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第56話

 もう直ぐ陽も沈むだろうという夕暮れ時、アスファルトの上を一人で歩いていた。

 

 ここは……?

 

 辺りには坪面積たっぷりの高級住宅が並ぶ。それはちょうど元住居、澄凰の屋敷がある住宅地に似ている。

 

 というかそのままわたくしの近所ですわね。

 

 どうしてここにいるのか……。

 そのとき体が急に走り出した。それはわたくしの意思による行動ではなく、肉体が勝手に動いているような感覚。行かなきゃ、というわたくしの知らない使命感に突き動かされている。

 

 どこに行くの、これ?

 

 走った方向には夕暮れより明るい光が上がっていて……。

 

 その発端の地に一人の少女がいた。

 

 絹のような長い髪を揺らしながら、燃え盛る屋敷を漫然と眺めている。そこに生気は感じられない。

 走ったことによる早い息を充分に落ち着けてから自分は口を開いた。

 

「家、火事だな……」

 

 火を見つめる少女、澄凰夕鶴羽が死んだ目を湛えて振り返った。

 

 どういうこと……?

 

 自分の意図しない発言に加えて、目の前に自分がいることに混乱が極まってくる。

 

 それにこの会話って千鶴と会ったときの……それではわたくしは今……。

 

 自分の指が紫色の毛先を弄る。

 

 わたくしは今、千鶴になっている?

 

 *

 

 澄凰サンはやけに達観した様子で自分んちの火災を見つめていた。もっとずっと焦ってて悲観しているかと思ったが、全然そんなことなくて拍子抜けだった。しかも唐揚げを勧めてくる始末。

 正気じゃないと言わざるを得ない。

 きっと澄凰財閥の事件で負った心の傷が原因なのだろう。

 

 でも生きてて良かった……。

 

 彼女をすき焼きに誘った帰り道でホッと息をつく。

 澄凰サンちを見に来てたタイミングだったのが不幸中の幸いだ。

 財閥事件で傷ついた後、隕石騒動で登校は無くなり澄凰サンの姿を見ることは無くなった。

 彼女は今どうしているのだろう、と心配が少しずつ大きくなっていく日々。

 積年の恨みを晴らすためにクソ親父を殺したけど、爽快感はすぐに心配で上書きされた。景気付けに高い肉を買ってもナーバスは止まらない。

 

 誰もいない広い屋敷で、身傷を抱えて一人うずくまる澄凰サン。

 そんな彼女を想像してしまったら心の居心地が最悪で。そうして私は澄凰邸へと赴いていたのだ。そこで火の手を見て駆け出した。

 

 行かなきゃ。

 

 だって彼女は、私の好きな人だから。

 

 *

 

 好きになったきっかけは大層なことじゃない。

 ごきげんよう、と恭しく登校した美女をちらりと見て、私はひんやりする机に頬をつける。視線は外を向いているがゆえ、澄凰サンの足音を鋭敏に聞き取ってしまう。まるでFPSでハイドしてるみたいな感じだ。

 

 今日も綺麗な髪してるわ。

 

 きっかけはいわゆる一目惚れってやつだった。高校一年で同じクラスになって、まぁ単純に綺麗で可愛い。性格も完璧で好きにならないほうがいかれてる。澄凰夕鶴羽とはそんなチートスペックな女子だ。まぁ下世話だけどヤリてぇとも思うくらい惹かれてる。

 私は外界から逃げるようにイヤホンをねじ込んだ。

 

 だけどこの気持ちは頑なに隠し続けてきた。

 

 だって私はヤンキーで、クソ親父が家にいる時間はストリート。そんな悪ガキが澄凰財閥のご令嬢に近づいていいわけない。そんなことしたら澄凰サン本人が一番困るに決まってる。

 朝教室に入ったときにチラッと見えるとか、滅多にない確率で二人一組のワークを組まされるとか、同じ掃除場所に配置されて箒を渡すとかそんな些細な関わりで満足なのだ。

 

 綺麗な花は大切だからこそ、触れないほうがいいのさ。

 

 *

 

 朝のホームルームが始まる前、学校中が騒がしい。

 喧騒の中私は一人でぼーっとスマホをスワイプさせる。SNSのトレンドは一位はこの二文字。

 

