第3話
立派な建物が並ぶ高級住宅街を進んでいく。
近所の家が存外優れた美的建築であるということは、ここ数日で得られた新発見だった。普段車で通り過ぎるだけだったから、ゆっくり歩いてみると色々と知らないことがあるものだ。
ここは日本でも指折りの高級住宅街だが、どれの一つもわたくしの家ではない。確かに建築センスを感じる人家ばかりだが、わたくしの家のほうが一段格式高いことは慎んで申し上げる。謙遜なぞしようものなら、どう足掻いても明らかな皮肉と捉えられよう。
家並みを抜けて少し奥まった場所へ。
そして辿り着いた寺のような木造の正門。
そこから広大な和風庭園と丹精込めて手入れされた生垣の向こうを望めば……。
「燃えてる」
わたくしの住まいは業火に焼かれていた。
今朝まで寝泊まりしていたわたくしの家が。
物心ついた頃から住んでいたわたくしの家が。
安居の地だったわたくしの家が。
燃えている。
思い出も安らぎも財産も。
宿るもの全てを薪として。
白んで見える程にうねり狂う火炎は龍のようで、その巨大な顎で豪邸を食い荒らしている。時折聞こえるメキメキという音が、骨を噛み砕いてるようだ。
「あーらら」
案外早かったですわね。
いつかはこうなると予見していた。
秩序なんて無くなりつつあるこの社会で、わたくしの大豪邸は破壊と略奪のいい獲物だ。捨て置かれるわけがない。
玄関へ近づく。
邸宅が大きくなるにつれて、肌がピリピリと灼きつくのを感じる。
「……」
この扉をくぐったら最後、生きては戻れないだろう。
これで死ぬのもまた一興かしら。ちょうど火葬みたいだし。自分で死体処理までできちゃうなんてスマートですわね。
わたくしは頭上を見上げる。
黒くなり始めた空に舞い上がる火の粉は、天国への案内人だろうか。
「でも、苦しいのは嫌ね。絶対じわじわと熱くて痛いもの」
きっと喉も肺も焼けて気持ち悪そうだ。焼身自殺はその苦しさから最もメッセージ性が強い自殺とも言われているらしい。
わたくしはから揚げをまた一つ口へ運んだ。
それにわたくしの最後の晩餐はまだですし。あ、これ炙ったら美味しくなるのかしら? ちょっと遠くからじんわりと……。
「家、火事だな……」
長い髪をひらめかせながら振り返る。
いつのまにかわたくしの後ろには一人の少女が立っていた。少女はミディアムウルフの毛先を弄りながらこちらを窺う。
「そうね」
けれどわたくしは逆再生のように再び火に目の当て所を戻した。
「落ち着いてるんだな」
「ここで泣き叫べば、この火は止まりまして?」
「そんなことあるわけねぇけどさ、大切なものとかねぇの?」
「もう過去ですもの。別にいらないですわ」
「ふーん、ちゃんと火の後始末したの?」
「ええ。その辺は抜かりないはず。おおかた血迷った方々、もしくは恨みを持ってる方々の蛮行でしょう。致し方ないわ…………それより」
ガサガサとビニール袋を漁る。
あったあった。
「コンビニのから揚げ、食べたことあります? 結構美味しいのよ。明導院さん」
わたくしは最後の一本を取り出すとその少女、明導院千鶴に差し出した。
「…………」
彼女は固まってしまっていたが、やがて言葉を探りながら口を開いた。
「あぁ……食べたことあるよ。うまいのも知ってる。てか……名前……覚えてんだな」
「同じ学校生活を共有するクラスメイトですもの。けど……てっきり明導院さんもこちら側だと思っていましたわ」
「はっ、この見た目でか?」
明導院さんは鼻で笑いながら、腕を広げて服装を強調した。
なにかのバンドのだろうか。キャミソールの上から、強烈なデザインのパーカーを閉めずにだるっと羽織り、下はミニスカートに網タイツにショートブーツ。服や体の各所にメタルアクセサリーが散りばめられ、ジャラジャラと揺れている。パンク系といったところだろう。
確かにこれは…………わたくしと違う。
さっきはクラスメイトだから名前を覚えてるなんて言ったが、あれは半分本当で半分嘘だ。
彼女を覚えている理由はもっと別。奇抜な見た目と悪い素行、富豪の娘ながらよく補導されていて、健全な学校生活を送りたいならば関わるべきではない人という印象だ。
「金持ちみんながおま……澄凰サンみたいな財閥令嬢じゃないし、三つ星シェフのつくる高級料理が日常食なわけでもない」
