第32話
必要になるのは軽くて小さくて有用なもの。人間二人バイク一台では所持品も限られてくるので、食事なんかは嵩張らず高カロリーで保存がきくものが最適だ。
わたくしたちは準備を終えて出発した。
結局昨晩のこと、言えませんでしたわ。
移動中千鶴の背中を抱くように掴まるとどうしても考えてしまう。バイクで強い風に靡かれても悩みはしつこくへばりついたままだ。
もしかして、千鶴は覚えていない……?
電球が点くように閃く。
そうとしか考えられない。
押し倒して唇を奪った相手を前に無反応を決め込むなんてよほどの剛の者か記憶喪失のどちらかだ。それに千鶴も飲酒していたのだから記憶に残らない酔いに任せた一夜の過ちの可能性が大いにあるのだ。
わたくしだけ覚えてるのも釈然としませんが、覚えてないならそのままで。高潔さ? それは捨てました。さっき。
わたくしは怒られた? 側だから掘り返さないほうが穏便かもしれない。
悪さをしたけどお咎めなしで困惑する子どものような気分だった。
コン。
ヘルメットが触れ合う、会話の合図。
「どうせならさ! 遊んでいかない⁉︎」
「どこに!」
「上野! 缶詰め探し! 前に話したやつ!」
やりたいことリストに記載された缶詰めで世紀末グルメパーティーの件だ。旅先に持っていくにはうってつけの食材であり、バリエーションがあるなら尚良し。飽きることはないだろう。
「いいですわ!」
「よっしゃ!」
返事を合図にバイクはスピードを上げて疾走する。
しかし……。
流れる景色に眉をひそめる。
都市部は少しずつ確実に荒廃が進んでいた。街の様子が荒んでいる。割られたガラスが以前より目立つし、真っ黒になった車は燃えた後に違いない。平和だった世界は緩やかに崩壊へと舵を切っている。
わたくしも自衛が必要でしょうか。
千鶴の拳銃は無理だが、モデルガンは借りられる。虚仮威しではあるが無いよりは……と瞑目したところで。
弓…………。
わたくしには弓があった。
弓道の弓は競技用だが、人に致命傷を与えるのは容易い。数年に一回くらいで取り沙汰される弓道の事故から分かる通り、弓は古来より武器なのだ。自分の身を自分で守らなければならない今、本来の用途で使うことに躊躇うべきではない。
人に…………中てる。
できるだろうか。
言わずもがな技量ではない。人としての部分で。
いくら外道の身でも引け目は感じる。矢を人に向けるなんて論外のタブーだ。
それでも、やらなきゃやられる場面に直面したとき。
迷ってはいられません。
弓を持つからには人に中てる覚悟をしておこうと、ひっそりと誓った。
目的地である上野に近づくと以前渋谷から去るときと同様に、わたくしたちはバイクではなく徒歩で向かった。人に見つかる可能性は小さくしておきたい。
「好き勝手できるから楽しそうって思ってたんだけど、こんなん見せられたら浮かれてらんないよなぁ」
ボコボコに凹まされ落書きされた車の残骸に千鶴は苦い顔をした。
「あまり気を張り過ぎてもいけませんわ。楽しむために生きてるんでしょう?」
「それもそうだよな。愉快な話しようぜぃ」
目的地に向かいながら明るいほうへ気分を切り替える。
しかし愉快な話と言われすぐに提供できるトピックが引き出しにない。
愉快……愉快……。
「いい天気ですわ」
「会話の墓場やん」
「今日なに食べました?」
「サトウのご飯。てか一緒に食べた」
「ご出身は?」
「あれ? 私らって今日初めて会うっけ? マッチングアプリ一回目?」
「日本が誇るIP産業について、今後グローバルで競争していくために必要な施作や試みについて」
「もう少しこう、なんというか、手心というか……」
尽く難癖をつけられる。
「あなた、文句ばっかりですわね! 自分から提供しないくせに」
「ユヅっちの投げてくるボールがおかしいんだよ! へにょへにょか殺人豪速球しかないんか⁉︎」
「まずはバットを振って当てる努力をしてから言いなさいな」
「もっとあるじゃん。こうFPSとか共通の話題」
「…………Exactly」
なんとかゲーム関係で話題を弾ませることに成功し、おしゃべりをしていれば目的地につくのはあっという間だった。
「ふむ……ここが」
看板曰くビルの地下一階らしい。缶詰めを専門に取り扱うセレクトショップで、バーも併設されておりお酒も楽しめるお店のようだ。ブラックボードの立て看板に注目の品々が描かれている。
スマホで照らしながら階段を降りていくと施錠されたドアがあった。店主は防犯意識がしっかりしている。
「照らしてて。開けるから」
千鶴がしゃがみ込み、細い二本の棒でカチャカチャいじれば扉は開いた。まるで手品である。
店内に入ると真正面の壁全てが缶詰めの陳列棚だった。大書庫のように多種多様な缶詰めが光を反射する。圧巻の光景だ。
「ズワイガニ、こっちはふぐ。高級食材が多いね。すっげー」
「これはなんでしょうか」
一個取ってみるとそれはハム? のようなお肉が描かれた缶詰めだった。
「スパムだね。塩っ気が強いけどご飯と食べると超美味いぞ」
「ほぉ〜、ほほ〜ん」
「焼いて表面カリカリにするのがこれまた良いんだよ」
「ほほほほーん」
お肉とお米。最強の組み合わせ。
「貰っていきましょう。今日食べますっ」
「ユヅっちにはちょっと庶民派なやつが楽しめるだろうね〜私はカニ貰お」
因みにスパムはアメリカ軍の軍用食として〜云々と、銃繋がりで知ったであろうミリタリートークをBGM感覚で聞き流して棚を物色する。気になるものは取り敢えず一個貰っていく。バッグはどんどん膨らんでいっぱいになった。これだけあれば遠征しても食事に不自由しなそうだ。実食が待ち遠しい。
「千鶴見て。可愛い」
「え、これなに! ケーキ?」
それは缶詰めではなく瓶詰めだった。
ガラス越しにショートケーキの積層が露わになっていていちごがぎっしり詰まっている。
中々にサイズがあるケーキだったが、一度口に運ぶとペロリと平らげてしまう美味しさで、それぞれ一個ずつ食べてしまった。
瓶で美味しいショートケーキを食べる初体験に、二人して上機嫌でお店を後にした。




