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にらにゃん  作者: 消炭灰介
餞ヲ胸ニ殉ズ
4/5

下を向いて歩こうよ

 草木も眠る丑三つ時。

 たとえ草木が眠ろうとも、人の営みは稼働しなくてはならず、大多数ではないもののそのシステムに組み込まれた者は、例え弱音や不平をもらしつつも、自分に課した、あるいは課せられた労働を社会に提供する。天崎七月がストーキングを行う対象の男性もそのシステムにあてはめられた少数派の人間らしく、必然、犯罪者(・・・)天崎七月の活動時間は深夜帯に限られる。

 ふっ、と世界が浮いたような錯覚を覚える。今日は月が遠い。いや、空が遠い。月明かりははかなげで街灯の少ない閑静な住宅街でもマイナス一等星以上の星々が散見できるだけだ。

 そんな夜はまさに絶好の悪行日和といったところで、あいまいな暗さの夜道はいっそう犯罪を助長させる。

 暗くても、いや暗がりだからこそ、よりいっそう大きく見える一対の瞳が二回、ゆっくりとまばたきをした。

 俺は何か継ぐ言葉を探しているよう見えるよう――わざと困ったふうに頭を掻きながら――天崎を観察する。

 氷が解けるように徐々に弛緩していく表情。ぎゅっっと握られた拳からも少しずつ力が抜けていくのが分かる。青白く、細長い手はよく見ると震えていて自らの感触を確かめるように何度か結んで開いてを繰り返している。そしてその手が――いきなり俺に襲いかかってきた。

 天崎の願いを害している自覚が無いほど俺はバカじゃない。この状況で俺の存在は天崎にとって邪魔者以外の何物でもないのだ。なので当然天崎の報復行動も想定内。予想した最悪の展開回避のシナリオに則って、俺はしゃがんだままのバックステップで天崎から距離をとり、襲いかかる手から逃れる。

 が、しかし、天崎の目的は俺への襲撃ではなかったらしく、天崎の手は予想を大きくはずれて、俺の手の中にある双眼鏡を掴んだ。

「…………」

「…………」

 一瞬の視線の交錯の後。ぷつんと双眼鏡を奪い取られた。

「帰ってください」

 天崎は息を吐くように小さく言った。しかし、俺は無視、

「ずっと、双眼鏡覗いてると回りが見えなくて危ないよ?」

 話を引っ張ろうと試みる。

「だ、だって顔がよく見えないじゃないですか!?」

 出たな、本音がポロリ。

 意外に簡単に釣れた。どうやら、天崎も人並みには動揺しているらしい。揺れ幅のベクトルが少々ズレている感が否めなくもないが。

「とりあえずよだれ拭いたほうがいいよ?」

 言って、俺はポケットからシミ一つなく洗濯され、綺麗にたたまれた萌黄色のハンケチーフを取り出し、それを天崎に差し出す。

「ほっといてください」

 しかし、天崎はそれを受け取らずスウェットの袖口で口元を豪快に拭いてしまうのであった。ねずみ色は滲んでさらに深い灰色になる。

「そのスウェットはやっぱり低視認性重視?」

「なに言ってますか、これは私の私服です」

 嗚呼、今度は聞きたくなかった美少女の実態がポロリ。

 はたしてこの事実が新たなファン層獲得に繋がるか否か。

「ストーカーは犯罪だよ」

 ちょっと、早いかとも思ったが、ここまでなんだかんだで質問にはレスをつけてくれたので簡単な心理テクを利用して真理へと一歩踏み込む。

「わ、私はストーカーなんてしてません」

「あ、どもった」

 うわ、すごい目で睨まれえた。

 しかし、今日の俺は負けない。

「ストーカー規制法って知ってる?」

「知ってます。私はストーカーじゃありません」

 ここらへんで、ちょっとイヂワルでもしとくか。

「でも、ストーカーしたって想いが叶うわけじゃないでしょ?」

 お、唇を突き出して明らかに怒った。

「そんなことありません。ストーカーから恋人になった例も確かにあります」

「…………」

 この大和撫子さん情報管制最悪だな。(頭)大丈夫か? 本当に秀才なの? それともバカなの?

