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第45話

 戦場となった林からバイクで十分程度の距離にその場所はあった。

 

「うわお! 絶好のロケーションじゃん!」

 

 若葉が四方を囲み、澄んだ水の流れが癒しの音楽を奏でる。まるで秘境の渓流。

 岸部の河原には車が数台とテントが四つほど立てられており、間違いなくここが戦力外が言っていたキャンプ地だ。自然に包まれた近辺は絵に描いたようなアウトドアレクリエーションの様相だ。

 

「こいつぁ襲った甲斐ありましたよ姉御。あの腰抜けには感謝っすね。ゲヘヘ」

「どっちが悪役なんだか」

 

 因みにあの戦力外は散々脅しを浴びせたらまた気絶してしまった。あの様子ならもう二度と誰かを襲ったりできないだろう。残りの人生については預かり知らぬが、車がほったらかしにしてあるので、自分でどうにかするはずだ。

 

「おお! キャンプブックもある! これでインターネットに頼らずともキャンプできるよ! よしユヅっち、今日はここに泊まろう」

「温泉は行きませんの?」

「明日温泉行ってゆっくりして、明後日ネモフィラ見て滅亡。それで行こう!」

「そうしたいなら構いませんけど。千鶴姫の仰せのままに」

 

 ここは道から多少奥まった場所だ。知っていなければまず辿り着けないので、野営中に襲われはしないだろう。

 釣竿などの道具を発見したわたくしたちは、まずはガイドブックを読み込む。せっかくなのでわたくしもやってみることに。

 

「釣りってエサつけて投げるだけじゃないの?」

「わたくしも同じ意見ですが……」

「垂らす場所も大事なんだって。水深とか流れとか……見て分かるのこれ」

 

 エサ釣りとルアー釣り?

 針のサイズ?

 タックル? アメフトしますの?

 

 原始的な漁だと思っていたがそう単純なものではなさそうだ。本は専門用語が多くて、わたくしたちみたいな超初心者向けではない。

 

「よし! 分かんね! やろう!」

 

 そして千鶴は考えるのを、やめた。

 

「とりあえず残されたまま使えば釣れるのでは? 現に釣って食べていたと言っていたので」

「有能。それだ」

 

 釣竿を持って流れの近くへ。

 

「おっほー釣りだぜ釣り〜」

 

 千鶴はびよんびよんと竿をしならせて陽気だ。ザーという川の音に勝るとも劣らない。

 岸や中洲の石はやや大きくで角張っているものや丸みを帯びたものが混在している。学校教育の知識と照らし合わせると、ここは中流域と呼ばれるエリアになる。

 

「千鶴、魚いますわよ」

「ホントだ! え、割とふつーにいるじゃん!」

 

 高純度の透明度もあって、目を凝らせば魚影が見える。無彩色の視界でも目視できるのだから千鶴にはより鮮明なはずだ。

 

「え、待って、エサがさ思いっきり虫なんだけど。ムリ」

「え、それは困ります」

 

 死ぬのはいいけど、気持ち悪いのはちょっと……ご遠慮願いたい。

 

「どうする? ぎょにそでもつけとく?」

「わたくしたちが美味しいと評したのですから魚も食べるでしょう」

 

 魚が口に入れられるように、魚肉ソーセージを薄く千切って針につける。そして流れが停滞したところを狙って針を飛ばした。あとはウキと竿にアクションが来るまで待つ。

 

「あれなんて魚だろね」

「ガイドブックには、中流域のターゲットはヤマメとありましたね」

「ヤ〜マ〜メ〜〜〜」

「なんですその言い方」

「お笑い芸人」

「存じ上げないですわ」

「ジャンガジャンガ」

 

 それも知らない。

 心地よい水の調べを聞きながら、他愛のないお喋り。

 

「…………来ないね」

「…………来ないですわね」

「釣りとは忍耐だよ、ユヅっち」

「最初に痺れを切らしたのはそちらですわ」

 

 ぎょにそだとダメなのだろうか。

 ギリギリと独特な音を鳴らしながらリールを巻き、今度は別のポイントへ投下する。本には場所選びも大切とあった。かからないならヤマメがいそうな場所へ……。

 

「お! 来た!」

 

