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「記憶喪失ってやつやんな?」

「そう……みたいですね」


 あれから。

 あたしが自分が誰かも分からなくって、どこから来たかも分からないと告げた途端。スーツの男性――一世さんはくるりと部屋の入口へ向かい、早歩きでどこかに行ってしまった。それからしばらくして白衣のお医者さんを数人連れてきて、あたしはベッドに座ったまま、何個か質問をされて、しどろもどろになりながらどうにか答えていた。深雪ちゃんは一世さんに手を取られ、診断の間は別室で待機させられていたみたいだ。一通りの診断が終わって、お医者さんが一世さんたちを呼びに行くと、待ち侘びた深雪ちゃんが部屋に飛び込んできた。

 深雪ちゃんも深雪ちゃんなりに、あたしの状況を理解してくれているみたいだけれど、あたし以上に悲しそうでなんだかそれがとっても嬉しかった。あたしは自分のことが何一つわからなくて、これからどうなるんだろうって不安しかない。けれど、あたしのことを全然知らないはずの彼女が、これでもかって言うくらいに悲しんでくれていて。それで、まるであたしに起こっちゃったことを自分のことみたいにショックを受けてくれていて。

 正直自分自身ではこの状況を全て受け止めきれてないんだけど、こんなに優しい心を持った深雪ちゃんがここにいてくれてよかったなって思う。


「そんなあ。せやったらどうしてそんな怪我まみれになってんのかもわからへんやん」

「そういえば……全身すごい傷だらけですね、あたし」

「せやねん!」

 

 深雪ちゃんはベッドの上に乗り上げてきて、あたしの両手をぎゅうっと握りしめた。


「あんな。うちいつも夜に散歩するのが日課なんよ。その日もな、一世と一緒に庭を歩いとったらな、茂みの奥からガサガサーって音がしてん。もしかして野良猫でも迷い込んだんかなって思ったらな、いきなりや。いきなり、あんたが草むらの中からこっちに向かって、どしゃーって倒れ混んできたんや」

 

 自分が見た光景を、そのままあたしが実体験できるように臨場感たっぷりに深雪ちゃんは伝えてくれる。


「それはすごいびっくりしましたよね。ごめんなさい」

「謝ることない! やってあんた怪我人やん! でな、うち慌ててあんたのこと、米俵みたいに担ぎ上げようとしたんやけど上手くいかんし、いっつも冷静沈着男の一世も驚いて固まってるしで。うちら、もんのすごいドタバタっぷりやったんやで」

 

 そんで、騒ぎを聞きつけた警備の人にな、ここまで運んでもらったんや。深雪ちゃんの説明を聞きながら、あたしは深雪ちゃんの手が髪にも負けず劣らず真っ白なことに気が付いた。

 あたしの手を握る深雪ちゃんの手はすごく綺麗だった。指は細くって、爪の先までピカピカで、桜貝みたいな綺麗でまんまるな爪だ。手のひらはすべすべしていて、傷一つない。対してあたしの手は爪が黒ずんでボロボロで、所々欠けていた。指の腹はボコボコになっちゃってるし、手の甲に大きな傷がある。

 深雪ちゃんってどこかのお嬢様なのかな。それなのにこんなにボロボロのあたしに親身になって心配してくれてるんだ。


「ごめんなさい」

「なんで謝るん?」

「だって……助けてくれたのに、あたし。自分のこと何もわからなくて。貴方のことを混乱させて、困らせてますよね」

「それは謝る理由にはならへんやろ」


 今のあたしが触るのには勿体無いくらいの新雪みたいな艶々した指先から手を離そうとしたら、逆に力いっぱい両手で握りしめられた。綺麗な黒黒とした大きな瞳が潤んで、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。もしかして、こんなに綺麗な女の子が流す涙って真珠になったりするのかなあ、なんてバカみたいなこと考えてしまった。


「何があったか分からへんけど、うちと同い年くらいの女の子がな、ボロッボロで、まるでどこかから逃げ出してきたみたいに飛び出してきてな。そんなん、あんたにどこに謝る理由があるん? それに、今何もわからんで、一番苦しいのはあんたやん。うちの心配なんてなんもする必要あらへん! あんたが自分で自分のこと大事にできへんのなら、うちが大事にする!」

「深雪様、また困らせてしまってますよ」

「うるさい一世! ここで言わんとこの子、自分で自分を可哀想って思えへんかもしれんやんか!」


 一世さんに怒鳴り返す深雪ちゃんを見て、あたしは思わずぷっと吹き出してしまった。

 そんなあたしを見て、深雪ちゃんはきょとんとあたしを見つめ返す。


「ふふ、すみません。なんだか……初対面のあたしに、すごく必死な貴方を見ていたら、なんだかすごく……うん。すごく」

「おもろかった?」

「はい。面白かったです。心配してくれてるのに面白いって言うのが正しいのかも、分からないんですけど」


 深雪ちゃんは、猫みたいににやあっと笑って、あたしに抱きついた。あたしは思ったより全身傷だらけみたいだったから、ぎゅっと抱きしめられると全身ビキビキっと音を立てるみたいな痛みが広がったけれど、深雪ちゃんが「おもろいのが一番に決まっとるやん!」とケタケタ笑うので、もうどうでも良くなってしまった。あたしはそうして、意識を取り戻して初めて声を立てて笑った。


「あ、そうや。あんた首にペンダント掛けてたで。目ぇ覚ましたら渡そうと思ててん」


 もしかしたら名前とか書いてあるんとちゃう? と深雪ちゃんから渡されたのは、煤けた金色のペンダントだった。まんまるの飾りがついている、いわゆるロケットペンダント。バネ仕掛けで開くみたいだから、何も考えずにロケットの部分をぱかっと開いてみた。

