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第2話:俺はご都合主義を捨てる。この呪いは、俺自身が作ったものだからだ。

湿った土の匂いと、己の血の鉄錆びた匂いが鼻をつく。

俺は岩壁に背を預け、荒い息を繰り返していた。森の奥深くにある小さな洞窟が、かろうじて俺の身を隠してくれている。


「……っつぅ……!」


【剣聖の極意】を使った代償は、想像以上に酷いものだった。全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げ、少しでも動こうものなら、骨と肉が擦れるような鈍い痛みが走る。


騎士団の追っ手から逃げる際、無我夢中でこの洞窟に転がり込んでいなければ、今頃俺は囚われの身だったろう。


魔力はどうか。


内なる力を感じようと意識を集中させた途端、体内で暴れ馬のような膨大なエネルギーが奔流となって渦を巻いた。


危ない。これを下手に外に出せば、ファイアボールの二の舞だ。

この洞窟ごと、俺は跡形もなく消し飛ぶだろう。


攻撃手段も移動手段も、そして回復手段さえも封じられた。完全に手詰まりだ。


「……いや、まだだ」

俺にはまだ、最後の望みが残されている。


俺の作品『ソルト』に設定した、数あるチートスキルの中でも最強と名高い能力。


【スキル即時習得】


視線を洞窟の入り口に向ける。そこを、一匹の小さな森ネズミが横切っていくのが見えた。


――あれだ。

俺は最後の気力を振り絞り、スキルに意識を向けた。


『対象のスキル情報を読み取り、即座に自身の能力として習得する』


なんて便利なご都合主義。

あのネズミが持つであろうスキル【隠密】や【危機察知】さえ手に入れれば、この窮地を脱することができるかもしれない。


頼む、これだけはまともに機能してくれ……!


俺が強く念じると、脳内に直接、情報が流れ込んでくる感覚があった。成功だ!


だが、その安堵は次の瞬間、絶叫へと変わった。


「ぐ……あ……あああああああああああああああああ!!!」


頭が、割れる。

流れ込んできたのは、【隠密】という単純なスキル情報だけではなかった。

あのネズミが生まれてから今この瞬間に至るまでの、全ての記憶と感覚。


フクロウに仲間を捕食された恐怖。

硬い木の実を前歯でかじった時の食感。

雌を巡って他の雄と争った縄張り意識。

暗い巣穴の中で交尾をした時の、原始的な興奮。


膨大な情報濁流が、俺のちっぽけな自我を押し流そうと荒れ狂う。精神が、悲鳴を上げて引き裂かれそうだ。


「ダメだ……これも……使えない……ッ!」

俺は頭をかきむしり、岩壁に額を何度も打ち付けた。


痛みで正気を保つので精一杯だった。


もはや疑う余地はない。


俺に与えられたこの力は、祝福などではない。


俺を破滅させるために用意された、紛れもない「()()」だ。



***



朦朧とする意識の中、俺は過去の夢を見ていた。

Web小説家として、まだ誰にも知られていなかった頃の夢だ。


六畳一間の安アパート。金はなかったが、希望だけはあった。

俺はランキングなど気にせず、ただ自分が面白いと信じる物語を、夢中で書き殴っていた。


それは、召喚士の少年が主人公の物語だった。


彼は、一体一体の召喚獣と真摯に向き合い、対話を重ね、絆を結ぶことで力を得ていた。決して最強ではない。知恵と工夫を凝らし、召喚獣との連携で格上の敵を倒していく。そんな泥臭い物語。


