第19話
移動を再開し、徐々に都心部へ移ろうと、建物の高さも上がっていく。静まりかえった都市、ビルの建物の隙間一本一本にバイクの轟が浸透していく。
「目的地とやらはどこですの!」
この座り心地と吹き当たる風も多少は慣れてきたが、とにかく会話はしづらい。大きな発声は得意じゃないのだ。
「どっかの書店! でも場所は知らないからほぼほぼツーリングなう!」
明確な向かう場所があるのだろうという予想は千鶴の無計画さには及ばなかったようだ。
あっという間に過ぎ去る景色、頭上に大きな道路案内標識を捉えた。
「だったら商業施設……ここからなら渋谷の駅ビルとかのほうが確実ではなくて!」
キキィッ!
「うっぷ」
突然の慣性のままに鼻っ面を彼女の背中に押しつけることになった。
「天才かよ。その案でいこう」
「あなた……人乗せたことありますか?」
「実はあんまない。方向分かる?」
「少し戻って右折すれば確実ですわ」
百八十度ターンを華麗に決め、看板を頼りに渋谷駅へと進路を取った。
お互い大声の会話は労力に合わないと悟ったのか、空虚な街を無言でひたすらに走る。役目を終えた信号機。ただの黒色に染まった液晶広告。本来大勢の人が立っているだろう横断歩道の前には、今や人の痕跡はなに一つ無い。まるで世界の機能が停止して、すっぽり人類が抜き取られたような異質さを感じる。
「まさにフィクションみたいですわね」
コツン。
ヘルメットとヘルメットの接触合図。周囲ばかり気にしていたわたくしは意識を戻される。
「ちゃんと捕まっててね!」
そう言うが早いか、世界が傾いた。
「わっ」
左方の景色がアスファルトに染まる。
わたくしたちが、バイクが傾いているのだ。
すぐ後ろを振り返れば、さっきまでの車線には乗り捨てられた車があった。
すると次は直立に戻り、そのまま右側に地面が迫る。
「ほっほー! こいつはとんでもねぇドライブができちまうなぁ!」
右へ左へ何度も蛇行を繰り返して、置物と化した車両の隙間を縫って進んでいく。千鶴の見立て通り、車道には放り出された車ばかりで障害物が多いのだ。
確かにバイクじゃないとできないですけど! にしてもこんなの!
「わぁ!」
左方に大きく傾いた。躱すのと同時に急カーブもしたのだ。アスファルトが迫る。ここに肌を押しつければ電動ヤスリのように仕上げてくれるだろう。
「もう少し丁寧にしてくださいませ!」
ようやく目的の駅ビルが望めたところでバイクはスピードを落とす。そして世界的にも有名な地、渋谷スクランブル交差点で停車した。
「おーいつもは人の群れって感じなのに本当に誰もいねーのな。なぁ澄凰……サン?」
「はぁ……!」
バイクから落ちるように降りると、そのまま地に足をつけるだけでなく、全身を横たえた。
「あーごめん……なさい?」
「悪びれてない謝罪なんていりませんわ。はぁ……休憩させてください……」
スリリング過ぎて体が強張ってしまったのだ。
頭はヘルメットがある分ましだが、背中がとてつもなく硬い。寝心地は最悪だけれども、これですら安心感を覚えられる。寝転がってから、借り物の服だと気づいたが知ったことか。汚れたとしてもそれは千鶴の運転が原因だ。
「いいねそれ。私もやろ」
電車の音も車の音も聞こえてこない。東京の交通の要所の真ん中で二人、大の字になって空を見上げる。
「…………」
「…………」
呼吸音と心拍が聞こえる音の全てだった。
昼の陽光を蓄えたアスファルトが心地よいことを初めて知る。
空は……青いのかしら。
「今日の空は青い?」
心の呟きは声になっていた。
「青いぞ。めっちゃ晴天」
「そう……」
「…………」
「…………」
「やっぱりさ……色見えないのって大変?」
「夜とかは大変ですけどそこまででは。前にも言いましたけどカメラのモノクロフィルター越しみたいなものですから」
「そっか……でも色、戻るといいな」
どうやら心配してくれているらしい。
元より気持ちが沈んでいたから、色彩を失った衝撃は堪えなかったが取り戻せるなら取り戻したい。
手のひらを持ち上げて、太陽に翳してみてもただ白いだけ。
無彩色しかないと寂しくて仕方がない。世界に再び色が宿れば、気分もずっとマシになるだろう。
「ええ。戻したいですね。眼科とか行ってみましょうか」
「残念ながらやってねー」
「でしょうね。それに元より心因性でしょうし、治すのは精神のほうですわ」
取り戻したいと言ったって方法はてんで分からないため、見込みは絶望的。
結局今のわたくしとしては治ったら舞い踊るほど嬉しいけれど、治療法は見当もつかないから半ば諦めている、そんな心境だった。
「…………」
「…………」
人間が消えていくらか澄んだ都心の空気を胸いっぱいに取り込んだ。
「行きますか」
「おう」




