第60話
「てか結婚式のプログラム? どんな感じで進めんの」
「…………さぁ」
見上げるほど大きな扉を前にわたくしたちはベール越しに顔を見合わせた。この奥が挙式会場になっているわけだが生憎どちらも式の進行は定かではない。
「なんとなくでやってみますか」
結婚式は必ずこうしなさい! なんて厳密なルールは無いだろうからノリというやつだ。
「それじゃ……んんっ!」
千鶴が喉のコンディションを整える。
「新婦新婦、入場!」
「シンクタンクみたいですわね」
当然扉を開けてくれる人はいないので、よいしょと自力で重い扉を押す。開始早々花嫁に力仕事をさせるとは、愉快な結婚式である。
入場のミュージックはもちろん千鶴と鼻歌で。
開け放ってからわたくしたちは腕を組んでゆっくり歩き出した。挙式会場は薄暗くて正面頭上にあるステンドグラスを通した日光だけが唯一の光源だった。他に光がない分、ステンドガラスの色彩が鮮明に際立つ。そのスポットライト目掛けて、わたくしたちは一歩また一歩とレッドカーペットを進んでいく。
両脇の長椅子に参列者はもちろんいないし、たとえ世界の滅亡が予定されていなくてもわたくしたちを祝福してくれる人はいないのだろう。でも別に寂しくなんてない。こうして腕を繋ぐ花嫁さえいればわたくしは満足だから。
自分たちだけが仰々しいのがおかしくて、歌いながら笑い合った。
一段高いところへと上がれば神父様が収まるだろう書見台がある。そこを前にお互い向かい合う。
「……こっから何する?」
「校歌斉唱とか」
「全校朝会かよ。知識が学生じゃん」
流石に冗談である。ただいきなり「あれ」をするのも早いなと思ったからだ。でも「あれ」以外が思いつかないから潔く口を開く。
「じゃあ……あなたはわたくしが病めるときも健やかなるときも富めるときも貧しきときも側で支え、妻として敬い永遠に愛することを誓いますか?」
「…………はいっ、誓う!」
千鶴の明朗とした声が挙式会場に木霊する。
宣誓してくれるのは予定調和だけど、いざ自信満々に目の前で言われるとこんなにも嬉しいのかと頬が緩んだ。抱き締めたくなるのをぐっと堪える。まだ早い。
次は千鶴の番。
「エーアナタハワタシガヤメルトキモ」
「なりきり神父様いいですから」
「あ、いらない?」
まったく、お茶目なんですから。
「じゃあ気を取り直して……あなたは私が病めるときも健やかなるときも、なんか試合で五連敗してめちゃ落ち込んでくっそテンション低くても、逆にバイブスぶち上げで超ハイテンションでも隣にいて、妻として同じ感情を分かち合い愛することを誓いますか?」
「はい、もちろんです。誓います」
一点の曇りもなく、わたくしは宣誓した。
千鶴に。
そしてわたくし自身に。
「それじゃ……」
千鶴がわたくしの顔にかかる薄いベールを掬うように持ち上げる。それに合わせて膝を軽く曲げてあげると、肩にベールがふわりと落ちるのが分かった。
そして今度はわたくし。
千鶴のベールを丁寧に掬って持ち上げる。ドレス用メイクで引き立てられた顔が美しい過ぎて胸が高鳴った。さっき見ていたはずなのに、状況が魅力を倍加させていた。
「誓いのキスを」
すっごく……緊張する。
ルージュで縁取られた桜唇に吸い込まれそうだ。
昨晩も今朝も数えきれないくらいキスはしたけど、きっと回数の問題ではない。わたくしは千鶴とのキスを思えば、何度だってときめいて切なくなって焦がれるのだろう。
華奢な肩に手を置いて、そっと抱き寄せる。
心臓が耳の裏に来たのでは思うほどうるさかった。
心臓も欲望も治まらない。わたくしはバカになっている。
そっと唇を触れ合わせた。
その柔らかさはわたくしを受け止め、弾むように返してくる。
好き、好き、好き。
好きがどんどん溢れて思考が埋もれていく。
