第18話
コンビニを後にしてわたくしたちは次なる目的地である書店へと向かう。当初の目的である情報収集のためだ。
「おや……」
千鶴の呟きをたまたまかろうじてキャッチできた。それはわたくしに向けてではなく自然と漏れたものだろう。
千鶴が反応したものがわたくしにも見える。
人だ。
前方右側、塀の影。人間がこちらを注視している。
年配の男性だ。
野菜を手にしている様子と服装から見るに農作業をしていて、収穫を終え帰る、そんなところだろうか。
男性の横を通り過ぎる。
彼と視線が交わった。
それは一瞬。
次の瞬きを終えたときには遥か後ろであった。
あの人はなにをしていたのだろう。
この終末世界で見かけた人間になにを思ったのだろう。
もしわたくしが……澄凰の人間だと気づいたら、わたくしに敵意を向けるだろうか。
顔は公になっていないし、髪も今では短い。特定されることはまずない。それでも万に一つ、澄凰として接した場合、わたくしは彼にとっての敵なのだろうか。
…………憎まれるでしょうね。
自らの問いに自ら答を示した。
嫌……ですわね。
自分の預かり知らぬことで非難される理不尽。
すれ違う名も知らぬ生徒に嘲られる不条理。
苦いものがこみ上げてくる。
「ちょっと! 痛いかも!」
ハッとした。
お腹に回した腕の強さに対して言っているのだと気づくと、わたくしは慌てて力を抜く。
「ご、ごめんなさい!」
彼女は黙って前方を見つめている。返事は無かった。
きっと声を張り上げてまで、いいよ、と返すのが面倒だったというのは容易に想像できる。彼女はそういう人間だ。
しかしその沈黙はかつて体験してきた無視に似ている。そんなはずはないけれど。どうしても思い出す。
千鶴以外の人間を目にしたのは随分と久方ぶりで、その存在は人間関係で精神を萎縮させてきた日々を思い出すには充分過ぎた。
疾駆するわたくしたちは一つの建物の前でエンジンを止めた。
「ここ書店……ですか?」
聞いておいて答えは否であるとは明白だった。建物のすぐ横にはパトランプを乗せた、絵に描いたようなパトカーが複数並んでいる。
「交番」
「その理由まで教えてくれませんこと?」
「目に止まったからさ。ちょいと探し物。あったら良いなくらいの気持ちだけど。おや……開いてない」
横開きのドアに手をかけるが、入り口は千鶴の来訪を頑なに拒んでいた。
「開いていないなら仕方ありませんね。行きましょう」
「ふぅむ……」
すると千鶴はウエストポーチから細い棒を取り出すとドアの前にしゃがみ込んだ。そして集中するように黙り込む。
「千鶴……」
もしや、と疑うやいなやカチリと音が聞こえてきた。
「オープンセサミ。どうぞ〜」
「…………」
素行の悪さ、無免許運転、飲酒喫煙。これ以上易々と彼女に対して驚嘆することはないと自負していたが、呆気なく敗れる。
「あなた日頃からこんなことやっているのですか? 不法侵入やら盗みやら」
「そんな睨まないでよ。滅多の滅多の滅多めたにしかやらないから。それも気に食わないやつ相手だけだし。ウザいやつのとこお邪魔して、痛い目見せて分からせる」
これっぽっちも悪びれず敷居を跨いでしまうのだから神経が図太い。今だからこそ糾弾されるものではないが、中々なものだ。
「善良な市民の方々にはご迷惑おかけしていません」
「相手は誰であれ犯罪は犯罪ですわ。いい機会ですから自首したらどうです?」
わたくしも続くと、コンビニと同じように散らかっている。それらは商品ではなくデスクの物品や書類といったもの。
「おぉ手錠かけられちゃう? アクセサリーに欲しいかも」
「素敵なブレスレットですね。僭越ながらおつけしますわ」
「それ採用。でもつけるのはベルトとかね。そっちのがイケてる」
千鶴は室内を睥睨する。
