付きまとおうよ
元島明信。二十歳。私立大学の経済学部二年生。大学進学時、父親の転勤が決まり、通学のために一人地元に残る。現在はアパートで一人暮らし。性格は温厚。御近所付き合いもよく。際立った噂や、目立つ取得はなし。極みつけはこの顔写真。
「……意外と冴えないな……」
これは全国の男子代表としては喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……。
ど素人が容易にストーキングできるだけあって、天崎の想い人の周辺を調べるのは造作もなかった。
学校のアイドル天崎がゾッコンなあたり、さしずめ素敵な人だろうと勝手にあたりをつけていたのだが……第一印象はとくにこれといったものがない人物だった。
ただただ優しい。と誰もが評価する。それが彼の唯一の特徴。今回はこの点に付け込んで攻めていこうと思う。
「落としましたよ?」
背後から声がかかる。
振り返ると先ほどの写真の人物――元島明信がいた。
偶然? いやいや。
元島が通る時間を見計らって自販機で缶ジュースを買い。ポケットに財布を入れるフリをしてわざと落としたのだ。
ファーストコンタクトの印象もいたって普通。声に特徴があるわけでもないし、ましてや行動も予想のラインを安全に下回る。ここでサイフを持って逃走しようものならアプローチを変えなければいけなかったのだが、どうやらその必要はなさそうだ。
「え!? あ、はい! ありがとうございます」
驚きを装いつつ振り返る。あわてて、プルタブにかけた指をひいて缶を開けてしまうという演技も忘れない。
「いえ」
と、元島は笑顔を浮かべたまま財布を渡してくれた。
缶を右手の小指と手のひらで挟み、財布を両手で受け取ると、中から一万円札を抜き取り、両手で元島に差し出す。
「ありがとうございます。これは……その、謝礼です」
「はは、いいですよ、謝礼なんて……それにこんなにたくさん。みたところ学生さんでしょう? こういうのは自分のために使ってください」
手を胸の前ぶんぶんふって拒否されてしまった。
「でも、法律では落とした財布の謝礼は五パーセントから二十パーセントと決まっているので……」
もちろん、もしもの為に財布の中にはこの一万円札しか入っていないのだが、額が多ければ多いほど、元島が断る可能性が大きくなる。リサーチした性格からすればたとえ百円であっても受け取らなそうな男ではあるが、念には念を入れて、だ。
「困ったなあ」
頑なな態度をとり続ける俺に、元島は困ったように後ろ頭を掻いて、あたりを見渡す。
人通りの少ない場所と時間を選んだので、周囲には通行人はいない。
「これは俺の気持ちの問題なんで、もらってください!」
頭を下げて、元島の胸に一万円札を突き付ける。
「いや、よしてください」
元島がその俺の手を、ぐいと押し返す。その時だった。
「あ!」
どちらが声を発したかは言うまでもない。
俺の持っていた缶が傾き、中から内容物が毀れたのだ。俺に向かって。
右胸から右の太ももにかけてオレンジジューツが濃いシミをつくる。
「あの、すみません」
元島はあわてた様子でポケットからハンカチを取り出して、俺の洋服をぬぐってくれた。
「いえ、もともとといえば俺が悪いんで……」
手で制すと、元島は距離を置いて、俯いた。
俺は缶を地面に置き、一万円を財布の中にしまうと、鞄から自前のミニタオルを出して自分の体を拭き始めた。
「…………」
「…………」
上目に確認すると、元島はものすごくすまなそうな顔をしていた。
「あの……」
じわりと同情を誘うような口調。覇気のない言葉で、心底申し訳なさそうに、元島は口を開いた。
「は、はい!」
あわてた風を装い返事をする。
「僕の家、この近くなんです。そのままだと……あれなんで、一旦来ませんか?」
「いいんですか?」
心の中でガッツポーズ……なんてしない。ことは俺の思うままに進んでいた。
通された部屋は、まあ、これも予想のラインを安全に下回る部屋だった。
