8
「本日から、普通科目のみ、授業を受けさせていただく事になりました。飛騨ちとせです。よろしくお願いします」
この学院は十三歳から十八歳までの男女生徒が勉学に勤しむ学舎になっているらしい。世間で言うところの中学一年生から高校三年生までを、ここで過ごすんだそうだ。一世さんが言ったとおり、生徒の数はとても少ない。一学年に少ない年で二十人くらいしかいないそうだ。あたしが入ることになったのは十三歳のクラス。つまり一番年下のクラスで、深雪ちゃんと、赤石くんと同じクラスだった。この学年は二十三人が学んでいるそうだ。
始業前のホームルームの時間。担任の先生に案内されて、あたしは教室へと足を踏み入れた。同い年くらいの子たちの視線が、一気にあたしに降り注ぐ。ものすごく逃げ出したい気持ちで一杯だ。
自己紹介するように言われて、とりあえず名前を名乗ったけれど、そのあとが続かない。普通、どこから来ましたとか好きな食べ物とか言うところなのかもしれないけれど、だって記憶のないあたしには紹介するものが何もないんだもん。
突然の転校生の登場に、けれどあたしが杞憂する暇もなく、わあっと教室は湧き上がった。
「え、転校生まじ!?」
「飛騨ってことは深雪んとこの親戚かあ。何、交換留学みたいな?」
「交換留学って……別にここも日本だろ」
「でも普通のみって能力持ちじゃないんだろ」
「飛騨家なら能力のことなんか知り尽くしてるし、能力持ってない生徒が学院内のこと知っても問題ないでしょー」
「まあ、そうだよなあ、てか、可愛いくない?」
「あっ、あんたまたそうやって女の子にさちょっかいかけてさ、こないだも三年の先輩に……」
各々がわいわいと騒ぎ出して収拾がつかなくなった。右に左に会話のキャッチボールが投げ交わされていく。
「コラー! 静かにしなさい」
担任の教師が口を大きく開けて収集をつかせようと声を張り上げた。
「学院長によると、一時的にでも能力を持たない同年代との交流が必要だとの判断で、飛騨さんには入学してもらった。みんなの察してるとおり、飛騨家の了承もとってるし、飛騨さんも皆さんのような能力を持っている子たちの存在はわかっている。と言っても詳しくは知らないから、みんな優しく教えてあげるように」
若い男の担任先生、根室先生は学院長からあたしについてそうやって聞かされているらしい。なるほどもっともらしい理由だし、怪しくないような気もする。あたしは先生に指示されたとおり、窓側の一番後ろの席についた。
斜め前に座っていた深雪ちゃんが、嬉しそうにウインクで合図してきたので、あたしはちょっと照れて俯いた。美少女のウインクは真正面から受けるとやっぱり恥ずかしいものだよ、深雪ちゃん。
右隣には赤石くんが座っていたけれど、こちらは知らんぷりだ。全くあたしと目を合わせようとしなかった。
授業の内容は、特に問題なかった。教科書を読んで、文章題を説いているうちに、そういえばこんな文章読んだ気がするな、と思ったりする。数式を使って問題を解くと、こんな応用問題を解いた気もするな、なんて考えながら勝手に手が動く。それでも、こんな歴史習ったかな……と、単語帳を捲ったりもするし、とにかく必死でみんなに追いついていくしかない。
午前中の授業が全て終わった頃にはあたしはへとへとになって、机にへばりついていた。
「ちぃとぉせぇ。ご飯いこ」
「……深雪ちゃん、四限目眠ってませんでした?」
「ん?」
なんのこと? と白を切る深雪ちゃん。教科書を立ててぐうすか寝息を立てていたのは後ろから丸わかりだし、そうでなくとも教壇の上の教師からも丸見えだったはず。こう見えて深雪ちゃんも完璧超人って訳ではないらしい。
食堂やなくて購買でおにぎりでも買わへん? と誘われて、混み合う購買戦争を潜り抜けてあたしたちは裏庭のベンチに腰をかけた。花壇にはコスモスの花が綺麗に咲いている。もうすぐ秋が本格的にやってくる。そういえば今は九月だそうだ。木枯らしが吹き始めたら屋外での食事は厳しくなりそうだ。
