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悪役令嬢ですが、断片的に思い出すゲーム知識で陰謀を回避したいです~黒歴史は世界を変えるのかもしれない~

作者: 五十鈴 美優

「クラリッサ・ヴァンフリート公爵令嬢。お前に婚約破棄を申し渡す」


 貴族学園の中庭で、第一王子リオネル殿下が凛とした声で宣言した。


 五月の午後。新緑の木々が風に揺れ、色とりどりの花々が咲き誇る学園の庭園。普段なら生徒たちの談笑で賑わう場所が、今は水を打ったように静まり返っている。


——ああ、ついに来たわね。

 何故か、私はそう思った。驚きも悲しみもない。ただ、長く待っていた靴がようやく落ちてきたような、妙な安堵感だけがあった。


 そんなことを思っている間にも、周囲を取り囲む生徒たちがざわめいている。リオネル殿下の隣には涙を浮かべた平民出身の聖女候補、エリナが立っている。白いドレスに金髪、青い瞳。まるで絵画から抜け出したような美しさだ。


 “聖女”とは、王家と共に国を支える機関・神殿に所属し、国の安寧を祈る特別な神職だ。多くは貴族の令嬢が聖女となるが、稀に平民の少女にもその資質が見込まれることがある。

 エリナは後者だった。半年前に突如として学園に現れ、あっという間にリオネル殿下の寵愛を受けるようになった。


 私、クラリッサ・ヴァンフリートは、内心でため息をついた。


 正直、この政略結婚の婚約は重荷だった。幼い頃から「将来は第一王子妃」と周囲から囃し立てられ、貴族令嬢としての振る舞いを叩き込まれ、自分の意思など二の次だった。

 リオネル殿下とは幼い頃からの許嫁だけれど、最近の殿下はどこかおかしい。他の貴族たちと密談ばかりで、私に対しても冷たくなっていた。


「クラリッサ。君は傲慢な振る舞いをし、エリナをいじめ、学園中に害悪を撒き散らした。もはや王家の婚約者として相応しくない」


 リオネル殿下の青い瞳が、氷のように冷たい。かつてあった親しみなど微塵もない。まるで罪人を見下ろす裁判官のようだ。


——いじめ? 私が?

 確かに最初の頃は平民出身のエリナに冷たくしたかもしれない。「平民の分際で」と心の中で思ったことはある。だが実際にいじめなどしていない。でも最近はむしろ彼女が私を避けていた。


 その時だった。困惑する頭の中に、まるで雷が落ちたかのように直接情報が流れ込んできた。


『——ゲーム『Royal Secrets~王宮潜入作戦~』——』


——ゲーム?……ゲームって?

 疑問とは裏腹に、脳裏に映像が閃く。パソコンの画面。キーボードを叩く手。攻略サイトを開いたブラウザ。

——前世、だ……

 流れ込んできたゲームの情報と共に、断片的に、おぼろげに思い出す。


 私、前世で『Royal Secrets~王宮潜入作戦~』っていうゲームをプレイしていた。スパイとなって他国に潜入し、腐敗した王族や貴族の陰謀を暴くゲーム。最終目標は、故郷への侵略戦争を防ぐこと。


 そしてリオネル殿下をもう一度見た瞬間、さらに情報が流れ込んできた。


『——リオネル・フォン・エルトリア。第一王子。現在、宰相派閥と結託し、隣国ルヴェール王国への侵攻計画に加担中。黒歴史:10歳の時、王宮の庭園で飼い犬に噛まれて泣きながら「犬が勝手に襲ってきた!」と嘘をつき、無実の犬を処分させた。実際は自分が先に犬の尾を踏んだのが原因——』


——え。侵攻計画? そして……犬!?リオネル殿下、そんな過去が!?いや、今は陰謀の方が重要でしょ!


『——プレイヤーはルヴェール王国から派遣されたスパイ。王子への接近に成功!陰謀に加担したクラリッサほか第一王子派閥の断罪ミッション進行中——』


——は!?


 私、これから陰謀に巻き込まれて断罪される!?それから、スパイって!?

 いやいや待って!私、まだ何も加担してない!だって陰謀のことすら今知ったんだから!今、この瞬間に!


「……殿下」


 私は冷静を装って口を開いた。声が震えないように、表情が崩れないように。貴族令嬢としての矜持を総動員する。兎にも角にも、ここは抗うしかない。


「婚約破棄、承知いたしました」


 周囲がざわめく。あっさり受け入れすぎたのだろう。もっと泣いて懇願するとでも思っていたのかもしれない。


「殿下。一つだけよろしいですか?」


 私は優雅に微笑んだ。母から何度も叩き込まれた「完璧な社交界の笑み」だ。


「婚約破棄の理由を、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?『いじめ』とおっしゃいましたが、具体的にどのような?」


 リオネル殿下の眉がぴくりと動いた。先ほどまでの威勢の良さはどこにもない。


「それは……エリナから聞いている」

「まあ。では、エリナさん。私がいつ、どこで、何をしたのか教えていただけますか?」


 エリナが涙目で私を見た。その瞳には一瞬だけ、驚きの色が浮かんだ。だがすぐに消え、また涙で潤む。


「クラリッサ様……図書館で、私に本を投げつけて……」

「いつですか?」

「……先週の水曜日」

「まあ、それは思い違いではなくって?先週の水曜日、私は父の領地視察に同行しておりましたの。証人は執事と侍女が五名。それに宿屋の記録も残っているはずです」


 エリナの顔が、見る見る青ざめていく。周囲のざわめきが大きくなる。


「他には?」


 私は畳みかけた。この冤罪こそ、私が断罪される未来へと繋がっているのではないか。そんな直感がした。前世の私のことは全く思い出せないし、ゲームの記憶すら断片的だが、「悪役令嬢クラリッサは冤罪で処刑される」という結末だけは鮮明に覚えている。


「私がエリナさんをいじめたという証拠を、ぜひお聞かせください。まさか、濡れ衣を着せようとなんて……しておりませんわよね?」


 最後の言葉に、わざと棘を含ませる。

 エリナは口ごもった。そこへ第二王子のエドワードが進み出る。その顔を認識した瞬間、彼の情報が流れ込んできた。


『——エドワード・フォン・エルトリア。第二王子。兄リオネルらの侵攻計画に協力している。黒歴史:13歳の時、恋に落ちたマリーナに詩を送ろうとして、7ページにも渡る壮大な恋愛詩を書いた。タイトルは「月光に輝く君の瞳は星々よりも美しい」。あまりの恥ずかしさに結局渡せず、今も自室の引き出しの奥に隠している——』


——ぶっ!7ページ!? それにタイトル長い!これより長いタイトルなんて、世界中探しても見つからないわ。しかも今も持ってる!?


