第57話 そして俺は、未来に向け歩き始める
「はぁ~っ……」
俺は、久しぶりにホームエリアの空間でくつろぐ。ふかふかのソファーの背もたれに身体を預けて目をつむる。
暗いダンジョンにずっといたからか、どこかに潜んでいるかもしれないモンスターや、不意をついてくるトラップに警戒しなくていいのは、気が休まっていいな。
【天の声】今この瞬間も、ヒトカゲはあなた達の帰りを待ってるのですが?
どこからか非難めいた声が聞こえる気がするが、気のせいだろう。きっとそうに違いない。
「はい、焼けましたよ♪」
「おお! ありがとう!」
エプロンをつけ、頭に三角巾、手にオーブンミトンを着けたアンリさんが、たった今オーブンで焼き上げたクッキーをテーブルに持ってきてくれた。まさかこの俺が女の子の手作りお菓子を食べられる時が来るなんて! 人生捨ててよかった~
「誇らしくなるくらいの割り切りね」
ユイが若干あきれ顔でこちらを見ながらクッキーを齧っている。おい、それは俺のだぞ!
「ケチケチしないの。そんなんだからあんたはブラック会社員だったのよ」
「おい、ライン超えたな?」
「まだまだありますので、お好きなだけどうぞ!」
ユイのことは放っておいて、俺もクッキーを食べる。
「うまい!」
思わず叫ぶ。これこそまさに家庭の手作りって感じの温かみを感じる。
「そういえばあんた、家族にはお別れしてからきたの?」
ユイからだ。
「そう言えばそうだな……何も言って来なかったな」
ネットサーフィンをしてて、たまたま見つけたサイトの体験入学に申し込んだだけのつもりが、いつの間にか元の世界から他界してた。――こんなの誰も予想できないだろう。
「え……駄目ですよユウスケさん。そういうことはきちんとしないと」
アンリさんから「め!」という感じで怒られた。
「でも今更どうしようもないしな」
因果律の歪みだかなんだかで、元の世界には戻っちゃいけないんだったよな。
「少しくらいならいいわよ?」
「え?いいの?」
「お別れを言ってくるくらいなら、歪みを調整できるし」
どうしようかな……
「行ってきた方がいいですよ。後々、後悔しますよ?」
「でも何て言うんだ? 『俺、異世界行ってくるよ』ってか?」
頭がおかしくなったとしか思われないだろう。
「まぁ、とにかく行ってきなさいな」
――いつもの大扉が現れて内側から開き、俺は扉の向こうへと吸い込まれた。
◆
「いつもながら急なんだよ!」
怒りながらも急に開けた視界を確認する。――あ、実家の近くじゃねぇか。
家のインターホンを押そうとして、指が止まる。
――今更俺なんかが戻ったところで……
すると、家の中から扉が開いた。
「ゆ、ユウスケ! お前、今までどこをほっつき歩いてたんだ!」
「あ、ああ……悪い」
出てきたのは父だった。当たり前だが、驚いている。俺は頭をかきながらも、とりあえず謝る。
「会社から電話があったぞ。急に来なくなった、困ってるって」
まぁ、そうだろうな。無責任なことをした自覚はある。父は呆れたような、でも滅多に見せない嬉しそうな顔で俺を見て言う。
「母さんが中にいるから、謝ってこい」
それだけ言って、家の中に引っ込んだ。
懐かしの我が家だ。もう何年も帰ってない気分になる。
「ユウスケ!」
奥から母が出てきて、口元に手をあてて涙ぐんでいる。
「お、おう。久しぶり」
気まずいながらも手を上げて答える。
「あんたが急にいなくなって警察に捜索願いを出しても、『銀行から預金を全部おろしてあったので、自分で行方をくらませたのでは?』とか言われて取り合ってもらえなかった時は、ほんとに悔しくて悔しくて……」
母が肩を震わせる。――うっ! 気まずい! あれは不可抗力だったけど、「そんなことないよ」って言いたいのに言えない!