「ちとせ、授業は問題なかった? まあ、当てられても答えられとったもんな」
「はい。きっと昔学校で、同じくらいの進捗で習っていたんだと思います」
「せやなあ」
おにぎりは、おかかとシャケを選んだ。とても美味しい。具材もそうだけど、ホクホクの粒立ったお米も美味しい。
もぐもぐと口に含んで、米粒を押し込んでいると、深雪ちゃんが天を指さした。
指さした先には何もない。青空が広がっているだけだ。
「なあに、深雪ちゃん」
「この空の上高くに何があると思う?」
「え? 何もないですよね」
顰めっ面をして目を細めてみる。何かあるのか目を凝らしてみたけれど、やっぱり何かがあるようには見えない。空は青いし、薄い雲が風に吹かれて流れていっているだけだ。
深雪ちゃんはツナマヨ握りを頬張りながら、ベンチに腰掛けた足をぶらぶらと揺らした。
「学院は、一般の国民に能力者の存在をバレへんように必死やから、当然セキュリティの技術も万全やねん」
「それは……そうですね」
「せやからね、結界が張ってあるんよ。この学院」
あたしは、片手で持っていたおにぎりを危うく地面に落とすところだった。慌てて両手で抱え直して、おにぎりが無惨に土まみれになることは避けることができた。
「ちな、魔法とかやないで。普通の科学技術」
「普通じゃないですよね!?」
むしろ魔法って言われた方が納得するかも。
「んー……結界っていうと、大袈裟なんやけど、バリアーみたいなもんで」
「それ、たいして変わってないですよ」
結界だかバリアーだか知らないけど、そんなものが学院に張り巡らされてるなんて驚きだ。いや、動物の力を引き出せる能力者がいるくらいだから、バリアーだって至って普通のことなのかもしれない。あたしのような一般人が知らないだけで。
「正確には『監視結界』とか呼ばれてるんや。学園をドームみたいに、半球体で包み込んどる」
「……あたし、複雑な科学技術とか、よくわからないんですけど」
「うちもよおわからん。最高峰の技術で作り上げられとって、そう簡単には侵入できへん。イメージ的には、何も見えないのにまるで何かに押されているかのように透明な壁に阻まれて、そっから先に進めなくなる」
本当にファンタジーの物語に登場するようなバリアーのような仕組みだ。それが現実世界に存在するなんて。
「それだけやないで。その結界に触れると、最初は静電気くらいにピリッと電気が走って、次第にビリビリなって、最後には失神する」
「え! 怖い!」
「まあ、監視結界やから……侵入者に大して何かしら制裁せな、意味ないやろ」
「半ドームってことは、空中でも同じことが起きるんですか」
「同じやな。すごい風を真正面からビュンビュン受けるみたいに、跳ね返しにあうんやて。で、必死に入ろうとして抵抗しているうちに気を失うらしいで」
「ひええ……」
「ちなみに外からの侵入を防ぐんと同じで、内側からも逃げられへんようになっとる。せやから、正式な出入り口以外の壁に、簡単に近づいたらあかんで」
「はい。気をつけます……」
田畑から野生動物を守る電子柵みたいだな、と思ったけど、あれは高圧な電流が流れているし、一発でバチっと電流が流れるから仕組みとしてはかなり遠いかもしれない。どちらにせよ、ハイテクノロジーな技術に対する知識なんて、これっぽっちもないのだから、深くなんて考えられない。
あたしはもう一度空を見上げた。じゃあ、強い翼を持つ飛行クラスの子達も、自由に学院を出入りできるわけじゃないんだな。
「あの、生徒たちって別に閉じ込められてるわけじゃないんですよね?」
「当たり前やん! 長期休みはみんな家に帰るし、そもそもそんなことしてみぃ。出資してくれてるお偉いがたの子供たちも通ってるんやで。えらいこっちゃになるって」
そうか。籠の鳥ではないんだな。あたしはどこか、ほっとした。