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第4話

 スマホのライトで照らしながら、知らない道を千鶴の後についていく。身長はわたくしより少し小さいくらいだが、歩みは一歩が大きくて早いから私が少し合わせる必要があった。彼女は活力に余裕がありそうだ。

 なんにも考えずに誘いに乗ってしまったが、よくよく思い返すとわたくしと千鶴に接点はほぼ無い。クラスという同じコミュニティに属しているだけで、普段話もしなければ、わたくしの活動していた弓道部の一員でもない。なんなら、なぜたまたまわたくしの家の(そば)にいたのかも不明だ。

 並んだ彼女の横顔を見てみる。

 

 以前は…………鮮やかな紫の髪でしたね。

 

 わたくしが知っていることは、おおよそ学校側から嫌われる格好と素行で、まぁ優等生をしていたわたくしからすると倦厭(けんえん)してしまう人。これは憶測だが、私生活はより羽目(はめ)を外しているのではないだろうか。

 

 そしてわたくしと同じで、端的に言えばお金持ち。

 わたくしだって令嬢、界隈では無視できない力と経済を握る明導院の名を知らないわけがない。きっと我が家、澄凰家ともなんらかの繋がりはあるだろう。

 

 とてもお嬢様らしい様子ではないですが。

 

 親交も無いわたくしを誘ったのは単なる親切心か。

 はたまた別の思惑か。

 けれどその疑問はわたくしにとっては些細なことで、特に気にする必要はない。

 わたくしはもう思索(しさく)することなんてとっくにやめてしまったから。

 

 なるようになれだし、これ以上悪くはならないでしょうし。

 

 仮にこれから千鶴がわたくしに危害を加えたとしても、それはわたくしが旅立つ直前の出来事の一つに過ぎない。

 嫌なことというのは、時間が経てば経つ程思い返してしまい、より苦しくなって、それを感じたときよりもさらにダメージが大きくなる。やらかした失敗を長く引きずって眠れなくなるように。

 けど後なんて用意していないわたくしにはなんら問題ない。

 絶望したって、その絶望を感じる頭も心もスイッチを切るのだから。

 

「着いたぞ」

 

 わたくしたちは一軒の豪華な邸宅にやってきた。

 大きさは我が家とそう変わらない。けれどうちが和風建築だったのに対して、こちらは社会の教科書の明治時代の単元に載ってそうな、横に長い西洋風のレンガ造り。長い廊下と持て余す程の部屋がありそうだ。

 

「立派なお屋敷ですわ」

「澄凰サンが言うと皮肉なんだよな」

「ん? どうして?」

「なんでもない」

 

 ガス灯のような(あか)りの下、千鶴は重々しい観音開きの扉を押し開けた。

 

「遠慮なくどうぞ」

 

 入るとそこは玄関ホール。

 ただの玄関、ではなく玄関ホールだ。大理石の床はシームレスで日本には珍しい土足文化らしい。天井からは掃除の行き届いたシャンデリアが高貴な光を浴びせてくれ、外観のイメージと違わないリッチな空間だった。

 

「んじゃキッチンこっちね」

 

 案内される途中も、廊下では一目で一級品であると分かる壺や絵画の調度品に挨拶される。ここで暮らせばさながら美術館で寝食しているような気分だろう。マニアとかだったら垂涎(すいぜん)の生活だ。

 

「……?」

 

 けれど進むにつれて、床に黒い汚れが目立ち始めることに気づいた。

 ぽつぽつと続く。

 空間が輝いているせいでそれらの異物が悪目立ちしてしまっていた。

 どんどん増える。

 床だけではない。壁にもだ。

 点だったそれは、モップで押し広げたような掠れた汚れになる。

 それはちょうどさっき道路で見た柴犬の筆跡を脳裏に浮かばせる。

 そして汚れはある一つの扉から広がっていた。ドアノブや縁にある人間の手を模した染みは、もしかしてと予感させるには充分な存在感だ。

 

 千鶴はそれらに一瞥もくれてやることなく進んでいってしまう。だが、あまりにも異様なその空気にわたくしの歩みは自然と止まってしまった。

 足音が一対減ったことを察して、千鶴が振り返る。

 

「あーやっぱり気になる?」

「これを気づかぬふりしろというのは(いささ)か無茶かと」

「だよねー」

 

 千鶴はコンコンとノックした。

 けどきっと、彼女はその返事なんて求めていない。

 

「今日さ、親父殺しちゃってさ」

 

「………………そう」

 

 したり顔を浮かべていた。どうだ、と言わんばかりに。その素振りは仕留めた獲物を飼い主の御前に提出する猫のものに似ている。

 だがわたくしは千鶴の飼い主ではない。そのしたり顔に真正面から言葉をぶつけた。

 

「臭いが不快ですから、ちゃんと漏れないようにしてくださらない?」

 

 千鶴の開いた口は塞がらなかった。

 どうやら想定外の反応だったらしい。

 

「食卓までは臭わないでしょうね? この香りをお供に食べてはディナーが台無しです」

 

 さっきから漂う鉄っぽい血の香が鼻について仕方がない。交換しそびれた生理用ナプキンを思い出させる。

 

「消臭剤いくつ並べればいいかしらね」

「……多分消臭力とかじゃ無理だろうな。大丈夫……ダイニングまでは行ってなかったから」

「ならよかった。ねぇ早くしましょ」

「……聞かないのか? なにも」

 

 千鶴はそう質問することで、逆にわたくしに質問して欲しいみたいだった。

 だが残念。

 わたくしが反応したのは、顔をしかめるような臭いが漂っていたから。そしてそれが食事を害さないか心配だったから。その心配が消えたなら、あの汚れがなんなのか、どういう経緯(いきさつ)で付いたのか。そんなことは興味もない。

 それよりも重要なことが、わたくしには一つだけ。

 

「わたくしお腹空いていますの」

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