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「おっはよ~! ちとせ。久しぶりやな」

「お、おはようございます。深雪ちゃん」


 あれからお医者さんに毎日体を診てもらって、気が付けばあっという間に二週間経っていた。その間、深雪ちゃんは時々顔を出してくれていたけれど、あたしが学院について聞こうとするたびに「見た方が早いねんから」と言って部屋から飛び出して逃げてしまうのだ。あたしは思うように体も動かせないし、深雪ちゃんに問いただせないしで、ヤキモキしながらベッドの上で過ごすことになった。

 記憶喪失についてもお医者さんと色々お話しして深掘りした結果、あたしはあたし自身のことだけがすっぽり抜け落ちているみたいだった。例えば、ここが日本であることや、今まで習ってきた勉強の内容とかは覚えてる。信号の渡り方も、お金の数え方もわかる。けど、それをどこで習ったんだっけと思いだそうとするたびに、頭の中にもやがかかってぼーっとしてしまう。


「無理に思い出さないほうが良いですよ。体調を崩さないことが先決です」


 お医者さんの診断に素直に従って、あたしはベッドの上で本を読んだり、部屋の中で少しずつ体を動かす練習をしたりした。

 怪我が治りかけてきて数日後、あたしはようやく自分の姿を鏡で見せてもらった。予想だけど、目覚めたばかりのあたしは、全身怪我だらけで、そんな姿を見てあたしがショックを受けないように、ある程度治ってから見せようと、お医者さんは配慮してくれていたみたいだ。

 姿見の前にたった自分を見て、あたしは「あたしだ」とは何も思えなかった。見知らぬ女の子が突っ立っている。

 光が入ると若干青みがかった色の入る黒髪の毛は、肩のあたりで綺麗に切り揃えられている。数日前、深雪ちゃんが連れてきてくれた美容師さんが綺麗に切りそろえてくれたのだ。くるんと内巻きになっているのは、ちょっと気に入っている。髪の毛とおんなじ目の色と、背丈は多分深雪ちゃんと同じくらい。深雪ちゃんみたいなとびきりの美少女じゃないから、姿を見てもこれ以上何も表現する方法がなかった。ガッカリもしなかったし、惚れ惚れもしなかった。そんな感じだ。

 そして昨晩、「部屋の外に出ても問題ないですよ」とお医者さんからお墨付きをもらったのだ。ずっと気になっていた学院の中を探検したいと、あたしは深雪ちゃんに毎日熱く伝えてはいた。深雪ちゃんは深雪ちゃんで「早ようちの学院をちとせに紹介したいんや」と乗り気だったから、昨日の夜はお互いわくわくしていた。


「深雪様、ちとせさんは病み上がりなのですから、あまり急かしてはいけませんよ」

「わかってるっちゅーねん。さ、行こか」


 ようやく寝室の外へと一歩踏み出した。どこかのお屋敷みたいな、広くて長い廊下が広がっていた。床にはふかふかの深紅のカーペットが敷いてある。


「まず、この建物はどこなんですか?」

「ここ? 学院の敷地内にあるうちの家やで」


 家かあ。家よりお屋敷、言い方を変えるとお城みたいだよなあ。ひらひらのワンピースを着た深雪ちゃんは豪華な建物の中にいても全然見劣りしていない。あたしは深雪ちゃんに借りたおとなしめのタータンチェック柄のワンピースを着ていた。深雪ちゃんはしきりに、お揃いのフリフリしたフリルのついたワンピースを着せたがったけど、見るからに似合っていなかったから丁寧にお断りした。

 長い長い廊下を抜けて、ようやくお屋敷の出口が見えてきた。一世さんみたいにきっちりとした服装を着込んだ人や、メイドさんたちが深雪ちゃんを見るたびに深くお辞儀をして「いってらっしゃいませ」と声をかけている。深雪ちゃんはそうやって声をかけられるたびにわざわざ足を止めて「行ってきます!」と元気よく返事をしていた。

 一世さんに玄関扉を開けてもらい、外へ飛び出す。広がった光景に、あたしは思わず「わああ」と声を上げた。

 きっと、このお屋敷の真正面に見えるのが学院だろう。深雪ちゃんが紹介したくてたまらなかったニュンフェスピリスト学院。

 真っ白な壁の建物が、横に長く長く続いている。綺麗な赤茶色のレンガの屋根も相まってどこかのヨーロッパの建物みたいだ。真正面には高い時計台があって、中央には大きな噴水まである。ここってほんとに日本の学校? あたしが通ってた学校は相変わらず思い出せないけど、多分普通の学校ってこんな感じじゃないよね? お金持ちの学校はみんなこうなのかな。