挙式でこんな濃厚なキスはしないだろうけど誰もいないのだ。衆目は気にしなくていい。
千鶴を目一杯愛そうとして、瞼を開ける。
千鶴は泣いていた。
「千鶴……?」
「ん? なに?」
「涙が……」
「え、うそホントだ。やばメイク落ちるじゃん」
「やり過ぎちゃいました? わたくし歯止めが」
「違う違う! 嫌じゃないの! なんか勝手に……」
ぽろぽろと雫が滴る。それを手の甲で拭いながら、嫌とかじゃなくて、と何度も困惑混じりに弁明する。
「私、母さんが死んじゃってクソ親父にメチャメチャにされて……もう普通の幸せは得られないって思ってたからっ」
千鶴の声が濡れてくる。
わたくしの胸にもたれた彼女の体にいつもの強かさは無くて抱き締めずにはいられない。
「這い上がってやるって生きてきたけどっ、ここまで大勝ちできるとか思ってなくて……ずっと好きだった人と……私、ここまで幸せになっていいのかなって……」
「よいのですよ。幸せになって」
「わだしね……ユヅっちが思ってるよりずっどね、ユヅっちに救われてるんだよ……? ちゃんと分がってる?」
赤子をあやすように背を摩る。
千鶴には寄る辺が必要なのだ。いくら一人で生きられても、強靭でも所詮はまだ子ども。FPSゲームやコレクションの絆創膏でも塞げない傷がずっと放置されて化膿している。
だからわたくしが癒す。
彼女をもっと幸せにして。
過去の辛さを忘れさせて。
最高の気分で死んでもらう。
「ええ……だから……幸せにっなりましょう……」
あれ、なんだか……。
目元が。
「なんで、ユヅっぢが泣いでんのぉ?」
「分からないんです、なんか勝手に……」
千鶴の涙が呼び水となってわたくしも顔がくしゃくしゃになりそうだ。せっかくの晴れの日なのに。
「わたくしも千鶴に救われた。あの夜……ううん、わたくしが孤独になってからずっど、あなただげがっ……」
結婚式は台無しだった。主役二人が仕上げた姿を乱して咽び泣く。
でもこれはわたくしたちの過去を清算して一緒に一歩を踏み出すのに不可欠な時間だった。
泣き声を飲み込むように自然と唇を繋ぐ。
誓いのキスの再会。
どんな言の葉よりも、結ばれた口元が互いの必要性と感謝と肯定を雄弁に語っていた。
人の涙ってこんなにもしょっぱい……。
千鶴がわたくしを求めて、わたくしが千鶴を求める。
唇だけじゃなくてもっと深いところで繋がっている気がした。
「ユヅっち、手出して」
千鶴が取り出したのはピンクゴールドにダイヤモンドが乗った結婚指輪。二つの輪が絡み合って螺旋をつくる意匠は決して離れないわたくしたちの写しだ。
わたくしの左手薬指に指輪が通される。
「私にもちょーだい」
同じデザインの指輪を彼女の白魚のようにたおやかな薬指に大切に通してあげた。
互いに指輪をはめた左手を恋人繋ぎのように絡める。指の細さの中に確かな証を感じ取れた。
「ふふ、ありがと」
彼女の頬に落ちた輝きは、今や全て薬指のダイヤに移し替えられていた。
「ね、千鶴。もう一つ欲しいものがあるの」
「いいよ、教えて」
「あなたの……前の名字は?」
明導院という今の姓ではなく、その前の姓。
「あなたの名字をください」
千鶴はなるほどそれもあったか、というように口を開けてから気まずそうに首を傾げた。
「いいけど、本当にいいの?」
「ええ、どんなものでも」
「あんま期待しないでほしいんだけど……」
わたくしはどんなのでも受け入れるという決意で頷く。
「佐藤、佐藤千鶴。日本で一番よくあるやつ」
そうなると……。
「じゃあわたくしは佐藤夕鶴羽。あなたの妻です」
「一気に親近感湧くね」
「そこが素敵じゃないですか。今のわたくしにはそれがちょうどいい」
「そっか。それじゃ末長くよろしくお願いします」
「こちらこそ」
今日見せる中で最も弾けた笑顔をお互い目に焼き付けるのだった。