 てか、電柱の脇で男女二人が膝を抱えしゃがみ込んで小声で会話してるってかなりシュールな絵だよな。なんて考えてると、ようやく天崎は自分の失言に気付いたらしく、はっとしたような表情。少しおもしろくなってきた。

「あ、ちがっ、その、私は一般論とし……」

 天崎の言葉はしりすぼみに消えてゆく。そのまま俯いて上目づかいに「う~」と唸る。

「とにかく、木付さんは帰ってください」

「つれないな、俺も天崎さんの仲間に入れて欲しいのに」

「仲間って、そもそも私は一人です」

 一人ってことは仲間が存在しないから一人なわけで、つまり一人から二人に増えることに仲間が増えるって表現は適切でないってことかな? 細かいな。

「うん」

 だから曖昧に頷く。一人、孤独な戦い。もちろん知ってる。

「だいたい、このことをどこで知ったんですか?」

「俺、天崎さんのファンだから、天崎さんのことならなんでも知ってるよ」

 一女子高生である天崎本人の前でファン告白とかきもいな俺。天崎もよくひかなかったな。

「それなら、ストーカーする相手を間違ってます」 

「お、間接的に自分がストーカーって認めた?」

 また睨まれた。すげー恐い。

「ごめんごめん。俺が天崎さんのファンってのは嘘だけど、力になりたい気持ちは本当だから」

 零時を回っているので昨日の夕方ごろ、俺は天崎に告白まがいをしてフラれたことになっている。言葉の裏打ちができて信頼を得やすい……はず。

「だいたい木付さんが仲間になったとして私に何かメリットがあるんですか?」

「俺、天崎さんよりストーカー歴長いから、先輩の意見は大切だと思うよ? いや、むしろストーカーのプロといっても過言ではないから俺」

 へぇ、そんなことは初耳だ。よくもまあそんなにすらすらと嘘がつけるものだな、俺。

「へえ」

 案の定、天崎の反応はライトだった。

 あれ? 嘘だってバレてるっぽい? ちょっと誇張しすぎたかな?

「他に特技といえば……体内時計が正確かな、三十分を誤差一秒以内で数えられるよ、それも他の作業をしながら、他のこと考えながらでも」

 おおう、今度はスルーですか。

 完全に興味が引く前にたたみかけないと、完璧に心を閉ざされてしまいそうだ。

 うーむ、俺に何か、今の天崎の興味をひくようなスキルはあったかな……いや、あるんだな、これが。

「あ、そうだ! 俺、ピッキング上手いよ」

 わざと今気付いたふうに言った俺の言葉に、天崎は目を見開いて、俺が告白したときと同じ顔をした。

 あ、わかった。天崎っておどろくとそうゆう顔するんだ。

「本当ですか!?」

 声が弾んでる。やはりこれは正解っぽい。

「さすがに見るからに厳重そうだったり、指紋認証とかカードキーとかはムリだけど、一般の、物理的なキーだったら三十分以内に開けられるよ」

 切り札を最後までとっておいた甲斐があった。どうやら上手く天崎の興味を引けたらしい。

 ちなみに体内時計の限界が三十分なのもこのピッキングスキルに由来する。三十分に以内に開かない鍵をはどんなに時間をかけても開かないし、三十分というのは発見から通報、警察の駆けつけまでの目安の時間でもある。

「聞いてる? 天崎さん」

 天崎は俯いてなにやら病的にブツブツ呟いてらっしゃる。俺の説明は完全に聞いてなかったっぽいな。

「鍵があくってことは……、て、できるし、……これもあれも」

 なにやら、ピッキングというワードを着火剤にして妄想が爆発しているようだ。

「またよだれたれてるよ」

 おおう、聞く耳持たず。しかたなく再びポケットからハンカケチーフを出して、口元をごしごしと拭ってやる。

 ああ、これは脳内から帰ってこれないパターンだな、 

「……しかたない」

 俺は右手と左手でじゃんけんを始めた。

 


