中編ー④
「少々お待たせして申し訳ございません」
そう言ってにこやかに広間へと入ってきたのは、皇太子であるエレディーと第二皇子であるスーディオ、そして当事者であるカトレアの三人だった。
平民であるリアリーと当事者ではないソレラは魔導人形を運んできた衛兵たちと共に、公爵家へと先に向かっている。
最初は「離れたくないですわっ」と涙ながらにエレディーへ訴えていた彼女だったが、彼から助けを求める視線を受けたカトレアから頼み事を請け負い、彼女はリアリーとルンルン気分で帰っていく。彼女の役に立てる事が相当嬉しいらしい。
一方で広間で三人を迎えた王国側の王侯貴族たちの顔色は土気色である。今更、彼女の血筋の事を思い出したのか……皇族たちとは交流がないと踏んで、彼女を利用しようとしたのかは分からないが、どちらにしろ女帝陛下がこの国の王族に対して悪印象しかない事には変わりがないのは事実だ。
宰相の隣には、両脇を衛兵に掴まれて項垂れるナルシスがいる。三人が入ってきた音に気づき顔を上げた彼は、皇族である二人の後ろから歩いてくるカトレアを見て、前に出ようと身をよじろうとするも、力ずくで取り押さえられている。
広間の扉が閉まると、壇上に座っていた陛下がエレディーたちに頭を下げた。
「この度は愚息が大変申し訳ない事を……」
隣に座っている王妃陛下も頭を下げているが、歯を食いしばって悔しがっている様子が見えた。そんな二人を凍りつくような視線で一瞥した皇太子は、すぐさま和かな表情で彼らに話しかけた。だが、表情とは違い口調は辛辣だ。
「ははは、ええ。こちらは相当驚きました。我が皇族の血を受け継いでいる……はとこであるカトレアへと冤罪をかけるなど、何かの茶番でしょうか? ……いや、茶番であったとしても悪趣味だとは思いますがね。幸いな事に今回被害に遭ったのは金属で作られた人形と、女帝陛下から借り受けていた宝石でしたが……そもそもか弱い女性を蹴り上げるなどナルシス殿は王国でどんな教育を受けたのでしょうかね」
そう言われた両陛下の顔から血の気が引いていく。特に先程唇を噛んでいた王妃陛下の顔は、今や絶望に彩られている。今更事の重大さに気付いたのだろう。
ナルシスも彼らが自分の行動を許す事はないと気づき、顔を真っ青にする。
「しかも彼女がこのような扱いを受けた原因が妬みだとは……そんな浅ましい感情に駆られる王族など、必要なのでしょうか? どう思われます、王妃陛下」
名指しされた彼女は血の気が引いた頬にさあっと赤みが差す。まるで皇太子は今回なぜこのような事が起きたのか、全てを理解しているとでも言いたげな表情だった。
王国側の参加者は誰も声を上げる事ができず、青い顔で俯いている。そんな彼らを気遣う事なく、皇太子の追及は続いた。
「女帝陛下は今回の件に関しては『己の立場を理解していない者たちに統治は務まらぬ』とご立腹でございます。そのため、陛下からの勅命を私が代理で読み上げます」
その言葉にどよめきが広がる。従属国になって以来、皇帝陛下からの勅命など一度も発令された事はない。帝国の下で甘い汁を啜ってきた時代は終わりを告げたのである。
「まず、現国王陛下におきましては、5年後を目処に譲位を命じます。そして王太子であるナルシス殿下は廃嫡し、次期王太子にわが国の第三皇子を任命します」
「なんですって……!?」
声高に叫んだのは、王妃陛下だった。息子ナルシスが廃嫡になり、帝国の皇子を王太子として指名するなど、帝国による乗っ取りに他ならない。当事者であるナルシスもその命令に愕然としている。
だが、帝国側からすれば当然の対処だ。カトレアは皇位継承権を持つ時点で王国の頂点である両陛下よりも地位が高いのだ。今ここで甘い処分を下せば、また王国の貴族たちは同じことを繰り返すに違いない。後々面倒な事になるのであれば、今ここで潰すべきなのだ。
そう考えている皇太子たちは涼しい顔をしている。
「何か異論でも?」
「帝国は我が王国を乗っ取りたいのですか?!」
そう王妃は叫ぶが、皇太子は鼻を鳴らす。
「ほう、面白いお話ですね。そもそも王妃陛下、現在の王国の統治体制は、帝国の慈悲である事をご存知ないのですか?」
暗に「そんな事すら知らない王妃などいらない」と皇太子は鼻で笑う。その様子を見て、馬鹿にされた事に気づいた王妃陛下は顔を真っ赤にして黙りこくった。
「ご存知でないようですので……この場を借りてお伝えいたしますが、王国が帝国の従属国になった際、当時の王弟であり反戦争派の大公を王位につけたのは、当時の皇帝が『無理に頭をすげ替えると王国に良い影響を与えないから』との理由でした。そして皇帝が代替わりをした際に改めて自治を認めたのは、当時の皇帝が王国を信用していたからです。その信用の積み重ねにより、今日まで王国は名前も……王族の血も絶える事なく、現在に至るのです。そんな王国が帝国の信用を失ったら、こうなると思い付かなかったのでしょうか……同じ統治者として、危機感がないと言わざるを得ませんが」