 千鶴が叫ぶ。

 糸がピンと張って右に左に揺れていた。魚が繋がったリールは容易く回りやがて。

 

「うわぉーーー釣れたーーー!」

 

 千鶴の眼前に掲げられたヤマメはピチピチと活きがよく、尾鰭(おびれ)でビンタされそうなくらいだ。ビンタされそうな本人は子どものようにはしゃいでいる。

 

「すげー! 私マジで初めてだから感動!」

「おめでとうございます。でも活きがいいから外れそうですわよ」

「ヤベ」

 

 オーマイクーラーボックス〜と変なことを口ずさみながらテントの方へ駆けて行った。最初から持ってくればよかったのに。

 

「千鶴が釣れたのですから、もうすぐわたくしも……」

「釣れた!」

「…………」

「来た!」

「………………」

「フィッシュオン!」

「……………………」

「おっほーー!」

「ちょっとおかしいですわ!」

 

 おかしい。

 なぜ千鶴はそんなにかかるのに、わたくしには来ないのか。

 こちらは準備よくクーラーボックスを用意しているのに入居者はゼロ。向こうとは大違いの閑散っぷりだ。死ぬ前記念でやってみただけだが釣果で優劣を感じ、起伏の無い心から不満が噴出する。

 

 なんですか、わたくしのぎょにそは食えないと! そう言いたいのですか!


「わたくしには来ないのに千鶴のほうばかり!」

「まぁ私がぷりちーだから、カナ」

「やかましいですわ」

 

 なんなんですの、そのセクシーポーズ。魚類に言い寄られて嬉しいのですか!

 

「千鶴、そのスポットください」

「おい! 人の釣り場に針を飛ばすな! 絡まる! マナー違反だ!」

「今は世紀末。弱きものは強きものに淘汰されるのですー」

 

 絡まることに日和った千鶴が慌ただしく移動する。強引に千鶴の漁場を奪い盗賊のようだが、今は力が全てだ。力こそ正義。

 

「これならわたくしも……」

「ユヅっちこっちでも釣れるじゃーん」

 

 は?

 

 さっきわたくしがいた場所で、魚拓に残せそうなほど立派なヤマメを千鶴が釣り上げていた。

 

 まぐれですわ。それに今にも大きな獲物がわたくしのもとに来るでしょう。

 

 ピンっ。

 糸が張る。

 

「来ましたわ!」

「頑張れユヅっち!」

 

 ギリギリギリギリと逸る気持ちで糸を巻き取る。竿には中々に重いテンションが掛かっている。目を見張るサイズに違いない。

 魚影がだんだんと近づいてくる。

 

「さぁ! ご照覧あれ!」

「おわぁっ!」

 

 わたくしが釣り上げたのはそれはそれは立派な…………。

 

 ゴミ袋。

 

「…………」

「…………」

 

 ずっしりと中身たっぷり。

 心地よい沢の調べは、今や観衆の笑い声のようだった。

 

「……あーかなり大きなサイズ? しかも中身も重たくて、卵持ちかな? えっぐー。卵だけに」

 

 睨みつける。

 

「すんません」

 

 なんだそのダジャレは、というかわたくしのヤマメはどこにいるのか、謎だらけだった。

 謎だらけなので、わたくしは考えるのを、やめた。

 

「え、ちょユヅっち。ごめん!」

 

 テントに戻って、竿を置く。そして別の得物を掴む。

 

「釣りなんて相手に媚びへつらう前時代的な所業はもう終わり! 相手が来ないなら、こっちから攻めればいいじゃないですか!」

「えぇおぉ……それはどうかと!」

 

 石だらけの不安定な岸に立ち、わたくしは竿に代わる漁具、弓を携えて射法八節に入る。

 

 初めからこうすればよかったのだ。こっちの方が確実で、早い。

 

 顎を引いた顔はまっすぐ水面、その下を遊泳するヤマメに据える。

 肩を開いて、的に向かって伸び続ける。

 

 今ッ!


