中編ー②
ナルシスたちが見下ろしているはずなのに、何故か低い位置に佇む彼女が、彼らを見下しているように見えるのは、彼らが色々やらかしたからだろうか。
周囲を囲んでいた野次馬の令息令嬢たちは、彼女の顔を見て阿鼻叫喚になる。
目の前で倒れている人間とほぼ同じ顔の人間が現れたのだ。まるで今現れたリーヤを幽霊でも見るかのような恐れを含んだ目で見つめた。
カトレアに双子の姉妹がいたという話は聞いていない。いるのは義妹のソレラだけだ。
そのソレラもいまだにこちらを睨み続けている。
ナルシスは目を見開いた後、声を震わせながら後退りする。
「な……な……」
「ふふ、これでお分かりになりましたか?」
騒々しい周囲をものともせず、まるで悪戯っ子のようにコロコロと笑う彼女に恐れ慄くナルシス。今でも耳障りな叫び声が周囲から上がっているにもかかわらず、何故か彼女の声だけはしっかりと、はっきりと、聞こえた。ナルシスも叫び声を上げたい衝動に駆られるが、王族としての自尊心からその悲鳴を呑み込んだ。
「お……お前は先ほど眼鏡の娘からリーヤ、と呼ばれていたはずだ! もしかして……カトレアの隠された双子の妹なのか?!」
ナルシスは思わず突拍子もない事を口にした。それは彼もリーヤの登場に動揺しているからに他ならない。思ってもみなかった事を言われたリーヤはきょとんとした。そしてすぐに大声で笑い始めたのだ。
「あはは、ここまで笑ったのは久しぶりですわぁ。ふふふふ……」
未だに笑いが止まらないらしいリーヤを見て、参加者たちは口をあんぐりと開けていた。人形令嬢であるカトレアと同じ顔で笑っている彼女の存在がまだ受け入れられないのである。
周囲が静まる中、彼女の笑い声が大広間に響く。この時間が延々と続くのではないか、と参加者たちが思い始めてきた頃、今まで一言も喋らなかった黒ずくめの三人目が、ため息をついた。
「……さっきから話が進まないから、そろそろ僕に対応させて欲しいんだけど」
やはり三人目は男性だったようで、リーヤの振る舞いに疲れを感じたのか口角が下がっている。一方、リーヤはその間に思う存分笑ったからか、お腹を抱えながら彼の方へ向いた。
「申し訳ございませんでした、殿下。仰せのままに」
そう言って彼女は今まで見たことのない――正確に言えば、知識では知っているが誰も使用したことのない最上位の礼を彼に対して執る。
それがまたナルシスも含めた参加者ほぼ全員に衝撃を与えた。
周囲から「殿下?」「誰?」との声が上がる。現在殿下と呼称が付くのは、この国ではナルシスのみ。
全員が混乱する中、いち早く立ち直ったのはナルシスだった。
「俺以外の王族はここには居ない」
リーヤに向かい、握り拳を胸に置いて主張をする。野次馬からも同意する空気が流れるが、それを一刀両断したのはリーヤだった。
「失礼ですわよ、ナルシス殿下。このお方はこの国の方ではありませんの。これでお分かりでしょう?」
「この格好で失礼するよ。まあ訳あってお忍びできていたから……ね」
そう言って三人目も被っていたフードを取ると、ナルシス、モルビド、ピアレ、そして高位貴族たちは言葉を失った。この国にはいるはずのない人物がそこにいたからだ。
「スーディオ殿下……」
そこに立っていたのは、帝国の第二皇子であるスーディオ本人だった。
この国は帝国の従属国である。
数代前、無謀にも帝国へ攻め入った王国は、圧倒的な武力と戦術で早々に白旗を上げた。その際戦争賛成派の王侯貴族は静粛(粛清)され、当時戦争反対派筆頭であった当時の国王の兄である大公の即位が帝国によって認められ、現在も王国としての体を保っている。
基本的に帝国は王国の政治に介入することは無いが、王位継承に対する権限は所持している。(ただし、現在は形骸化しているらしいが)
念のため毎年予算と軍部については確認があるらしいが、介入といえばそれくらいらしい。
現在も帝国から王国へと重要人物が来国する際は、通達があるのが普通なのだが……。
「何故このような場所に? いつも王国にいらっしゃる場合は通達が……」
あるのでは、と言おうとしたナルシスだったが、目の前のスーディオは不出来な子どもを見るような視線で彼を見ていた。
その表情に気づいた時、ナルシスはカッと頬が赤くなった。
「我が国との条約の内容を把握していないのかな。条約には『来国に際して通達義務はない』と、書かれているのを見た事がないかい?」
リーヤが肩を竦める一方で、スーディオが周囲を見回せば、ほぼ全員が条約の件で驚きを隠せない様子だった。モルビドはそれでも条約を把握していたのだろうが、通達なしで皇族が来るなどあり得ないとでもたかを括っていたのか、青褪めている。
「あら、皆様もご存知ありませんか? 条約の第二項に書かれている内容ですわ」
「ふむ……リーヤの言った通りか……」
表情が変わらないのは、ソレラを含めた数人の高位貴族たち――彼らは以前からナルシスの醜態に眉を顰めていた者たちだが――だけだった。この王国が従属国になってから、百年以上が経つ。戦後の悲壮な空気感は今やさっぱりとなくなり、帝国とともに繁栄を続けていた。
だからだろうか。この国が自治を認められたのは当時から今代の皇帝の慈悲によるものだという事を忘れていたらしい。
スーディオはため息をつき、血の気が引いているナルシスたちを一瞥した。その視線にナルシスたちはびくりと肩を震わせる。