 澄凰

 

 昨日報道されたのにずっとトレンドの王座に居座っている。

 あの誰もが知る巨大企業の澄凰財閥が大スキャンダルである。流石に有名俳優の結婚報道も押し除けられる。

 そして渦中の人物が一人、澄凰夕鶴羽は現れるのか、という話題で教室は持ちきりだ。

 

 いくら財閥の悪事が露見しようと澄凰サン自身が完璧美少女なことに違いはないけどね。

 

 けれど私の割り切った考えは圧倒的マイノリティだと思い知らされる。

 

「ごきげんよう」

 

 一言で教室が水を打ったように静まりかえった。

 いつものお友達さんたちは誰も澄凰サンに近づかず、ひそひそと距離を置く。

 

 なんだこいつら……。

 

 澄凰サンの陰が差した顔を見ていられなかった。

 

 *

 

「ッ……!」

 

 イスが床を転がるけたたましい音。澄凰サンが勢いよく教室を飛び出したのだ。

 いきなり無視の昨日に変わり今日は誹謗中傷の嵐が巻き起こっていた。思春期の少女がそれに耐えられるわけがない。

 

「やっぱり澄凰って最悪だな……」

「最低過ぎる。人間じゃないだろ……」

 

 ダンッ!

 

 拳が机を叩く。

 教室に沈黙が下り、私が衆目を浴びる。授業なんてクソ喰らえという気分で、澄凰サンに続くように私も部屋を去った。

 

「クソがッ」

 

 空き教室に入った私は掃除用ロッカーを正面から蹴りつける。

 親がやったってだけなのに、澄凰サンはなにもしていないのに、どいつもこいつも邪悪な存在みたいな扱いしやがって。

 友達を自認していたヤツらは揃って手のひら返しだ。結局は澄凰という肩書きに気に入られようと胡麻擦ってただけらしい。

 クソみたいな連中だと思った。

 

 死ねよ。

 

 ロッカーを憎きアイツらの如く睨みつける。

 なにより私をイライラさせるのは、親の行いで娘の澄凰サンが虐げられていること。

 親と子は苗字が同じでも、個として全く異なる。

 クソ親父とは一緒にされたくない、と明導院を毛嫌いする私からすると、親の評価を子に当てはめるのはお門違いも甚だしい。

 澄凰サンが、夕鶴羽が親のせいで地獄を見ているという状況が許せない。

 

「私が澄凰サンを助けるしかない」

 

 澄凰サンを救うため、そして己の信念を貫き通すため覚悟を決めた。

 

 *

 

「う、うわぁぁぁ!」

 

 背中をドンと押してやると、男子生徒は情けない声を上げながら階段を落ちていった。

 

 顔から行ってるわ。ざまぁみろ。

 

 倒れる姿に中指を贈って足早に去る。

 

 あいつは澄凰サンに暴力を振るったゴミだから構わない。なんならもっとやっていい。

 

「どうせ夕鶴羽も協力してんでしょ。もう経営に携わってるって誇ってたし」

「あれウザかったよね。自分は周りとは違いますーみたいな。ザマーミロって感じ」

 

 教室に戻ると私の席の近くで女子生徒が(たむろ)している。陰口大好きクズコンビの伊勢崎と細谷だ。

 

 そりゃおめぇらみたいなゴミとは違う存在だろ。きっしょい僻みしてよ。

 

 話題は澄凰サンの誹謗中傷のようだ。幸い澄凰サンは教室にいない。

 

「ねぇねぇ」

 

 私は人当たりを良くして、労わるように声をかけた。

 

「なんか今澄凰サンの悪口言うとヤバいらしいよ。言い過ぎたり手上げたヤツが怪我とか酷い目にあってるらしい」

「そうなのー?」

「マジ?」

「マジマジ。だから本人に向かって言ったりしないほうがいいかもね。オカルトっぽいけど呪いみたいな……ほら両親亡くなってるでしょ」

 

 コイツらくらいの肝なら、これだけで変なことしないだろ。

 

 もしするなら……私が呪いを下す。

 

 *

 

