第46話
日も暮れて暗くなってきた午後六時。夕飯時だ。
「今日の食材はこれ!」
テーブルの上には合計七尾のヤマメ。うち一尾は矢に貫かれたことで身崩れしかかっており、のこりは全て千鶴の釣果だ。
「大漁ですわね」
「もう一匹は行けたけどなぁ〜」
水遊びをした後千鶴はわたくしに対抗意識を燃やして、一発だけ拳銃での漁を試みたのだが失敗に終わっていた。彼女が珍しく外したのだ。あのときの彼女の悔しそうな顔は今でもはっきり思い出せる。
「流れで獲物が見えにくいんだもん。無理ゲーでしょ」
「画面の見過ぎで視力が落ちているのでは。でもこれであなたとの射的対決はわたくしの勝ちですわね〜」
「あーカスカスカスカス」
愚痴を聞きながら、焚き火の準備をする。悪党が使っていたのがあるので、そこに新しい枝葉を運ぶ単純作業だ。千鶴は魚の下処理。わたくしは当然できないのでお任せする。
「私だって魚捌くのはやってないんだけどな」
「あら、でも綺麗じゃありませんか」
開いて内蔵を洗って串に刺す。ガイドブックの教え通りに捌かれたヤマメは初めてとは思えないほど丁寧だ。器用なものだ。わたくしがやったら可食部がごっそり無くなる。
「これに塩を振ったら……はいーヤマメの串焼き準備完了〜」
頭から尾に串を通した、キャンプの焼き魚の象徴とも言えるスタイルに早くも唾液が滲んでくる。こんなワイルドな調理は三ツ星シェフは絶対してくれない。
「焼きましょ! 早く早く」
火を入れた薪はあっという間に大きな炎に成長して真っ白になった。炎を囲むように、近過ぎず遠過ぎずの距離で地面にヤマメ串を刺す。
「天然ものは寄生虫がいるかもしれないから中まで火を通すらしい。ユヅっちはウェルダン好きだからちょうどいいね」
魚にレアとかミディアムとかあるのかしらと思いながら、ヤマメを回転させていく。せせらぎと弾ける火のハーモニーを聞いていれば焼き上がりを待つ時間も素敵なコンサートだ。
「これもう焼けてます?」
逸る気持ちが背を押して、いつかの夜みたいに聞いてしまう。
「ああ、いいと思うよ。ちゃんと火通った色だろ」
「やった」
一本取って急ぎながらふーふーと冷ます。焼き目のついた皮から漂う香ばしい香りが吐いた息の入れ替わりで入ってくる。
もう待てない。
多少の熱さを我慢して齧り付く。
ぱりっ。
途端に広がる野生味ある味わい。噛みごたえは肥やされた養殖の食感ではなく、生きるために洗練された引き締まり。その身を噛むごとに強かな旨味が滲み出してくる。
「ん〜」
そしてそれを引き立てるは塩という古来より食を支えたシンプルかつ王道の調味料。余計なものはいらない。塩味が旨味を研ぎ澄まし、ヤマメを極上の逸品へと押し上げる。
「うっま……」
いつものハイテンションではなくしみじみとした千鶴の呟きがこの味を物語っていた。
「これは、素晴らしい……」
骨に少しも身を残さずに食べると、次の串を考える暇もなく掴む。千鶴も同じタイミングだった。
あぁ……大自然に感謝ですわ……。
少し長めに焼けたおかげで、その香りは一段と芳醇に仕上がり鼻腔を撫でる。二本目を食べ終わるのは最初よりも速かった。
三本目……。
つんつん。
「ユヅさんユヅさん」
「どうしましたチヅさん」
「ここにありますわ大豆から錬成されたじゃぱにーずそいそーす」
「あなたね〜塩が至高と食べて分かりませんでしたの〜?」
「まぁまぁまぁまぁ」
火に炙られるヤマメの表面に醤油を垂らす。じゅぅわぁ、と唾腺をつつく音がする。
「はい、焦がし醤油」
「いくら見た目が良くても塩焼きがベストなのは……」
食む。
「「うまぁ〜〜〜〜〜」」
思わず肩を寄せ合ってしまった。そして大地への讃美を示して抱きしめ合う。バシバシと背中も叩いておく。
甘じょっぱい味わいが口いっぱいに広がって、塩味で支配された舌を塗り返す。一気に形成逆転だ。
これ蒲焼とかの甘ダレとかだったらまた美味しい。絶対に。
最後の一本。
しかし横合いから伸びてきた手。
そのとき人類は思い出した。
ヤマメ焼きは七本、奇数であるという現実を。
「…………」
「…………」
「「最初はグー! じゃんけんポォンッ!」」
「っしゃぁーーーーッ!」
「…………ならばっ」
喜び叫ぶその行いは愚!
世界の時が止まったかと思うほど悠長!
貫手のように一直線に手を伸ばす。
もらったッ!
「させない——ッ!」
ぺしっ。
音速すら一瞬超えたであろう右手は、容易くはたかれた。
「いたーい」
「がめつ過ぎだろ。ちゃんとこっちが勝ったのに」
「美味しくて……」
「こっちはそんな気全然無かったんだけどなー」
千鶴は最後の一本を取ると、ヤマメの半分を分けてくれる。そのヤマメはわたくしが射たやつで、その傷のおかげで簡単に半分にできたのだ。
「ほら、あっち、早く!」
火傷しそうなので慌てて受け取るも、こっちの手に来たって熱いものは熱い。手のひらで転がして冷ましてから急いで口に入れた。
美味しい。
「……ありがとうございます」
「美味しいものは一緒に食べたほうがいいだろ」
「わたくしも分け与えようとしましたけどね」
「嘘を吐くな嘘をー」
ヤマメでそこそこ満たされた胃袋の隙間は、あの家族から貰ったお菓子で埋めていった。メインも豪華でデザートもついてる。キャンプとは思えない充実ぶりだった。




