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第4話:完璧なチート転生者が言った。「お前の処女作、知ってるぜ。売れなかったゴミだろ?」

ギデオンの庵に来てから、数ヶ月の時が流れた。


俺の生活は、修行という名の自己との対話に占められていた。

朝は冷たい滝に打たれて精神を統一し、内なる魔力の奔流を静める。


昼は庵の書庫で魔法物理学の知識を頭に叩き込み、それを応用した身体操作の理論を構築する。


そして夕暮れになると、広場でひたすら木剣を振るった。


負荷分散の理論は着実に実を結び始めていた。

脳からの命令と肉体の動きを同調させるための「予備動作」を徹底することで、【剣聖の極意】の神速の動きを、もはや腱を断裂させることなく、限定的にだが再現できるようになっていたのだ。


それは、ご都合主義(チート)に頼るのではなく、自らの頭脳と努力で、呪いを技術へと昇華させる作業だった。


苦痛ではあったが、不思議と心は満たされていた。

俺がかつて物語から切り捨てた地道なプロセスが、確かに俺を強くしてくれている。


偏屈だが根は優しい師匠との穏やかな日々は、俺にとって贖罪そのものだった。


その、あまりに静かすぎる平穏を破るように、その男は現れた。

「ちーっす! ここに誰かいるって聞いたんすけどー」


森の木々の間からひょっこりと顔を出したのは、俺とそう変わらない年恰好の男だった。


ヘラヘラとした、人を食ったような笑み。


そして何より異様なのは、その服装だった。現代日本の若者が好みそうな、派手な刺繍や金具で飾り立てられた、見るからに安っぽいファンタジー風の改造服。


――同類だ。

一目で、そう分かった。


男は俺の姿を認めると、まるで旧知の友にでも会ったかのように、馴れ馴れしく片手を上げて近づいてきた。


「どうも、俺は田中純平。あんたが、あの『異世界最強剣聖ソルト』の作者、剣崎創真先生っすよね?」


俺の動きが、ぴたりと止まる。なぜ、その名前を。

「いやー、探しましたよ! 大ファンなんすよ! サインもらっていいっすか?」


そう言って笑う田中の目には、ファンが作者に向けるべき尊敬の色など、ひとかけらも浮かんでいなかった。


あるのはただ、自分より格下の存在を見下すような、どす黒い侮蔑の色だけだった。


「何の用じゃ、小僧」

庵から出てきたギデオンが、不機嫌そうな声で言った。


俺たちの間に、ピリついた緊張が走る。


田中と名乗った男は、ギデオンを一瞥すると、まるで興味がないとばかりに肩をすくめ、再び俺に向き直った。


「いやー、剣崎先生。あんたのおかげで、俺の異世界ライフ、超快適なんすよ」


「……どういう意味だ?」


「俺さあ、神様からすっげー便利なチートもらったんすよね。【スキル完全複製パーフェクトコピー】。あらゆる能力を、読んだり見たりするだけで、劣化も制約もなーんにもなく、完全に写し取れるっていう究極のやつ」


田中は自慢げに胸を張り、続けた。

「もちろん、あんたの代表作『ソルト』の能力も、読んだだけで全部コピーさせてもらいましたよ。いやー、便利っすよね、これ!」


その言葉に、俺は血の気が引くのを感じた。

俺が血反吐を吐くような思いで向き合っている、この呪われた力を、何の代償もなく?


「ほう。借り物の力、か」

横から口を挟んだギデオンが、田中を値踏みするように細めた目で見た。


「お主のその力は、何の哲学も積み重ねもない、ただの借り物じゃ。中身のない、空っぽのガラクタ同然よ」


「あぁ?」


ギデオンの言葉に、田中の表情から笑みが消えた。


次の瞬間、田中の身体から、俺がかつて暴発させたものと全く同じ、凄まじい魔力が何の予兆もなく噴き上がった。そして、その身体は【剣聖の極意】でしかありえない神速で動き、ギデオンの眼前に拳を突きつけていた。