そう彼が諭せば、王国側の貴族は誰も反論しない。彼の意見が正論であるからだ。先程怒りから顔を赤くしていた王妃でさえも、顔面蒼白になっている。彼女はやっと王国の立場を思い出したのか……それともこんな事になるとは思っていなかったのか……どちらにしろ、問題にしかならないが。
あのナルシスでさえも顔から血の気が引いている。そして縋るようにカトレアへと何度も視線を送っているが、頭を下げている彼女に気づかれていないと理解し、首を垂れる。
兄の言葉と王国側の王侯貴族を見て、スーディオは眉間に皺を寄せた。彼がそういう表情を見せたのは、全てを鵜呑みにしている王国側の者たちを見て、無知は恥だと笑い出しそうになったためだ。
正確に言えば、帝国側が自治を認めたのは王国を信用していたからではない。
当時の国王陛下が帝国に対して宣戦布告した原因に、実は敵国の存在があった。帝国の調べによると、戦争賛成派の裏には敵国が関係しており、敵国の間者に唆された王族が起こしたものだったのだ。
そのため、帝国としては既に降参した王国に人員や時間を割くよりも、それ以上に厄介な敵国へと手を回したい、ぶっちゃけてしまえば王国の統治が面倒というのが帝国の本音だった。
そこで目をつけたのが戦争反対派の大公であった。当時の大公は帝国の事情をよく理解した上で、統治を行っており、彼の息子も父のように帝国の情勢を理解した上で統治を行っていたからこそ、王国の存続が現代まで許されたのだが……。
そんな彼の子孫が今やこんな体たらくである。それならこの機会に帝国の一領土として取り込んでしまおうと、女帝陛下は考えたのである。
「本当に……あなた方は何度あの国に利用されれば気が済むのでしょうか……易々と王族に間者を近づけさせているのですから、危機感がないのでしょうがね」
ため息をついて言う皇太子に、思わず目が点になった国王陛下が尋ねた。
「間者、とは何のことでしょうか?」
「ナルシス殿と共にカトレア嬢を断罪したピアレ、という令嬢の事です。彼女は我が国の敵対国から送られた間者ですよ」
そう皇太子が伝えれば、周囲は一瞬で騒々しくなった。両陛下の表情は先刻よりも血の気が引いていて、驚きからか鯉のように口をパクパクと開閉する。
衛兵から両脇を開放されていたナルシスは、彼の言葉に目を見張る。全く気づかなかったのだろう。
「カトレア嬢はピアレが間者であると早々に我々に報告してくれましたから、もう既に彼女の身元に関する調査は終わっており、現在彼女の身柄は帝国で拘束しています。我が帝国は実力主義。無能は要らないのですよ」
「……そんな」
ピアレが間者である事を知らされたナルシスは、身体の力が抜けたようでドサリ、という音と共に膝をついた。そしてその奥で声も出ないのか、冷や汗をかいている両陛下を皇太子は一瞥した後、周囲を見まわして告げる。
「それでは、私は陛下に報告をいたしますので、ここで失礼します。処分についてはまた改めて」
そう言って皇太子と第二皇子は二人とも扉の方向へ向く。後ろにいたカトレアは、二人を先に歩かせるためにカーペットの端に寄って頭を下げた。呆然としている王国側を放置して、二人は扉に向かって歩いていく。カトレアもそれに続こうと背を向けた時だった。
「カトレア嬢! 何卒ご慈悲をいただけるよう説得してくれ!」
「そ、そうですわ! 私は貴女を可愛がっていたじゃない!」
「りょ、両陛下の言う通りだ! お前が女帝陛下に王家存続を願い出れば、きっとそれが叶うはずだ!」
「その後は、また楽しく私たちと公爵家で過ごしましょう? ソレラも一緒に、ね?」
後ろから彼女へ懇願する声が複数上がる。王座に座っている両陛下と、宰相とナルシスの後ろで青褪めながら様子を窺っていたカトレアの父と義母だ。その声に彼女は進めていた足を止め、後ろを振り向いた。
カトレアがこちらを向いた事に彼らは希望を持ったのか、期待を込めた瞳で彼女の事を見つめている。彼女の後ろにいる皇子たちは身体をカトレアへ向け、彼女の行動を止める事なく、むしろそれを推奨するかのように事態を見守っている。その顔には馬鹿にしたような笑みを湛えているのだが、必死になっている四人はその事に気が付かない。
二人のその表情に気づいたのは、宰相とナルシスだけだった。宰相は表情を変える事なく冷ややかな視線でこの茶番を見つめており、ナルシスは彼らの笑みでどうにもならないところまで事が運んでしまったと絶望する。
そして希望に目を輝かせていた四人は、カトレアの表情を見てさあっと血の気が引いていく。彼女の視線に全く親愛の情や温かみが宿っていなかったからだ。
「両陛下、公爵夫妻……それは面白い冗談ですわね。だから『無能』だと言われてしまうのですよ。早く己の立ち位置を理解した方がよろしいと思いますわ」
そのままぺこりと頭を下げて、カトレアは皇子二人と共に退出する。彼女たちが退出するまで、だれも動くことはなかった。