第40話 とある宿屋の受付嬢【最終話】結末
悪魔が消え去り、後には静寂と黒い灰だけが残される。
「おばあちゃん……」
アンリさんは力なくうなだれ、黒い灰の前で膝をつく。顔を伏せ、肩を揺らす。ポツポツと涙が落ち地面を濡らしていた。
――俺はそんなアンリさんの横にかがみ、黒い灰に黙祷を捧げる。
「おばあちゃんは知っていたのかもしれません。この儀式魔法が悪魔の力を利用した危険なものであることを。私が操られたのは、生きた人間を魂の器にすることに反対したからですが、それ以前から、禁呪の核心部分については聞いても教えてくれませんでした」
俺はうなずく。
「私もたくさんの人に迷惑をかけて、許されないことをしました。どう償えばいいか――」
「俺だって、犠牲なく、親しい人を蘇らせられると聞けば、きっと同じことをする」
アンリさんが顔を上げて俺を見た。
「村でさ、ケガをしたおばさんが、君のことをとってもいい子だったって言ってたよ。あんな暴動があった直後なのにさ。俺も困ってるところを君に救われた。君が他人に与えてきたのは迷惑だけじゃなくて、優しさや親切だってあるんだ。これからもそうあればいいと思うよ」
こういう時、気の利いたことが言えればいいのにと思うが、どうも本音しか出ないな……アンリさんを見ると、目に涙をためながらも、困ったように眉根を寄せながら笑い、「はい」とうなずいてくれた。
――不器用な俺だけど、少しでもアンリさんを慰められただろうか……
ちょうどそこに、周辺を確認していたマレクさんとペスが戻ってきた。
「一部の村人は建屋の内外にまだ残っていました。悪魔が去ったことを伝え、今は一か所に集まってもらってます。雑木林の方に行った人達は帰りがてら探すしかないですね」
俺はうなずく。マレクさんの誘導に従い村人のところへ行こうとするが――
「アンリさん?」
アンリさんが立ち上がらない。見るとアンリさんは地面に手をつき、もう片手は胸元をおさえ、とても苦しそうにあえいでいる。そして横向きに倒れ伏した。
「アンリさん!マレクさん、アンリさんが!」
俺はアンリさんを抱きかかえ、マレクさんがすぐさま症状を確認する。
「これは……」
マレクさんの表情が険しい。
「こんな状態になるまで、どうして黙ってたんですか」
「ごめんなさい……」
アンリさんは息を切らしながらも、申し訳なさそうに困った顔をする。
「しかし、原因がわかりません。こんな突発的に発症するなんて――」
「持病なんです」
マレクさんと俺はアンリさんを見る。アンリさんは俺に一度視線を合わせると、語り出した。
「お医者さんが言うには、魔力漏出病というらしいです。魔力を貯めるところの蓋が壊れて、ずっと魔力が漏出するみたいで」
マレクさんの顔が青ざめる。口元を手で抑える。
「弟も――いえ、弟だけでなく両親もこの不治の病で亡くなりました。私も弟の死後に発症して、たびたび来る発作に耐えていたんですが、だんだんその間隔も短くなってきてて……今回はちょっと無理みたいです」
そうして力なく笑う。悪魔との激しい戦闘で魔法を連続で使ってもらっていた。それがこの急激な悪化につながったのだろう。
「マレクさん! この病気について何かわからないか!? どうすれば治せる!?」
俺は混乱しながらも、マレクさんに救いを求める。この何でもできる万能な人なら、答えを持っているかもしれないと期待して。だがマレクさんは目をそらし――
「先程、彼女から説明のあったように、不治の病として知られています。未だに治癒の方法が無いんです。私もどうにかできるものならしたいですが――」
「魔力を分け与えるとかじゃダメなのか!?俺にあるのかもわからないけど、アンリさんに移せないか!?」
「それでは駄目なのです。魔力は個人毎に異なり、違うものを入れたところで、使われず漏れ出すだけなのです。自分の中で魔力を練らなければ――」
「じゃあ、回復薬とかは!?一時的にでも魔力を回復させることはできないのか!?」
「正常な状態であればいくぶん症状がやわらぐかもしれませんが、この状態では、まともに魔力を練られません」
そう言いながらも、マレクさんは懐から魔力回復薬を取り出し、アンリさんの口元に持っていく。しかし、アンリさんはそれを手で制し断った。
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取らせてもらいますね。でも、ダメなんです。あなたの言う通り、発作状態では魔力を回復できません。おさまるのをただ待つしかないんです」
――そしてアンリさんが俺を見る。
「そんな顔をしないでください。もう時間が無いのはわかっていたんです、覚悟もしていました。それが早まっただけなんです」
そう言って、顔を伏せ、ただ泣くしかない俺の頬を優しくなでてくれた。
「あなたは最初に会った時から明るくて優しくて……たくさん助けられてました」
「そんなこと――」
人差し指を当てられ、その後の言葉は繋がらなかった。
「私は幸せです。こうやって看取ってくれる人達に囲まれながら逝けるのですから――」
俺もマレクさんもペスもうなだれる。
「ありがとう」
そう笑顔でいい、上げていた手が力なく垂れ下がる。マレクさんがアンリさんの脈を確認し、首を振る。
俺はただ嗚咽をあげて泣くだけしかできなかった。
にじんだ視界の中で、アンリさんを抱きかかえた俺の身体が光に包まれる。
「これは――」
マレクさんが驚きから声を上げる。
――俺は、急速に視界が暗転する感覚に、既視感を覚えていた。