 放たれた矢は飛沫を上げることなく水に飛び込む。

 程なくして、矢に貫かれた魚が浮き上がってきた。

 

「んえ〜そんなんあり⁉︎ やば! なんかもうすご過ぎじゃん……」

「ふん」

 

 当然だ。これくらい。

 

 因みにここ最近の行射で一番気合いを入れた。

 これで多少はわたくしの溜飲も下がるし、あれを食べられれば満足。千鶴が結構釣っているしそれを分けてもらおう。

 

「ユヅっち〜悦に浸るのはいいけど魚、流されてるよ」

「え」

 

 矢付きのヤマメはもう数メートル先の下流へ流れていた。

 

「ちょ! 困りますわ」

 

 しくじりました! どうやって回収するかなにも考えていません!

 

 ヤマメを追いかける。

 すると刺さった矢が岩と岩の間に都合よくつっかえて止まってくれた。しかし依然として岸からは到底手は届かない。

 

「…………はぁ、仕方ないですわね」

 

 逡巡の後、弓道具を置いてわたくしはザブザブと流れに入った。

 

「ユヅっち大丈夫ー!」

「平気ですわー」

 

 冷たい、けれでも苦痛ではない。五月の朗らかな気温もあって、水の冷たさは耐えられそうだ。

 膝ぐらいの水深をものともせずに進んでいく。

 

「よいしょ」

 

 例の岩まで辿り着くと、川底で足を滑らせないように気をつけて手を伸ばした。

 食べ応えのありそうなヤマメだ。

 もう流されないように、平たい岩の上にヤマメを置いて一息つく。

 木々に囲まれて、綺麗な水に洗われるのは思っていたよりも気持ちがいい。水温にも慣れてきて、火照った心を冷ましてくれる。

 

「ふむ」

 

 わたくしはパーカーのジッパーを全て下ろして腕を抜くと、その下のブラトップも脱いでしまった。

 

「えぇっ! ユヅっちさん⁉︎」

「気持ちいいですわよ」

 

 下のジャージと下着も脱ぎ、スニーカー以外は一糸纏わぬ姿になって川の流れに身を浸す。千鶴のほかには誰もいないのだから視線を気にする必要はない。寝転がると全身が水に包まれた。

 

「ふぅ…………」

 

 天然の水流が昨日からの汗と血のベタつく汚れを落としてくれて清められる。温泉の代わりにもたらされた癒しは、どれだけお金を積んでも再現できない極上さであった。

 

「千鶴もいらっしゃいな」

「いや! 私は、いいよ……」

 

 岸部の千鶴はわたくしに背を向けてばつが悪そうに佇んでいた。

 

「まぁ、つれないのね」

「いや流石に屋外はさぁ!」

「いいじゃないですか。誰も見ていませんし、解放感に満ちています。まともな世界じゃできないことですわよ」

「そうだけど、そうなんだけど!」

 

 ふーん。

 

 そのとき、汚れを落とせて気分も良くなった心にイタズラの芽が生える。

 わたくしは身を起こすと千鶴のもとへ近づいた。

 

「千鶴、一緒に入りましょ。汚れたままは嫌でしょう?」

「いやぁ、やっぱ外で素っ裸っていうのは……」

「そんなこと言わずに、ね!」

 

 顔を背けてるのをいいことに、千鶴の背後から抱きつくとパーカーのフロントジッパーを無理矢理下ろす。

 

「うぉわい! なにして! 離せ!」

「ほら、抵抗なさらず」

「や、やめろおおおお!」

 

 数分と経たず、森の中にひん剥かれた裸体の少女が出来上がったのだった。

 

「ユヅっち……お前ってやつは……!」

 

 胸と秘部を隠して赤面する千鶴。こう言ってはなんだが今までで一番女の子っぽかった。口にすると怒られそうなので黙っておくが。

 

「さぁ行きますわよ」

「うぅ、やっぱりユヅっちはおかしい! そんで冷たい!」

 

 抗議する千鶴の手を引いて、二人で寝そべられるポイントを探して回る。きゃんきゃん吠えているが、わたくしが手を繋いでいるから逃げる気はないようだ。尖った石も木屑もない所で腰を落ち着ける。

 

「どう?」

「どうって、それは爽快でいいけどさ。絶対一人じゃやろうと思わない」

「じゃあわたくしが一緒で良かったですわね」

「そういう問題じゃ……ったく!」

「嫌?」

「嫌じゃないけど!」

「どうして怒っているの?」

「怒ってないわ!」

 

 複雑なお年頃なようだ。

 