 ほんの数日前まではくそ暑かった記憶があるのに、今夜はやたらと冷える。季節の変わり目を感じさせる夜だった。

 明日はもう少し着こんでこようと決意を固めつつ、腕の振りを大きくして寒さをしのぎひたすら一人じゃんけんを続けた。

 ポイントは意識せず無心にグー、パー、チョキを採択すること、しかしそれだけでは退屈凌ぎにはならないので、その代わり集中して勝敗を数える。分間約50回行われる勝敗をカウントするのは思いのほか集中する作業でいい暇つぶしになる。昔、他のことに集中しながら三十分をカウントする練習をしたときよくやったけな。

「……はっ」

 右手vs左手は271勝241敗226分で右手が勝ち越し、時間にしてジャスト14分。ようやく天崎は夢の世界からご帰還なさった。

「おかえり」

「あれ? 木付さん?」

 天崎は口元をぬぐい、目元をこすり、あたりをきょろきょろと見渡す。ほんとうにしゃがみ込んだまま寝てて、今起きました。きみたいな反応。白昼夢ってやつ? どこまで人間の斜め上を行くんだこの人。

「え? あ、あれ? 今何時ですか?」

「ん~、二時三十四分」

 俺は自慢の体内時計で瞬時に弾き出す。

「え!?」

 天崎は素早く体を回転させると、俺が声をかけたときそうしていたように、電柱の陰から通りのほうを覗いた。

「どうしたの?」

 まさかとは思うが、一応聞いとくケド。

「……」

 なんか、振り返って睨まれた。天崎はそのまま立ち上がってすたすたと歩きだす。それはストーカー対象が去って行った方向ではなく……たしか天崎の自宅方向。

「木付さんのせいで今日は収穫なしです」

 背中でそう捨て台詞を放つ。あきらかにふてくされたご様子で、口調はすねた子供みたいにとんがっていた。

 もしかして、ストーキング対象がまだ居ると思ってたのかな? 話してただけでも結構時間喰ってたのに、加えて脳内トリップしてたのに。時間感覚が無いとかそういう問題じゃないぞ。

 俺は、艶やかな黒髪が揺れる背中に問う。

「じゃあ、俺は明日もくるから」

 どうせ振り返らないだろうから、しゃがんだひざに肘をついて、手のひらに頬を乗せて、俺は天崎に問う。指でなぞった口元は少しニヤけていた。

 もちろん、いいよね? なんて聞かない。

「……考えておきます」

 少し立ち止まった後、そう言い残して、つっかけサンダルの音を夜の街に響かせながら天崎かけていった。

 

 


 昨日……というか今日は天崎のおかげで帰りが三時過ぎだった。

 それから調べごとがあったので結局朝日を拝んでからの就寝となってしまった。

 さすがに人間二時間の睡眠では足りないらしく見事に寝坊。気がつけば八時半。あわてて飛び起きるのも癪なので、ゆっくりと支度していたが、それでも一限の授業開始には間に合いそうだ。こういうときばかりは家の近さに感謝感激である。

「っく」

 くせで欠伸を噛み潰してしまうが、回りには人もいないのでそんな必要はなかったな、という後悔の二回り小さな感情を黙殺しつつ、朝のホームルームを欠席した言い訳を考える。