 思わず噴き出しそうになるのを、私は必死で堪えた。唇を強く噛む。内頬も噛む。今笑ったら全てが台無しになる。今は絶対に笑ってはいけない。

 優雅な第二王子。知性派と評判の彼が。まさかの中二病詩人。


——って、“中二病”ってなんだっけ?


「クラリッサ嬢。いくら証拠がないとはいえ、一方的に冤罪だと決めつける発言は良くないのでは?」


 エドワード殿下の声は穏やかだ。だが、その目には警戒の色がある。

 私は深呼吸して、7ページの恋愛詩のことを頭の隅に追いやった。今は、それどころじゃない。


「私は具体的な証拠を求めているだけです。もし本当に私がいじめをしていたなら、目撃者がいるはずですわ。この学園は常に人の目があります。密室で行われるいじめなど、ありえませんもの」


 私が周囲の生徒たちを見回すと、ざわざわと生徒たちが囁き合う。


「私、見ました!」


 一人の生徒が手を挙げる。栗色の髪をお団子にした、小柄な少女、アリス・ブラウン男爵令嬢だ。顔を捉えた瞬間、またも彼女の情報が流れ込んでくる。


『——アリス・ブラウン男爵令嬢。宰相派閥。エリナから偽証を依頼されている。黒歴史:14歳の時、学園の試験でカンニング。隣の席の優等生の答案を丸写しし、その優等生が疑われた。アリスは知らんぷり。優等生は退学』


——偽証だけじゃなくてカンニング!しかも優等生を退学に!?この子、根っからの悪党じゃない!


「クラリッサ様がエリナさんに冷たくしているところを見ました!それも暴言まで吐いていらっしゃいましたわ」


 アリスの声は震えている。だが、それは恐怖ではなく……興奮だ。自分の演技に酔っている。


「まあ、それはいつのことですか?」

「二週間前の月曜日、廊下で!」

「具体的に何時頃? 私は何と言いましたか?」

「え、ええと……」


 アリスが口ごもる。具体的な内容まで打ち合わせていなかったようだ。顔が赤くなっていく。


「それに二週間前の月曜日は、私は午前中に公爵家の慈善事業の視察で孤児院におりました」

「そ、そんな! 私は確かに見たんです!」


 アリスが必死に言い張る。その目が泳いでいた。嘘をついている人間の典型的な反応だ。

 その時、私の口がまるで意思を持ったかのように勝手に動いた。


「アリスさん。そんなに必死になっても、14歳の時のカンニング事件のようにはいきませんわよ?」


 ——あ。言っちゃった。

 脳内の情報が、そのまま口から飛び出した。まずい。でも、もう遅い。


「な、なんのことですか!?」

「あら、ご自分のことなのにご存じないの? 隣の席の優等生の答案を丸写しして、あろうことか罪をその方に擦り付け、退学に追い込んだ件ですわ」


——なんてこと!口が止まらない!

 でも、効果は抜群だった。


「え、アリス様がカンニング!?」

「優等生を退学に!?」


 周囲がざわめく。生徒たちの表情が、驚きから嫌悪へと変わっていく。彼らがアリスから距離を取り始めると、アリスが真っ赤になって叫んだ。


「そんなの嘘です!そうよ、そうやって嘘に嘘を重ねるんだわ。公爵家の令嬢が、なんてみっともないの!?」


 必死の反撃。だが、その声は裏返っている。

 その時、一人の男子生徒が前に出てきた。


「待てよ」

 

 低く野太い声。その声だけで、周囲の空気が変わった。


 ダミアン・ラヴェンナ。学園一の不良と呼ばれる男だ。黒髪に赤い瞳、常に不機嫌そうな表情をしている。制服のボタンは開けっぱなし、ネクタイは適当に結ばれている。

 彼を見た瞬間、またしても勝手に情報が流れてくる。


——もういい加減にして!


『——ダミアン・ラヴェンナ。ゲーム内では隠し協力者。正義感が強く、王家の陰謀を独自に調査している。プレイヤーが真実を明かせば、最強の味方になる。黒歴史:8歳の時、捨て猫を拾って「お前の名前はもふもふ大将だ!」と命名。母親に「恥ずかしいからやめなさい」と言われて大泣き。未だに実家には「もふもふ大将」と呼ばれる猫がいる』


——もふもふ大将!?

 私は必死で吹き出すのを堪えた。唇を噛む。内頬も噛んで拳を握る。爪が掌に食い込んで全身が痛い。ダメ、笑ったらダメ。

 この人は味方になる人。正義感が強くて……もふもふ大将、じゃなくて、隠し協力者なのだから。


「俺、二週間前の月曜日、ヴァンフリート公爵令嬢が孤児院にいたの見たぞ。孤児たちに菓子配ってた」


 ダミアンの声は静かだが、よく通る。また周囲が騒めく。


「それに廊下の件も変だな。俺、その日の午後ずっと廊下にいたが、二人がすれ違うところなんて見てねえ」


 ダミアンの赤い瞳が、鋭くアリスを見据える。


「お前、やっぱ嘘ついてんじゃねえのか?」

「そ、そんな! 私は確かに……」


 アリスの声が震える。今度は本物の恐怖だ。


「じゃあ何時何分だ? 廊下のどこだ? 他に誰がいた?」


 ダミアンの追及に、アリスは完全に黙り込んだ。口をパクパクさせるだけで、言葉が出てこない。


 私はダミアンを見た。ああ、この人は本当に正義感が強いんだ。不良を演じているけど、本質はもふもふ大将……じゃなくて、最強の味方。


 空気が完全に変わった。生徒たちの視線が、私への非難から、リオネル殿下とエリナ、そして宰相派閥への疑念へと移っている。その様子に、リオネル殿下が一歩前に出た。その顔は紅潮している。