――そうだ。あれが、女神の言っていた、俺が()()()書きたかった物語だ。


しかし、その渾身の処女作は、全く評価されなかった。


PVは三桁にも届かず、★もレビューもつかない。無慈悲な現実に、俺の心は少しずつすり減っていった。


『面白いだけじゃ、ダメなんだ』


生活のために、金のために。俺は、自分が信じた物語を捨てた。

読者にウケる「テンプレ」に手を染めることを決意したのだ。


面倒な詠唱は省略した。

魔力制御の難しい修行シーンはカットした。


努力や工夫ではなく、生まれ持ったチートで全てを解決するようにした。


そうして生まれたのが、俺の魂を悪魔に売り渡して生み出したキメラ――『異世界最強剣聖ソルト』だった。


作品は、狙い通り爆発的にヒットした。俺は売れっ子になった。


だが、その代償に、俺は最初の物語(主人公)を裏切ったのだ。



***



「……っ……う……」

洞窟の暗闇の中で、俺は目を覚ました。


頬を、熱いものが伝っていくのが分かった。


そうか。そうだったのか。


この呪いは、天罰なんだ。


俺が作品の中で「面倒だ」と切り捨てた設定。

俺が読者の欲望に媚びて捻じ曲げたご都合主義。


その全てが、俺自身に牙を剥いている。

この呪いは、他の誰でもない、俺自身が作り出したものだったのだ。


俺はゆっくりと身体を起こした。

不思議と、もう絶望は感じなかった。


ただ、静かな決意だけが、心の奥底で燃え上がっていた。


夜が明け、洞窟に朝の光が差し込み始めた頃、俺の顔つきは昨日までとはまるで変わっていた。絶望に染まっていた瞳には、覚悟の光が宿っていた。


のろのろと洞窟から這い出すと、俺は目の前に半透明のステータス画面を呼び出した。


========================


【ソーマ】

職業:異世界人

スキル:【無限魔力】【剣聖の極意】【スキル即時習得】…他


========================


かつては垂涎の的だったはずのチートスキルの文字列が、今はまるで罪状のように見える。

俺はこの呪われたスキル群を睨みつけ、まるで過去の自分に決別を告げるように、静かに、だが力強く宣言した。


「もうお前たちには頼らない」


俺は剣崎創真として、作家として、あまりに多くのことから逃げてきた。


面倒な設定。地道な描写。キャラクターの内面。

それら全てを「読者が求めていないから」という言い訳で切り捨て、ご都合主義という名の麻薬に溺れた。


「俺は、俺が書くのをやめた()()()()()で、この世界を生きていく」

もう二度と、この呪われた力に魂を売るものか。


俺はチートを封印することを決意した。


だが、封印すると言っても、この身に宿った力は消えない。


特に【無限魔力】は、俺が生きているだけで暴発しかねない危険な代物だ。まずは、この内なる核爆弾を制御する方法を確立しなければならない。


どうすればいい?

答えは、俺自身の知識の中にあった。


俺が作品の中で「修行シーンはつまらないから」と、たった一行で省略した、あの地道な基礎訓練。


『ソルトは厳しい修行の末、強大な魔力を完全に制御できるようになった』


その厳しい修行とやらを、今度は俺自身が実行するのだ。


精神を統一するための瞑想。

魔力の流れを整える呼吸法。


まずはそういった、魔法ですらない、純粋に肉体的なアプローチから始めるしかない。


俺の目標は、もはやチートで無双することではない。


俺が生み出したご都合主義の呪いを、俺自身の努力で制御し、克服する。


それが、俺の贖罪の第一歩だった。


幸い、洞窟の近くにせせらぎの音が聞こえた。

身体を引きずりながら川辺にたどり着くと、俺は冷たい水で顔を洗い、気合を入れ直した。


川のほとりにある、平らな岩の上に腰を下ろす。

俺はかつて自作で描写した知識を頼りに、おぼつかないながらも座禅のような姿勢を組んで、ゆっくりと目を閉じた。


――瞑想。


まずは自分の内側と向き合うことからだ。

呼吸を整え、意識を精神の深淵へと沈めていく。


すると、すぐに感じた。体内でとぐろを巻く、圧倒的な魔力の奔流。それはまるで、かつて俺が設定を練るのを面倒臭がって切り捨てた矛盾や葛藤といった負の感情が、一匹の巨大な竜となって、俺たちを無視するなと牙を剥いているかのようだった。


少しでも気を抜けば、精神が喰い破られる。

内なる竜が暴れだし、周囲の全てを巻き込んで暴発する。


冷や汗が、額から首筋へと流れ落ちた。

「キツい……。だが、これが……俺の罪だ……」


俺は歯を食いしばり、必死に意識を繋ぎとめる。


暴れる魔力をなだめ、呼吸を合わせ、その存在を認め、受け入れる。これは罰だ。俺が、俺の物語を裏切ったことへの。ならば、甘んじて受け入れなければならない。


俺が来る日も来る日も、ただひたすらに瞑想を続けて、どれくらいの時が経っただろうか。

その日も、俺が精神統一に励んでいると、不意に背後から、しわがれた声がかけられた。


「おい、そこで何をしている」

ハッと目を開けると、いつの間にか、一本の木の杖をついた老人が、俺の後ろに立っていた。


痩身だが、その眼光は剃刀のように鋭い。

老人は、俺の身体から漏れ出している微弱な魔力の揺らぎを、眉をひそめて見つめながら言った。


「魔力のダダ漏れだぞ。死にたいのか、小僧」


そのただならぬ雰囲気に、俺は唾を飲み込むことしかできなかった。

それは、俺の贖罪の旅が、新たな局面を迎えた瞬間だった。

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