5話「心はいつも上下しています」
その日の晩は宿泊施設に泊まった。
それから一旦実家へ行って昨日起きた色々なことについて話した。
両親は婚約破棄を残念がっていたけれど、それがどことなく寂しくて、何とも言えない気分になったことも事実だ――両親はこれまで私をきちんと育ててくれたし悪い人たちではないのだけれど。
ただ、実家へ戻ることになったことを伝えた時、何とも言えないというような顔をされたのは地味にショックだった。
でもそれもある意味仕方のないことなのだ。
一度結婚が決まった女が親のもとへ戻る、なんていうのは、滅多にないことだから。
なので両親が複雑な心情になるのも理解できないことはない。
婚約破棄されるということ自体が稀なことだし。
この国の常識的にはそれはあまり良いことともされていないことだから。
ただ、どうしても、もやっとしてしまう部分はある。
私は何もしてない。私は悪くないはず。それなのにどうして私がこんな重苦しい心を背負わなくてはならないの? 私に非があったのならこんな風な目に遭うのも理解はできるし仕方ないことと諦めるけれど。何の非もないのにまるで非があったかのような目を向けられなくてはならないのはどうして? しかも親からも……納得できない、耐えられない、どうしても。運命だとしても、それでも、こんなことは受け入れられない。なぜ私がこんな不快な思いをしなくてはならないの? 悪いことなんて一つもしていないのに、なぜ?
ぐるぐる考えるけれど、そこに生産性なんてなくて。
ただ時だけが過ぎてゆく。
ただ不快な気持ちが渦を巻く。
――だがそんな負のループを叩き壊す出来事が起こった。
「我らの陛下、アイルティストン・ロイーズィより、伝言があります」
「え……」
「改めて貴女と会いたい、とのことです」
ある朝、隣国からの遣いが私がいる家へやって来て、そんな言葉を伝えてきたのだ。
「会いたい、ですか?」
「はいそうです」
遣いの男性は淡々とした口調だがこちらからの質問にはきちんと答えてくれる。
「可能であればお会いできる日の候補を聞いてくるように、と、そのように指示を受けています」
「候補……というのは、私の都合を、ということですよね」
「そうですね」
「そんな。私みたいな人間のためにそこまで。すみませんが私はそこまで言っていただけるような人間ではありません」
つい変な遠慮をしてしまって。
「いえ、そういう話ではありませんので」
きっぱり返されてしまう。
「会える日があれば教えてください」
「大体いつでも大丈夫です」
「それがご回答ですか?」
「はい」
「承知しました。ではそのように報告いたします。ご回答ありがとうございました」
遣いの男性は去っていった。
表情、声、言葉の選択など、全体的に冷たさをまとった人だった。けれども会話はきちんと行ってくれたので悪い印象は抱いていない。きっと彼は職務に忠実なだけなのだろう。それが他者の目には時に冷ややかに映るというだけで。彼としてはそれが普通なのだろうし、相手を傷つけようとか怖がらせようとかそういった意図はないのだろうと想像する。
その日、私は、今回の話を親にした。
この先どんなことが待っているかは分からない。ただ親に完全に隠しているというのは難しいだろう。なので早めに言っておくことにしたのだ。後になって説明すると時間がかかってややこしいから。
どんな反応をされるか不安はあったけれど、でも、実際話してみたところ傷つくような反応はされなかった。
若干怪訝な顔はされたけれど。
わりと好意的な反応は貰えた。
――で、後日、また連絡があった。
今度アイルティストンが会いに来てくれるそうだ。
予定の日もきちんと伝えてもらえた。
信じて良いものかどうか……、なんて思いながらも、胸の内には既に嬉しさが湧き出ている。
会いたい、そう思ってもらえたことが嬉しい。
特別な二人ではない。
未来を誓うわけでもない。
単に会うだけ。
だがそれでも嬉しさは確かにあるのだ。
誰かから必要とされていることが何よりも嬉しい。