「ダミアン・ラヴェンナ。貴様、王族に逆らうのか」

「逆らうも何も、正しいことを言ってるだけだ」


 ダミアンは一歩も引かない。


「リオネル殿下」


 私は優雅に微笑んだ。


「王族に逆らうとおっしゃいますが、無実の犬を処分なさる人に果たして王族の資質があるのでしょうか」


 リオネル殿下の動きが止まる。


「な……」


「殿下が犬の尾を踏んで噛まれたにも関わらず、『犬が勝手に襲ってきた』と嘘をついて。可哀想な犬は処分されたそうではありませんか」


 周囲が水を打ったように静まり返った。


「し、知るか!それは子供の頃の話だ!」

「そうですわね。子供の頃から、責任転嫁と嘘がお得意だったということですわね」


 殿下の顔が真っ赤になる。怒りか、羞恥か。おそらく両方だろう。

 そこへ宰相派閥の生徒の一人、ケンブリッジ伯爵の息子が前に出てきた。


「クラリッサ様! いくらなんでも、王子殿下方を侮辱しすぎです!」


 彼を見た瞬間、お決まりの情報が流れてくる。


『ロバート・ケンブリッジ。16歳の時、町の酒場で泥酔し、侮辱の限りを尽くす。「俺は伯爵の息子だぞ!」と叫びながら店主に絡んだ。店主が抵抗すると殴りかかり、店主は怪我。ロバートの父親が金で示談にしたが、店主は今も片腕が不自由——』


——うわ、最悪。

 この国では、お酒は18歳からと決まっている。未成年飲酒の上に絡み酒じゃ飽き足らずに暴行って……。貴族として最低だ。いや、人間として最低だ。


「ロバート様こそ。16歳の時、酒場で暴れて店主を怪我させましたわよね?今も片腕が不自由な店主に、ちゃんと謝罪なさいましたか?」

「な、なんで……!?」


 ロバートが絶句する。その顔が見る見る青ざめていく。


「クラリッサ様!私もいじめられました!」


 別の声。宰相派閥の少女、セシリアだ。


『——セシリア・モントゴメリ。証言の偽証を依頼される。15歳の時、友人の秘密の恋文を勝手に読み、学園中に流出させ友人を自殺未遂に追い込んだ』


——この子もか!どいつもこいつも……。


「セシリアさん」


 私は静かに言った。


「あなたが15歳の時、友人の恋文を勝手に読んで流出させた件、覚えていらっしゃいますか? その友人は自殺未遂をなさいましたわよね」


 セシリアが真っ青になった。


「ち、違う!あれはあの子が勝手に死のうとしただけで……!」


 最悪の言い訳だ。責任転嫁も甚だしい。


「嘘はおやめなさい」


 私は周囲を見回した。宰相派閥の貴族たちが、全員顔を青くしている。なるほど。この一連の濡れ衣は宰相派閥によるものか。


「皆様。私をいじめの加害者として糾弾なさる前に、ご自分の過去を振り返ってはいかがですか?」


 誰も反論できなかった。重い沈黙が落ちる。そんな様子に、ダミアンが低く笑った。


「ざまあみろ。偽善者どもが」

「殿下」


 私は改めて言った。


「婚約破棄、確かに承りました。ですが、私をいじめの加害者として扱うのはお止めください。証拠もない虚偽の訴えです」


 そして、エリナを見た。彼女の青い瞳が、一瞬だけ鋭い光を宿した。彼女は恐らく……。


「エリナさん。もし私が本当にあなたをいじめていたなら、証拠を持ってきてくださいませ」


 エリナは唇を噛んだ。その目が、一瞬だけ私を睨む。だがすぐにまた涙を浮かべる。完璧な演技だ。でも、私はもう騙されない。


「それでは、失礼いたします」


 私は静かに礼をして、その場を離れた。背中に無数の視線を感じる。好奇、驚愕、そして……少しだけ、尊敬?

 廊下を歩きながら、私は深呼吸する。心臓がバクバクと鳴り、全身が震えている。


 助かった。でも、やりすぎた感は否めない。

——でも、爽快!こんなにスッキリしたのは、生まれて初めてかもしれないわ!


「おい、ヴァンフリート」


 後ろから声がした。振り返ると、ダミアンが立っていた。


「あ、もふもふ大将」

「もふもふ大将!?なっ……!お前、どこでそれを」


 ダミアンの顔が真っ赤になった。不良の顔が、まるでトマトのようになっている。


「……風の噂ですわ。それより、さっきは助けていただきありがとうございます」

「礼はいらねえ。俺は嘘が嫌いなだけだ」


 ダミアンは不機嫌そうに言った。でも、その目は優しい。


「それでも、感謝いたします」


 ダミアンはしばらく私を見つめた後、ぼそりと言った。


「なあ、お前……王子たちが何か企んでるって、気づいてるか?」


 私の心臓が跳ねた。彼、やっぱり調査してる!


「……なぜそう思いますの?」


 ダミアンは腕を組んだ。その仕草が、妙に様になっている。


「直感だ。それに、あの婚約破棄の仕方は不自然すぎる。まるで、お前を追い詰めるための罠みたいだ」

「ダミアン様。もう少し、お時間をいただけますか? 今はまだ、確証がありませんの」

「……わかった」


 ダミアンは頷いた。


「でも、もし何かあったら、俺を頼れ」


 私は頷き、その場を離れた。



 その日の放課後、私は図書館に向かった。

 学園の図書館は、三階建ての立派な建物だ。蔵書は数万冊。魔法の明かりが柔らかく室内を照らしている。数室の個室もあり普段なら静かで落ち着ける場所だが、今日は違った。


 ゲームの記憶を整理しないと。断片的すぎて、全体像が見えない。


 廊下を歩いていると、何人もの生徒が私に頭を下げてくる。


「クラリッサ様、素晴らしかったです!」

「偽善者たちをギャフンと言わせて!」

「あのアリスの顔、最高でしたわ」


——あれ? 私、何か英雄みたいになってる?

