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師弟の歩幅 Ⅰ

「――どうだった? あなたから見た彼は」

 長い話が終わり、一息を吐いた頃。スカーレが完全に立ち去ったのを確認して、アルカはそう語りかけた。


 ガサガサ


 後ろの木の上から小柄な人影が降ってくる。彼女はヒラリと軽やかな身のこなしで地面に着地した。

 小動物のような丸い瞳に、小さく揺れる橙のサイドテール。

 それは他ならぬアルカの実妹。クリシア・アストランドであった。

「隠れててとは言ったけど、そんなところにいたのね……」

 珍しく驚きを隠せない様子で、アルカは苦笑いを浮かべる。

 実はスカーレが買い出しから戻ってきた時、偶然にもクリシアもここへやってきていた。遠くにスカーレの姿を視認できた時点で、アルカが近くへ隠れているよう指示したのだが……木の後ろならまだしも、まさか上に登っているとまでは思わなかった。

 まあ、そんな予想外の行動をするところも、姉としては可愛いの一言に尽きるのだけど。

「……ごめんなさい、姉様」

「どうして謝るの?」

「だって……私、せっかく姉様があの人を連れてきてくれたのに……」

 クリシアが力なく俯いて言う。彼女が悩んでいることはアルカも承知していた。

「いいのよ、そもそも私が勝手にやったことだし。彼の方は……まあ怒っていないようだったから大丈夫でしょう」

「ほ、ほんとに……?」

 冗談めかしてそう言ったものの、クリシアはまだ不安げである。スカーレとそれなりに接してきたアルカと違って、彼女はまだ彼のことをよく知らない。安易に大丈夫と言われても受け入れがたいのだろう。

「……でも、そうだね。不思議な人だった。それに、ノーラと正面から戦える人なんて初めて見たし……」

「ふふ。そこらで見つけてきたにしては、なかなかの掘り出し物でしょ?」

「ね、姉様……骨董品じゃないんだから」

 今度の冗談は効果があったらしい。苦笑いながらもクリシアの表情が少し綻んだ。

 うん、やっぱりそういう表情がいい。

「焦らなくていいの。あなたがちゃんと見極めて出した答えなら、私も反対しないわ。その時はその時で、彼も文句は言わないでしょうし」

 そう言って、クリシアの頭をふわりと撫でる。

「たとえお父様が何と言ったって」

「姉様?」

「……何でもないわ。それよりもクリス? 二人きりの時はお姉ちゃんと呼ぶようにって、前に言わなかったかしら?」

「うーん……? 確かに聞いたけど、それって同じじゃないの?」

「響きが良いのよ。何というか、気取りがないじゃない」

「えー」

 何てことのないいつもの会話。どこにでもいる普通の姉妹のそれと何ら変わりない。

 そんなささやかな幸せに、アルカはまた気持ちを引き締めるのである。



 ――――――――――



 翌日の早朝。

 まだ衛士たちの姿もない第一鍛錬場では、繰り返し重い金属音が鳴り響いていた。

「今日こそは勝ちを譲ってもらうぞ、スカーレ!」

「譲れって……毎度構わずぶんどっていってんだろうが」

 軽口を交わしながらも、二人の動きが鈍ることは一切ない。慎重に、されど着実に間合いを詰めてくるレオノーラの刃。並の剣士なら既に腰が引けているところを、スカーレは難なく踏み止まり、むしろ彼女を押し返さん気迫で迎え撃つ。

 重い斬撃を受け流すは、疾風のごとく捉えどころのない白銀の軌跡。

 何度も翻り、その度に姿を変える変幻自在の剣。それと相対するレオノーラは、

「ふっ、やはり面白い!」

 まるで好奇心に奮起する子供のように、その瞳を爛々と輝かせていた。

 ――まずい。

 一方で、スカーレはほんの少し表情を歪める。今日は自分もつい乗り気になってしまっていたわけだが、それがどうやら彼女の妙なスイッチに触れてしまったらしい。……ここは一度距離を取って。