「……」

 困った。なかなか良い言い訳が思い浮かばない。しかし、優等生ぶっている俺としてはないがしろにできない問題である。

 担任の興梠(こおろぎ)さん場合、無難に体調が悪かったと報告するより、おちゃめな回答のほうが好感度が上がる気がする。あの人適当だから。

 うーん。

 考えながら、始業前の静かな廊下を一人歩く。我が校は進学校だからか、昼休みはともかく、休憩時間に騒ぐ奴らは少ない。俺のように受験リタイヤ組はともかく、受験が確実に視野に入ってきた二年のこの時期、だいたいの生徒は何かにとりつかれたように勉強に目覚めるのだ。教室内では教科書を開いてぎりぎりまで予習を行う生徒が多いため休憩時間は比較的静かだ。

 しかし、それにしても、今日は異様に静かだ。静か過ぎる。自分の教室の前に来て改めて思う。予習と言っても友達と話し合いながら行う生徒もいるからここまで静かになることは、いつもならないのだが。

 いや、違う。

 俺は、自分の思い違いを正す。

 この教室だけが、異様に静かだ。

 周りの教室の音は変わらない。この教室だけ浮いたように音を発していない。

 何があった? ドアはぴしゃりと閉められているので中の様子はまったくうかがえない。実は俺はクラスの隠れたムードメーカーで俺がいないとユーモアが生まれない。とか? ないない。でも移動教室とかではなかったと思うんだよな。

「……まあ」

 開ければわかることだ。どうせ大したことないだろう。

 教室の扉をスライドさせる。

 そこに広がっていた光景は一見すると――そう、見るだけなら普段と変わりない風景だったのだが、普段の風景と無音状態のミスマッチさが逆に異様だった。

 ほとんどの人間が数人のグループを作って、立つなり座るなりにしろ、お互いに顔を見合わせている。しかし言葉は発していない。その顔はだいたいがバツの悪そうな顔で、何か、一点を見ないように努めいるふうに見えた。

 その一点。そう、それは教壇上に立つ天崎七月を。

 扉が開く音につられて、クラス中の視線が俺に集まった。数人は笑顔を向けてくれたので、こちらも笑顔を張り付けつつ手を挙げて答えた。

 ふと、昨日、修学旅行の班を決めたときのように教壇の上に立った天崎と目が合った。夜遅くまでストーカー行為に励んでいたにも関わらずまったく疲れを見せないその双眸は一瞬横目で俺をとらえると、すぐに正面へ向き直った。

 いったい教室でなにがあったのか?

 窓際最後尾、俺の席に座る栞奈に手招きされた。

「どうした?」

 近寄り俺は問う。小声で言ったつもりだったが静かな教室に俺の声はよく響いた。

『浅山さんの上履きが盗まれたんだって』

 あらかじめ俺の到着を予測してたのか、栞奈はノートの切れ端で作ったカンペを見せてきた。

 ふーん。なるほど。

 浅山京香、クラスでもあんまり目立たない。いかにも(・・・・)ってカンジの子だ。で、浅山さんが、人望の厚く能力がある天崎に相談。天崎は穏便に進めるべくまずはクラスを問いただしたってところか。

 高校生にもなってイジメかよ、なんて思わない、言わない。それは俺の仕事じゃない。

 俺の前の影が勢いよく立ちあがった。

「お前ら、高校生にもなっていじめかよ!」

 さっきから前で小刻みに震えてたからそろそろかと思ったよ、スバル。というかお前はなぜに俺の前の席に座っていたんだ。そこは最近休みがちだけど、篭宮さんの席だぞ。

 スバルの言葉で堰を切ったように教室内に言葉が流れ、クラスをざわめきで埋める。しかしそれらの言葉は直接天崎に飛んでくることはなく作られた数人グループの内輪での会話ってかんじだ。

「須原さん。静かにしてください」

 天崎の注意が飛ぶ。

「でも」

 しかし、スバルは席に着こうとしない。

 イジメは濃厚な人間関係が抱えた重大な欠陥だ。特定の条件さえそろえば発生するし、それは不可避である。

 俺は視界の端に自分の席で小さくなって申し訳なさそうに座る浅山さんを捉えた。まあ、実害は今回初めてみたいだし、連続的に続く兆候があるわけじゃないから本人の意識としてはそんなもんだろ、自分のことで皆を騒がしてしまって申し訳ない。みたいな心境。しかもこの談義自体ホームルーム後からと考えると三分も経ってないはずだし。

