第43話
「あら、頭部のつもりで離れたのに。外しましたわ」
弓の力の解放に爽快感を覚えながら独白する。
ただ中りには相違ないので。皆中はまだまだ狙える。
その手じゃ残りの二日は艱難辛苦でしょう。とどめを刺してもらいなさいな。
離れの後のお約束、残心を今は省いて次の矢を番える。弓道で生き物を狙うというタブーの中のタブーを侵していれば、射法八節の崩れなどとるに足らない。
次の的は別の男。
弓を支える左手を押し込みように伸ばし切って、大三の型。そこから引き分け。右肩と左肩を結んだ線が平行になり、腰の中心と頭の先を結んだ線がそれと垂直に交わる。
来た。
ビンッ。
矢についた七面鳥の羽が頬を撫でて飛び去った。矢羽が矢に錐揉みを与え、的に向かって疾駆する。
「がっ、あああぁあぁ!」
右肩。中ーーーーーりーーー。
「そこじゃない」
狙いは頭部なのだ。やはり動く的は難しい。
本来的が動くことなど万が一にもありえない弓道において、動く的に命中しているという時点で誇れることだが、わたくしはそれでは満足しない。
「痛ああああ! 誰かぁ!」
「苦しませてしまいましたね」
弓返りした弓を持ち直し第三射へ臨む。
誤差修正。風問題なし。移動予測に同調。
膂力で弓の時を止め、的の静止と離れの機が重なる瞬間をただ待つ。
「うっ、あああっ、サメジマさぁん!」
「………………」
離れ。
「サメジっ」
頭部。中ーーーーーりーーー。
「…………ふぅ」
今の一射。手応えありですわ。コツが掴めてきました。
おでこに手をかざして、ユニコーンのようになった男を凝視する。
うーん、色、見えないですわね……。
難易度の高い行射での命中はもちろん喜ばしいが、本命は違う。
わたくしは色が見たいのです。
色を求めて彷徨う視線は期せずして、どうしようもなく立ち竦む男に止まった。千鶴が戦力外と評した男だ。縦横無尽に動き回る少女を前に体を震わせていた。
もっと血を流せば……あの戦力外もやってしまいましょうか。
四射目を番える。
射線通りまくりのところに棒立ちだなんて、すぐダウンしますわよ。
新米FPSプレイヤーの助言は、声に出してもきっと届かない。
さながら猫がおもちゃに飛びつこうとお尻を振るように、アルミの鏃が的を食らおうと小刻みに震える。
「…………」
パキッ。
「っ……!」
背後の小枝を踏み折る音に、わたくしは構えを解くと同時に前方へ距離を取る。
顧みると背後に角刈りの男がいた。手にはサボテンのように釘が刺さったバット。殴られたら挫傷だけでは済みそうにない。
「お前ら……よくも……!」
彼らのお仲間のようで、角刈りは相当怒り心頭の様子。
「困りましたわ」
彼我の距離は約七メートル。接近に気づかず、距離を詰められ過ぎている。この近さでは弓は取り回しが悪い。
どうせ今晩命を絶つので、死ぬことは構わないのですが……あれは痛そう。ちょっと嫌かもです。
「覚悟しろよ! 何倍にもして返してやらぁ!」
と言ってもワンオンワンの肉弾戦。勝てる保証も無いし、死に方を選ぶ権利も危うい。
これはムリかもですわ。
「らああああッ!」
角刈りが啖呵を切りながら、バットを振り上げ走る。
当たれば御の字。当たらなければ仕方なし。
両手の弓と矢をポトリと捨てる。
怖気ついたかと、角刈りが勝ちを確信した。
わたくしはトップスの裾を翻しながら、腰からナイフを抜き取る。
そして持ち手ではなく刃を指先で挟んで、それを男に向かって投げつけた。
ナイフは縦回転で飛んでいき。
「だぁッ」
走る男の太ももを穿った。突然の激痛に体重を支えられるはずもなく、角刈りはだらしなく土に塗れてでうごうごしていた。
「案外当たるものなのかしら」
死に方の苦楽を賭けた乾坤一擲のスローイングナイフ。
こんなときのために、と練習していたわけではない。銃火器と弓ばかり使用していたFPSゲームで趣向を変えて一回だけ使ってみただけだ。
昨日のミナミの見よう見まねで、刺さるとはわたくし自身思っていなかったのだが……やってみるものである。
「痛ぇ……痛ぇ……ぐえぇッ!」
苦悶を垂れ流す口を靴底で黙らせると、ナイフを抜いてやる。慈悲ではない。反撃の芽は摘んでおくのだ。
「いらないならこれ、貰いますわね」
わたくしは男が手放した釘バットを掴んで、振り心地を確かめる。
「やめろ……やめてくれ! 謝る! どんなことでもすっから!」
「良い感じ。と言ってもわたくし野球の経験は無いのですけど」
「マジで! 頼むッ! 見逃してくれェッ!」
涙と洟と唾液がブレンドされて見るに耐えない顔を、わたくしは目を逸らさず見下ろす。
だって、どんな些細な色調変化も見逃したくないから。
「あなたはどんな色を見せてくださるの?」




