9 詩織の寝顔
診療室の椅子に深くもたれながら俺は見飽きた顔をじっと見つめる。
「なあ先生よ、なんで俺まで精密検査なんすかねえ?」
眉の薄いヤブ医者はカルテらしきものを書きながらこちらを一瞥もせずに頬を膨らませながら不服そうに答える。
「そりゃあ、君もアタマヤバヤバだから…… いてえ‼︎ 殴るなよお‼︎ 僕が君たちの状態を説明する事で丸く収まったんだろお〜⁈ 詩織くんの世話で君にも負荷がかかっている、ということを証言することで君たちは無罪放免になったんだ! 感謝してほしいね!」
ったく、相変わらずムカつく野郎だ。
結局、俺がボコったクソどもは理不尽な暴力を受けたと教師どもに泣きつき、俺たちは教員会議にかけられそうになったが、いじめられっ子の証言と詩織が頭の治療を受けているという状況を加味され、ひとまず数日病院に通い升人医師の判断を仰ぐという形でケリがついた。
カツアゲをしていたクソどもの所業は金銭問題もからみ悪質だということで一部、退学処分を食らった奴もいるらしい。
どうでもいいけど。
……今はそれよりも。
俺は後ろのベッドで眠る詩織を見ながら軽くため息を吐く。
麻酔をうけて眠る詩織も精密検査を終えたばかりだ。
升人が言うには脳の中の曇りが以前より晴れきているらしいが……。
俺はその日の詳細をを升人に話す。
「詩織が急に暴れ出すんだもんよお…… 止められっかよ……」
升人はうーーん、と唸りながら頭を掻いた。
「でも詩織くんは万引きを強要していた奴らをしばいたんだろう? 前後の状況を聞くとやはり彼女は本当に自分を正義のヒーローだと信じこんでいるようだね! 何度見ても稀有な事例だよ‼︎」
「喜んでんじゃねえ‼︎」
両指を立てて詩織を指し、オレゲッ○見たいなリアクションを取るもんだから俺は思わず升人を殴る。
「プッゲェェェェェ‼︎ だからすぐ殴るなよお‼︎」
俺は眠っている間だけは大人しい女神を見つめながら数日来のことを思い返した。
やはりこのままではダメだろう。
頬を抑えてぶつくさと文句を垂れる升人を振り返る。
「とにかく詩織は元に戻さないとダメだ。学校生活がままならん」
「で、元の模範的生徒の詩織くんに戻って2人きりの生活に戻る、と」
いつにないその升人の冷たい言い草に俺はじっとヤブ医者を見つめ返す。
「なんだ、含みのある言い方だな? 言いたいことがあるのか?」
升人は椅子に座り直しコホン、と咳払いするといつにない調子で切り出した。
「じゃあ言わせてもらうけど、詩織くんはストレスが原因で今の状態に陥った、そこまでは理解してるよね?」
「ああ、なんだ今さら」
「元の生活に戻るという事は再び詩織くんの脳に負荷をかけ続けるということだ。以前は顕在化していなかっただけで詩織くんは努力し続け、自分を解放できない生活に苦痛を感じていたはずだ。おそらくは君と2人きりだけの世界が寂しかった、そして今回暴れた相手の悪行を見て見ぬ振りしてきた事に負荷を感じていたんだろう。だからこそ彼女は正義のヒーローとして目覚めた。違うかね?」
心外なその物言いに、しかし俺は思い当たる節を心の奥に封じ込め、フンと鼻を鳴らして抗弁する。
「……なんだ? 元の生活が不幸せだったみたいな言い方だな? 升人先生よお。元の優等生に戻ったほうがいいに決まってるじゃねえか」
しかし、升人の調子は止まらない。
表情を消して見つめる升人の目はそんな俺の心中をまるで見透かしているようだった。
「みたい、じゃなくて彼女にとってはそうだ。自覚すらしてなかったかもしれないが。いずれ彼女のストレスは顕在化していたよ」
「どうしろってんだよ……」
しばらく考え込む俺に升人は寝台の詩織を見つめ無感情に言い放った。
「さあねえ、答えは君と詩織くんが見つけ出せ」
「チッ……! かっこつけやがってよ」
「詩織くんが起きたら帰宅してもいいよ。次は3日後に来るといい」
そう言って升人は伸びをしながら診察室を出て行った。
残された俺は眠り続ける詩織を見つめぽつりと呟いた。
「なあ、お前はどうしたいんだ? 詩織……」