第5話
卓上コンロは初めて使う。
「こ、こうでいいの……?」
だから使い方がからっきし分からなかった。つまみを回せばどこでも火がつくすごいアイテムだと聞いていたのだが、燃料が必要とのこと。それで先程からガチャガチャとガスボンベを取り付けようと四苦八苦してるのだが、この子は必死の抵抗を見せていた。
あなたの居場所はここ。はい、動かない。
「なにやってんだ?」
「ガスボンベが言うこと聞いてくださらないんです。あ、できました」
カチャと音を立てて、とりあえずガスボンベが動かない位置に落ち着いた。これできっと成功だろう。
まったく、しぶといやつですわ。
「見して」
「安心してよろしくてよ。わたくしが奮闘の末に決着をつけたのですからもう——」
ばいーん。
いとも容易く接続が外れた。
「なっ、はまったはずでは……」
「なんか段差につっかえてただけだ。そもそも……」
千鶴はボンベを寝かせた状態で、その突起を接続部にあてがう。そして本体側面のレバーを下ろした。
ガチリ。
「このレバーを下ろさないと繋がらない」
「……また一つ賢くなれましたわ。感謝します」
あぁまた一歩真理への扉に近づきました。とっても嬉しいです。学ぶっていいですね。だからこれっぽっちも悔しくありませんわ。
「澄凰サンにやらせると爆死しかねないな。ドッカーンって。危ない危ない」
ぐぬ。
両手でしてくれた爆発のジェスチャーはシニカルで、あからさまにわたくしを馬鹿にしている。まるで失敗した子どもをからかう、イジワルお姉さんだ。八重歯を覗かせる笑みは不良という彼女のイメージをそのまま表している。
わたくしは子どもじゃありませんけど。
「弁明させてください」
「どうぞ」
わたくしはキッチンに向かう千鶴の衛星となって公転しながらついていく。このままじゃ立つ瀬がないのだ。
「わたくし卓上コンロ初めてですの」
「そっかぁ」
「初めてでしたら、誰もが戸惑う設計にした製造側に非があるのではなくて?」
「入ってた説明書読んだ?」
「説明書……」
あ。
「ぐしゃぐしゃポイしたビニールに混じってなにかの紙が……」
「人のやつ勝手に捨てんなよな」
「うぅ……申し訳ないことをしました」
「別にいいけどさ。次使うか分かんないし」
千鶴はすき焼きが詰まった土鍋を、っしょ、と持ち上げた。多分これも高い器。
歩き喰いしていたわたくしが言えることではないが、地雷系パンクガールが土鍋を持っている様子も中々に困惑する絵面だ。
「てか家庭科とかホームパーティとかで使ったことないの? コンロ」
「我が家も学校も全部IHです。オール電化。というかわたくしは食べる役でした」
「そういえば金持ちでしたね、はい。一瞬でもそれを忘れた私が愚かだわ」
土鍋が置かれると、わたくしはシュパッとつまみ担当大臣になり、火をつけてそれを出迎えた。
ふん、火はつけられました。
「誇らしげだけど、一番簡単なとこだからね」
「自己肯定感は大事ですのよ」
十五分程経てば、蓋の小さな穴から湯気がもくもくと飛び出してくる。その間にわたくしたちはジュースとかご飯とか生卵とか、あるいはお皿やグラスを持ってきては机に並べる。そうすれば机の上はみるみるうちにホームパーティになった。
千鶴がテキトーに壁掛けテレビをつけて席についたので、わたくしも長い背もたれの立派なイスを引く。
「開きましょ」
わたくしはこの宝箱を早く開きたくて、かっさらうようにミットを手にした。
「念の為お尋ねしますが、このお宅に他に誰かいまして?」
「いや、別にいないけど……」
「そう。それじゃ二等分で済みますね」
「……澄凰サンって食べるの好き?」
「そうですね……好きか嫌いかと聞かれれば好き寄りですわ」
「ウソつけ。明確に、好きだろ。食い意地透けてるもん」
的を射た指摘に思わずミットをパクパクさせる。
「……こればっかりは昔からそうですわ」
「子どもっぽいとこあるんだな」
「それってまたバカにしてます?」
「いやいや。童心を忘れないってことも大事じゃないか? 私にはもうそんなもの残ってないからね〜」
そう言う千鶴は、今回ばかりは他意は無いようだ。
ずっしり重たい蓋を持ち上げると、溜まりに溜まっていた蒸気がもわっと飛び出してきた。次いで食欲誘う煮立ったつゆの沸騰音が部屋を賑やかす。
「美味しそう。ちなみに今日のお肉はどんなのですの?」
「奮発してA5ランクの黒毛和牛だ」
「あら、家庭の味でいいですわね。やっぱりいつもの安心感っていうのは、どんなものにも勝る調味料ですから」
「…………これだから金持ちは」
同じくお金持ちのはずの千鶴は嘆息しながらこめかみを押さえるのだった。
どういうことでしょう?