「手錠はサブターゲットとして、メインは別。さて、あるかな〜」
無遠慮に、そして外れんばかりにデスクの引き出しを晒した。
そうして交番の捜索が始まった。流れでわたくしも手伝うことになる。
しかしなにを探しているのか尋ねても、見つかってからのお楽しみ〜、の一点張りで会話にならない。手伝わせておいて目的も伝えないとは相変わらず自由な人だ。情報共有というものの重要性が理解できていない。
仕方なくわたくしは彼女が気に入りそうなもの、特に手錠なんかを気怠げに探し求める。発見できればそれを早々に献上して、ゴールの見えないこの無意味な労働から解放されたかった。
そうして三十分程度。自体はやっと進展した。
「あんじゃん!」
いい加減に飽きて、捜索よりも書類の文字を追いかけることのほうが多くなっていたわたくしは顔を上げた。
「だめだよ〜ちゃんと警察署に返さなきゃ。私みたいな悪い人が来て持っていちゃうよ〜。いただきまーす!」
機械的な塊でありながらよく手に馴染むその代物は千鶴のコレクションの一つのようだった。
「拳銃」
「そーそー! こいつが欲しかったんだよ! ダメ元で寄ったけどついてるねぇ!」
銃を展開してみたり、構えてみたり勝手知ったる様子で眺めている。
「M360J サクラ。装弾数五発のリボルバー。日本では撃っても撃たなくても民衆に叩かれる呪いの武器だ。人間ってのは自分勝手だよね。それにこんな一般JKにパクられちゃったとなると、マスゴミには格好の獲物だし」
彼女の言っていることの九割は理解できないが、その斜に構えた声音は一段高くなっていた。
「言っておくけど澄凰サン。社会が成り立たなくなった今、自分の身を助けてくれるのは警察でもなければ法律でもない。力と逃げ足だ」
千鶴は黒光りする銃身を撫でる。
「ここに来る途中、おじいちゃんがいたろ」
「ええ」
あの人に真っ先に気づいたのは千鶴だ。通り過ぎるそのときまで視界から外すことなく捉えていた。
「おそらく行くとこも無くて、普段と変わらない生活をしながら死ぬことを選んだ人間だ。あの人に敵意は無かったけど、もし仮に攻撃してきたら……どうする?」
「……」
分からない。
害されることばかりに慣れたわたくしは受容以外の選択肢を知らない。
「私はケンカもしてきたけど常勝ってわけじゃないし、正直言うと荒事をするなら澄凰サンはお荷物だ。あぁ別に貶してるわけじゃないよ。それがフツー。だから今の私たちにはバイクで逃げるくらいが最善策なの」
「なるほど。そこでその拳銃は力になる。逃げる以外の新たな選択肢が選べる」
答えを導き出した生徒に関心したように千鶴は指を鳴らした。
「冴えてるね。こいつは持ってるだけで抑止力になるし、必殺の奥の手にもなるのよ」
「理にかなっていますわね」
「ただしこいつだって無限弾じゃない。要するに、だ。私らはつんえー武器手に入れたけど、こんな世界じゃ会うやつ全員気をつけてくれってこと」
「承知しました」
千鶴は強かだ。変わってしまったこの世界の本質を見抜いて適応している。それはきっと、自分の選択で自分の運命を決めていくしかない、裏路地渡りの経験故だろう。
彼女からは学ぶことばかりだ。いくら育ちが良くて勉学ができても、結局生き残れるのはこういう人間なのだと痛感する。
「よく考えていらっしゃる。ただ興味本位で欲しがってたわけじゃないと」
「んまぁそれは建前っつーか、本心は興味のが強いけどね! だって本物だぜ!」
いつの間にか諭す口ぶりからいつもの軽いものに戻ってきていた
「そんなに嬉しいものですか」
「そりゃあもう! 日本で銃持てるなんてモデルガンだけだよ。実銃触ることなんてまずありえないかんね。持ってみる?」