 しかし、天崎がたかが(・・・)靴隠しぐらいでここまでの行動にでるとは。

 イジメはイジメられるほうに原因がある。そうとも、ささいなことにしろ必ず原因は被害者にあるはずだ。そうでなければ標的には選ばれないのだ。しかし、原因があるだけで被害者は悪くはない。その原因自体が加害者側の理屈で構成されているから原因イコール悪の式は成り立たない。

 天崎はよかれと思ってこのことをクラスに持ちかけたのだろう。でもこういう正攻法はよくない。イジメが悪化するだけだ。話せば分かる。なんて天崎やスバルみたいな人気者の意見だ。俺はこういうやりかたを絶対に認めない。まあ、しかし、今回、天崎はそんな自分に救われたな。また天崎の株がまた上がってしまうが、もともと天井知らずに伸びてたものが今更少し増えたところででなにも変わるまい。

「おい、スバル落ち着け」

 天崎に食い下がるスバルを羽交い絞めにしてズルズルと後ろに引き下がる。

「でも」

「でもじゃない」

 少し凄んで黙らせる。それから篭宮さんの席に着かせて、俺は栞奈をどかせて自分の席に着いた。

 肩にかかった重圧から逃れるように皆一様に内輪のひそひそ話に没頭しているので、俺たちのことを見ているのは栞奈くらいしかいない。

「ちょっと耳貸せ」

 手招く人差し指で手招く。

「犯人分かったのか?」

 真剣な表情でスバルは俺の顔を覗き込む。少し笑ってしまいそうだ。

「まあな、でもあぶりだすにはお前の力が必要だ」

 俺たち二人、やってやれないことはない。って昔スバルが言ってたっけ。ああ恥ずかしい。しかし、実際やってやれないことは少ないはず。

 スバルの耳に向けて犯人(・・)の名と注文(・・)を短く口にする。真剣だったスバルの口元が緩んだのがわかった。

「お前のアドリブ頼みだから――」

 耳から口を離し、言いながら俺はスバルの肩を小突く。

「たのんだ」

「マカセロ」

 親指を立てるとスバルは立ち上がって教室の前に出た。

 さっそく俺はポケットからケータイを出すと、カメラを起動する。連射モードに変えていると空いた前の席に栞奈が座ってきた。

「なにするの?」

 さっき首根っこをつかんでおざなりにどかしたからか、若干不機嫌。

「見てれば分かるって」

「そう……」栞奈は吐息のように頷くと机に頬づえをつく。「なんでカメラ構えてるの?」

 頬づえついてるから顔と顔が近い。

「ん? 小遣い稼ぎ」

 あ、そういえば。

「なあ、栞奈」

「栞奈ってい呼ばないで」

「ごめんなさい」

 間髪入れずにツッコまれた。なんか最近名前の呼び捨てに妙につっかかってくる。修学旅行委員のことで訊きたいことがあったのだが……まあ、いいや。今はこっちのほうが大事だ

「注目!」

 スバルが手を挙げて聴衆の目を引いた。ベタだが掴みは十分だ。

 クラス中がスバルの方へと目を向ける中、俺は天崎に向かってカメラをフォーカスする。

「ごめん! さっきはおれも熱くなりすぎた」スバルは天崎に頭を下げたあと、教室中に向かってもう一度頭を下げる。「でもやっぱりいじめはよくないと思うんだ」

 スバルは冗談めかして芝居がかった口調で声たからかに宣言した。あまりに唐突な意見に聴衆は「また始まったか」みたいな顔をしてあきれて、教室に立ちこめていた空気が一気に緩んだ。

