2 やっぱり亮介くんはどうかしている
世界が女神を失った……
これは俺にとって地球が太陽を失うようなものだった。
あれから再び気を失った後で目覚めた俺が医者から聞いた話によると、詩織にも外傷も脳内へのダメージもなく、ただショックにより眠り続けているだけだそうな。
それでも俺の女神が意識を失っていることに間違いはない。
入院しているときは毎日治療室の呼吸器をつけベッドに横たわる詩織を窓に貼り付くように見つめながら看護師に引き剥がされるまで治療室に何度も通った。
骨折治療の目処がつき、10日ほどで退院できることになったとき俺は床へと背中から倒れ込み泣き叫び退院を拒否した。
……だってそうだろう?
女神である詩織を残して、いや詩織成分を補給せずに俺が生きていくことなどありえない。
そんな俺を両親はなぜか哀れなものを見る目で見下ろすと看護師に頼み黙って鎮静剤を打ち簀巻きにしてカートに詰めて退院させやがった。
……解せぬ
強制帰宅させられ、詩織から引き離された俺はメシも碌に喉を通らず自室に引きこもり、引き伸ばした詩織の大きな写真に膝をつき、あるいはメッ○に祈る的なアレで毎日祈り続けた。
「詩織よ……! 詩織よ……!」
時折俺の様子を見に来た両親はそんな様子を見て震えるように涙を流していた。
うむ、きっと俺の溢れんばかりの信仰心に感銘を受けたのだな。
しかし、女神の創造主たる詩織の両親の涙ながらの説得により俺は遂に登校を余儀なくされる。
「お願い…… 亮司くんの気持ちは嬉しいけど詩織のために学校生活を疎かにしないで」
涙ながらにそう訴えかけられ俺は翌朝、詩織分が足らずフラつく足で前進しながら登校する。
……くそっ、病み上がりだってのに級友は遠巻きに怪訝な表情で俺をみやがる
そんな中、珍しくも俺に声をかけてくる者がいた。
「ああ、中田くん。大変だったみたいだね。二ノ宮さんは…… まだ入院中らしいね」
俺は声の方を振り返る。
うちの制服に丸眼鏡をつけた何という特徴もないそいつに俺は何気なく呟くように口を開く。
「……えーと モブ太郎くんだっけ?」
するとそいつは気分を害したように眉根を上げると不快そうに抗議を始める。
「も、モブ⁈ 相変わらず失礼だな! 君は! 渡辺だよ! 化学の授業は同じ班で君たちがいない間のレポートを仕上げたのも僕と栗原さんだよ? あんまりじゃない?」
モブの癖に自己主張が強いな。
……そう言えば化学の授業で仕方なく人畜無害そうな奴と同じ班を組んだっけな
記憶をたぐり寄せ俺は一応の謝罪をする。
「……あー そう言えばそうだっけ。済まん。そして詩織の分も礼を言う。
ありがとう。すまなかった」
「……そんなんだから君は怖がられてるし嫌われてるんだよ ウチはクソ野郎が多いのはわかるけど君にも問題があると思うよ?」
渡辺と名乗るモブは諦めたように息を吐くと怪訝そうな目で俺の顔を見て先を歩き始めた。
そんな彼に俺は一応声を掛ける。
「お前の名前くらいは覚えておくよ、渡辺」
俺が久しぶりに教室に入ると早速騒つくが、近寄ろうとする者はいない。
モブどもはヒソヒソと耳打ちをするかのように遠巻きに俺を見てくるくらいである。
構わず俺は一限の準備を始める。
「はい、ではテキスト205ページを開いて」
数学の授業が進み、進度を確認するために教師が生徒たちを見回す。
そして早速俺の顔を見ると指名する。
「さて、病み上がりだがいけるか中田? この問題を解いてみてくれ」
「はい」
全国模試2位である俺にとってはブランクは関係ない。
いつものように黒板の前に立ちさっさと問題を解き始める。
……いや、いつものようにはいかなかった
「……グッ うっ、くくっ……!」
急に胸の辺りが苦しくなり呼吸が困難になる。
「おい中田! 大丈夫か⁉︎」
教師が慌てる声も朧にしか俺の耳には届かなかった。
「おい保健委員! 頼む、中田を……」
俺はうつ伏せに倒れ過呼吸に苦しみ徐々に意識を手放していく。
俺は元来喘息持ちではない。
……思い当たることは一つしかない
「……し、し、おり」
おお……
遠き神は敬虔なる信徒に試練を与えたもうのか……
(詩織分が足りない…… 呼吸すらままならない……)
暗くなる視界にますます苦しくなる胸が俺の思考を刈り取り、そのまま俺の意識は深海へと落ちていった。