外観から見るに築十年以内の二階建てアパート。その二階。外観のモダンでシンプルな感じもさることながら、内装もこぢんまりとしたものだった。なにより、物が少ない。八畳一間の1Kの部屋にはノートパソコンが乗せられたデスクとパイプベッド、それとベッド下の収納くらいしか物が見当たらない。食事のための机すらないのはきっとカウンターキッチンのカウンター部で食事を摂るからであろう。
と、対象の性格判断も兼ねて部屋の中をまじまじと観察していると。
「同じくらいの背丈だからたぶん大丈夫だよね。えっと、下着は新品だから安心して」
と言って、ベッド下の収納から、服を出してわたしてくれた。トランクスはまだ開封されてないものだった。
にこっ、と屈託のない、心からの笑みを元島は浮かべる。
対する俺もにこっ、と誰にもそうとわからない作り笑いをする。
やべーナイススマイルだ俺。やっぱり取り繕うこととか欺くこととかが得意だなーって思考を整理して自己保身に走ってみたけど、だめだ。目の前の笑顔が俺の罪悪感を浮き彫りにしてくる。
なんだろう。すごい言い人だなー。
没個性なんて言ってごめんなさい。これからは元島さんと呼ばせていただきます。
「申し訳ないです。ありがとうございます」
服を受け取って、平身低頭したくなった。
「いいっていいって、ジュース零したのは僕のせいだし……ほら、早く風呂入っちゃいなって」
ちなみに、アパートまでの道のりで元島さんとは十分に打ち解けた。
といっても俺が画策したプランを奮うまでもなく、元島さんは俺にいくつかの質問をして、そこから会話を広げてくれた。喋り方や、話を聞いているときの態度から彼の人の良さがひしひしと伝わってきて……って、あぶないあぶない。あやうく彼の人柄に籠絡されるところだった。ここにきた本来の目的を忘れてはいけない。
でも……、一つだけわかった気がする。天崎が惚れた理由と、彼の強さ。でもこの情報でけでは今後戦っていけない。
シャワーを終えて服を着替えると、元島さんが新しいジュースを用意して待っていてくれた。道中、必死に断ったのだが、元島さんが買ってくれたのだ。
「ほら、奏間くん。そこに座って、遠慮しないで飲んで」
「はは、ありがとうございます」
苦笑いしつつ、缶ジュースを受け取り、指定されたデスクチェアに腰かける。プルタブをひねり「ありがとうございます」と礼を述べてから口をつけた。
それを見てから元島さんも、自分用に買ってきたコーラに口をつける。
嚥下する間。二人の間に沈黙が生まれるがまったく居心地が悪いという感じはない。むしろ気持ちいいくらいだ。
「……どうする? 一応服は洗濯したけど、乾くまで待ってる? それとも、そのまま帰る?」
「あ、今日はこのまま帰らせてもらってもいいですか? 服は後日洗って返します」
元島さんはやわらかく微笑んで、コーラを一気に飲み干す。ベッドから立ち上がりキッチンへ入ると、流しに缶を置き、冷蔵庫を開きながら訪ねた。
「なんか、食べる? といってもたいしたものはないんだけど……それとも夕飯食べてく?」「ありがとうございます。でも用事があるので、今日は洗濯が終わり次第帰らせてもらいます」
「そっか……」元島さんは少し残念そうな口調で言うと、冷蔵庫を閉めた「そいえば、奏間くんは高校生? だよね」
「ああ、はい。今二年生です。駅の向こうの高校に通ってます」
会話のイニシアティブが完全に元島さんにあるが、この会話の広がりなら泳がせてもよさそうだ。
「おお、じゃあ勉強できるんだ。羨ましいなー」
「いえいえ、そんなんじゃないですよ」
たしかに勉強はできた。しかし、進学校に入って、偏差値の高い大学に入るために大学に入ったわけではない。
「駅の向こうの学校……っていうと僕の知り合いも今、一人通ってるんだ」
「知り合い……ですか……」
元島さんの知り合いといえば……いや、ポジティブに考え過ぎか? 天崎自身、ほとんど喋ったことがないみたいなこと言ってたし。
「知り合いって言うのかな? 小学校の後輩でね、昔から家が近かったんだ。七月ちゃんっていうんだけど……聞いたことある?」
「……っ」
驚いて、肺から抜けた息が喉を震わせないように必死に耐えた。
まさか、憶えてる?
