第10話
やたらと丈が短いショートパンツにやたらと丈が長いオーバーパーカーに身を包み(千鶴いわく履いてないコーデ)、昨晩パーティしたダイニングに落ち着く。
今日の朝食はトーストに目玉焼き、焼き目の入ったウインナーと王道なアメリカンブレックファーストで千鶴が用意してくれた。決して手の込んだ豪勢な料理ではないが、案外これくらいの素朴な食事のほうが新鮮でわたくしは満足だった。
「食後はコーヒーと紅茶、どちらをご所望で?」
「コーヒー。ブラックで」
昨日から実感させられるが、千鶴は良くも悪くもお嬢様らしさが皆無だった。ファッションは尖っているし、言葉も性格もラフっぽい。けれど衣食住ともなれば最低限は一人でこなしてしまう。
孤高の存在で誰の助けも必要としない。
お世話係がつきっきりなわたくしとは日本とブラジルくらい真反対だった。
自分のことは自分でやるような教育方針だったのかしら。
「さぁって、今日からなにする〜? 自由だぞ〜」
お高そうな磁器のカップを突き合わせながら、わたくしたちは駄弁り始めた。
「なにかあげてみんしゃい、澄凰サン」
「別に無いですわ。無いから死にたがってるのですもの。なにをするか考えるのがあなたの役目でしょう」
「そうでしたねー」
「頑張ってください。でないとここで死にますわよー」
わたくしはそっとコーヒーに口をつけた。酸化され過ぎていない苦味が堪らない。
「いいご身分だこって。私がそう言っちゃったんだけどさ」
千鶴が腕を組んだ。
「例えば……千鶴はなにがしたいのですか? 参考までに聞かせてくださいな」
「私? そうだなぁ」
今のわたくしには候補がなに一つも無いから、千鶴が少しでもマシな提案をしてくれたら乗っかるのもアリ、くらいの気持ちで訊ねる。無かったら……終わりだ。文字通り。
「スワンボート乗りたい!」
「……なんですそれ?」
「知らないの⁉︎ こうスワンそのまんまの形をした船なんよ。それで二人くらいで乗り込んでべダルを漕ぐと進むんだよ。自転車みたいに」
千鶴は白鳥や船や自転車のジェスチャーをたっぷり披露してくれるけども。
「面白いんですか? 普通にクルージングボートで」
「黙れ金持ち! 自分で漕ぐのがいいんじゃねぇか!」
「疲れるじゃありませんか」
「それ含めだよ。自分の力で遊覧するのがいいんだよ。ロマンねぇな!」
「うーん」
この世の旅立ちに一歩近づいた、そんな気がする。
「他には?」
「ボルダリング」
「他」
「キャンプ」
「ほ」
「釣り」
「とんでもないアウトドア派なんですね」
「私は楽しいことが好きなだけ。マラソンとかは苦しいだけだからヤだね〜」
「まずは落ち着いたものからで」
別にわたくしは運動が嫌いなわけではない。部活だって弓道部という一応の運動部だし体育の成績だって上位だ。
ただなんというか、余生をひたすらに動き回るのも違う。平時ならまだしも、そんな気力、今のわたくしにはこれっぽっちも残されていないのだ。
「えーじゃあユニーク缶詰めパーティとか」
顔を上げてすぐに千鶴と目が合った。すっぴんだからか、昨日の目より一回り小さく見える。
「どうぞ。続けて」
「箱入り娘の澄凰サンは知らないと思うけど、世の中には面白美味しい缶詰めが色々と発売されているのですよ。例えばたこ焼きとかとあるお店の牛丼とか。あとハワイの空気とかいう原価率低そーな代物も」
「空気は興味ないですわね。プライベートジェットで飛んでいけば無尽蔵です」
「一般ピーポーにとって詰まっているのはただの空気じゃなくて憧れなんだよ。それはいいとして、ようはユニークな缶詰め食べてみようぜって話。どうよ?」
まともに会話して二日目。千鶴はわたくしのことをグルメで誘えば、ちょちょいと乗っかってくる単純な人間だと思っているのだろうか。
「賛成です」
「へへ、だろうな」