 予想外の反応に戸惑いながら図書館に入ると、ダミアンが既に待っていた。


「よお、ヴァンフリート」

「ダミアン様。なぜここに?」

「護衛だ」

「……は?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。


「お前、さっき王子たちと宰相派閥を全員敵に回しただろ。一人じゃ危ない」


——確かに。それもそうね。暗殺とか普通にありそう。


「でも、図書館ですのよ?」

「それでも油断は禁物だ」


 ダミアンは頑として譲らなかった。もふもふ大将を守るように、私も守るつもりらしい。

 私は奥の隅の席に座り、目を閉じた。ダミアンは近くの席で本を読んでいる。気配を殺しているつもりなのだろうが、妙に存在感がある。


——思い出せ。ゲームの内容を。陰謀の全体像を……。

 頭の中で、断片的な記憶を繋ぎ合わせる。『Royal Secrets』のストーリー。プレイヤーはルヴェール王国のスパイとなり、この国に潜入する。目的は、侵略戦争の証拠を掴み、国王に直訴すること。


 そして……悪役令嬢クラリッサは、陰謀に加担したとして処刑される。でも、私はまだ何もしていない。ならば、未来は変えられる。


「クラリッサ様」


 声がして、私は顔を上げた。そこには、エリナが立っていた。

——いつの間に!?


 だが、その表情は先ほどとは全く違う。涙も震えもない。ただ、冷たい光だけがある。

 ダミアンが警戒して立ち上がった。


「おい、お前!」

「大丈夫」


 私はダミアンを制した。


「エリナさんとお話ししたいの。少し席を外してもらえる?」


 ダミアンは迷ったように私とエリナを交互に見た。その目が「本当に大丈夫か?」と問いかけている。


「……何かあったらすぐ呼べ」


 ダミアンが少し離れた席に移動すると、エリナは私の向かいに座った。そして、静かに言った。

 エリナは私の向かいに座った。そして、静かに、だがはっきりと言った。


「あなた、何者?」


 その声には、先ほどの可憐さの欠片もない。冷徹で計算高く、そして……少しだけ、焦りがある。


「どういう意味ですか?」

「とぼけないで」


 エリナの青い瞳が、鋭く私を見つめた。先ほどの涙は嘘のように消えている。まるで別人だ。


「あなた、今日の婚約破棄、予想していたでしょう。それに、宰相派閥の全員の秘密も知っていた。普通の貴族令嬢には無理よ」


 観察眼が鋭い。私は深呼吸した。ここで嘘をついても意味がない。ならば……。


「エリナさん」


 私は静かに言った。


「あなたこそ、何者ですか?平民の聖女候補?それとも……ルヴェール王国のスパイ?」


 この世界はゲームの世界。じゃあプレイヤー、すなわち潜入しているスパイとは、誰なのか。ここ最近で、王子に接近していた生徒はただ一人。エリナだけだ。

 何より、彼女の情報だけが脳内に流れ込んでこない。


 エリナは真顔のまま黙り込み、静寂が流れる。長い、長い沈黙の後、エリナは小さく笑った。


「……やっぱり、知っていたのね。どうやって知ったの?」


 認めた。その笑みには驚きと、安堵がある。


「それは……企業秘密ってことで。でも、あなたを告発するつもりはありません」

「なぜ?」


 エリナの目が細まる。警戒と、疑念。


「あなたの目的が、侵略戦争を止めることだから」


 エリナの目が揺れる。


「私も同じです。この国の陰謀を止めたい。敵対するより、協力した方が早いと思いませんか?」

「……あなたまさか、今日のあの暴露。わざとやったの?」

「半分は勢いです」


 私は正直に言った。嘘をついても仕方ない。


「でも、効果はあったでしょう? 宰相派閥の信用は大きく落ちたことでしょう。当然、リオネル殿下も」


 エリナはふっと笑った。その笑みが、ようやく年相応の少女らしさの片鱗を見せた。


「確かに。あれは見事だった。特にロバートとセシリアの顔、最高だったわ」


 仮にも庇ってくれた人と偽証の協力を頼んだ相手に、とんでもない言い様ね。やっぱりスパイは冷徹だ。

 だが、彼女の真剣な顔が戻る。


「わかった。協力しましょう、クラリッサ様」

「様、はやめて。協力者なんだから」

「じゃあ、クラリッサ。よろしく」


 私たちが手を握り合った。その手は冷たく、そして……少しだけ震えていた。彼女も、緊張しているのだ。

 そこへ、ダミアンが戻ってきた。


「話は済んだか?」

「ええ」


 私は頷いた。


「ダミアン、彼女も協力者よ」


 ダミアンは眉をひそめた。その目は疑念に満ちている。


「おい、こいつはお前をいじめたって……」

「あれは嘘。というか、全部作戦」


 私はダミアンに全てを話した。エリナの正体、陰謀の概要、そして私たちの目的。ゲームのことは伏せたが、「独自の情報源がある」とだけ伝えた。


 ダミアンは黙って聞いていた。その表情は険しいが、目は真剣だ。話し終えた後、彼は長い沈黙の後に頷いた。


「わかった。俺も協力する。不正は許せねえ」


 彼は私たちを見ると、不敵に笑った。


 こうして、私たちの協力関係が始まった。



 私たちは作戦を練った。


「陰謀の証拠を集めるには、宰相の私室に侵入する必要があるわね。三日後の舞踏会の最中に密談があるわ」


 エリナが言った。スパイはスパイで独自の情報源があるらしい。


「侵入ルートは?」


 ダミアンが尋ねた。

 私は目を閉じて、ゲームの記憶を探った。


『——侵入ルート:屋根裏から換気口を通って私室へ。警備兵は22時に交代で休憩。その隙を狙う——』


 情報が来た!