「すごい、可愛い子だったから印象的だったんだけど……今ごろはきっと綺麗になってるんだろうな」
過去に想いを馳せるようにすこし顎をあげて語る元島さんの言葉には内容にそぐわずまったくいやらしさが感じられない。
しかし……まさかの事態だ。元島さんは天崎のことを憶えている。しかも可愛いとまで言った。天崎に聞かせたらどんな顔するだろうか、意外とテンパり症だから、また顔を赤くしてうずくまってしまうかもしてない。
「天崎さんですよね、すごい美人なんで、学校中で有名ですよ」
まあ、美人だからってだけではないけど……。
「そっか、やっぱり目立つ子だったもんな」
「けっこう交流があったんですか? 天崎さんと」
まあ、ここは踏み込んでも何も違和感はないだろう。会話として自然な流れだ。
元島さんは再びベッドに腰をおろしてから口を開いた。
「ううん。僕が六年生のとき、七月ちゃんが三年生のときにちょっとしたきっかけで知り合って、ちゃんと喋ったのはその一度だけ。そのあとすぐに卒業しちゃったから、でも家が近かったみたいでよく道ですれ違ったりしてたんだけど、何故か睨まれるんだよね、あいさつしても返事してくれないし、もしかして嫌われてるのかな?」
言い終わって「はは」とお互いに苦笑いでコンタクトをとる。
天崎のやつ、きっと緊張して動けなかったんだな、たぶん。真相は今夜聞いてみよう。
「学校でも特に愛想がいいほうではないみたいですよ」
「そうなんだ……でも、たぶん僕は嫌われてるんだと思うよ」
言いながら口調と共に肩をがっくり落とす。
おいおい、ポジティブに行こうよ。
「どうしてですか?」
「その、詳しくは言えないんだけど、僕と七月ちゃんが知り合ったきっかけがさ、七月ちゃんにとって、あんまりいい思い出じゃないから、きっと僕のことを見ると嫌な記憶がよみがえるんだと思う……」
いやいや、当人は真逆の反応をしてますよ。と言えたらどんなに楽なんだろうか。
「そんなんですか……」
「最近は見かけないけど、七月ちゃんは元気にしてるのかな」
毎日のように、半径十メートル以内の距離に入っているのだが……ストーカーとは悲しい生き物だな。
「ええ、この間は全校集会でスピーチしてましたよ」
「よかった。学校にちゃんと行けてるんだ」
元島さんは心底安心しきったような顔をした。
きっと天崎のいじめられた過去をしっている者として、彼女が学校にちゃんと通えているのか心配だったのだろう。本当に優しい人なんだな。
それから、俺と元島さんと、探りを入れつつであったが他愛のない話をした。そうして何分ぐらいたっただろうか、洗濯が終わった服は袋に入れて渡してくれた。
「ごめんね、ウチの洗濯機、乾燥までしても生乾きなんだ」
「いえいえ、こちらこそご迷惑をかけて申し訳ないです」
「奏間くんとは気が合うみたいだから、よかったらまた来てよ」
正直、俺も気が合うと思った。スバルとは気がねなく話ができるが、気が合うと言うには俺たちの価値観が離れすぎている。そういう意味で元島さんは俺にとって、初めてといってもいい気が合う人だった。
「もちろん。必ずこの服を返しにきますよ」
俺は自分の着ている服をつまんで笑う。笑ってみせるのではなく。自然と笑える相手は貴重だ。元島さんも応えて笑顔で返してくれた。二人の仲は、空っぽではあるが、この程度の軽口を言えるほどには進展していた。しかし、また来れる。という打算が捨てきれない現実に少し悲しくなる。
「じゃあ――」また来ます。とドアノブに手を掛けて言おうとしたそのとき、俺が力を加えることもなく、ドアが勝手に開いた。がちゃりと音を立てて、
強い西日が玄関に差し込み、思わず目を細める。だんたんと目が慣れてきて、表からドアを開けた人物の輪郭がはっきりとしてくる。俺の目の前――開いたドアの向こうに立っていたのは、小柄な女性だった。
「ごめん明信。土曜日だけど来ちゃった」
天崎とは違い、丸みを帯びた体型。決して太っているわけではなく女性的な美しさを感じさせる。くりっとした瞳を筆頭とする愛らしい顔つきは人生経験に基づく直感が年上だと判断しているのに可愛いと表現してしまいたくなる。
その女性は俺の姿を捉えると、大きい瞳をさらに大きく丸め、元島さんと俺をいったりきたり見つめた。
「どちらさま?」
その問いは元島さんに向けて、まあ当然の反応。
「ああ、こちら木付奏間くん。さっきちょっとしたきっかけで知り合って思わず意気投合しちゃった俺の新しい友人」
包み隠さず。取り繕うふうもなく元島さんは普通に俺を紹介してくれた。
「まさか、友達の少ない明信に新しい友達ができるなんて……」
まじまじと観察された。少し照れる。
そこで、俺の視線に気づいたのか、元島さんは、
「あ、ごめん。こっちは間中沙良、僕の――」
その後の言葉はできれば聞きたくなかった。
「彼女」
彼女って……おいおい。
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