 イタい。観ててイタい。もしかしてスバルのおもしろムービーの方がおいしいんじゃないかと思ったが、(ヤロー)じゃ金にならないので考えを振り切った。そもそも俺の指示で動いてくれてるのに笑いものにするのはバツが悪い。成功報酬分はキッチリ働かねば。と、アンニュイな決意を固めつつ俺は天崎にカメラを向ける。皆スバルの方を見ているので誰も俺の奇行には気付かない。

「さっきからなんですか? 須原さん。ふざけるのはやめてください」

 今度は視線が天崎に注がれる。教卓に手をついて身を乗り出して、あきらかにイラついている。一年と半年弱天崎とは学校生活を共にしてきたがこんな天崎を観るのは初めてだ。

 しかし、スバルは構わずに続ける。

「でも! でもでも! やむを得ずイジメという手段に走ってしまうこともあると思うんだ。例えば、故意ではなく無意識に人を傷つけてたとか、他人をいじめないと自分がいじめられるから保身のためにやったとか、それとその人が好きだから、愛するが故に傷つけてしまう。とか、ほらあるじゃん? 好きな子をいじめちゃうみたいな、その延長線上で愛ゆえに愛があるからこそ愛のためにその人を傷つけてしまう。傷つけるということは決してその人のことを嫌ってるからやるだけじゃないと思うんだ」

 スバルの言葉に天崎は眉を寄せる。

 口から出まかせにしろ、本人の中に確固たる持論があるにしろ、スバルの意見はいつも興味深い。それは俺の贔屓目……ではないと思う。

「そこで、天崎さん! おれからの提案なんだけど……」

 反論のすきを与えず。スバルは追撃を仕掛ける。距離も一歩縮めて天崎の目を見据える。

「なんですか?」

 対する天崎はスバルに対する嫌悪を隠しもせず、表情の全面に押し出していた。

「犯人をさ、教えてあげるから、その人のこと見逃してくれないかな?」

「なっ」天崎は開きかけた口を噤む。「わかりました」

 ダウト。俺にはその言葉が嘘だと分かる。

 しかし、ここではそれこそがスバルの狙い。

 スバルは「ふふん」と鼻で調子をとると、天崎の居る教壇の周りをぐるりと半周回る。そして、まったく動じない天崎の正面まで戻ってくると

「天崎さん。足元見てみて」

 言いながらスバルはストンと天崎の足元を指差した。

 天崎の視線もつられるように下に落ち、首が曲がる。

「…………っ!」

 ぶわっ、と一気に天崎の顔が真っ赤に染まる。。

 両手で顔を覆うと、前髪をくしゃっとかき乱す。

 そして、しゃがみ込んでしまう。

 皆、訳が分からず静まりかえる教室に無情に切られた電子的なシャッター音だけが響いた。

 



「今日は、木付さんのせいで恥をかきました」

 某ストーカー御用達電柱の裏に隠れた天崎はこちらを見ようともせず電柱の影から通りを覗き見つつ口を開いた。

 今回の件は俺のせいになるのか? ……まあ、俺のせいになるよな。こっそり伝える方法もあったのに、写真欲しさにあえて公衆の面前で辱めたわけだから……しかし、今日の俺は無駄に果敢に食い下がる。

「え? ごめん、俺なんか耳が遠くなったみたい。『スバルのせいで』の間違いだよね?」

「バレてないと思ってます?」

 バレてるわな。ちなみに写真は昼休みに写真部に高く売り渡しました。

「思ってないです……」

「どうして分かったんですか? 私が、浅山さんの上履きを履いてるって、木付さんが入ってきた位置からじゃ教壇のの陰で私の足元は見えないですよね?」

「ああ、それはね……"天崎"と"浅山"で出席番号が隣だから」

「……それだけですか?」

「栞奈から事情を聴いたとき最初にピンときたんだよ、ああ、これ椅子取りゲームして椅子が足りないみたいな状況みたいだな。って、で、足音をよく訊いたらいつものぺちぺちって音じゃなかったから……天崎が下駄箱の隣から上履き取ってきたなって確信した」

