第24話
都心を抜けてると次第に建物の間隔が広がり、高さが下がる。バイクに乗ってから三十分ほど。街の様子が馴染みの風景に近づいている気がする。
さっきのことを考えると、バイクにも危険が伴いますよね。目立ちますから。
けれどこの移動能力は手放しにくい。安全と機動力。どちらを優先するかだ。
コツッ。
ヘルメットがぶつかる。
千鶴からのなにかの合図かと耳を凝らして言葉を待ったが、特に話しかけられることはなかった。たまたまみたいだ。
交差点を我が物顔で抜け、歩道橋の下を飛ばす。
「ね! 寄り道していい!」
千鶴がぐいっと前輪を傾けると世界が斜めになる。二車線を贅沢に使ってUターンし、もう一度交差点を抜けた。
戻るのかしら。
そう尋ねる前に、バイクは安全とはいえないスピードで駐車場に曲がって入った。店舗の駐車場。店舗の外壁には猫や犬の写真がデザインされている。
「ペットショップ」
「そ。気になってさ」
「新しい家族でも迎えますか」
冗談を言ったつもりだったのに、千鶴は無言でドアに張りついた。
「チッ、鍵かけてやがる。クソ真面目が」
千鶴がピッキングに取り掛かるとものの数分で扉は開かれ、乱暴に入っていった。その間千鶴はなにも発さなかった。この世界全てを楽しまんとする姿勢を貫徹してきた彼女だったが、今はなんだか目つきが据わっている。
わざわざ引き返し、鍵開けしてまで求めるものとは……。
中に入ると普段嗅ぐことはない、濃縮された獣特有の匂いが迎えてくれた。香水のこともあり、今日の鼻は過労気味である。
壁がガラス張りなことで西陽が豊富に取り込まれ、店内は動きやすかった。
「……」
ただなぜだろうか。
静寂が違和感として目立つ。
静か過ぎるのだ。
あるべきものが欠落している違和感。
平静の時を止めて空間保存したかのような空間を闊歩する。動物のご飯や衣服、おもちゃなど必要なものはおおかた揃うような品揃えだろう。コンビニよりも整った空間なのは施錠のおかげか。もしくは人々に必要とされなかったか。
「あら」
わたくしは見知ったものに気づいて手に取った。
猫のおやつ。懐かしい。パッケージ変わってないのですね。
小学生前までは長毛種の猫が家族にいた。
ソフィ。
毛色はグレー。
ソフィは優雅な振る舞いをしながらも、一度甘えだすとぐでぐでになるほど蕩けてくるこの上なく愛らしい猫だった。その子にあげていたのがこのチューブおやつ。私があげていたのも十年以上前だというのに変わらずのパッケージデザインで懐古的な気持ちに浸ってしまう。
換毛期はブラッシングで毛玉をつくっていましたっけ。
わたくしが産まれる前から澄凰家だったソフィは老衰で天寿を全うし、今はお墓の中だ。
「千鶴?」
そういえば千鶴はどこかしら?
わたくしがおやつを眺めている間にその姿をくらましていた。
「……千鶴?」
空間に向かってもう一度尋ねるが、返事をくれる者はいない。
「……」
僅かに部屋が暗くなる。
西陽が雲に隠れたらしい。
静謐さが気持ち悪い。
『この世界に善意は残されていない』
さっき納得した摂理がぼうっと思い出される。
「千鶴!」
わたくしは駆けた。
どこ行きましたの?
小走りで店内を回る。
わたくしの足音が混じり気無くそのまま耳に入ってくるのがまた嫌だった。
陳列棚を縫って、物陰を覗いて。
果たして彼女を見つける。
「はぁ……なにしてますの? 返事くらいくださいな」
上がった息を整えながらその背中に近づいた。
千鶴は壁に手を添えて無言のまま。
壁じゃない……。
その手の先はただの壁ではなかった。
その内側に取り残された一対の目がわたくしを捉えた。
ソフィ……。似ている。
違和感の正体に合点がいった。
ペットショップだというのに動物の気配がしなかったのだ。匂いとして動物が「いた」形跡があるのに、今「いる」気配が感じられなかった。
その答えは目の前の光景だ。
小部屋が連なるショーケースの中の動物たちは衰弱しきっている。人間が消えたのはいつだったが知れないが、長期間食事をとっていないようだ。それ故に鳴き声すら上げずに弱々しく体を横たえるのみ。それにペットショップの動物は大きく姿が変わらないように食事が調整されているとも聞く。その伝聞を加味すれば、小さな命は今、生死の瀬戸際に立っていることは疑いようがなかった。
「やりたいことリスト」
この状況で全く予想だにしない言葉を耳にした。
「もう一個あったわ。さっき思い出した。やっていい?」
千鶴の顔の輪郭はガラスのショーケースに薄ら反射しているが、その表情までは掴めなかった。
「ええ」
振り返った千鶴の表情。
それは満ち満ちた憎悪。口を閉じていても奥歯をきつく噛んでいるのが見てとれる。
怒りの顔がズカズカ寄ってきて、わたくしのリュックのサイドに通していたバールを抜き取った。そのままガラス越しで動物たちに伝える。
「ほんのちょっと我慢してくれよな」
表情と声色は背反していた。
「らァッ!」
力強く、されど丁寧に振られたバールはその鋭利な先端でガラスのみを砕いた。続いて開けた穴を小突くように広げていく。その中にいたチワワは怯えた表情でそれを見つめるが、動く気力も吠える気力も枯れ果てていた。
「ほら、出るよ」
千鶴は労しい様子のチワワを抱き上げると、ガラスの残りに注意して外に連れ出す。腕の中でチワワは小刻みに震えていた。
傍観しているわけにはいきませんわね。
わたくしは近くに積まれていたブランケットのタグを引きちぎって床に敷く。
「こちらへ」
「ありがと」
チワワの体温はひどく低く健康的とはかけ離れている。毛布をさらにかけてあげた。今は床だがベットも後で持ってこよう。
今はお水とご飯。
この子だって四日後には塵に消える。生存確率はゼロ%。遅かれ早かれどうせみんな死ぬのだ。
だが千鶴が思い詰めた表情で助けているのだから、手伝わない理由は無い。救助活動をただ眺めていられる程腐ってはいないようだ。
バリッ!
千鶴が次のショーケースに取り掛かったみたいだ。次いでワンッと声も響いた。千鶴に吠え返せるくらいはまだ元気らしい。
お徳用五枚セットのトレイと水、それと衰弱した状態でも食べやすい柔らかなパウチフードを持てるだけ持つ。ショーケースは縦に二、横に七で十四匹はいたはずだ。一往復では到底足りそうにないので二往復目以降はパーカーの裾を受け皿にして運んだ。
動物たちの一時避難所に帰ってくる度に犬や猫が増えていく。千鶴の破砕の調べを聞きながらわたくしは無心で運び続けた。