「屋根裏から換気口経由。22時の警備交代時に侵入する」


 詳細を説明すると、エリナとダミアンは顔を見合わせた。


「確かに、想定ルートの1つではあるけど……」

「お前の情報源どうなってんだ」


 二人は訝しげな視線を送るが、私は知らないフリをして話を進める。


「とにかく、これで行きましょう」



 三日後。

 王宮の大広間は、まばゆい光に包まれていた。シャンデリアの明かりが、貴族たちのドレスや宝石を照らし出している。音楽が流れ、人々が踊る。まるで絵画の中の世界のようだ。


 私はダミアンと共に、端の方で待機していた。彼は珍しく、きちんと礼服を着ている。黒い燕尾服に白いシャツ。その姿が、意外なほど様になっている。


「……すげえな、あの子」


 ダミアンが呟いた。

 その視線の先にはエリナがリオネル殿下とダンスを踊っていた。白いドレスが優雅に揺れ、金髪が光を反射する。彼女は完璧に「可憐な聖女」を演じている。その演技力に、思わず感心する。


「そうね。プロのスパイは違うわ」


 やがてダンスが終わり、エリナが殿下と会話を始めた。これが合図だ。


「行きましょう」


 私はそっと会場を抜け出した。ダミアンが後に続く。

 廊下は静かだ。舞踏会の音楽が遠くから聞こえる。私たちの足音だけが、石畳に響く。廊下を進み、北棟へ。警備兵が二人、入口に立っている。鎧を着た屈強な兵士だ。


 22時まで待機する。

 時間が、やけに長く感じる。心臓がバクバクと鳴っている。予定通り、東の警備兵が持ち場を離れた。


「俺が引きつける。お前はその隙に入れ」


 ダミアンがそう言って、警備兵に近づいた。


「おい、こっちで怪しい奴を見たんだが……」


 警備兵がダミアンの方に向く。その隙に、私は北棟に滑り込んだ。

 階段を駆け上がる。スカートが邪魔だ。こんな時、ズボンだったらどんなに楽か。三階へ上がる。


——屋根裏への入口は……あった!

 梯子を登る。手が震えている。深呼吸。落ち着け、クラリッサ。屋根裏に入る。埃っぽい空間に、咳が出そうになるのを必死で堪える。換気口を探して……。


——見つけた!

 格子を外し、中に入る。狭い。ドレスが引っかかる。

——くっ、こんな時にドレスなんて!ていうか、私、公爵令嬢なんだけど。なんで換気口なんか這いずり回ってるの。


 ゲームではきっとエリナがこれをやっていた筈だ。私はきっと懲りずに舞踏会に参加していて、エリナに向けられる視線が少なかったのだろう。だが、私がリオネル殿下たちに反論してしまったお陰で、エリナが殿下の気を引く役をしなければならなかった。


 なんとか体を横にして進む。息が苦しい。

 やがて、下に部屋が見えた。宰相の私室だ。豪華な調度品に壁一面の本棚。そして大きな机。


 まだ誰もいない。換気口から降りて、部屋の隅に録音装置を仕掛ける。エリナから渡された、ルヴェール王国産の録音装置だ。

——よし、これで……


 その時、廊下から足音が聞こえた。まずい、もう来た!

 私は慌てて換気口に戻ろうとしたが、扉が開いてしまった。

——見つかる!


 私は咄嗟に、大きなカーテンの陰に隠れた。心臓が破裂しそうなほど鳴っている。全身から冷や汗が噴き出す。呼吸を殺す。音を立てないように。動かないように。

——見つからないで。お願い……!


 宰相アーサー・グレイが入ってきた。白髪の老人だが、その目は鋭い。その後ろに、リオネル殿下とエドワード殿下が続く。


「では、計画の最終確認を」


 宰相の声だった。


「来月、国境で小競り合いを起こす。もちろん、我々が仕組んだものだ。それを口実に、ルヴェール王国に宣戦布告する」


 自作自演の戦争だ。


「しかし。ヴァンフリート公爵が協力しなければ、軍事力が足りません」


 エドワード殿下の声だ。


「それについては既に手を打ってある」


 宰相が冷たく笑った。その笑い声が、背筋を凍らせる。


「公爵の娘、クラリッサを陰謀の共犯者に仕立てる。証拠を作り、公爵を脅迫すれば、協力せざるを得なくなる」

「具体的には?」

「来週の慈善事業の場で、クラリッサに『機密文書』を持たせる。もちろん彼女は知らない。だが、それを証拠に『陰謀に加担した』と言えば、公爵は娘を守るため協力するだろう」


 卑劣。あまりにも卑劣。父を、私を、利用するつもりだ。


「兄上。本当にこれでいいのですか?クラリッサ様は無実です」

「仕方ない」

 

 リオネル殿下の声は何故だか苦しげだった。


「国のためだ。犠牲は必要なんだ」


 国のため?侵略戦争が?


「それに」


 宰相が続けた。


「よく分からんが平民聖女のエリナも役に立っている。彼女がクラリッサのいじめを訴えることで、世論はクラリッサに冷たくなった。孤立した彼女を追い詰めるのは容易い、という計画だったのだが……なんだあれは」


 どうやら、エリナの偽証は想定外だったらしい。だが、そのお陰で孤立が防げた。


「まさか反論してくるとはな。……まあいい。あんな女ごとき機密文書で一撃だ」


 あんな女。その言葉に怒りが込み上げる。でも、今は耐えるしかない。


「では、計画通りに」


 宰相がそう言って、三人は部屋を出た。私はカーテンの陰で、膝が震えているのを感じた。恐怖、怒り、そして……決意。


 証拠は取れた。録音装置が全て記録している。私はそっとカーテンから出て、録音装置を回収した。そして入ってきた時と同じように換気口から脱出した。



 北棟の外で、ダミアンが待っていた。私に気付いた彼が駆け寄って来る。


「大丈夫か!?」

「ええ、なんとか」


 私は録音装置を見せた。手が震えている。


「取れたわ。陰謀の証拠」


 ダミアンの目が輝いた。


「よくやった!」


 私たちは急いで埃を落とし舞踏会場に戻る。ドリンクを取りながら、エリナがさりげなく私たちに近づいてきた。


「成功した?」

「ええ」


 私は小さく頷くとエリナは顔色を変えずに続けた。


「でも、これからが本番よ。この証拠を、どう使うか」



 翌日。私、エリナ、ダミアンの三人は図書館の個室に集まった。個室は狭いが、他の生徒に聞かれる心配がない。窓から差し込む陽光が、埃を照らし出している。


「まず、この録音を国王に届けなければならないわ。でも、陛下は病床にあって、宰相派閥が周りを固めている。直接会うのは難しい」

「他の中立派の貴族に協力を求めるのはどうだ?……例えば」


 ダミアンが提案した。


「ヴァンフリート公爵」

「父は……」


 私は首を振った。


「父に話せば、きっと私を危険から遠ざけようとする。それに、宰相派閥に気づかれる可能性もある。今、彼らの視線はお父様に注がれているもの。私たちが周りをうろつくと怪しまれるわ」


 私は目を閉じて、ゲームの記憶を探った。


『——中立派で信頼できる人物:枢密院議員マーカス・レイヴン。国王陛下の幼馴染で、病床の陛下に定期的に面会している。宰相派閥とは距離を置いている——』


 情報が来た!