そんな彼らの様子をスーディオは横目で捉えながら、話を続けた。
「僕の事はそれで解決したと思うから、置いておくよ。そろそろ本題に移るけれど……結論を言えば、本物のカトレアは先程からリーヤと呼ばれている彼女の事だよ。君たちが『死んだ』と思ったカトレアは、魔導人形だ」
「魔導……人形?」
ポツリと呟いたのは、ナルシスだった。まあ、どう見ても倒れている女性が人形には思えなかったからだ。周囲もそれは同じだったらしく、少しずつザワザワとし始めた。
「まあ、信じられないと思うけどさ。これは本当のこと。リーヤ、解除をお願いできる?」
「よろしいのですか?」
「うん。陛下には許可を取ってある」
「承知いたしました。では……」
そう言った後、リーヤは倒れているカトレア人形の胸に手を当てて、小声で何かを呟き始める。すると、人形の胸の上に浮かび上がったのは魔法陣。彼女は青白く光る魔法陣に触れて呪文を唱えると、魔法陣の青白い光はリーヤの手へと移動し、同時に魔法陣も消滅した。
その後立ち上がった彼女がスーディオへ「終わりました」と声をかけると、そこに倒れていたのはカトレア……ではなく、人の形をした銀色の物体だった。
「その人形は見ての通り鉄でできていてね。外見はリーヤの幻惑魔法を魔法陣に刻む事によって彼女の姿を見せていたんだ。まあ、幻惑魔法も万能ではないから、触れられたら一発で分かると思うのだけど……蹴り上げただけでは気が付かなかったかな?」
スーディオの言葉で人形を蹴り上げたナルシスは青褪める。だが、そんな彼の表情に気づく事なく、彼は続けて話し始めた。
「まあ、そんなことより! こっちはお陰様で素晴らしい研究結果が纏められたよ! その研究結果なんだけど……」
いつの間にか興が乗ったのか、スーディオは目を輝かせて話し続けていたため、カトレアは呆れた視線をスーディオへ送る。
「……殿下、落ち着いてくださいませ」
「あ、出てた?」
「もうバッチリと」
渇いた笑いで首をすぼめるカトレアと今にも大声で笑い出しそうなリアリーに周囲は慄くも、スーディオは気にした様子もない。彼は「脱線してすまないね」と話を続けた。
「そもそも僕は第二皇子だけど、魔導人形の研究者でもあってね。陛下……ああ、女帝陛下の事だけど、彼女の許可を得てカトレアを研究員の一員として招待しているんだ」
「リーヤ様は稀に見る魔力量の持ち主ですから、殿下が助手にとスカウトされたのです!」
リアリーは周囲を見渡しながら満面の笑みで告げた。驚く者が多い中、一人ナルシスは「だが」「それは……」と小声で呟いている。
目の前に自分よりも立場の高い人間がいるために、一気に大人しくなるナルシス。今の二人の発言に思うところがあるのだろうが、実際に言い出せないでいる。それに気づいたのはカトレアで、彼女は彼の意を汲んだ。
「この件に関しては、宰相閣下から許可を得ております。私はこれでも王子妃教育と王太子教育を受けておりますから、学園の授業は試験のみで良いと一筆頂いておりますわ。なので、学園に通ったのは数ヶ月ほどでしょうか? 一学年の途中から魔導人形と入れ替わりましたの。……閣下からお話はありませんでしたか?」
彼女の発言がナルシスの知りたい部分だったのか、口をパクパク……まるで金魚のようだ。それと同時にそのような話を耳に入れた事が無かったため、聞き逃していたのかもしれない、と更に彼の顔から血の気が引いていく。
まあ、カトレアもナルシスがこの件を把握していない事は既に知っている。カトレアの軽い意趣返しのようなものだ。
周りを取り囲む令息令嬢からのナルシスに対する視線が痛い。彼の評価は一転、地に落ちた。
ナルシスがカトレアの言葉にまごついている間にスーディオは人形へと歩み寄る。そしてしゃがみながらそれの状態を確認する。
「うん、肩のところ以外は問題なさそうだ。これくらいなら修理をお願いするだけで良いだろう」
「それよりも所長、魔力補填用の宝石はどうします? 陛下から頂いた宝石を壊されてしまいましたしぃ……ああ、もったいないです……まさかここまで乱暴な方達だとは思いませんでした。ここに居たのが本当のリーヤ様でなくて良かったですよぉ」
壇上に散らばっている宝石と金の土台を指差しながら、リアリーは眉尻を下げて困惑顔だ。
その言葉にスーディオは首を縦に振る。
「それは本当に良かったと思うよ。宝石は……いつか壊れるものではあるが、頂いた宝石が陛下の収集物の一つだからなぁ……これは王家に賠償を請求しなければならないかな。いや、王家と侯爵家と伯爵家と……」
そう言ったスーディオはチラリとナルシスたちに視線を送る。彼らも顔色が悪いが、それ以上に蒼白なのはピアレだ。だが、彼女はナルシスたちの後ろに隠れていたため、表情が見えたのは丁度彼女が見える位置にいたスーディオくらいである。
リアリーは三人の表情に満足そうに笑みを浮かべており、カトレアは美しい笑みを湛えていた。
そんな二人を見て、そろそろ頃合いか、と感じたスーディオは、周囲が釘付けになるような笑みでナルシスたちに告げる。
「まあ、この件はこれ以上ここで話すべき事ではないから追及はしないよ。ただね、陛下がこの件に関してご立腹なのは知っているかな? 後々ナルシス殿下にも話を聞くからよろしく頼むよ。あ、後ろの三人もね? 逃げないでね?」
圧を感じる笑みで見つめられ、壇上で青褪めている四人は、頭をブンブンと振る事しかできなかった。