砕かれる静寂
夜闇が静かに城を覆い、冷たい風がパレディア城の石畳を滑っていく。宿舎の廊下を、足音を響かせながら一人の若い騎士が走っていた。その表情には焦りと不安が浮かんでいる。
「サラが熱病で倒れた」との報告が耳に届いたのだ。
「サラ!」
扉を乱暴に押し開けたアルフレッドの視線の先には、ベッドに横たわる少女と、その世話をしている女医の姿があった。サラの顔は赤みを帯び、目元に疲労の影が見える。それでも彼女は微笑み、力なく手を挙げてみせた。
「もう、大げさだよ…」
その声はか細いが、どこか安心感を与える響きがあった。
「初めは高熱でしたが、今は安定しています。ご安心を」と、女医が頭を下げる。
「それならよかった」
アルフレッドは胸を撫で下ろしたが、サラの消耗した顔つきに目を伏せた。
「お祝いするつもりだったのに、ごめんね」
「何を謝ることがある?お祝いなんていつでもできる。今は休むことが一番だ」
彼女を労わる言葉を残し、アルフレッドは部屋を後にした。その廊下で、彼の足を止める人物がいた。深紅の外套を羽織り、影の中でも存在感を放つ鋭い瞳の男――ロレインだ。
「お前だな、サラに力を使わせたのは」
静かだが低く冷たい声。その言葉にアルフレッドの眉が跳ね上がる。
「どういう意味だ?」
「場所を変えるぞ。ここで話すには不都合がある」
月明かりが照らす騎士の訓練場。そこに立つロレインの姿は、どこか闇に溶け込んでいるようだった。アルフレッドは剣を腰に収めたまま、その前に立った。
「話してくれ、サラのことを」
ロレインは口角をわずかに上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「お前、戦場で奇跡を起こしたらしいな。胸に刺さるはずだった矢がペンダントに当たり、無傷で済んだとか」
「それが何だ?たまたまだ」
「たまたまだと?お前が無事だった裏で、サラが高熱で倒れた理由を考えたことはあるのか?」
「それは…」
ロレインは溜息をつき、冷たく続けた。
「サラは、お前を守るために力を使った。その代償で命を危険にさらしたんだ」
その言葉にアルフレッドは何も言えなかった。
「そして、さらに問題がある」
「これ以上、何がある?」
「その力に気づき始めた者がいる」
数日後、予想通りレグネッセス王は奇跡の巫女の捜索を開始した。しかし、そのときサラはすでにパレディア城を離れていた。ロレインの手引きによるものだった。
彼女を巡る戦乱の火種は、ロレインの策によって大陸全土に広がり始める。彼の心には不気味な野望があった。
「戦乱は秩序を生む。混沌の中で生まれる新たな力、それを支配するのは俺だ」
彼の口元にはいつも冷徹な笑みが浮かび、誰もその真意を読み取ることはできなかった。
夜の静寂を切り裂くように、白虎騎士団本部の鐘楼が不気味な音を響かせた。冷たい月光が城壁をなぞるように照らし、血のように赤い月が空に浮かんでいた。その晩、騎士団の幹部たちが次々と命を落とす事件が起きた。それは突如として、まるで地獄の門が開いたかのように始まった。
ロレインがその中心にいたことは誰も知らなかった。
彼は暗がりの中でその計画を一つひとつ練り上げていた。標的は団長を含む白虎騎士団の幹部全員。そしてその計画を覆い隠す口実として、彼はある一人の少女を利用することに決めていた。
サラ――その名は、ロレインの中で特別な響きを持っていた。彼女の力はあまりに危険であり、そしてあまりに魅力的だった。彼女を手中に収めること、それがロレインにとって最も重要な目的となっていた。そして何よりも、彼女を他者の手に渡らせるわけにはいかなかった。
事件は緻密に計画されていた。ロレインは幹部たちの隠された不和や嫉妬心を利用し、互いを疑心暗鬼に追い込んだ。その混乱の中で、誰もがそれぞれの策略によって命を落としたと錯覚するよう仕向けたのだ。そして最後に、自ら副団長を手にかけた瞬間、すべてが完成した。
彼が剣を引き抜くと、副団長の身体は床に崩れ落ちた。鮮血が石畳に広がる様を見下ろしながら、ロレインは静かに微笑んだ。その微笑みは冷たく、まるで人の心を捨て去ったかのようだった。
「これで全ては俺の手の内にある。」
彼は後始末を完璧に行った。そして事件の痕跡は、サラの存在へと巧妙に結びつけられるよう仕向けられた。誰もが疑念を抱き、ついには王に報告が上がる。