「逃がさん」

「!」

 と思ったが間に合わない。嵐のごとく加速する斬撃の中から脱するには、ほんの少し判断が遅かった。

 一際重い金属音。レオノーラの一撃を正面から受けたことで、スカーレの身体はこれでもかと勢いよく後方へ吹き飛んだ。激しく地面を転がり、受身は何とかとれたものの、すぐに立て直せるほどの余裕はない。

 これにて勝負あり。全体の結果は四勝六敗と、残念ながらまた負け越してしまったようだ。

「……ちっとは加減しろっての」

 無邪気なまでに全力な一撃への呆れか、無意識にそんな声が漏れる。

 そこには若干の悔しさも混ざっていたのかもしれないが……少なくとも、その表情はどこかすっきりしていた。



 ――――――――――



「……しかし、珍しいな」

「? 何がだ」

「お前から声を掛けてきたことが、だ。いつもは基本私からだったからな」

「一方的って自覚はあるのか」

 だったらもう少しは遠慮をしてもらいたいところだが。何せこの数日間、クリシアを探している最中はよくアルカに小間使いを頼まれていたが、一方でこのレオノーラにも暇そうだからとよく鍛錬に付き合わされていたのだ。

 レオノーラ・ジール。このアストランド家に仕える衛士たちを束ねる長であり、王国の中でも五指に数えられるほどの剣の腕を持つ若き女傑。その猛々しさの一方、凜とした佇まいと礼を欠かさぬ高潔な人柄に憧れを抱く者も多く、彼女に惹かれてここの衛士に志願してくる者も未だに後を絶たないという。

 一見すると疑う余地のない理想の騎士。……しかして、その実態は。

「何があったかは知らないが、しかし今日の剣技は特に冴えていたな。私のいかなる手にも自在に応じてみせたうえ、攻守の切り替えにも全く無駄がない。お前がここに来てからもう何度も打ち合ったつもりだったが、まだこれほどの技を隠し持っていたとは……これからがより楽しみになった」

「おい。その“もっと追い詰めればまだ何か出てくるのでは?”みたいな顔やめろ。寒気がする」

「思うに、お前はもっと体力を付けるべきだな。そうすれば私と十戦や百戦交わしたところでそうそう疲れは――」

 これである。戦闘狂、とは言い過ぎかもしれないが、端的に剣術バカくらいの表現はしてもいいだろう。それを言って許されるくらいには、スカーレはここへ来てから彼女の鍛錬に散々付き合わされてきた。

 確かに、立場や名声に見合うだけの人格者ではあるのだろう。腕がたちそうな者を見ては積極的に斬りかかっていくようなその姿勢も、今の彼女の実力を形作ってきた向上心の表れだと言えなくも無い。巻き込まれる側としては堪ったものではないが。

「――であるからしてだな。お前としては居心地が悪いかもしれないが、衛士たちの基礎体力訓練に混ざるというのも一考の余地が――」

 まだ話が終わっていないと思ったら、どうも本気でこちらの体力作りについて力説していたらしい。冗談ではないので一旦聞かん振りをして放っておくことにした。

 ……珍しい、か。

 そういえばもう有耶無耶になってしまったが、最初の指摘にまだ応じていなかったことを思い出す。

 散々巻き込まれていることを被害者的に語ったものの、少なくとも今日の鍛錬に関してはスカーレから志願していた。軽く流す程度の予定だったので、また十度も連戦するつもりは到底なかったが。

「…………」

 気の迷いというやつか。何となく、感覚を確認しておきたいと思った。



『――そうね。きっと明日には、顔を見せるのではないかしら』

『? 根拠はあるのかよ』

『ないわ。けれど、私のこの言葉が貴方にとってのそれになるはずよ』



 昨日の会話を思い出す。それなりに長い話をしていたはずだが、その割に疲れもせず回りくどい言い方をしてくるものだ。

 ……まさかな。

 あの減らず口お嬢のこと。生半可な気分で仕事をすればあっさりクビを切られかねない。そのための準備運動だったと思えば、なるほど、それは至極当然のことと言っていいだろう。