「ほらおたまと菜箸渡しとく」
「どうも」
ぐつぐつと煮えたつゆから昇る湯気には、芳醇な旨味を抱えた鰹の香りが感じとれ、唾腺をつっついてくる。その美味しい予感はとどまるとこを知らず、わたくしは期待を視線に込めて注ぎ込む。
もう食べ頃な気が……。
…………。
「もうこのお肉食べられます?」
わたくしは指で鍋の真ん中、黒毛和牛のお肉ゾーンを示した。
「澄凰サンの好みの焼き加減が超レアなら食べてもいいんじゃないか。私はぜってぇ食べないけどね」
千鶴はそう言うと悪魔っぽくニヒッとする。
パーソナルカラー診断を受けたかのように、自分に似合う笑い方を浮かべる彼女にわたくしはつい関心してしまうのだった。
「そう。生憎わたくしの好みはウェルダンです」
お鍋の中を少し混ぜて、全体に火を通す。
食材全部を分け隔てなくつゆに浸してあげませんと。不公平はいけませんわ。
いただき、と千鶴が自分の箸でお肉を取ったことを合図に私も自分の皿に盛り付けた。そしてつゆも滴るいいお肉を溶いた卵黄にくぐらせて、口に入れれば……。
「んーうまい!」
「美味しいです……」
わたくしたちは顔を突き合わせ、鍋を挟んで至福の表情のにらめっこ。だけどどちらからともなく笑ってしまったから、勝敗は分からなかった。
「ずっと死んだ顔してたけど、今は生きてる顔してんな」
「…………ん? わたくしのことですか?」
「他に誰がいるんだよ。オバケでも見えてんのか?」
千鶴がなにを言っているのか、理解するのには幾許の時間を要した。
あら、わたくしは今…………笑っていたのですか…………。
『内閣総理大臣から発表された事項について再度お伝えします』
鍋をつっつくわたくしたちの傍ら、なんとなくつけていたテレビの中のキャスターが悲壮感をいっぱいにしながら重苦しく口を開いた。ディナーを楽しむこちら側に対して、向こうは今にも泣き出しそうで、なんだか無性にシュールだ。
『三日前に突如観測された超巨大隕石は軌道を変えず、依然として地球への落下コースにあります。予想落下地点も変わらず、東京から六千キロの太平洋沖です。世界各国の空軍はこの隕石の破砕に向けて準備を進めていますが、軍や専門家のシミュレーションでは破砕できるのは本体の二%にも満たないとして』
「世間は大変ですわね」
「ほんとほんと。おし、追加の肉入れるぞ肉。あと三パックあるからな」
「なんと……でも流石に三はちょっと……野菜も食べませんこと?」
千鶴がお代わりを取りに行ってしまったので、私はグラスの天然水を傾けながら漫然とテレビに顔を向けた。
『この喫緊の状況を受けて政府は各都道府県に設置されている避難シェルターを全て解放すると発表。しかしながらその収容人数は国民の数には足りていないため、先着もしくは三十代以下を優先するとして』
「お年寄りにはかわいそうな話だよな〜。この国を発展させてきたのはワシじゃぞ〜っていう声が聞こえてきそ」
おまちどお、と千鶴がパックのフィルムをむしる。
それをさっと受け取って、ささっと投入。
「仕方ないでしょう。種の存続レベルの話ですもの。若い方が未来がありますわ。それにご老体にとって地下のシェルター生活は不便です。だったら若者に未来を託して、縁の土地で骨を埋めるのもまた正しい選択」
「骨が残ればの話だけどな、ははっ」
千鶴が箸で指すその先、薄い液晶の向こうに再び耳を傾ける。
『シェルターを解放していますが、各国の専門家によるとこの超巨大隕石は地球史上で見ても類を見ない大きさを誇っており、ほとんどのシェルターが充分な強度を持っていないとの見解が広まっています。政府の公式見解では、日本に設置された緊急避難用シェルターは有事に備えたものではありますが、恐竜絶滅を引き起こした隕石よりも大きいとされている今回の隕石を前に、安全を保証するのは難しいと』
