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第1話:「お前の主人公になれ」と女神は言った。そして俺は最弱の指名手配犯になった。

チカチカと点滅するカーソルが、俺の寿命を告げるカウントダウンのように見えた。


液晶ディスプレイの光だけが煌々と灯るワンルーム。

その画面の端には、国内最大手のWeb小説投稿サイト『ノベルアップ!』の週間総合ランキングが表示されている。


俺の作品――『異世界最強剣聖ソルトは、奴隷ハーレムと世界を救う』が、今週も堂々の三位に君臨していた。


「……はいはい、最強最強」


コメント欄に並ぶ『主人公TUEEE!』『更新はよ!』という賞賛の嵐を横目に、俺、剣崎創真けんざきそうま、三十八歳は、生命維持装置エナジードリンクのプルタブをこともなげに引きちぎった。カフェインと糖分が、死にかけの脳細胞に無理やり鞭を打つ。


『ピンチになったと思ったら、都合よく新しい美少女ヒロインが登場して助けてくれました!最高!』


「そりゃそうだろ。俺がそう書いたんだからな」


口から漏れるのは、自嘲と皮肉だけ。画面に向かって、淡々とキーボードを叩き続ける。


【ここで都合よく、古代竜の血を引く王女様(ツンデレ巨乳)が登場し、主人公ソルトの危機を救った。彼女は言う。「べ、別にあんたのためじゃないんだからね!」と。ソルトのハーレムに、また一人、新たな華が加わったのだった】


――ああ、なんて薄っぺらい。


もう何年も、こんな文章ばかりを「生産」している。

ランキングを維持するため。読者の期待に応えるため。そして何より、この薄暗いワンルームの家賃を払い、糊口をしのぐため。


本当は、こんなものが書きたかったわけじゃない。


初めて小説を書いたあの頃は、もっと……いや、やめだ。過去を振り返ったところで、一円にもなりはしない。求められるものを書くのがプロだ。俺は自分にそう言い聞かせ、心を殺す。


その時だった。


心臓が、まるで巨大な手に鷲掴みにされたかのような、激しい痛みに襲われた。

「ぐっ……ぁ……!」


視界が急速に色を失い、ぐにゃりと歪む。キーボードを叩いていた指先から力が抜け、エナジードリンクの缶が床に落ちて甲高い音を立てた。ディスプレイの光が、やけに遠く感じる。


ああ、そうか。無理がたたったか。


連日の徹夜。偏った食事。運動不足。作家というより、社畜の過労死だな。


薄れゆく意識の中、創真は乾いた笑みを浮かべた。


「……死に方まで、テンプレ通りかよ」

それが、売れっ子Web小説家・剣崎創真の、あまりに呆気ない最期の言葉だった。



***



次に目を開けた時、俺は真っ白な空間に立っていた。

床も、壁も、天井もない。ただ、どこまでも温かい光だけが満ちている。


そして、目の前には一人の女性がいた。


光そのものを編み上げて作ったかのような、神々しい美貌。金の髪は星屑を溶かしたように輝き、どこまでも澄んだ青い瞳が、静かに俺を見つめている。


「……女神、様?」

俺が呟くと、彼女は小さく頷いた。


その声は、まるで天上の楽器が奏でる調べのように美しい。


『剣崎創真。あなたは先程、過労によりその短い生涯を終えました』

「やっぱり死んだのか、俺」


まあ、そうだろうなとは思っていた。となると、次のお約束は……。


『ですが、あなたの魂にはまだ為すべきことがあると判断されました。よって、これからあなたを別の世界――剣と魔法の存在する異世界へと転生させます』


――キタ! Web小説で百万回は使い古した、人生逆転のテンプレ展開!


俺は内心で、両手の拳を天に突き上げていた。ありがとう神様! いや、女神様! チート能力で無双して、可愛い女の子たちとハーレム築いて、俺、第二の人生は絶対に勝ち組になってみせます!


『転生に際し、特典を与えましょう』

女神がそう言って微笑むと、俺の期待は最高潮に達した。


『あなたに、あなたの作品の主人公の能力を授けます』

「マジすか!?」


思わず声が裏返る。俺の作品の主人公! つまり、あの『異世界最強剣聖ソルト』の能力か!


【無限魔力】に【剣聖の極意】、【スキル即時習得】、おまけに美少女を引き寄せる謎のカリスマ! 完璧じゃないか! これで楽勝、イージーモード確定だ!


笑いをこらえきれない俺を、女神は静かに見つめていた。


だが、その美しい青い瞳には、祝福の色とは程遠い、どこか悲しげな、あるいは――俺を軽蔑するような、冷たい光が宿っているように見えた。


そして、女神は決定的な一言を付け加えた。

「あなたが()()()書きたかった、あの物語の主人公に、なってもらいます」


「……え?」

本当に書きたかった物語?