 今日の教室は少し普通に戻った気がする。

 澄凰サンは誰にも攻撃されることなく本を読んでいる。周りの席からは露骨に距離があるけれど、中傷の被害に遭うよりはよっぽどいいはずだ。

 それを認めて私はSNSのタイムラインを眺める。

 

『澄凰の呪いって本当にあんの? 俺ヤバいかな……』

 

 お望みならお届けしてやろうか。

 

 侮蔑の目をしながら、怯えた投稿にいいねをつけてやった。

 澄凰の呪いという迷信はあっという間に喧伝された。

 澄凰サンを害意から遠ざけるため秘密裏に、澄凰サンを貶める生徒や教師に天誅を下して回る。

 さらに「澄凰に危害を加える者には不幸が見舞う」という噂を人伝や捨て垢で吹聴してやった。

 少し誇張してやれば噂は一人歩きして雪玉式にどんどん膨らんでいき、その規模は予想外に大きくなったが効果は覿面(てきめん)

 結果として澄凰サンを直接傷つけるものはいなくなった。

 懸念点として、最早存在なきものとして扱われるようになったわけだが、暴力暴言を浴びるよりは間違いなくマシになったと思っている。

 

 私が……声かけてやったほうがいいか?

 

 しかしそれはマッチポンプが過ぎて私がキショいか、と嘆息した。澄凰サンを守るためにやったわけで、私がお近づきになるための作戦じゃ……。

 

「ねぇヤバい! 隕石だってよ!」

 

 ……は? 隕石?

 

 *

 

「キャスターさんは大切な人って言ってましたけど、千鶴にはそういう方いませんの? 好きな人とか」

 

 すき焼きの土鍋を挟んだ澄凰サンが湯気を吹き飛ばすように聞いてきた。

 

「んーいるっちゃぁいるけど……」

 

 なんとまぁ難しい質問だ。

 今目の前にいるあんたがそうだというのに……。

 

 好きな人から、好きな人いるか、って聞かれるなんて絵に描いたようなドキドキシチュエーションだが実際はちょっと苦しいようだ。

 答えを用意する時間を稼ぐため、私はクタクタになった白菜を自分の皿に運ぶ。

 

「ほう……告白とかしませんの? 最期ですのよ」

 

 私だって……ちゃんと真意を伝えてあんたと向き合いたい。

 

 こんな世界になっちゃったから今さらヤンキーと令嬢がくっついたって文句は出ない。これ食った後ベッドにエスコートすれば強引に抱くことだってできるだろう。

 

 でも今の澄凰サンに、そんなことはしたくない。

 

 胸に黒々とぽっかり穴が開いた彼女につけ込むように優しくして恋人関係を迫るなんて……彼女を軽んじるゲロみたいな行いだ。そんなことするくらいなら私は死ぬ。

 

 澄凰サンと付き合うなら、彼女の傷が塞がってから。まずは回復に専念してもらおう。

 

 彼女には笑って死んで欲しいから。

 こんな失墜の底でリタイアなんてさせない。

 幸せの頂点で死んでもらう。

 私はその手伝いをしよう。

 それまでこの恋は胸のうちに仕舞っておく。

 

 恋心の成就はしないかもしれないけど……できたらラッキーくらいで。

 

 クソ親父の呪縛から自由になった己の人生はこのために使うのだ。

 

「えー気が向いたらかなぁ。やれたらやるわ」

  

 *

 

 これらは……千鶴の記憶?

 

 わたくしは千鶴の視点になって、色々な瞬間を見てきた。学校での日々、燃えた屋敷、すき焼き夕食、ゲーム、ペットショップ、ワイン晩酌……。

 彼女の視点を覗いていると、わたくしのものではない意思が流れ込んできた。

 これはきっと千鶴の意思。

 彼女の心を無遠慮に覗いているみたいだが、千鶴の思考が手に取るように分かってしまう。

 

 わたくしに対する恋心までも……。

 

 千鶴はずっとわたくしのために動いていた。わたくしが槍玉に上がれば澄凰の呪いで救ってくれてた。

 

 わたくしが。

 周りの人間が。

 地球が。

 世界が変わっても、千鶴だけはずっと変わっていなかったんだ。

 

 眩い光が空間を満たしていく。

 全てが真っ白になった。

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