「マーカス・レイヴン卿はどう?」


 私は言った。


「彼は枢密院議員で、国王陛下の幼馴染。定期的に陛下に面会している。彼を通せば、陛下に直接証拠を届けられるわ」

「でも、レイヴン卿をどうやって説得する?」


 エリナが尋ねた。

 その時、扉がノックされる。私たちは顔を見合わせ、緊張が走る。

——誰?


「どうぞ」


 ダミアンが警戒しながら答えた。その手が腰の剣に伸びている。


 扉が開き、入ってきたのは……リオネル殿下の弟、エドワード殿下だった。

 私たちは凍りついた。


「やあ、皆さん。こんなところで密談とは」


 エドワード殿下は穏やかに微笑んだ。その笑みは、まるで仮面のようだった。

——まずい。聞かれていた?


「……殿下。こんな所に、どのようなご用件で?」


 私は冷静を装って言った。


「用件?」


 エドワード殿下は首を傾げた。


「ああ、そうだね。実は……」


 彼は私たちの前に来て、声を落とした。


「僕も、兄上の計画を止めたいんだ」


——え。

 予想外の言葉に、思考が停止する。


「……どういうことですか?」

「そのままの意味だよ、クラリッサ様」


 エドワード殿下は真剣な顔になった。その目に、嘘はない。


「僕は、兄上の侵略計画に反対している。でも、宰相に脅されて、協力せざるを得なかった」

「信じられませんわ。昨夜、殿下は宰相様と共に計画を確認していたではありませんか」


 エドワード殿下の目が見開かれた。


「……君たち、昨夜の密談を?」


——しまった。口が滑った。

 でも、もう隠しても仕方ない。


「ええ。聞いておりました」


 私は録音装置を取り出した。


「そして、録音もしてありますわ」


 エドワード殿下は驚いた顔をした後、くすりと笑った。


「なるほど。やはり君は只者じゃないね、クラリッサ様」


 彼は真剣な顔になるが、エリナが警戒したまま尋ねる。


「どうして私たちを信じて、そんなことを?」

「エリナ・ハートフィールド。君がルヴェール王国のスパイだと知っているからだよ。勿論、兄上や宰相たちは知らないよ」


 私たちは息を呑んだ。


「安心して。僕は敵じゃない。そろそろ頃合いかと思って出てきただけだ。僕もまとめて断罪されたら困るしね」


 エドワード殿下は続けた。


「むしろ、君たちの目的と僕の目的は同じだ。この無意味な戦争を止めること」

「……無意味な戦争?」


 ダミアンが尋ねた。


「あんたは王子だろ。戦争に勝てば領土も増える」

「勝てばね」


 エドワード殿下は苦笑した。


「でも、ルヴェール王国は小国じゃない。戦争になれば、多くの民が死ぬ。それに……」


 彼は悲しげに言った。


「僕の婚約者、マリーナも巻き込まれる。彼女の家は国境近くの領地を持っている。戦場になれば、彼女の家族も領民も、危険に晒される」


 エドワード殿下の目には、本当の苦悩があった。


「僕は、宰相に脅されている。『計画に協力しなければ、マリーナの家族を反逆罪で逮捕する』と。だから、仕方なく」


 私は少し考えた。

 ゲームの情報によれば、エドワード殿下は7ページの恋愛詩を書くような純情な人。マリーナを愛しているのは本当だ。


『エドワードが仲間になった!——隠し協力者その2・エドワード』


 情報が来た!って、そういうことは早く言ってよ!


「……わかりました」


 私は録音装置を再生した。宰相と王子たちの会話が流れる。エドワード殿下は真剣に聞いていた。その表情が、どんどん暗くなっていく。


「……これで十分だ」


 彼は頷いた。


「この証拠があれば、国王陛下も動ける。マーカス・レイヴン卿に渡すんだね?」

「ええ」

「なら、僕が手配しよう。レイヴン卿は僕の恩師でもある。僕が頼めば、必ず協力してくれる」


 エリナが尋ねた。


「でも、あなたが私たちに協力したことがバレたら……」

「大丈夫」


 エドワード殿下は微笑んだ。


「僕は表向き、君たちを『追及している』ことにする。『クラリッサ様が何か企んでいる』と兄上に報告すれば、疑われない」


——なるほど。二重スパイ。


「ありがとうございます、殿下」


 私は頭を下げた。


「いや、礼には及ばない」


 エドワード殿下は真剣な顔で言った。


「この国を救うのは、僕たち全員の責任だ。それに……」


 彼は少し恥ずかしそうに言った。


「マリーナに、平和な国で暮らしてほしいんだ」


 ああ、この人は本当にマリーナを愛してるんだ。7ページの恋愛詩を書くだけある。



 その日の夜。エドワード殿下の手配で、私たちはマーカス・レイヴン卿の屋敷を訪れた。立派な邸宅だ。石造りの壁に、手入れされた広い庭園。


 書斎に通され、私は初めてレイヴン卿と対面した。白髪の紳士。穏やかな笑みを浮かべている。

 その瞬間、情報が流れ込んできた。忘れかけていたが、もう驚かない。


『——マーカス・レイヴン。枢密院議員。国王陛下の幼馴染。中立派で信頼できる。黒歴史:若い頃、陛下との友情を綴った日記をつけていた。タイトルは「僕たちの絆日記」。毎日「今日も陛下は素晴らしかった」「陛下の笑顔は太陽のようだ」と書いていた。現在も書斎の金庫に大切に保管している——』


——絆日記!?しかも今も保管!?