実に正しい。人柄を把握する力に長けている。
「缶詰めとは……いかにも世紀末グルメでわたくしたちの状況に相応しいですわね」
それに新しく食材を取ったり調理したりするわけではない。既に完成されたものを回収するわけだから、漁もコックもいらず、実現性にも優れる。
「どこだっけな……そう、上野に缶詰め専門店があったんだよ。下界の食べ物とは無縁な澄凰サンなら楽しめるだろ。あ、くれぐれも自分とこの日常食と比べるなよ。缶詰めの味わいであることを前提にな」
「心得ています」
「じゃあやりたいことリスト追加な」
千鶴は自分のスマホを取り出すとシュパパパッと指を踊らせた。律儀にやりたいことリストとやらを作っているのだろう。
「おし。じゃあ今日はこんな感じで余生でなにするか考える作戦会議だ。リスト埋めていこ。せっかくだからさっきのアウトドア関連も入れとくね」
終末まで今日含めあと六日。猶予なんて無いが、急いているわけでもない。一日準備時間があってもいいだろう。
「問題なのはそのリストが埋まるかです。さっきも言いましたが今のわたくしには候補がありません」
わたくしは模様装飾のカップで揺れる、吸い込まれるくらい黒いコーヒーに目を落とす。
やりたいこと、というのは一般的には夢とか希望みたいな明るいワードに類するのだろう。それがあるから頑張れる、みたいな原動力。あるいは燃料のような。
しかしながら没落劇の果て、家族に裏切られ社会に見放されて、真っ白で真っ黒に打ちひしがれている人間に晴々しい未来を想像することなんてできない。しろというほうが酷な話だ。
わたくしはもう廃人。
理不尽な現実に心砕かれた廃人なのだ。
「だったらさ、やりたかったこと、言ってみ」
「だから」
「やりたいことじゃない。たかったこと」
千鶴は指を通したスマホリングでくるくるとスマホを回していた。
「今と前じゃ状況が違うからさ、今やりたいこと考えるのが難しいの分かるよ。疲れるならしなくていい。でもたかったことなら思い出すだけでしょ。そんで昔の澄凰サンがやりたかったことなら今の澄凰サンもそこそこ楽しめんじゃねっていうこと。知らんけど」
たかったこと……やりたかったこと……。
「結婚式」
「………………うーん、聞いたのは私だけどそれは……むずいか」
かゆくもなさそうなこめかみをぽりぽりとかきながら千鶴は苦笑い。
「ですよね」
「いやそもそもね、相手がいねぇなっていう。世紀末婚活から始めるか……いや、ぜってぇ陰嚢脳みそ野郎しかいなぇな。あ、いっそ私と結婚しちゃうとか?」
「結構です」
「冷た。冷え冷えやん」
「あなたはあなたの想い人がいるのでしょう」
「そういうことね。優しいじゃん、よかった〜」
「それに人殺しはちょっと」
「ア ハイ」
昔を辿るようにゆっくりと瞼を閉ざす。
結婚式、それは昔のわたくし、小学生くらいの憧れだった。
「愛しい人と愛を誓い、それをみんなが祝福してくれる。一生に数度であろう純白のウェディングドレスを纏って歩きますの。あなたも一度は望んだことはなくて?」
「一度くらいはあるんかなぁ」
小さな女の子のかわいらしい憧憬だ。
残念なことにそんな夢想も己の出自と行き先に分別がついてからは夢ではなくなった。自分には叶わないビジョンを抱えて生きていたって虚しいだけではないか。澄凰の姓を受け継ぐということはいくつもの諦めが伴う。
「益体もない話でしたね」
「でもでもそういう感じ。そういうやりたかったやつもっとちょーだい」
「それでしたら、中学生くらいは一時ゲームセンターとやらに」
「ゲーセンに⁉︎」
バンと机を鳴らして食いついてきた。ちょっと引く。
「……行ってみたいなと」
「いいねぇ! ゲーセンはいいぞ! 我欲と闘争渦巻く狂乱のるつぼ。本能の赴くまま人が人の楔を打ち砕き獣へも成り下がる解放の地! 清らかで曇りなき心をお持ちのお嬢様はそんな混沌のどこに興味を抱いたので?」
