなくてはならない。そもそもここはなんなんだ。

 病院自体は普通の建物だ。くすんだ白い壁は夕日に淡く照らされている。都会というより、田舎、いや林だ。まばらに木が生えていて、どうも人が手を入れているような道はない。建物の角を曲がるたびに、人がいないか用心して進むと、正面玄関までは二回曲がってすぐだった。

 病室に連れ戻される前に、遠くへ行かないと。

 玄関から伸びた石畳は見通しがよく、他に道もないので、玄関においてあった靴を適当に拝借して病院を後にした。一人、警備員らしき人物が立っていたが、軽く会釈をすれば問題ない。今の私は医者の息子だ。と、思ったのだが。

「里志くん、今度はどこへ?」

 思わぬ足止めをくらった。できるだけ自然に振り返る。

「ちょっと、散歩に」

「嘘おっしゃい。院長も忙しいんだから、日に何度も回収に行かせるんじゃありません」

「回収って」

 警備員は大仰に首を竦める。

「私のほうが鼻が利くのに、毎日毎回、ご自分で探しに行ってしまわれるんです。まぁ、必ず日が落ちる前に連れ帰っていらっしゃいますが、こう何度も喧嘩、怪我、回収を繰り返されては……犬でも学習しますよ? 院内でじっとしてらしてください」

 笠原里志……反抗期だったのだろうか。男の考えることはよく分からない。長い説教が再開されそうになり、慌てて顔の前で手を打った。

「み、見逃して、くれないかな」

「なりません」

「……あっ!」

 玄関を見て声を上げると、何事かと警備員もそちらを見る。

 全力で走った。



 撒けた。素直な人だ。

 一気に駆け抜けた石畳の最後、木々に挟まれた視界が開けて、背の低い町が広がっていた。一つ、やけに高い塔が伸びているのが目につく。

 来た道を見れば、緩やかな坂の上に白い箱が乗っているように見えた。どうせ帰る場所はあれだ。日も落ちてきている。近場を少し見たら帰ろう。塔から目を下ろし、手近な店に向かった。

 八百屋、パン屋、総菜屋、ケーキ屋……よくある商店街だ。広い通り沿いに並んだ店は実に普通だ。

 店員が居ないことを除けば。

 剥き出しの品物を守る人が居ない。勝手に手を伸ばそうとはもちろん思わないが、大丈夫かと不安になる。

 店員が居なければ客も居ない。人の気配はする。見られている。それは分かるが、どこにいるのかが掴めない。不気味さに寒気を覚えた。

 通りの真ん中辺りまできたときだ。脇道から突然人が現れた。

「やぁ、笠原くん」

 暗がりに目だけがギョロリと光る。暗い色に身を包んだ声の主は、はっきり姿が分からない。

「今日も邪魔しにきたの?」

「邪魔、って……?」

「ほら、もう来ちゃったから、今度こそ大人しくしててね」

 ぎらぎらと獲物に集中する肉食獣につられて、反対側を見る。

 見るからに話の通じなさそうな危ない人が揺れていた。さっきまで聞こえなかった鼻息や唸り声がはっきり耳に届く。

 徐々に、徐々に二人の距離が縮まっていく。

 弾丸が打ち出されるように、二人の怪物が加速した。

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