 ロケットの中に自分に関するヒントになるような写真が挟まっていたら、と少し期待したけれど、中身は空っぽで、なんだか拍子抜けしてしまった。けれど代わりに、片方には何かをはめ込めるようなくぼみと、四つの爪のようなものが付いていた。もう片方側には、はっきりと読み取ることのできる文字が刻まれている。



「DEAR CHITOSE」



「『親愛なる、ちとせへ』、という意味ですね」

「ほな、あんたの名前は『ちとせ』、なんちゃう?」

 英語で書かれていた文字を、すかさず一世さんが訳してくれた。

 ちとせ。ちとせ。何回か心の中で唱えてみる。うん。なんだか自分の名前のように思えてきた。

「そうかもしれません。ちとせ。きっとあたしの本当の名前です」

「ちとせ! ええやん。可愛い名前やなあ」


 うりうりと頭を撫でられて、まるでペットになった気分だ。


「それにしても……名前がわかっても、どうしようも無いですよね。あたし、これからどこへ行けばいいんでしょうか」

「ん? どういうこと?」

「だって、あたし結局身元不明で、こんなにボロボロで、何かの事件に巻き込まれた人かもしれないんですよね? 警察に……行かないと、なんですよね?」


 ここまで親切に看病してくれた深雪ちゃんと一世さんには感謝しかないけれど、いつまでもここに居ていい訳がないくらい、記憶喪失のあたしにだってわかる。あたしが何歳かわからないけど、多分深雪ちゃんと同い年くらいで、小学校高学年か中学生くらいだと思う。そんな子供一人、いつまでも深雪ちゃんのお家がお世話してくれるわけがない。


「いや? 警察には行かなくてええで。というよりどっかに引き渡すつもりなら、こうして何日も看病してへんもん」

「へ……?」


 けれど、深雪ちゃんはあっけらかんと否定した。一世さんはというと、今度は深雪ちゃんを止めるつもりはないようで、同意するように大きく頷いている。


「警察にはとっくに調査してもらっとる。怪我が治るまで安静にしたらええし、治ってもここにおったらええよ」


 あたしはよく事態が飲み込めなくて、慌てて首を振った。


「いや、そ、そんなお世話になるわけには……というよりも、そんなことして大丈夫なんですか?」

「ちとせさんのような幼い少女が傷だらけで倒れていらっしゃったのです。無闇やたらに外に出る方が危険なのでは、とこちらも判断致しました」

「せや。警察にもそう言ったら、そういうことならお任せしますーって言ってくれはったよ」


 今、なんて言った?

 あたしが聞き返す間もなく深雪ちゃんは当然やろ? と返してくる。なんだかこんなにもあたしを安心させてくれていた笑顔が途端に怖くなってきて、背筋がピンと伸びた。


「あの……」

「なんや?」

「深雪ちゃんって、何者なんですか」

「……いやや、そっちの名前聞いたのに、確かにこっちが名乗るの忘れてたやん。失礼なことしてごめんなあ」


 深雪ちゃんはベッドから降りると、天使みたいなふわふわの白いワンピースを翻して、ちょっとだけスカートの端を掴んでお辞儀をした。お嬢様なんてものじゃなくて、どこかのお姫様みたいだった。


「ここはニュンフェスピリスト学院。うちはここの学院長の孫娘で、木曽深雪。こっちはうちのお付きの経ヶ岳(きょうがたけ)一世」

「にゅ、ニュン?」

「ああ、ちとせに記憶があったとて、多分知らんかったと思うで。ここは普通一般人は知ることのない学校やねん」

「どういうこと、ですか?」

「んー……まあ、複雑な話やからな、ちゃちゃーっと話すんやけど。ここは超能力者みたいなのを持った子たちが集まる、国の偉い人たちが作った学校やねん。そんでかるーい治外法権ってやつで……警察の偉い人も、そう簡単に学院には逆らえませんよって話でな」

 

 まさかの展開に、あたしは話についていけない。


「ちょ、ちょっと待ってください。もしかして、記憶がないあたしを揶揄ってますか?」

「まさか……んなわけないやん。でもまあ、百聞は一見に如かず、やなあ」

 

 深雪ちゃんが後ろに控えている一世さんを振り返る。

 一世さんは心得た、とひとつ頷いた。あたしが突っ込む間もなく、一世さんの全身が大きく震え、次の瞬間。



 バサリ



 真っ黒のスーツの後ろに広がったのは、悪魔のような大きな真っ黒な翼。にこにこと笑う真っ白な美少女の深雪ちゃんが天使なら、こっちはまるで対比すると悪魔のようだ。

 膜の張った黒い両翼をいきなり目の前に広げられて、あたしは困惑するしかなかった。

 これって……手品ですよね。

 そう口を開き掛けたのに、なんだか突然眠気が襲ってきた。眠りたくないよ、今とっても気になるところなのに。

それなのに頭の中がとろとろとろけるみたいで、体が徐々に重しが乗ったみたいに、全身が重くなってきて、あたしは柔らかいベッドの上に沈んでいく。


「今は休んどき。大丈夫。起きて元気になったらちゃんと説明する」


 本当に? 約束だよ?

 ていうよりも、超能力者なんてやっぱり信じられない。深雪ちゃんがあたしを元気づけるためについてくれた嘘なんだよね?

 頭の中でぐるぐる駆け巡った、深雪ちゃんに質問したい言葉たちは、眠りに負けてあたしの頭の中でどろっと溶けて消えていってしまった。

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