「はっ! あんたの主人公ソルトは、俺の方がよっぽど上手く使えるみたいだぜ? 原作者さんよォ!」

制約など一切ない、完璧なご都合主義の力。


俺が苦しみ抜いた呪いを、いとも容易く使いこなす姿は、俺のこれまでの努力を嘲笑うかのようだった。


そして田中は、追い打ちをかけるように、俺にとって最も痛い、心の奥底に封印していた傷を、その汚れた指で容赦なく抉り出した。


「あんたの処女作も知ってるぜ。『名もなき召喚士の英雄譚』だっけ? 理想ばっかり高くて、全然売れなかったゴミだろ?」


心臓が、氷の手に鷲掴みにされたかのように軋んだ。


「結局あんたはさ、読者と金に媚びへつらって、大事にしてた最初の物語をポイ捨てして、魂売ったんだよなァ!」


下卑た嘲笑が、静かな森に響き渡った。


田中の下卑た嘲笑が、悪意の槍となって俺の心を貫いた。


売れなかったゴミ。

魂を売った。


その言葉の一つ一つが、俺が自分自身に言い聞かせ、必死に蓋をしてきた自己嫌悪そのものだった。


――そうだ。俺は、捨てたんだ。


田中の言葉が引き金となり、俺の脳裏に封印していた記憶が鮮やかに蘇る。


誰に評価されずとも、ただひたすらに召喚獣と向き合い、知恵と勇気だけで戦っていた、名もなき召喚士の姿が。俺が、俺自身の手で葬り去った、最初の主人公が。


その瞬間だった。


空が、にわかに白銀の光を放ち始めた。

天から、まるで舞台のスポットライトのように神々しい光の柱が降り注ぎ、俺と田中の間に、静かに一体の存在が舞い降りた。


息を呑むほどに美しい、金の髪と青い瞳を持つ、あの女神だった。


だが、その表情は、俺が転生する時に見たものとは比較にならないほど、絶対的な怒りと、そして深い悲しみに満ちていた。


女神はまず、その燃えるような瞳で、状況を理解できずにいる田中を睨みつけた。


『――()()が』

その声は、静かでありながら、万雷のごとく森全体を震わせた。


『彼の作品を、その汚れた口で語るな』

絶対的な神威を前に、田中はたじろぐ。


そして女神は、打ちのめされ、膝から崩れ落ちそうになっている俺へと、ゆっくりと向き直った。その瞳には、怒りと共に、見捨ててしまった我が子に向けるような、痛切な色が浮かんでいた。


『見なさい、剣崎創真』

女神は、狼狽える田中を指さす。


『あれが、あなたが私を見捨てて作り上げた、空っぽの『最強』の成れの果てです』


「……あ……なたは……」


『ええ。もうお分かりでしょう』


女神は、俺の心の問いに、悲しげな笑みで答えた。


『私は、あなたの最初の物語。あなたがランキングのためではなく、ただ物語を愛し、その魂の全てを注いで生み出してくれた、『名もなき召喚士の英雄譚』の主人公。女神となって、この世界を創造したのです』


その告白は、雷となって俺の魂を打ち抜いた。

この呪いは、罰ではなかった。

俺が裏切った彼女からの、悲痛な願いだったのだ。


『私はあなたに思い出してほしかったのです。安易な力に溺れるのではなく、知恵と工夫で困難に立ち向かった、あの頃のあなたの魂の輝きを』


俺は、自分の罪の本当の重さと、この呪いに込められた彼女の切なる想いを理解し、ただ愕然とするしかなかった。


「……お、おお……!?」

俺と女神が織りなす悲劇的な再会劇を、田中は理解できずにいた。


だが、目の前に現れた女神の神々しいまでの美貌に、彼の卑しい欲望が火を噴いた。

「うおおお! 超絶美女! レアキャラじゃん! いいぜ、あんたも俺のスキルでコピーして、俺のハーレムのメインヒロインにしてやんよ!」


田中は下品な笑みを浮かべ、その手を女神へと伸ばし、【スキル完全複製】を無遠慮に発動しようとした。


――その、冒涜的な行為に。


俺の中で、何かが、ぷつりと切れた。

もはや、自分のプライドのためではない。


俺が裏切り、見捨て、そして今また目の前で汚されようとしている、たった一人の、俺の最初の主人公ヒロインの名誉と魂を守るため。


俺は、震える足で立ち上がった。

震える手で、それでも強く、これまで何万回と振るってきた木剣を、もう一度握りしめた。


ギデオンが、田中が、そして女神が、俺のその変化に気づき、息を呑む。

俺は、目の前の偽物の主人公に向かって、静かに、だが腹の底から燃え上がるような怒りを込めて告げた。


「お前が使っているのは、俺が金のために捨てた、ただのゴミだ」

そして、続ける。


「そして、俺がこれから使うのは――」

木剣の切っ先を、真っ直ぐに田中に向ける。


「俺が彼女に誓う、贖罪の力だ」


ご都合主義の化身(田中)と、ご都合主義を否定し、贖罪を誓った創造主(俺)。


最終決戦の火蓋が、今、切られようとしていた。

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