表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】死ぬまでに叶えたい十の願い  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第一話

「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」


王宮の奥、正妃と側妃が静かに対峙する王宮は、表向きの華やかさとは裏腹に、常に緊張を孕んでいた。

王太子エドヴァルトとエリアーナが結婚したのは、三年前の春のことだった。


式典は盛大だった。

玉座の間に咲き乱れる白百合、粛々と響き渡る管弦楽、絹のように滑らかな誓いの言葉。

列席した貴族たちは皆、二人の未来を寿ぎ、杯を掲げた。


しかし式が終わり、宴が閉じ、夜の帳が王宮に下りると——エドヴァルトは静かに寝室を出ていった。

エリアーナはひとり、婚礼の白いドレスのまま、大きな寝台の端に腰かけていた。

窓の外では祝いの花火が散り、その光が一瞬だけ部屋を赤く染めた。


彼女はそれをただ見つめていた。

泣きはしなかった。

泣く理由もなかった。


わずかに、扉の外に人の気配を感じたけれど、その夜、この部屋を訪れる人はいなかった。


「わかりきっていたことだわ」


政略結婚。


エリアーナはトルクヴィスト公爵家の長女で、辺境の国境を守る大きな領地を守る家の娘。

王家との縁組は家の繁栄のためであり、彼女個人の幸福のためではなかった。

それは最初からわかっていたことだ。


エドヴァルトも同様だった。彼には既に、思い人がいたのだ。

側妃セラフィーナ——王太子が心から愛した女性。

しかし身分の差が壁となり、正妃の座には置けなかった。


エドヴァルトはセラフィーナを愛していたが故に、エリアーナをどこか遠ざけた。

正妃として傍に置きながら、心のどこかで彼女を、自分とセラフィーナの間に立ちはだかる壁のように感じていた。


だからこそ二人は、同じ屋根の下で暮らしながら、まるで他人のようだった。

食事は別々。行事の際には並んで立つが、終われば各自の部屋へ戻る。

言葉を交わすのは政務の話と、公式の場での必要最低限の挨拶のみ。


エリアーナが声をかけても、エドヴァルトは短く答えるか、沈黙するかのどちらか。


王宮の者たちはひそひそと噂した。


「王太子妃はお気に召されなかったのね」

「あの方は側妃セラフィーナ様しか見えていらっしゃらない」


エリアーナはそれを聞こえないふりをして、毎日きちんと身だしなみを整え、にこやかに公務をこなし、誰にも心配をかけまいとした。


三年間、そうやって生きてきた。


エリアーナは泣き言を言わなかった。

恨みごとも言わなかった。

ただ静かに、自分に与えられた役割を果たす。


民に優しく、王宮の礼儀を守り、エドヴァルトの公の場での補佐を欠かさず。

彼女の唯一の楽しみは、王宮の図書室に籠もること。

膨大な蔵書の中に身を潜め、知らない世界の物語を読む。

辺境の小さな城で育った彼女には、本の中の世界だけが広大だった。


街に出たいと思ったことがある。

音楽会に行きたいと思ったことがある。

野原でピクニックをしたい、星空の下で眠りたい、海の色を見たい——そんな小さな夢を、エリアーナは胸の奥の引き出しにしまっておいた。

王太子妃がそんなことを望んでも仕方がない、と思っていたから。


三年間の白い結婚。

それが崩れたのは、ある秋の夜のこと。


その夜、エリアーナは頭痛を感じて早めに就寝した。

翌朝目覚めると、胸の中心に鈍い痛みが。

初めは疲れからくるものだと思っていた。

しかし数日経っても痛みは消えず、むしろ少しずつ形を変えて、深いところに根を張っていくような感覚。


王宮の医師が呼ばれ、エリアーナの胸に手をかざした医師は、みるみる顔色を変えた。

二人目の医師、三人目の魔術師が呼ばれ、最後には王国で最も優れた老呪術師が呼ばれた。


長い白髪に深い皺を刻んだ老人で、その眼は長い年月を見てきた者だけが持つ静謐さを湛えていた。

彼は長い時間をかけてエリアーナを診察し、最後に深いため息をつく。


「呪いでございます」


その言葉は、石を水に落とすように、部屋に静寂の波紋を広げた。