その言葉の真意を測りかね、俺は一瞬戸惑う。俺が書きたかったものなんて、とうの昔に心の奥底に封印したはずだ。


だが、そんな些細な疑問は、これから始まる輝かしい異世界生活への期待に、すぐにかき消されてしまった。


「まあ、どうせ最強なんだろ! よろしくお願いします!」


俺がそう言って頭を下げると、女神は何も答えなかった。

ただ、その表情がさらに悲しげになったように見えたのは、きっと気のせいだろう。

やがて俺の身体は強い光に包まれ、意識は急速に遠のいていった。



***



次に意識が浮上した時、俺は柔らかい草いきれの匂いに包まれていた。


ゆっくりと瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともない巨木が鬱蒼と茂る森の中だった。木々の隙間から差し込む陽光が、キラキラと光の粒子を振りまいている。


「……ここが、異世界か」

俺はゆっくりと身体を起こした。驚いたことに、三十代後半のなまりきった身体ではない。指先まで力がみなぎるような、若々しい肉体だ。


水たまりに自分の顔を映してみると、そこにいたのは二十歳前後の、見覚えのある青年だった。


――俺の作品の主人公、『ソルト』の容姿そのものだ。


そして、目の前には半透明のウィンドウが浮かんでいた。


========================


【ソーマ】

職業:異世界人

スキル:【無限魔力】【剣聖の極意】【スキル即時習得】…他


========================


「はっ……ははは! 最高じゃないか!」


思わず笑い声が漏れる。スキル欄には、俺の代表作『異世界最強剣聖ソルト』のチート能力が、寸分の違いもなく完璧に並んでいた。


女神の言っていた「本当に書きたかった物語」という不穏な言葉は、一体なんだったのか。結局、俺の一番売れた稼ぎ頭の『ソルト』の力じゃないか。考えすぎだったようだ。


「楽勝すぎる! まずは手始めに、魔法のチェックだな」


これから始まる無双ハーレム生活に胸を躍らせ、俺――いや、ソーマは立ち上がった。


ウォーミングアップとして、一番簡単な火の魔法を使ってみることにする。ファンタジーの基本中の基本、ファイアボールだ。


確か、俺の作品の設定では……。

「面倒な詠唱なんて、俺の作品じゃとっくに省略済みだ」


そう、読者はまどろっこしい手順を嫌う。だから俺は、主人公がイメージするだけで魔法が発動するように書いた。ご都合主義? 知ったことか。それがウケるんだ。


俺はニヤリと笑い、目の前の適当な大木に向かって指先を向けた。

軽く魔力を込めて、そして、こう呟いた。


「――ファイアボール」


その瞬間、世界から音が消えた。


いや、違う。俺の鼓膜が、ありえない熱量と衝撃波に耐えきれず、一時的に機能を放棄したのだ。

指先から放たれたのは、バスケットボール大の可愛らしい火球などでは断じてない。


視界を白く染め上げる閃光。

大地を揺るがす轟音。


そして、周囲の巨木を根こそぎ薙ぎ払い、大地をえぐりながら一直線に突き進む――戦略核級の大爆発だった。


爆風が森の一角を巨大なクレーターに変え、熱波が俺の頬を焼く。

俺は、自分が引き起こした惨状を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


「……な……んだよ、これ……」


出力の調整? 魔力の制御? そんな面倒な設定、俺は書いていない。だって、主人公は天才だから、最初から完璧に使いこなせるのが当たり前じゃないか。


その時、遠くから人々の絶叫が響き渡った。


爆心地の先に、小さな村があったらしい。煙が立ち上り、武装した村人や、簡素な鎧をまとった騎士団らしき者たちが、血相を変えてこちらへ走ってくるのが見えた。


彼らは、クレーターの中心に立つ俺を指さして、恐怖と憎悪に満ちた声で叫んだ。


「災厄の魔人だ!」

「森が……村の一部が消し炭に……!」

「悪魔め! 捕らえろ!殺せ!」


まずい。話が違う。俺は英雄になるはずじゃなかったのか?


パニックに陥った俺は、咄嗟にこの場から逃げることを選んだ。方法はいくらでもある。俺には、神速の移動を可能にする【剣聖の極意】があるのだから!


身体に力を込める。イメージするのは、音速での離脱。


その瞬間だった。

「ぐっ……ぶっ!?!?」


全身の筋という筋が、内側からブチブチと引きちぎられるような、凄まじい激痛が走った。超速の動きに、この生身の肉体が全く耐えられないのだ。俺は血反吐を吐き、無様に地面に崩れ落ちた。


「が……はっ……あ……!」


身動き一つ取れない。全身を苛む痛みと、制御不能な力への混乱の中、俺は悟った。


これは「最強」の力などではない。


俺が作品の中で「面倒だから」と省いた安全装置や、「ご都合主義」でごまかした設定の矛盾。その全てが牙を剥く、紛れもない「呪い」そのものだと。


脳裏に、あの女神の冷たい目が蘇る。


――『あなたが()()()書きたかった物語の主人公に、なってもらいます』


俺が本当に書きたかった物語……?

まさか、この呪いは……俺が……。


追っ手の怒声がすぐそこまで迫っていた。

最強の力を持ちながら、指一本動かせず、最悪の指名手配犯として追われる身となる。


これが、俺の異世界転生の、絶望に染まった幕開けだった。

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