第33話
明日から家を離れることになるが、期待できる食事があると気分が上がる。晴天が確定した日に出かけるピクニックのような期待感だ。
気分が上がると歩調も弾む。わたくしたちは上野から御徒町方面へと散歩することにした。
「じゃーん、あれがアメ横」
「噂の……雑踏に入るのは付き人に止められていたので訪れるのは初です」
「今日は空いてていいだろ」
千鶴は腰にホルスターがあることを掴んで確かめた。雑談しながらも警戒はしている。
沿線を進むと両側を店舗に挟まれた小道に足を踏み入れる。ここが風に聞く商店街アメ横。繁忙期には一日で多額のお金がやり取りされる観光市場……らしい。
「食べられそうなものあるでしょうか?」
「あるんじゃね。ただ日が経ってるだろうからそこだけ注意だね」
二人で誰もいない商店街を我が物顔で歩いてみる。居酒屋の店先、ビールのコンテナで設られた簡素なテーブルセットには飲み会の残骸がそのまま残されていた。なにかお酒でもあるかな……と覗いたところで昨日の一件が脳裏に浮かぶ。
お酒は……控えましょう。過ちは繰り返さないように。
「これなら、食えそうだぞ」
その手にあるのは大きな大きな袋に入ったふわふわ。パッケージが高級そう。
「鰹節」
「食べ物だったらなんでもいいと思っていません?」
「食べないの?」
「まぁいただきますけど。せっかくなので」
「ほらね」
ニヤリと悪魔みたいな顔。手に取るように分かるよ、と含ませている。
なんだか悔しい気がしますわね、なんだか。
しかし食べ物は先入観で判断してはいけない。このところ新たな食の出会いをしてきた教訓だ。密閉された乾物で腐ってはいないし、一回味わってから評価を下すのだって遅くはない。
袋を開けてひとつまみ。
口に入れる。
ふわふわだった鰹節は口内の水分を吸ってギュギュっと小さく固まった。次いで和のエキスがじんわりと染み出していく。味は違うがわたあめを食べているような感覚だ。
「ふぅ」
鰹の香りを鼻へ通してから、わたくしは近くの商品棚へ。
そこにあった醤油を鰹節へ数滴滴らしてから食す。
やはり。
「醤油と食べると味が跳ね上がりますわよ。どうぞ一口」
「マジで? ………………ほんまや」
でしょう、とわたくしももう一口。
メインを張る醤油のしょっぱさに鰹の風味のマリアージュ。鰹節だけでは不足するパンチを補強してくれる素晴らしい相性だった。
「このままでもいけるけどさ、ご飯に乗っけたらとんでもないぞ。飛ぶぞ」
「豆腐はもちろん和風サラダとかにも合いそう。鰹節恐るべしですわね」
鰹節を片手に食べ歩き。女子高生二人が鰹節パックを持ち歩く姿は滑稽に違いないが人目を気にする必要はない。
あてどなく歩き回る時間は退屈なんかではなかった。
わたくしが初めて見るものは千鶴が説明してくれたし、逆にわたくしが知識豊富な領域は微に入り細を穿った解説をしてあげた(千鶴は辟易していたが)。新たな情報との出会いは知識欲が満たされる。厳格な教育のもとで情報がフィルタリングされていたわたくしには貴重なものだった。
「あ……」
千鶴がなにかに気づく。
「ラブホ」
道のずっと先のビルがそうらしい。ただ周りのビルと大して変わらない様子なので言われなければ気づかないだろう。
「ラブホ……よく分かりましたね。通われてるのですか」
「はは、なわけ。経験はあるけどな」
実に軽い口調だった。
経験、ある……。
思わず目を丸くするが、過剰に反応するのもどうかと思い平静を装う。人の性事情を聞くのが初めてで、自分の挙動が変じゃないか心配になった。
千鶴はもう『そういうこと』をしている。わたくしと同い年で。
まぁ初心な乙女がいきなり押し倒してくるはずはないですものね。
友人が経験済みとか知っていいのか悪いのか。なんとなくいたたまれない。
わたくしの立ち振る舞いは誤魔化せないみたいで。
「え、恥ずかしがってんの?」
「いーえ! そんなことありませんけど!」
「声でか」
「ぐっ!」
この小娘……(同い年)。言わせておけば!
「そういやこの前のコンドームも声でかくなってたよな。かわいい」
「あれはあなたが低俗で呆れ果てていたからですわ!」
「ふーん、じゃあ行ってみる? ラブホ」
じゃあ、がよく分からない繋がり方だけど、売り言葉に買い言葉だった。
「よろしくってよ。ラブホテルごときでは動じないので意味はありませんけどね」
それを証明するかのようにわたくしは千鶴よりも先に歩き出した。
ただの意地である。
この夕鶴羽が情事の軽い話題くらいで動揺する子どもだと侮られるのは癪に触る。
ここで退けばあの小悪魔みたいな顔で「ユヅっちって大人びてるけど……ふふっ」とかバカにされるに決まっている。だから威信をかけて、どうということはないと証明してやるのだ。
ラブホくらい……別に! ただカップルが愛し合う場所にしか過ぎませんわ。