「でも、あんたの元気そうな顔が見られて安心したよ。今はどうしてるの?」
「それは……」
――言えない。こんな状況、何て言えばいいんだ。俺はただ黙って顔を伏せる。
母は俺の沈黙をどう捉えたのか、
「まぁいいわ。ご飯でも食べていきなさい」
台所に引っ込んでいった。
味噌汁、漬け物、安い肉。いつもの、食べ慣れたご飯だった。
「帰るって先に言ってくれたら、ごちそう用意してたのに」
母は、そう文句を言いつつも、ごはんをお茶碗によそい、渡してくれた。
「いただきます」
久しぶりの実家の食事を食べる。ふと、目の前がにじんだ。親不孝なことばかりして、親に申し訳なく、自分の不甲斐なさが悔しくて涙する。
母は、そんな俺に気づきながらもあえてこちらを見ず、
「あたしはね。あんたが笑って健康でいてさえくれれば、何だっていいんだよ。――あんたが入った会社が、あんなブラックなとこだって知ってたら、って思うと、気づけなかった自分が情けなくて……」
途中から、母は泣いていた。
「あんたが失踪した時の会社からの電話がそりゃもう酷くてねぇ……迷惑をかけて申し訳ないって負い目があって謝り続けたけど、あそこまで人格を否定するのは普通じゃないよ」
俺は声が出せない。きっと震えた声になるから。
「今まで辛かったね。よく頑張ったね」
泣いた。もう堪えきれなかった。
「――迷惑、かけたく、なくて。俺さえ、我慢、してれば、誰にも迷惑かけずに、すむから」
抑えていた感情があふれ出す。――おかしいな。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
「バカだねぇ……そんなになるまで我慢して。あんたは強い子だから――」
母も泣いていた。しばらく、部屋の中の音は、鼻を啜る音だけとなった。
父が無言で部屋に入ってくる。酒瓶を持っていた。
俺達の分のグラスも出すと、黙って酒を注いでいく。
そして勝手にグラスを合わせ、酒をあおる。
「久しぶりに飲むか」
「貴方はいつも飲んでるでしょ」
「そうだな」
そう言って3人で笑い合って酒を飲む。母が冷蔵庫からツマミを出して皿によそってくれた。久しぶりの酒を家族と飲み、俺はすごく満たされた。
◆
「じゃあ、行くよ」
ひとしきり酒を飲み、玄関まで送りに来てくれた父と母に告げる。
「次はいつ帰ってくるの?」
……一番聞かれたくない言葉だった。でも、嘘はつきたくない。
「もう、戻ってこれないと思う」
そう言うと、母はまた口を抑えて、泣きそうになる。父は口を引き結んでいた。
「やっと、やりたいことが見つかったんだ。今俺は、しんどいこともあるけど、毎日笑って暮らせてるよ。こんなこと、子供の頃以来なんだ。だから大事にしたい。自分が親不孝なことをしてるってのはわかってるんだけど――」
「困ったら、いつでも戻ってきていいんだよ。ここがあんたの家なんだから」
母は、やっぱり母だった。
「うちにだって金はあるんだ。世間の目なんて気にするな。どうしようもなくなったら戻ってこい」
父も、やっぱり父だった。
「どうかな……それは難しそうだから。でもありがとう、できることならそうさせてもらうよ」
「親とは何か」という問いに、「自分に無償の愛を捧げてくれる人」と答えた人がいた。俺はそれを、とても「キレイ」だと思った。――俺もいつか、こんな人達になれるだろうか――
「今まで、ありがとう」
最後にそう言うと、両親は泣いていた。俺も涙を流した。
そうして笑顔で両親に手を振り、俺は前を向く。もう振り向かず、前に歩み始めるのだった。
◆
視界が暗転し、気がつくと、いつものホームエリア。
目の前では、ユイとアンリさんが号泣していた。
「ゆ、ユウスケ、ごめんね。急に、元の世界から、引き離しちゃって」
あーあ、涙でボロボロだよ。ハンカチを渡そうにも、そんな気の利いたものは持ってなかった。ユイは自分で近くのティッシュを取って、「ちーん」する。
「あんたが戻りたいっていうなら、どうにかしてでも――」
「いいんだ。俺が両親に言ったセリフ、聞いてただろ? それに、ユイには感謝してる。今俺が笑えてるのは、間違いなくお前のおかげだよ」
「ゆ゛うす゛けぇ……」
またユイ泣き出しそうだが、その気持ちだけで十分だ。
「アンリさんもありがとな。一人だった時よりも、ずっと楽しいよ」
「わ、私も、ユウスケさんといれて、楽しいです」
アンリさんは、自前のハンカチを取り出し、上品に顔の汚れをふき取っていた。笑顔でそう言ってくれると、俺としても嬉しい。
「俺のこと、頼りないと思うだろうけど、これからもよろしく頼むよ」
「はい! こちらこそ!」
花咲く笑顔でそう言ってもらえると、こんなに嬉しいもんなんだな。
――ふとしたことから訪れた実家だったが、自分の気持ちを再確認することができた。俺は、気持ちを新たに、前向きに頑張っていこうと誓うのだった。