大きな鼻息一つとともに差し出された拳銃。持ち手はこちらに向けられている。わたくしも彼女の喜びを感じられるなら少しは探した甲斐があるかもしれない。
「弾入ってるしセーフティないから絶対にトリガーには指かけるなよ。マジで」
「……ッ」
「よくさぁ激鉄カチってやるシーンあるじゃん。あれって映えるけど最近じゃわざわざやらないんだよ。ダブルアクションが主流だからやる必要がなくて。トリガー引けば撃てるもん」
「…………そう」
そうか。
彼女のコレクションとも、ゲームの中のものとも全く違う。
その小さくて軽くて、そして。
いとも容易く命を奪える存在に釘づけになる。
心が吸い寄せられる。
これなら……一瞬で。
切符だ。
この世界を離れることができる特急切符。
頭を砕けば苦痛もない。
視界が急速に狭まるのを感じる。
右手が。
ゆっくりと。
それを。
「やっぱやめた」
「……」
千鶴は銃をケースにしまうと自分の右腰に装着してしまった。
「どーせ今自殺のこと考えてたでしょ」
流し目がこちらに向いていた。
「…………っ、はい」
ゆっくりと肺の空気を押し出す。呼吸を忘れていた。
「隙あらばすーぐ死ぬ死ぬ死ぬばっか考えて。一緒に楽しんでくれるんでしょ」
「つい……魅入られてしまって……分かってはいるのです。別に今は死ぬべき瞬間でも死にたいと思う程でもない。ただ……」
いつの間にか渇いていた口腔内を舌で湿らす。
「できる、って考えたら……後先考えられなくなって」
今では明瞭な思考に戻ってはいるが、数秒前のわたくしは自分ではないなにかに取り憑かれているようだった。理性を溶かして、衝動的に動こうとしていた。ずっと願っていた黄泉の国に楽に行けると知って。
「そっか……悪いね。私ばっかり楽しんじゃって」
「そんな……別にあなたは……」
「んじゃあ、行くか! 澄凰サンにもちゃんと楽しんでもらわないとだしね。手錠はいいや。次こそは書店ね」
彼女の明朗さは気まぐれを装ってはいるが、わざとらしさは拭えない。きっとわたくしの暗い感傷を吹き飛ばすためにやっている。
ここは遠慮せずにお世話になろう。
「ええ、安全運転で」
千鶴が立ち去る間際、カウンターの書類が服に掛かって散らばった。そんなこと意にも介さない様子だが、わたくしはその下に隠れていたものを掴んだ。
「千鶴、サブターゲットですわよ」
手錠を揺らして見せる。
「おおっ! こんな近くにあったとは! 東大デモクラシー。腰につけてよ、ホルスターの逆側」
「灯台下暗し。こっちでいいですか」
「そそ。一緒にある……あ、その鍵でロックもできるだろうから」
彼女に向かって右の腰、ワイドパンツのベルトループにつけてあげる。手探り状態だったがきっちりロックもできたので外れることはないだろう。
「ふふん……ふふん! いいねぇ」
腰を左右に振る度にゆらゆらして音が鳴る。メタル系のイカつい装飾が好きなのだろう。拳銃を見つけたときと同じくらいの喜びようだ。
「サイコーっだよ。ありがとね!」
肩をバシバシと叩かれる。
わたくしはそういったファッションには精通していなくて共感はできないが、笑顔になってくれたならそれでいい。わたくしの行いが、わたくしの存在が認められた気がして笑顔になれる気がする。かつてを思い返せば、誰かに喜びを与えた事実ですら尊いのだ。
「喜んでいただけたなら幸いです」
「死ぬまでつけてよっと」
こんな世界だからきっとそれは誇張じゃなくて本当に死ぬまでつけるのだろう。彼女らしい。
ホルスターと手錠。警官から盗んだとしか思えない風貌で見つかったら大変だ。そしてわたくしも片棒を担いでしまっている。
それを咎める人もいないでしょう。
アクセサリーが充実した腰を揺らす千鶴を微笑ましく眺める。
拳銃は吊り紐で確かに腰に繋がっていた。




