第50話
「ユヅっち、すごい」
「ええ、我が目を疑います」
温泉街と呼ばれる地域とあって、道路を挟んで旅館や銭湯、飲食店が軒を連ねている。
その道路は休み時間の廊下くらいには賑わいを見せていた。
家族連れや男女の若いカップル、歳を召ながらも健脚で歩く老人など老若男女問わず人がいた。混雑というほどではないが、千鶴と暮らしてからこれだけの人間を目の当たりにするのは初めてだ。
それを前にわたくしは焦る。
平和そうに人が行き交う様子は荒んだ世界の中では喜ばしいかもしれない。どうしてこんなに人がいるのかと疑問にも思う。だがそんなことより先に気にしてしまうのは観衆の目。
嫌でも学校の日々が蘇るのだ。
わたくしが澄凰と知られてしまったら……。
「おや、見ない顔だねぇ」
そのおっとりした言葉にさえ、ぴくっと反応してしまった。
近くにある家屋の暖簾から顔を覗かせたのは老齢のお婆さんだった。
「どうも、こんにちは」
千鶴がわたくしを下がらせるように前へ立った。
「こりゃ随分とハイカラな髪だこと。こーたに派手なら忘れるわけないねぇ」
「私らさっきここに着いたばっかなのよ。温泉に入りたくってさ」
「まぁ人って似たようなこと考えるのねぇ。ここにおるのはみんな同じよ」
「同じ?」
お婆さんは賑わう通りに顔を向けた。
「隕石で世界が終わるでしょ? だから最期はゆったりした気分で迎えたいっていう人がここに集まってるの」
お婆さんが笑うと、目元にチャーミングな皺が刻まれた。
アクセスしにくいこの場所まで来るとなると時間と地図が不可欠で、容易ではないのは身に染みている。逆説的にそこまでして訪れる人たちは確固たる意志があるから、荒くれ者はきっといないのだろう。飛び跳ねる無邪気な子どもがそれを物語る。
でもこれだけの人数で生活するとなると、資源が大変そう……。
どうやってやりくりしているのだろうか。
千鶴にはそんな疑問は取り留めないことなのだろう、既に旧知の中といった様子でお婆さんと話に花を咲かせる。
「へーいいねぇ。ここなら落ち着いて過ごせそうだ。あ、安心してね。私らは悪い人じゃないから」
「そりゃあ分かるよ。こんな別嬪さんが二人も揃ってるんだから」
「えーもうそんなに褒められると嬉しくなるじゃーん。でもお化粧したらもっと可愛いから」
「ありゃ、これ以上別嬪さんになっちゃうの〜」
悪い人じゃない……ですか。
人殺しが二人だから、お婆さんのその見立てだけは誤っていて、わたくしはこっそり肩をひそめた。
「そんで〜温泉に入りたいんだっけかねぇ」
「そー。この辺でいい感じな場所ある?」
「ええ、ありますとも。ほら」
お婆さんが示した場所は、たった今彼女が出てきた暖簾だった。
「こう見えて、五つ星なんだから」
運命の巡り合わせに感謝しながら敷居を跨ぐと、広々とした土間がありそこがフロントになっていた。頭上には漆塗りの天井が格子状に設られており、木造建築の奥ゆかしい「和」がそっと主張している。
なるほど、これは五つ星。
「ね、ユヅっち。天井」
「見てますわよ。美しいですわね」
「ちがーう、あれ」
指を差されて自分が見逃していたものに気づく。
電灯が点いていた。
「珍しいかい? 今じゃ電気って止まってるらしいねぇ」
「おばさま、これはいったい」
おばさまだなんて、とまんざらでもなさそうに頬を緩ませてから続ける。
「この辺に水力発電してるダムがあってね、そこの職員さんがこの地域だけでもって電気送ってくれるのよ」
「なるほど、道理で……」
だから大人数の生活を賄えているのか。確かに水力発電なら燃料もいらないし、世紀末にうってつけである。
「電気があるってことで水道も整えてくれてるし、きっと快適に過ごせると思うよ。はいじゃカギ。ついておいで」
カギを受け取ったわたくしたちはお婆さんに続いて長い長い廊下を歩いていく。
「ちょうどあと一室。いっちばん仕立ての良いお部屋があるからそこにお通ししますね」
またチャーミングな皺を見せてくれる。かわいらしい人だ。晩年はこの方のようになりたい。
このご時世なのに廊下には埃一つたりとも無くピカピカだ。平和な時分に旅行に来たのではという気分になる。
道中には何名かの宿泊客とすれ違った。わたくしと千鶴は自然と身持ちが堅くなってしまったが、宿泊客は丁寧に挨拶と会釈をしてくれて、本当に穏やかな場所だと実感できた。昨日と一昨日が苛烈過ぎて別世界のような気さえしてくる。
廊下を曲がったところで、一つの部屋が覗けた。それはこの旅館には場違いな光で輝いていた。
「おぁ! ゲーセン!」
千鶴がお婆さんを追い抜いていく。
センターと言うには小ぢんまりしているが、遊べる筐体が数える程度並んでいる。
「やりたいことリスト! クレーンゲームあるよ!」
「まぁ……」
渋谷駅では沈黙の塊だったクレーンゲームが、ここでは水を得た魚ではなく、電気を得た機械として稼働していた。
「うちの旅館には合わないのに、倅が入れろ入れろってうるさくてねぇ。家族連れにはあった方がいいんだと」
「入れて大正解ですよ! この子ずっとやりたがってたんで」
そんな紹介のされ方すると子どもっぽくて恥ずかしい。
「あらま良かった。じゃあ思う存分遊んでちょうだいな。百円玉無かったらあげるから」
「流石にそれは……」
「そうだよ! クレーンゲームは有り金見ながら、攻めるべきか引くべきか大いに悩んで決断して臨むのがサイコーにヒリつくんだから!」
遠慮とかそういうのじゃない断りだった。ギャンブラーな思考である。
「そう……でもお金なんか持ち歩いてるのかい?」
そこではたと気づく。貨幣制度が崩壊したから、お金は全て置いてきてしまった。持ち合わせはゼロ。
「……ないです」
お婆さんに両替機を開けてもらい百円玉を恵んでもらう。上限が無いと面白くないと千鶴が豪語するので、それぞれ千円分の十枚を貰った。
「それじゃ楽しんどくれ。部屋はここ出て一個目のところだからすぐ分かるはずよ」
部屋への案内中だということをすっかり忘れていたが、お婆さんは快く立ち去った。