「もうお終いですね」
「それな〜。あ、卵ねぇわ」
「ここにありますわよ。多めに用意しておきました。はい」
「あざすー。でもさー、仮に隕石に耐えられるシェルターあったとして、落下地点太平洋だろ? 次は津波とかじゃね? 知らんけど」
「確かに」
仮にのまた仮にだが、その津波に耐えたところで今度はシェルターから出られるかが怪しい。そして出たら出たで、今度は空が埃に覆われてて太陽も拝めない。そして寒くなって、食糧もなく、文明崩壊の地上を彷徨いながら恐怖に苛まれつつじわりじわりと衰弱していってやがて……。
「さっさと死んだほうがマシですわ」
わたくしはぐいっとお水を呷った。
「千鶴はシェルター行きませんの?」
わたくしはなんとなくで聞いてみた。けど声に出してから思ったが、もし行く気があるならここでコンロ囲んですき焼きなんてするわけがないのだ。
「おいおい、行くわけないだろ。てかあれ聞いて行くやついる?」
案の定だった。
「ん〜いるのでは? 現に街に人いませんもの」
「説得力ある〜」
「ほんの少しでも望みがあるのなら、ですよ」
今この街は閑散としている。
ここは都市部で人口だって多く、郊外から通勤者も流入してくる地域ではあるが、今は見る影もない。一時間ですれ違う人や車を数えるのには片手で事足りる。きっと多くの人が一縷の望みに縋ってシェルターに向かったか、帰郷して血縁者と静かにそのときを待つかのどちらかだろう。
「私は親の実家とかどーでもいいし、死ぬならあっさり死にたいし。ここで気ままに生きて気ままに死ぬわ。それのが楽しいじゃん?」
自由奔放な思考回路に、うわ不良だなぁ、って思う。けどそれがなんだか羨ましく思えるのもまた事実だった。
わたくしにはできなかった生き方。
澄凰の後継ぎ足れと、常に振る舞いから生活、スケジュールまで管理され、さらには高校生には早すぎるような経済界や世界情勢、政治界隈の英才教育を受けてきた。この出自になってしまったからにはとうに全てを受け入れる覚悟はしていた。
それでも、同じ令嬢である千鶴を見るとなんだかやるせない気持ちになってしまう。こんな心情が親に知れたらきっと数時間のマインド研修だろう。
『超巨大隕石の衝突予測を受けて、当番組の放送も今回をもちまして最後といたします。残念ながらこの隕石衝突を避ける術はありません……』
本来淡々と情報を読み上げることが仕事のはずのキャスターは、今日だけはその悲壮とも無念とも捉えられる感情を抑えることができずにいた。
とても悲しそう……。
こんな人間史の終わり方は、実際に悲しくて哀しいことなんだろう。
だけど私はどこか違う。
まるで目が覚めたら知らない人の葬式に紛れていて、周りの人は辛そうだけど私に取っては棺に入ってる人なんて赤の他人だから、心の底には響かなくて……。そんな気分でこのニュースを受け止めていた。
私だって当事者なのに、当事者意識は全然無い。
『悔いの残らぬよう、家族や大切な人と最後の時間を……お過ごしください。……よい終末を』
その言葉を最後に、画面はブラックアウト。そして中央に『現在このチャンネルは放送されていません。』というアナウンスが無機質に浮かぶのみだ。
「はははっ、家族だって。奴さん死んだよ……私が殺した。ご臨終だ」
ばーん、と人差し指を跳ね上げるとコメディ映画でケラケラ笑うように膝を叩いた。
そんなに面白いかしら。
「キャスターさんは大切な人って言ってましたけど、千鶴にはそういう方いませんの? 好きな人とか」
この話の振り方、恋バナみたい。JKしてます。
「んーいるっちゃぁいるけど……」