「さて。まずちとせには、うちが超能力者だってこと信じてもらわんとな」

「あれって、冗談ですよね?」

「冗談で超能力の話とか、あの場面でせんやろ。ちゅうか、一世の能力見たやん」


 冗談じゃないのか。あたしがびっくりして声も出せないのを、深雪ちゃんは黙ってついてきてくれていると勘違いしているみたいだ。ただそれも半分正しい。あたしは深雪ちゃんの後にただ大人しくついて歩いた。

 深雪ちゃんは学院の建物を突っ切って、やがて広い屋外プールまでやってきた。プールは丁寧に手入れされているのが一目瞭然で、澄んだ美しい水面に細やかな波紋が広がっている。朝の日差しがキラキラ輝いていて、プールサイドにカビや黒ずんだ汚れのひとつもない。

 深雪ちゃんはあたしに向かってニコッと微笑みかけると、いきなり後ろ向きにプールに向かって倒れ込んだ。あたしが助けるために伸ばした手なんてなんの意味もなくて、そのままざぶんと大きな音がして、深雪ちゃんはプールの水底に沈んで行ってしまった。


「深雪ちゃん!」


 しばらくプールを見つめていたけれど、深雪ちゃんは浮かんでこない。どうしよう、早く助けを呼ばなくちゃ。それともこれも込みで深雪ちゃんのサプライズだったりする? あたしが愕然としてプールサイドにしゃがみ込んでいると、水面にぶくぶくと細かい泡が波たった。

 そして次の瞬間。


「よ、びっくりした?」


 ざばあ、と水を掻き分け深雪ちゃんが水から顔を出した。ニコニコとした深雪ちゃんには、溺れかけた恐怖心のかけらもない。ただ、あたしは深雪ちゃんの平然とした様子よりも、変わり果てた姿にびっくりして、声が出せなかった。

 深雪ちゃんの背中の後ろから、パシャンと水を跳ねさせている何か。それは魚の尾っぽだ。でも、魚のように見えて鱗の一つもついていない。つるつるして真っ白だ。それが、あたしの目がおかしくなければ、深雪ちゃんの足があったはずのところから生えている。かわいい深雪ちゃんの白いフリルのワンピースから、同じように真っ白な尾がにゅるりと生えている。深雪ちゃんの顔立ちもあって、まるで可憐な人魚姫みたいだ。


「びっくり、しました」

「信じた? あたしのことも、学院のことも」

「多分……」


 それよりも改めて考えてみるとこれって、超能力者? 超能力ってエスパーとか瞬間移動とかをイメージしてたんだけど、だいぶ違うみたいだ。あたしの心を読んだみたいに、深雪ちゃんはプールの浅いところをスイスイ背泳ぎしながら気持ち良さそうに笑う。


「時々な、〝動物の力〟を引き出せる子供が、産まれるんやて。うちの場合はシロイルカ。ベルーガともいうねん」

「つまりここは、そういう子供たちが集まった学院ってことですか」

「あんな、日本で生まれたらな……実は、こっそり全員出生時に検査されてんねんで」

「え!」


 衝撃の事実だ。


「そんで、十三歳になる年度にこの学院に進学することになってんねん」

「えっと……それは強制ですか?」

「んー……まあ、半分そうかも」


 スイスイ泳いでいた深雪ちゃんは、プールサイドに腰を抜かして尻もちを付いていたあたしに近づいてきた。


「まず、生まれたての時は『力を引き出せる能力がある』だけで、どんな動物の力が引き出せるかはわからんねん。大人になるにつれて、わかってくる。そんでもって、その力はコントロールできないと……まあ、大変なことになる。あたしはイルカやからええで? でも例えば百獣の王、ライオンだったらどないする?」

「自分の大きな力を、コントロールできないってことですか?」

「そう。それは自分にとっても困るやろ? せやから家族も本人も納得して入学してくるな。まあ、別に入学したからといって閉じ込められるわけでもないし、家にはお金が国から振り込まれるし」

「お金が」

「まあ、大事なお子さん預かりますよーってのと、将来国のために働いてもらうんで頼みますよー、みたいなもんちゃう?」


 とても一人では受け止めきれない、大きな話だ。あたしはとんでもな知識を詰め込まれて段々酸欠状態のようにクラクラしてきた。


「この学院と能力のことは、国と、この学院の生徒さんと、その生徒のご両親さんしか知らないってことですよね」

「まあ、こんな突拍子もない話誰も信じへんし。あんま生徒もおらんし。ああ、あとそうや、この能力は遺伝が多いねん。せやから、理解のある家が多いっちゅうのもある。もちろんそうじゃない、突然目覚める子もおるんやけどな」