 私は必死で笑いを堪えた。唇を噛む。ダメ、笑ったらダメ。


 でも、友情に厚すぎる!可愛すぎる!いくら今は老紳士とは言っても、若い頃はあるのね


「初めまして、クラリッサ様。エドワード殿下からお話は伺っております」


 レイヴン卿は優しく微笑んだ。その笑顔が、本当に温かい。


「は、初めまして」


 私は何とか平静を装った。

——絆日記。絆日記。ダメ、思い出したらまた笑いそう。


「こちらが、証拠の録音です」


 エドワード殿下が録音装置を渡した。レイヴン卿は真剣な表情で録音を聞いた。その顔が、どんどん険しくなっていく。眉間に深い皺が刻まれる。


 長い沈黙の後、彼は口を開いた。


「……なんということだ」


 彼は深く息をついた。その息が、まるで重荷を背負ったかのように重い。


「宰相たちが、王子が、こんな陰謀を……」

「レイヴン卿」


 エドワード殿下が言った。


「この証拠を、国王陛下に届けていただけませんか」

「もちろんだ」


 レイヴン卿は頷いた。その目に、強い決意が宿る。そして、私たちを見た。


「君たち、よくぞこの証拠を集めた。特に……」


 レイヴン卿はエリナを見た。


「エリナ嬢。君がルヴェール王国のスパイだということは黙っておこう。なぜなら、君の目的が戦争を防ぐことだからな」


 エリナは驚いた顔をすると、レイヴン卿は優しく微笑んだ。


「スパイであろうとなかろうと、正しいことをしようとする者は、敵ではない」


——ああ、この人は本当に良い人だ。

 絆日記を書くだけある。友情に厚く、正義感も強い。きっと陛下との友情も、本物なんだろう。エリナの目に涙が浮かんだ。今度は本物の涙だ。


「……ありがとうございます」

「明日、陛下に面会する予定がある。その時に、この証拠を届けよう」


 レイヴン卿は録音装置を仕舞った。


「陛下は、必ず正しい判断をなさる。私の親友だからね」



 翌日。レイヴン卿は国王陛下に証拠を届けた。病床の国王陛下は、録音を聞いて激怒したという。枕元の花瓶を投げつけたとか、侍医が止めに入ったとか、様々な噂が流れた。


 すぐに緊急の枢密院会議が招集された。宰相とリオネル殿下は、会議の場で証拠を突きつけられた。

 言い逃れはできなかった。録音は明確だった。自分たちの声が、陰謀を語っている。


 宰相アーサー・グレイは逮捕され、全ての地位を剥奪された。リオネル殿下も、王位継承権を失った。

 宰相派閥の貴族たちにも、それぞれ処分が下った。


 陰謀は、崩壊した。



 一週間後。私たちは王宮の謁見の間にいた。高い天井。壮麗な柱。壁一面に描かれた歴史画。王家の威厳を示す、荘厳な空間だ。


 国王陛下は、まだ病床から完全には回復していなかったが、この場には出席していた。玉座に座る陛下の顔は、まだ少し青白い。だが、その目には強い光がある。


「クラリッサ・ヴァンフリート公爵令嬢」


 陛下が穏やかに言った。その声は優しいが、力強い。


「そなたの働き、見事であった。陰謀を暴き、国を救った。かねてよりの望み通り、ヴァンフリート公爵領の孤児院への支援をしよう」

「恐れ多いことです、陛下」


 私は頭を下げた。


「私一人の力ではありません。エリナと、ダミアン様と、そしてエドワード殿下の協力があったからこそです」


 陛下は頷いた。


「エリナ・ハートフィールド」


 エリナが前に出た。その背中が、少し震えている。


「そなたがルヴェール王国のスパイであることは承知している。だが、此度の働きによって、罪には問わない」


 エリナは驚いた顔をした。


「もしそなたとルヴェール王国が許すのならば、両国の親善大使に任命したい。我が国とルヴェール王国の架け橋となってほしい」

「……陛下」


 エリナの目に涙が溢れた。


「喜んで、お引き受けいたします」

「ダミアン・ラヴェンナ」


 ダミアンが前に出た。その歩き方が、いつもより固い。緊張しているのだろう。


「そなたの正義感と勇気も、見事であった。学園卒業後、王宮の不正を監視する特別調査員の特待生勧誘を与えよう」

「……光栄です、陛下」


 ダミアンは少し照れたように言った。

——もふもふ大将を守るように、今度は国を守るのね。


「そして、エドワード」


 エドワード殿下が前に出た。


「そなたは困難な状況の中、正しい選択をした。今後は、そなたが王位を継ぐことになる」


 エドワード殿下は深く頭を下げた。


「陛下のご期待に、必ず応えます」

「うむ。そなたならば、マリーナと共に、良き国を作ってくれるだろう」


 陛下はにこりと笑った。エドワード殿下の顔が少し赤くなった。7ページの恋愛詩、いつか読んでみたい。



 謁見が終わった後。私たちは王宮の庭園にいた。青い空。白い雲。色とりどりの花々。穏やかな風が吹いている。


「終わったね」


 エリナがしみじみと言った。その表情が、ようやく年相応の少女らしさを見せる。本当に長かった。婚約破棄から、たった二週間。でも、まるで一年分の出来事が詰まっていたような気がする。