千鶴はクタクタになった白菜を自分の皿に運びながら口を開いた。
「ほう……」
こう言ってはなんだが少し意外だ。いや、とてつもなく意外だ。
てっきり夜中に屋敷を抜け出しては街の不良らとつるんでばっかりだと勝手に思っていたので、誰かに恋心を抱いてるのはギャップを感じる。彼女のことはなにも知らないけれど、今は遊んでるほうがいいぜ! みたいなタイプかと想像していた。
「告白とかしませんの? 最期ですのよ」
「えー気が向いたらかなぁ。やれたらやるわ」
「世間ではそれはやらないという意味らしいですね」
でもやっぱり恋に本気ではないみたい。
「まぁ実際難しいのよ。だって私こういうタイプじゃん」
千鶴は自分の襟を引っ張って示す。
「それに無駄に金持ちだし。名家の不良とか、中古屋で謎にめっちゃ安く売られてる最新ゲーム機みたいじゃん」
「……?」
「一見優良物件かもしれないけど、どんなトラブル持ってるか分からないってことよ」
その例えはちょっとよく理解できなかったけど、彼女も彼女なりに思うところがあるのだろう。千鶴の乙女な一面が垣間見えた気がする。
「でも私だって恋には憧れるさ。思春期だし。アオハルしてー」
「青春から逸れた道歩いてるのはあなたですけどね」
「そういう澄凰サンは浮いた話ねぇの? あの澄凰財閥の御令嬢にスキャンダルとか」
人の不幸でご飯食べてるような表情で見つめられても困る。食べ物なら目の前にごまんとあるのに。
「ご期待に添えなくて申し訳ないですが、一切無いですわ。未来があるとするならば、親が決めた好きでもない相手と結ばれていたのではないでしょうか」
「おーよくあるやつだ。でもそれから逃げちゃって、本当に好きな別の人と駆け落ちしちゃうのもいいシチュだよね。てかそんな話の劇あったわ」
でもこうして大人に近くなってからは……誰かを好きになったことあったかしら。
恋愛する暇がそもそも無かった。まぁあったとしても親からとやかく口出しされたのだろう。
「……恋愛話好きなんですね」
「私を人外だと思ってる?」
「人道からは外れてそう」
「ちくちく言葉ねそれ」
「じゃあ私の初恋の話でもお聞きになります? 小学一年生のとき」
「おお! ちっちゃい子の恋愛可愛いよな。覚えたての文字で書いたお手紙とか。もう最近愛憎入り混じる大人の恋愛しか見とらんから、ピュアなの欲しいわ。カモン」
「小学生のとき、一時的に同じ小学校に通うことになった男の子が海外車の大手メーカーの一人息子でして、当時の澄凰グループは車の世界シェアの拡大を狙っており——」
「待って、全然ピュアじゃない。汚ねぇ匂いしかしない。最悪だ」
駄弁りながら食事をすれば、鍋の中の具材ももう少ない。それに対してわたくしの胃袋は八割くらい埋まっていた。
「よぉーし、〆すっか。うどんでいいか?」
「…………死ね?」
「きょとんとしながら物騒なこと言うな」
そう聞こえたんですもの。
「え、知らないの?」
「知らないです」
「おいおい、これだから金持ちは……」
今日何度目かの、あなたもでは、という言葉は横に置いといてまたわたくしの知らない言葉だ。
「〆っていうのは、鍋とかすき焼きの余ったつゆに、麺とかご飯とかぶち込んで余すところなく食べるぞっていう……うん、お嬢様はやらないなこれ。自分で言ってて思ったわ
」
だからあなたも……。
「申し出はありがたいのですが、わたくしもうお腹いっぱい……」
「はぁ⁉︎ 〆いかないとか無礼だぞ。行けるって別腹別腹。はい食べよーねー」
「〆ハラ……」
半ば無理矢理食べさせられたのだが、果たしてこれがまた美味しかった。満腹気味だったのにつるりと収まってしまう。まさに別腹だった。
ふーむ、また美味なるものを知ってしまいました。