 ここで注目すべき点は、天崎の中では上履きを履くことが、常識(・・)であるということだ。昨夜の一件、俺との接触で天崎は人並み以上に動揺していた。そして、動揺しているとき、心や思考に余裕がないとき、人はどんな行動をとるか、正解は普段慣れた行動を取る。だ。つまり天崎は動揺して思考に余裕がなかったために意識しない(・・・・・)普段(・・)どおり(・・・)の行動をとったから、上履きを履いてしまったことになる。このことがはたして何を意味するのか……。

 周りも天崎が余りにもナチュラルに上履きを履かないもんだったから、みんな気付かなかったんだろうな、今まで違和感があったものが普通に戻って、妙に日常風景に融け込んでしまったのだろう。

「でも、こっそり伝えてくれてもよかったじゃないですか」

 天崎が背中越しにでもわかるくらいにいじけた声をだしてくる。

「ごめんごめん」別に天崎が見てるわけじゃないけど俯いて少し反省。しかし今日は無駄に(以下略)「だけど、確かに入れ知恵したのは俺だけど、俺一人じゃ実行しなかったわけだし、責任はスバルと折半じゃない?」

「その理屈で言ったら、須原さんは木付さんがいなければ悪事は働かなかったじゃないですか」

 まあよく痛いところをついてくるもので、

「そうだけど……」

 屈服するしかなかった。無駄に食い下がったのがあだになった。

 俺が言葉尻を濁したせいで必然、二人の間に沈黙が生まれる。

 身を寄せ合うように植え込みに住まう住宅街の貴重な緑が風に揺られて不気味にざわめく。空は今にも降り出しそうだが決して降り出さないという微妙なバランスを保った曇り模様で、太陽の恩恵を受けたお月さまの恩恵は受けられなかった。かといって街の光量が減少するということなく。電灯という文明の力に感謝感激雨嵐だ。

「……二人とも仲いいですよね……」

 沈黙を戸を静かに押し広げるように天崎は言った。

「え? 二人って?」

 まさかとは思うが……。

「木付さんと須原さんですよ」

 背筋に寒気が走った。

「……ただの腐れ縁だよ」

「『にらにゃん』ってなんですか?」

 天崎からの問いかけが続く。ちょっとは俺に興味を持ってくれたってことかな? しかし、

「……どこで聞いたの?」

「有名ですよ? 加々見さんもよく言ってますし」

 声の調子からして、少し頭を下げたのは微笑んだからだろうか、背中からは天崎の表情は読み取れない。

「企業秘密だ」

 どうせ顔が見えないのだから、声だけを繕って、冗談めかして言う。少し揺らいだ心を隠すために。

 すると天崎は振り返り、こちらを向いて、

「にらにゃんってなんですか?」

 小首を傾けながら、もう一度言った。

 とってよほど気になることだったのか、天崎は真摯に俺を見つめる。しゃがんでいる天崎が立っている俺を見つめると、必然上目づかいとなって、その瞳は、好奇心を隠しきれない子供のように澄んでいて……なんだか隠しごとをしているのがばからしく思えてしまった。

 そのまま見つめていたら吸い込まれそうだったので、顔を反らし、雑念を払うように無造作に後頭部を掻く。それから、何故か言葉が口から吐いて出た。

「昔、お世話になった人がいて、その人が俺たちに言ったんだよ、普通群れるはずの動物が一匹で居て、珍しい状態を一匹狼って言うから、普段群れない動物が珍しく二匹でいる様は二匹野良猫で『にらにゃん』にしよう。野良猫はのらにゃんだから『にらにゃん』にしよう。って。で、俺とスバルの二人は群れないタイプが二人いつもいたから、その『にらにゃん』なんだと」