「ええ。長い二週間だったわ」

「でも、成功した」


 感慨にふけるダミアンが何だか新鮮で、私は笑った。


「あなたがいなかったら、もっと大変だったわ」


 エリナが私の手を握った。


「ねえ、クラリッサ」

「何?」

「友達になってくれる?」


 私は目を丸くした。


「友達?」

「うん。私たち、最初は敵同士だったけど、今は違うでしょ? これからは、本当の友達として」


 私は微笑んだ。


「もちろん。こちらこそ、よろしくね、エリナ」


 二人で手を握り合うとダミアンが呆れたように笑った。


「お前ら、女同士の友情ってやつか」

「そうよ」


 エリナが笑った。


「羨ましい?」

「別に」


 ダミアンはそっぽを向いた。でも、その顔は少し赤かった。

——もふもふ大将。やっぱり可愛すぎる。



 それから三年。


 エリナは両国の親善大使として、精力的に活動していた。彼女の働きで、両国の関係は急速に改善した。それでも密にスパイ活動は続けているらしい。


 ダミアンは特別調査官として、王宮だけでなく私服を肥やした悪徳貴族の不正を次々と暴いていた。彼の正義感は、多くの民から支持されているらしく、爵位を得るのも時間の問題だ。もふもふ大将は今も元気だとか。


 エドワード殿下は次期国王として、国の改革に取り組んでいた。婚約者のマリーナと共に、領民のための政策を進めていた。噂によると、7ページの恋愛詩をマリーナに渡したらしい。彼女は大笑いして、でも大切に保管しているとか。


 そして私。

 私は父と共に、公爵家の領地を治めていた。以前より積極的に慈善事業に関わり、領民との距離を縮めていた。孤児院の子供たちは、私を「優しいお姉ちゃん」と慕ってくれる。

 新たな婚約の予定はまだないけれど……まあいっか。



 ある日。私は領地の孤児院を訪れていた。

 子どもたちに菓子を配っていると、一人の少女が尋ねてきた。栗色の髪に、大きな瞳は光を宿していた。


「お姉ちゃん、すごいね。悪い人たちをやっつけたんでしょ?」

「やっつけた、というより……みんなで協力して、正しいことをしただけよ」

「かっこいい!」


 少女の目が輝いた。


「あたしも、お姉ちゃんみたいになりたい!」

「なれるわよ」


 私は少女の頭を撫でた。


「正しいことをする勇気があれば、誰でもなれる」

——あとは断片的な人の黒歴史とか?まあ、それは言わないでおこうかしら



 孤児院を出た後。馬車で屋敷に戻る途中、私はふと思った。

 前世の記憶。ゲームの知識。それがなければ、私は陰謀に巻き込まれて、処刑されていたかもしれない。


 でも、記憶があっただけでは足りなかった。


 エリナとの協力。ダミアンの支援。エドワード殿下の勇気。レイヴン卿の助け。みんながいたから、未来を変えられた。

——そして、黒歴史の情報も……まあ、役には立ったかな。もふもふ大将とか、7ページの恋愛詩とか、絆日記とか。


 笑いを堪えるのは大変だったけど、おかげでみんなの人間性が見えた。悪い人じゃない。ただ、ちょっと恥ずかしい過去があるだけ。


 今はもう、誰と顔を合わせても情報が流れ込んでくることはなくなった。けれど、それがなくても、私はもう大丈夫だ。


「お嬢様」


 侍女が声をかけてきた。


「屋敷に、ダミアン様がお見えとのことです」

「ダミアンが?」


 私は驚いた。学園を卒業してから、ダミアンとは殆ど会っていない。手紙も、一か月に一度交わす程度だ。


「何の用かしら」

「さあ。でも、『大事な話がある』と」


——大事な話?



 屋敷に着くと、ダミアンが応接室で待っていた。黒い上着に白いシャツ。その姿が、三年前よりずっと洗練されている。不良の面影は残っているが、王宮文官の風格も漂っている。


「やあ、ヴァンフリート」

「ダミアン。どうしたの、突然」

「ああ、実は……」


 ダミアンは少し照れたように頭を掻いた。その仕草が、昔と変わらない。


「お前に、礼が言いたくて」

「お礼?」

「あの時、お前が俺を信じて、協力させてくれた。あれがなかったら、俺はただの不良のままだった。お前のおかげで、俺は自分のやりたいことを見つけられた。だから……ありがとう」


 私の頬が少し熱くなった。


「そんな、改めて礼なんていいわよ。私こそ、ダミアンに助けられたんだから」

「でも、言いたかったんだ」


 ダミアンは私をまっすぐ見つめた。


「それに……」


 彼は言葉を切った。


「それに?」

「……いや、今はまだいい」


 ダミアンは立ち上がった。


「じゃあな、ヴァンフリート。また今度。爵位を得たら、お前に伝えたいことがあるんだ」

「伝えたいこと?」

「ああ。それまで待っていてくれ」


 その言葉に意味を考える前に……


『続編制作決定!次回作は乙女ゲーム!?』『——ダミアン好感度:最大。フラグ確定』

——ちょっと!まだ情報来るの!?って、乙女ゲーム!?


「おい、なに寝ぼけた顔してんだ?」


 ダミアンが私の顔を覗き込む。その顔を捉えた途端、また頭に情報が流れ込んできた。


『ダミアン・ラヴェンナ。黒歴史:贈り物を買うため、女性用アクセサリーショップで3時間悩むが、結局買えず逃走』


——3時間!?そして逃走!?


「な、なんでもないわ……」


 私は必死で笑いを堪えた。



 ダミアンが去った後、私は窓の外を見た。


 青い空。穏やかな風。平和な日常。これが、私が守りたかった未来。そして……これからも、守り続ける未来。

 もふもふ大将を守るダミアンのように。7ページの恋愛詩を書くエドワード殿下のように。絆日記を大切にするレイヴン卿のように。


 みんな、ちょっと恥ずかしい過去があるけど、だからこそ愛おしい。


 そして……。

 もしかしたら、ダミアンの「それに」の続きとアクセサリーを贈りたかった相手は……。

——いや、まだ考えるのは早いわね。


 でも、いつか聞けるかもしれない。その日を、楽しみに待とう。


 そして……もしかしたら、私にも自覚していないだけで黒歴史があるのかもしれない。「悪役令嬢時代の暴露大会」とか。ダメ、想像したら恥ずかしい。


 でも、それもまた……人生の面白いところかもしれない。






ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


初めて書いた短編でした。ふと思いついたアイデアを形にしたくて、勢いのまま一日ほどで書き上げました。

短いお話でしたが、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。

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改めて、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

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もふもふ大将、笑いました! テンポが良くて、あっという間に読めました。 諜報の証拠をつかむ流れもスリルがあって良かったです。
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