「……あのゲームセンターとは色々なゲームが遊べる施設、で間違いないですよね?」
「そうだけど?」
今聞いた感じだとコロッセオなんですよ。闘技場なんですよ。古代ローマとかの。
大仰なポーズで抑揚をふんだんにつけた語りは完全にそっちの主催者だった。
「ゲーセンなんて売れるフィギュア求めてるフリマ勢やら対戦ゲーでお猿さんになってるやつやら一昼夜スロット打ってるやつとかばっかだから。あ、これは偏見です。あとゾーンに入ってる音ゲーマーもいるわ」
「やっぱりいいです」
それを聞いて行きたい! となる人がいると思えない。
「私もよくツルんでた仲間と遊び行ってたよ。マリカーとかはコンシューマーより没入感あるからね。ワニワニパニックでぶん殴るの好きだし。あと運ゲーって分かっててもクレーンゲームはやりたくなるわ」
「そう。それ。気になった理由はクレーンゲームとやら。以前見かけた小さな子が身の丈もある大きなぬいぐるみを抱えてにこやかにしていたものですから、どんなに素敵な場所かと興味が湧いたのですわ」
「その笑顔の数と同じかそれ以上の涙も生まれてるぞ多分。さっきも言ったけどカクリツキはマジで運だからな」
「カクリツキ……とは?」
耳馴染みのない言葉だった。
「確率の機械って書くんだけど、クレーンゲームがアームで景品を掴むゲーム、っちゅうことくらいは分かるな? で、アームは基本的に景品を掴んで取り出し口に運ぶまでの強さはないんだよ。落ちるの。ボトって」
「え、それじゃどうやって景品を得るのですか?」
「そこが確率なんよ。プレイしてたらある一回だけアームの力が最強になる。そんときちゃんとキャッチしてれば景品ゲット嬉しいねってわけ」
「それって……不公平じゃありません?」
「全国どこ行ってもそんな筐体があるんだから認められてんでしょ。それに完全確立じゃなくて、お金積めば最強アームが引ける天井付きがほとんどって聞くし……。向こうも商売してるってことよ」
それもそうだ。ゲームセンターはアミューズメント施設であって、景品どうぞご自由にな譲渡会ではない。わたくしが知らない収益メソッドがあるのだ。
「けども、私にかかればそんな確率機とかちょこざいね。寄せとかタグかけとかテクニックでちょちょいのちょいよ」
「戦績は?」
「ゼロ勝無限敗」
「はぁ」
「テクって知っててもできないの! なんでか無理なんだよ! くそが」
悔しさを拳で机にぶつける千鶴。理解できた。彼女の言う通りゲームセンターにはこういう人がいっぱいいるわけだ。
ですけど、やっぱり少しだけ気になりますわ。
具体例のような人がいるとしても、大衆に好かれる娯楽施設なのだ。わたくしもその空間に浸ってみたいし、あわよくばクレーンゲームを当てて、あの子どもと同じ気分になってみたい。
あぁ、また一つ分かりました。人々はこの射幸心に突き動かされるのですね。
「とりあえずリスト入れとくか……ゲーセンっと……ばいざうぇい、澄凰サンってさ、ゲーム好き?」
背もたれに肘をかけ、行儀悪く半身になった千鶴が問いかけてくる。
「ゲーム?」
「あ、ゲーセンじゃなくてコンシュ……家庭用ゲームね。プレステとかSwitch」
「好きという以前に触れたことがないですわ。ゲームする暇があるなら、より生産的なことをしろと」
「でたでた典型的なゲーム嫌い親。昭和かよ」
人の親に結構な評価しますね。別にいいですけど。
世渡り的にも気をつけたほうがいいと思う。
「じゃあこれから好きになる可能性もあるってわけだ」
「そう……なるんですかね?」
「将来有望。知らないってことは良いことなんだぜ。これから新鮮な体験ができるんだから」
あと六日しかない将来に随分とポジティブなことを言う。




