1 どうかしてるぜ亮介くん
小高い丘の上にあるここ桜ヶ丘学園は県内有数の進学校だ。
見飽きた朝の登校風景。
そこらの雑踏でありブレザーを着たモブどもは大方が勉強の出来る学生であり大体がその知能に反して陰険な奴らだ。
教師や親の前でだけいい子ぶって裏では足を引っ張り合う愚かな奴らである。
現に今も並んで歩く学年模試1位2位である俺たちに嫉妬と怨嗟の入り混じった目を向けてくる。
ふん、クソどもめ。
貴様ら如きが完璧な存在である詩織に話しかけるのも烏滸がましい。
こちらを見てヒソヒソと遠巻きに何かを喋る愚物どもに俺が視線と表情で言外に圧をかけると俯きながら目を逸らす。
隣を歩く姫君、いや違った詩織の様子を時折確認しながら俺は頭にインプットされている今日の予定を確認する。
「今日は一限が現国、二限が世界史。午後の三、四限は数学だ。午後6時から塾。弁当はお前の好きな卵焼きが入っている」
「そう、いつもありがとう亮介」
そう言って花のように微笑むのは二ノ宮詩織。
俺こと中田亮介の幼馴染であり、俺にとっての絶対者である。
小学生の頃から可憐な俺の姫は勉学に秀で、運動能力も高くおまけにその姿はまるで巨匠の彫った彫像のように美しい。
見るだけで心が浄化されるようだ。
正に完璧な存在である。
そんな彼女の最大の敵はやはり同性であった。
彼女の外見に魅了された男どもは誰しもが彼女に言い寄り、女子はそんな彼女へと嫉妬と怨嗟の感情を浴びせた。
一時期の幼少期の彼女の災禍は筆舌に尽くし難い。
俺はそんな彼女を守るため努力した。
塾に通い詰めては勉学に励み、合気に柔道、ジークンドー、キックボクシングまで身につけありとあらゆる敵から彼女を守った。
彼女に嫌がらせをする女子は政治的手段を使って孤立、徹底的に破滅させ遂には俺たちはこのように遠巻きに恐れられるまでの存在になった。
だが、俺はちっとも後悔はしていない。
詩織さえいれば俺の人生には何もいらないのだから。
肌寒い季節だが道に沿って植えられた梅の花がそろそろ咲こうとしている。
隣を歩く詩織が俺の顔を見つめてきた。
「ねえ、亮介」
「ん? なんだ詩織」
「……そろそろ私たち高校生なんだからさあ
過保護なのも……」
その時、何かを言いかけた詩織を目掛けたように反対の道から数メートル先から中型トラックが突っ込んでくるのが見えた。
運転手は眠っているようだ……
「危ない‼︎ 詩織‼︎」
走っても避けられない、と判断した俺は咄嗟に詩織に飛び付き両腕に包み込むと、勢いよく地面を転がったーーー
気がつくと、白い天井、そして両親の顔と詩織の両親の泣きそうな顔が目の前にあった。
「……目覚めたの亮介 よかった…….!」
「ありがとう亮介くん…… うちの詩織を守ってくれて……」
実の両親はもちろん、詩織の両親、つまり女神の創造主も俺が小一の頃から見知った仲だ。
幸いにトラックの暴走はギリギリで回避出来たようで俺にも詩織にも当たらなかったそうだ。
怪我といえば俺の肋骨にヒビが入ったことと、擦過傷くらいらしい。
しかし彼らには悪いが俺のことなどどうでもいい。
大事なのは……
身を起こし、着ていた病院着らしき薄青の服を確認しながら俺は彼らに尋ねた。
「なあ、詩織はどうなったんだ……? 怪我はしてないか? 会わせてくれ……」
すると彼らは気まずそうに目を伏せると、俺に聞こえないようにヒソヒソと話を始めやがて詩織の両親が眉を顰めながら俺に向き合った。
「亮介くん……」
「気を落ち着けて聞いてね……」
彼らのその暗い表情に俺は嫌な予感を感じ、背筋に冷たいものが走った。
「今日は事故から3日経っていてね。……あなたはこうして目覚めてくれたけれど 詩織は集中治療室でまだ目覚めないの……」
「君のおかげで外傷は全く無いんだけどね…… どうやら脳にショックを受けたらしい」
俺はガバと跳ね起き彼らの肩を揺すって必死に問い返した。
「……嘘だろ? ……なあ ……嘘だと言ってくれよ」
しかし一向に目を合わそうとせず、俯いたままの彼らの反応がその情報が本当なのだということを嫌というほど俺に伝える。
「我が神詩織よ! 全知全能の女神よ‼︎ 待っててくれ!」
俺は半狂乱になり、ほとんど本能の赴くままに裸足で病室を飛び出した。
「亮介くん‼︎」
「落ち着いて亮介くん‼︎ あなたの詩織キチっぷりは知ってるけど他の患者さんもいるから……」
背後に彼らのそんな言葉を聞きながら俺は夢中で駆け出す。
すれ違う看護師や患者も驚いたように俺の方を振り向いていたが構うものか。
数分後、どこをどう走ったか俺は集中治療室にたどり着いていた。
部屋の窓から俺は絶望的な光景を目の当たりにする。
「……詩織?」
我が女神がベッドの一つにうつ伏せに寝かされ、口には酸素吸入器らしきものを装着されていた。
眠ったようにベッドに佇む女神は顔色も青白く、枯れ木のように痩せ細ってしまっている。
俺は気づくと涙を流し絶叫していた。
「しおりぃぃぃーーー‼︎」
これが俺の世界が一度終わりを告げた瞬間だった。