「そもそもな人前で裸を晒すというのは恥じらいがあるものなんだよ。常識的に。しかも外だし」

「んーでも温泉は脱ぎますけど」

「それは脱ぐって事前に心の準備があるから! 温泉では脱ぐよ。これでもかって脱ぐよ。けどいきなり脱衣は違うでしょ! エーブイ女優がコンビニ出かけて脱ぐか?」

「えーぶい?」

「あぁ! お嬢!」

「なんだか繊細ですわね」

「私がおかしいみたいに言うな!」

 

 千鶴はつい気が高まって手を上げたが、上半身が全開になってしまい慌てて隠した。脚を組んで腕も組んでの絶対防御の姿勢。

 わたくしは着替えを手伝ってもらうこともあったため、同性になら見られても問題ないのだが、向こうにその気は無いようだ。

 

「…………」

「なんだよ、ジロジロと」

「……絵画のようで、美しいなと」

「はぁ⁉︎」

 

 森の中で水浴びする可憐な女性、まるでお伽話に出てくる女神やエルフのような美しさがある。濡れて艶やかになった肌がキラキラと陽光に輝いていた。

 だがその美しさの中に痛々しさも発見してしまった。真っ白なキャンバスの上の黒い絵の具のように目立つ、節々につけられた傷や痣。それは彼女の壮絶な暮らしを如実に物語っており、身につまされる。

 本人は別のとこを隠しているし温泉にもノリノリだから、傷痕を見られることは気にしていないのだろう。過去のことにはサッパリしている女性だ。

 それでもわたくしは彼女を慮らずにはいられなかった。

 口にすべき言葉は思い浮かばないからシンプルな方法で。

 

「千鶴……」

 

 抱き寄せる。

 今度は背後からじゃない。

 頭にそっと手を添えて、撫でる。

 

「よしよし」

「え……なに、どした」

「抱きたいと思ったから。嫌?」

「そりゃあ……嬉しい……」

 

 汗と血が混ざった匂いがするが、それは昨日わたくしのために行動を起こしてくれたことの証。

 さっきは鉄パイプで殺めまくった子だが、その体は柔らかくて儚さが抜けきれていない乙女だった。

 

「じゃあ私もお返し」

 

 千鶴はわたくしの背中に腕を回してくれる。

 

「ユヅっちも、よしよし」

 

 親のこと。

 学校のこと。

 色のこと。

 昨日のこと。

 明言はしない。

 その優しい手のひらは全てを一纏めにして労ってくれた。

 

「よしよし」

「よしよし」

 

 お互いにしか打ち明けていない心の傷をこうして舐め合うのは、傍目では惨めかもしれない。それでもわたくしたちには紛れもなく大切な時間だった。

 

「ねぇ」

 

 千鶴が囁く。

 

「なに」

「これ……セックス過ぎないか。いろいろ当たってるし」

「…………」

 

 ガバッと離れる。

 

「その言葉で……恥ずかしくなってきました」

「あー言わないほうが良かった?」

 

 にわかに顔が熱い。

 人が裸体で抱き合う。確かにほぼほぼ性交渉みたいなものではないか。

 

 わたくし勢いに任せ過ぎですわ……。

 

 さっきまでの自分を思い返すともう一段、火を噴くくらい顔が火照るのでバシャバシャと水を掬った。

 

「ユヅっちの羞恥のラインがだんだん分かってきた気がする。裸はOKだけど、えちえちなこと考えるとダメなんだね〜」

「解説しないでくださいませ!」

 

 自分の顔のために掬った水を千鶴の顔面にばら撒く。

 

「あ! やったな! 報復だ食らえ!」

「っぷ、わたくしそんなにかけてないですわ、よ!」

「わぁ!」

 

 そこからなぜか水掛けバトルが始まった。千鶴も体を隠すことなんて忘れて、猛烈な攻撃を繰り出してきて、わたくしもそれに負けない水を浴びせてやった。

 

 愛しい……。

 

 水遊びをする彼女の笑顔は、今日は天使のようでわたくしの胸はなんだか温かくなった。

 彼女は大切だ。

 幸せでいて欲しい。

 だからこそ、わたくしは彼女の元から消え去らねばならない。

 彼女が呪いの魔の手に捕まる前に。

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