口が慣れていないのか、はたまた含みがあるのか。ぎこちなさと鼻につく感じをないなぜにしてわたくしの名前を呼んでいた。
「そのようですわね。あ、いらないなら、わたくしが食べますけど……」
「いいよ」
食べ終わった串を投げるように家に焚べてから、渡そうとしていたほうを食べる。
「見た目のギャップすげぇな」
「やってる身ですけど、わたくしも同感ですわ」
「言うなれば……まるで美貌の海外超セレブが近所の回転寿司で百円の皿を重ねているような感じ」
「かいてん…………ずし…………?」
「はぁ……なんでもねぇや」
「あーあれですね。お寿司が店内をぐるぐる回ってる飲食店。一度行ってみたいですわ」
バキ、メキメキッ。
「木造建築はよく燃えますわね」
今、身を焦がした大きな柱が周囲を巻き込みながら倒れ伏した。ガラスの砕ける高い音も聞こえてくる。
「ところで明導院さん」
「あーその呼び方やめてくんない? 嫌いなんだ。千鶴でいいよ。さんもいらない」
呼び捨てにするのは好まない性分なのだが、わたくしが折れて従うことにする。一瞬不機嫌そうなトーンで語気が強まったから相当嫌なのだろうなと察せられた。
「そう。では千鶴、そろそろお家に帰ったほうがよろしいのでは?」
「なに? 門限みたいな? 忠告ありがたいけど、うちにはそんなの無いし、あったとしても——」
「いえ」
わたくしは言葉を打ち切って、彼女の顔を見つめるとニコッと笑いかけた。
「あなた呪われますわよ」
「……呪われる?」
対して千鶴は細長く引いたアイラインをさらに細めた怪訝な表情を返してくれた。
「あら、ご存じなくて? 澄凰の呪い……最近流行ってますの」
「……」
「わたくし、この澄凰夕鶴羽に関わったり、貶めようとすると不幸に遭う……。ふふ、面白いですね」
「馬鹿馬鹿しい」
取るに足らないようで、彼女はさっきのようにまた鼻で笑った。
「はい、ではここで問題でーす。ででん」
わたくしは手をパチリと合わせ、即席のクイズコーナーを開いた。愉快な雰囲気で少し声を高くする。
「ここ最近、手よりもわたくしの陰口でお忙しいご様子でした住み込みお手伝いさんたちは今どこにいるでしょう? 早押しでーす」
千鶴は燃え盛る家屋におもむろに顔を向けた。
バチッ、バチッと断続的に弾ける音がする。はてさて熱気に混ざって鼻腔を刺す焼けた匂いは全てが全て建築物か。
「まさか……な」
「確認する術はありませんわ」
クイズ司会者の役目も猛炎に放り捨てると、わたくしは冷たく言い放った。そしてまた一つと肉を咥える。
思い返すとさっき弾け飛んだ芝犬も呪いとやらにあてられた可能性がある。
「ちなみに正解するとなにか貰えたの?」
「ん〜」
考えてなかった。
咀嚼しながら一考してみる。
そして飲み込んだ。
「あなたに呪いを!」
「いらねぇ」
「えーせっかく思いつきましたのに。だって他にはから揚げしかありませんよ?」
「それでいいわ。それにしろよ」
千鶴は呆れたようにツッコミをくれた。案外ノリがいい人のようだ。
「ったく、呪いなんてどうでもいいけど……澄凰サンはどーすんの? もう寝るとこないでしょ」
「おお、確かに。今気づきました。わたくしホームレスですわ」
ハッとして人差し指を立てる。
澄凰財閥次期当主、澄凰夕鶴羽。
大変ご立派な名字を持ちながらも、家はない。
わたくしの血に脈々と流れる、澄凰の血筋が長年受け継いできた邸宅は目の前でキャンプファイヤーになっている。
そして資産も無い。それは単にお金というだけでなく、寝所も服も食べ物も。あるのは今着てる動きやすい普段着と買い物袋と財布とスマホのみだった。
「抜けてるっていうかなんというか…………うち来なよ。今夜はすき焼きにするんだ」
千鶴はため息混じりに地面に置いていたバッグを持ち上げた。中から一本長ネギが飛び出して見える。そこで初めて、千鶴もわたくしみたいに買い物帰りだということに気づいた。
姿はやんちゃな感じですけど、買い物はマイバッグなんですね。
わたくしは自分のビニール袋をシャワシャワと鳴らしてみる。
「パーティしようぜ。一人よりは二人だ。もちろん泊めてやるし」
「ではご相伴に預かります。案内お願いしますね」
「よっしゃ! 騒ごうぜ」
千鶴はニッと歯を出す小悪魔みたいな笑顔を浮かべた。