呪術師は言いにくそうに続けた。


「強力な呪詛が、妃殿下の魂に刻まれております。これは……死の呪いでございます。余命は、一年」


エリアーナは静かにその言葉を受け取った。


一年。

それが彼女に残された時間だった。


「恐らく何かを媒介としております。何か受け取ったなど、お心当たりはありませんか?」


——エリアーナは、数日前の茶会を思い出した。


セラフィーナ様から手渡された、深紅の花。

出席の御礼の言葉と共に差し出されたそれは、美しく、香りさえ甘やかだった。


その時、セラフィーナ様はにこやかに微笑んでいたが、花を持つ指先が、ほんのわずかに震えていたのが気になった。


知らせはすぐにエドヴァルトに伝えられた。

彼が医務室に来たのは、報告を受けてから一時間後のこと。

エリアーナは寝台に起き上がり、窓から秋の庭園を眺めていた。


扉が開く音がして、エリアーナは振り返ると、エドヴァルトが立っていた。


三年間共に暮らしながら、これほど近くで彼の顔を見たことがあっただろうか。

高い頬骨、引き結ばれた薄い唇、険しいとも真剣ともとれる眼差し。

いつもどこか遠くを見ているような目が、今だけは確かにエリアーナを見ていた。


「呪いの出所は判明しているのか」


その言葉がエドヴァルトの最初の言葉。

体の具合は、という問いも、辛くはないかという言葉もない。

エリアーナはそれを責める気にはなれなかった。


それがこの三年間というものだったから。


「はい。呪術師が調べたところ、先日の茶会の折に、呪いの込められた花を渡されたとのことでした」

「誰が」


エリアーナは少し間を置いた。それから静かに言った。


「セラフィーナ様、です」


沈黙が落ちた。

エドヴァルトの表情が、わずかに揺れた。

それは驚きだったのか、否定だったのか、エリアーナには読み取れなかった。


「それは……確かなのか」

「呪術師がそのようにおっしゃいました。証拠も残っているとのことです」


また沈黙。

エドヴァルトはしばらく何かを考えるように立っていた。


「処罰については検討する。お前は療養に専念しろ」


それだけ言って、彼は部屋を出ていこうとした。


「殿下」


エリアーナの声に、エドヴァルトは足を止めた。


「お願いがあります。離縁していただけませんか」


エドヴァルトの目が細くなった。


「余命一年とのことです」


エリアーナは穏やかな声で続ける。

三年間穏やかで居続けたように、今もそれを保っていた。


「王太子妃が王家に縛られたまま死ぬのは、様々な意味で不都合かと思います。私を自由にしていただければ、故郷の家に戻り、静かに余生を過ごすことができます。ご迷惑はおかけしません」


エドヴァルトはしばらく彼女を見つめていた。


「断る」

「……なぜ、でしょうか」


エリアーナは目を瞬かせた。


「お前は王太子妃だ。公爵家との関係のためにも、その立場を捨てることは許可しない」

「しかし——」

「断ると言った」


きっぱりとした言葉。

エリアーナは少し考え、そして口を開いた。


「では、一つ交換条件を申し上げてもよろしいでしょうか」


エドヴァルトは黙って続きを促した。


「死ぬまでに、私の願いを十個、叶えてください」

「十個」

「はい。大きなことはお願いしません。ささやかなことばかりです。それを叶えていただけるなら、王太子妃として最後まで務めを全うすることをお約束します」


エドヴァルトは長い間、エリアーナを見つめていた。

彼女はその視線を真っ直ぐ受け止めた。

逃げも隠れもしない、ただ静かな目で。


「……内容による」

「まず一つ目をお聞きいただけますか」


エドヴァルトの眉が少し上がった。


「街に、一緒に出かけていただきたいのです」

「街に」

「はい。王太子妃として王宮に入ってから三年が経ちますが、まだ王都の街を歩いたことがないのです。この国の人々の暮らしを、自分の目で見てみたいと思っていました」


また沈黙が続き、エリアーナは静かに待つ。


「……わかった」


それが、全ての始まりだった。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