「……さて、どうなることかね」

 正直なところ、また待ちぼうけになりそうな気もするが。

 それでも足を運ばない気にならないのは、案外その“根拠”のせいなのかもしれない。



 ――――――――――



 昼下がり。約束の時間にはまだ早いうちに、クリシアは第二鍛錬場へ足を踏み入れていた。

 誰もいないという事実に少し安心して、そんな自分を情けなく思いながらも、クリシアは歩を進める。立てかけてあった木剣を手にとって、久しぶりの感触を確かめていた。

「……大丈夫かな」

 覚悟はしていたつもりでも、そんな弱音がつい零れてしまう。



『……やはりモノになりませんか』



 弱音は余計な記憶を紐解いて、剣を握る手から力が抜けかける。それを何とか振り切って、クリシアは構えを取った。

 触れたくないものだけ避けるようにしながら、身につけた動作を頭の中に描きだしていく。固く地面を踏み締めて、繰り出された木剣で教わった通りの軌跡をなぞれば、あとはそれについていくように身体が動いてくれた。

「ふっ……やぁっ!」

 動き出せば、今度は気迫もついてくる。気迫は力強さを生んで、勢いに乗った手首が木剣を自在に振るった。

 頭の中が澄み渡っていく。雑音に強張っていた身体が解れ、そこからは彼女自身のリズムが現れ始めた。軽快な足取りと呼吸の間。自分自身の意のままに動けることが、今の彼女には堪らなく嬉しかった。



『――それでは駄目なのですよ』



「っ……!」

 だから、油断した。

 描き出されていく記憶の中に、また雑音が混じり始める。



『何度言わせるのですか? 貴女はただ私の動きを真似ておればよいのです』

『誉れ高き王国流に個人の感情などは不要。私のように極めたものでもない限りは』



 木剣の軌跡が次第に膨らみを無くしていく。動作にもキレが失われつつある。

 足が重い。腕が伸ばせない。……ひどく息苦しい。

 まるで鎖にでも縛られているような、そんな窮屈さに感覚が支配されていく。



『このままでは良くて衛士の下っ端レベルですな。才覚など微塵もない』

『全くこんなもので……所詮、戯れ言だったのですよ。あの方に並ぶなどと』



 ――限界だった。

 動きが完全に止まる。手の平から木剣がこぼれ落ちて、固く踏み締めていたはずの足から崩れ落ちる。

「……ダメなんだ。やっぱり」

 あの頃から何も変わっていない。あの人のそれを真似ようとするほど、動きはどんどんぎこちなくなって、手足も自分のものではないように感じられる。そしてまた、その声が脳裏に響いてくる。

 本格的に鍛錬が始まるまでは、剣というものに確かな憧れを持っていたことを覚えている。女性の身で並み居る猛者たちを下し登り詰めた、そんな伝説的な存在を身近で見、大きくなり続けた憧れ。

 彼女に並ぶほど強くなれたなら、いつかきっと――

「……」

 こんな身でそれを言っても、本当に戯れ言でしかない。

 やっぱり、今日も帰ってしまおう。

 また迷惑をかけてしまうけれど……結局、何も変わらないだろうから。

「……片付けないと」

 力なく立ち上がって、クリシアは木剣を元の場所へ持っていく。

 そうして元通りに立てかけようとしたところで、



『急いで強くならなくていいの』



 また脳裏に声が響いた。

「……」

 それはまだ真新しい記憶。

 気弱だった自分をいつも見守り支えてくれた、大好きな人の声。



『辛い時に、余計に焦ったって仕方ないんだから』

『そういう時は思い出すの。自分は本当は何がしたかったの、ってね』



「私が……やりたかったこと」

 剣を握ったきっかけ。どれだけ辛くても、ここまで逃げることだけはしなかった理由。

 忘れるわけはない。ただ、記憶の奥底に沈めてしまっていただけで。

「……もうちょっとだけ」

 そう呟いて、今度はもう一本の木剣も手に取る。そうして二振りの得物を握って、彼女は再び構えを取った。

 それは誰に教えられたわけでもない。彼女自身が強く目に焼き付けた剣。

「――やぁッッ!!」

 一際大きな掛け声が、再び第二鍛錬場に響き渡る。



 そしてその声は、近くにいた彼の耳にも確かに届いていた。

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