「はあ……」


 相変わらずプールの水はキラキラしてて、深雪ちゃんはそのキラキラ光輝くの星の粒を全身に纏って、いつもよりより一層美しかった。

 特殊な能力を持っていて、体の一部が急に変化した深雪ちゃんをみても、かっこよくて素敵だなって思っちゃって、あたしはぼうっとプールを見つめていた。急な展開についていけなくても、人間って綺麗なものを見つめると心が安らぐみたいだ。

 平和な時間。穏やかでゆったりとした、心地のいい時が流れようとしたその時、空に何かの影が一つ浮かんだ。


「えっ」


 その何かがビュンっと急落下してくる。空から水に向かって、勢いよく落ちてくる。いや、飛び込んできた。



 ――サブン。



 あまりに突然の出来事で、あたしは何もできなかった。大きな波飛沫が襲いかかってきて、プールの端っこに居たあたしは、ぐっしょりと全身びしょ濡れになってしまった。

 波飛沫の発生源は水に沈んだかと思うと、すぐに水面から再び水飛沫を上げながら、ビューンと飛び出し浮上してきた。

 鳥だ。それも、大きな翼の鳥だ。

 焦茶色と白の入り混じった、大きな翼の生えた男の子が空中に浮いている。さっきは魚で、今度は鳥。深雪ちゃんが足が魚の尾っぽになったように、男の子の腕は翼に変化していた。

 鳥の翼と同じように、焦茶に黒茶色、そして白髪の混じった男の子だ。その男の子はあたしを睨みつけた。それが大きな鷹や鷲のような鋭い目で、あたしはびっくりして固まってしまった。



「なんでここにいるんだ」



 男の子はつっけんどんな態度だ。まるであたしが悪者みたいな気分になってくる。 


「……な、何がですか。邪魔にならないように、脇にいたつもりなんですけど」


 男の子は押し黙った。ぴたりと空中で止まって、あたしを上空から相変わらず睨んでくる。

あまりに最悪なムードのあたしたちを仲裁するように、深雪ちゃんが水面から男の子に向かって怒鳴り上げた。


「赤石! あんたなにすんねん! 今うちの美しい姿をちとせにお披露目しとったところやったのに」

「今日のプールの使用権は俺がとってる。お前がいくら学院長の孫だからって許されるもんじゃない」


 赤石と呼ばれた男の子はふん、と馬鹿にするみたいに鼻で笑った。

 なんでここにいるのかという言葉は、あたしじゃなくて、あたしと、あたしを連れ込んだ深雪ちゃんに掛けられた言葉だったみたいだ。

 ただ、また男の子はあたしの方に向き直って、見下してきた。


「そもそも。そこのお前はどこのクラスだ」

「ちとせは今度うちらの学年に転入してくるんや。うちの従姉妹」

「あ、はい……えっと、飛騨ひだちとせです」


 飛騨、というのは深雪ちゃんの親戚筋の苗字らしい。苗字の分からないあたしに、仮の苗字として深雪ちゃんが与えてくれた。


「へえ、学院長孫のお気に入りなら、特別待遇で学院に入りたい放題ってわけか」

「赤石!」


 すごく嫌味な言い方だった。深雪ちゃんだけじゃない、あたしに対しても非常に苛立たしいと声でも顔でも示している。

 深雪ちゃんがカッとなって顔を真っ赤にしても、赤石くんはどこ吹く風だ。言い争うつもりはないらしい。そのまま強い翼で、あっという間にどこかへ飛んでいってしまった。

 白くて綺麗な尾っぽで、深雪ちゃんは水面をピシャリと叩いた。


「あいっつなんやねん! 何あの態度!」

「ま、まあまあ深雪ちゃん。しょうがないですよ。この学院の子って選ばれたすごい子たちだけなんですよね。それなのに、いきなりあたしみたいなのが来たら、ちょっと気に入らないのも分かりますよ」

「んな、ちとせがコネ入学だとでも言うんか!」

「まあ、あながち間違ってないかもしれないですけど……」


 あたしの言葉に深雪ちゃんがぐぬぬ、と口を噛み締めた。確かに、と同意するのが悔しいみたいだった。


「ちゅうか、ちとせ、水浸しやん! 早よ着替えな風邪引いてまう!」

「ああ、せっかく着せてもらった深雪ちゃんのお洋服が……」

「んなこと気にせんでええ! さっさと更衣室行くで!」


 そこにいるんやろ一世、と深雪ちゃんが声をかける。あたしが後ろを向くと、いつの間にか一世さんが後ろにぴしりと立っていた。着替えの洋服を手に持っている。まるでこうなることが分かりきっていたみたいだ。


「そういえば、一世さんは何の能力なんですか?」

「私ですか? コウモリ、ですよ」


 あたしの中の悪魔への疑いは、一世さんの笑顔で払しょくされた。あたしは静かに心の中で謝罪した。


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