 うわ、なんか素のテンションのとき一人語るのってハズカシイな。

「たしかに、二人とも一人で居るイメージが強いですね」

 そう感想を言った天崎はなんだか嬉しそうに微笑んだ。

「うそうそ、たしかにスバルは人気者ではあるけど周りから浮くっていう典型的な野良猫タイプだけど、俺は没個性の社交的な人間じゃない?」

「そうですか? 木付さんはたしかに外面(そとづら)はいいですけど、本音で喋ってない気がします。そういうところが私嫌いです」

「うわぁ」

 嫌い。と言う割には言葉に毒が感じられない。

 魅力的な笑顔のまま嫌いと言われては、返す言葉が見つからず感嘆ともつかない呻きをあげるしかなかった。

「……木付さんはその人のこと好きだったんですか?」

 ふわっと天崎は柔らかく、俺に問う。あまりにも発言が自然すぎたので、返事に一瞬の沈黙を挟んでしまう。

「……ああ!? どうしてそうなる」

「だって、顔赤いですよ?」

 また、天崎はうれしそうに、くすくす笑う。

「それは……」一人語って恥ずかしくなったなんて言っても信じてくれまい。結果として口をつぐむことになった。

「木付さん可愛いです……」またはにかむように言ってから、すっと、天崎の顔から笑顔が引いていく。今までの質問が前座だったように、真剣そのものの表情で天崎は俺に問う。「……そんな木付さんなら、私の気持ち分かりますよね?」

「ストーキングのこと?」

 返す俺の口調も合わせて、真剣味を聞きとれるようにチューニングする。

「ストーカーじゃないです」

 冷えた、熱のない、けれども入り込む隙間のない声で天崎は言った。

「……その、天崎さんが好きな人と天崎さんが靴を履かないことに関係はあるの?」

 なんてことはない。そう思ったのはただの勘。

 天崎は躊躇うことなく静かに頷いた。

「私、小学生、三年生のとき、イジメられてたんですよ」俺が促すまでもなく天崎は一人語る。その姿に恥じ入る様子は見受けられない。「靴を履かなくなったのはそれからです。よく隠されて、ある日校庭で私の靴が燃やされて……ああ、じゃあ履かなきゃいいやって……」つまり、天崎が上履きを履かなくなってから八年近くたったことになる。それほどまでに幼少期の習慣というものは強烈なのだろう。

「ごめんなさい。こんな話聞きたくないでよね」

 そう言って、天崎ははにかんでみせる。しかし、

「ダウト」

「?」

 今日、天崎は俺にいくつかの質問を投げかけてきた。天崎から俺に歩みよろうとしてくれたのだ。だから、俺は天崎が踏み込めない一歩を代わりに詰めてやる。

「なんでもない。あやまることなんてないから。続けて」

 今回は真剣を装ったわけではない。心から、その台詞が出てきた。

「まあよくある話しで、当時六年生だった……あの人、明信あきのぶさんが助けてくれたんです」想い人を語る少女の頬は少し赤く、「はじめは、小さい頃にありがちな恋に恋するただの憧れの感情だったんですけど、年を重ねるにつれ……その、どんどん好きになっていって……」

「天崎にとって白馬の王子様なんだな」

「恋のきっかけなんて単純なものなんですよ」

「別に、天崎の理由が単純なんて言ってないけど、まあ……そうかもな」自分を救ってくれた人。その存在はたしかに……大きい。でも、でも「でも、天崎。どんなに、その憧れの人の存在が大きくてもストーカーまでしようなんて一人じゃ思わなかったはずだ。今朝の俺とスバルみたいに、きっかけとなるものがあったはずだろ?」

 両肩を掴み、詰め寄る。目を見て、決して逸らさず、天崎の心に訴えかける。

「そ、それは……」

 天崎は詰問から逃れるように視線を落とす。その先にあった腕時計を視界に捉えると、少し強めに俺の手をはたいて拘束から逃れ、

「そろそろ時間です。静かにしてください」

 そう言って、電柱裏の定位置に戻ってしまった。


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