第39話 とある宿屋の受付嬢【14】悪魔
老婆が黒い光に包まれ、体長2m程の異形に変化した。手には鋭利な爪が、背中には2対の羽が、頭には曲がりくねった1対の角が生えている。周囲の村人も異変に気付き、大声で叫びながら我先にと逃げ出す。
「クハハハハハッ!久しぶりの外界じゃないか!」
声はすでに老婆のものでなく、精悍な男のものになっていた。男は手をグーパーしたり羽を動かしたり身体の調子を確認している。
老婆を依り代に何かがとりついた? 俺達3人とペスは自然と集まり男を警戒する。
「悪魔です。この儀式魔法により呼び出されたのでしょう」
マレクさんの額の汗がすごい。悪魔? 悪魔が召喚されたってのか? でも――
「禁呪がなぜ禁忌とされているか。それは、悪魔の力を利用した呪術だからです。今回、禁呪が意図せぬ形で中断されたためにイレギュラーとして悪魔が召喚されたのでしょう」
「そんな……」
アンリさんが青ざめている。儀式を中断させたのは俺だし、俺にも責任あるな……ペスは静かに悪魔を見つめている。既に臨戦態勢のようだ。
そして、悪魔の男がようやくこちらに気づいた。気さくに話しかけてくる。
「よぉ、俺を呼び出したのはお前らか?何が望みだ?」
俺達は顔を見合わせる。マレクさんが代表して答える。
「これはこれは……よくお出でくださいました。十分なおもてなしもできないまま召喚してしまい、申し訳ございません。それでですね、非常に申し上げにくいのですが、実は予期せぬトラブルで召喚してしまいまして――」
俺の脇を突風が吹く。慌てて斜め後ろを見るとマレクさんが吹き飛ばされて倒れ伏していた。
「あ? お前、舐めてんのか? 間違って召喚しただと……?」
悪魔のこぶしに風がまとわりついている。風魔法による攻撃だったのか!? まるで見えなかった。
ペスが悪魔の注意をマレクさんから引きはがすよう、悪魔に攻撃をしかける。――マズい! いきなりだが先端が開かれている!
「なんだお前、結構やるじゃねぇか。少しは楽しませてもらうぜ」
悪魔は器用に攻撃を避けて反撃してくるペスに興味を持ったようだ。――このままじゃペスも危ない!
「アンリさん!マレクさんの治療を!俺はなんとかペスと一緒に時間を稼ぎます!!」
「は、はい!」
アンリさんがマレクさんの方に駆けて行く――その前に、俺に何かの魔法をかけてくれた。身体強化の魔法だろうか、身体が軽い。これなら少しは時間をかせげるだろう。
アンリさんが今度こそマレクさんに駆け寄るのをしり目に、俺は震える手で鎌を構え、ペスに攻撃中の悪魔の背後から攻撃をしかける。
「ちっ! 邪魔くせぇなぁ!」
イライラしたように悪魔が振り返り、こぶしを振るう。鎌の柄部分で受け止めるが、あまりに重い一撃に、勢いよく吹き飛ばされる。
背中から地面にバウンドし、肺から空気が押し出される。アンリさんの強化魔法が無かったら今ので即死していたかもしれない。
「ド素人はすっこんでろ」
できるならそうしたいが、そういう訳にもいかない……俺は震える足で立ち上がり、緊急時用の回復薬を取り出して飲む。
便利なもので、ある程度の痛みはそれで引いてくれた。ペスとの戦闘を再開した悪魔に再び襲い掛かる。
「しつけぇんだよ!」
また振り返ってのこぶしが来た。ぎりぎり避けられたが、返す刀に再度こぶしが襲ってきた。――これは避けられない。頭部にクリーンヒットコースだ。焦ったペスが見える。死んだなこれは――
――ガン!!
大音声が轟いた。音の発生源は俺の目の前、何か幾何学模様のシールドが浮かんでおり、それが悪魔の攻撃を止めていた。そして続けざまに悪魔に不可視の攻撃魔法が飛ぶ。風の刃だろうか。
「お待たせしました」
後ろを見ると、マレクさんとアンリさんが立っていた。マレクさんはまだ辛そうだが傷は癒えており、アンリさんは老婆の持っていた杖を握っていた。今のはどうやら二人が援護してくれたようだ。
ペスがいつの間にかこちら側に移動してきており、開戦前の様に、俺達は一か所に固まる。しかしもう油断は無い。
「へぇ……面白れぇじゃねぇか」
悪魔が舌なめずりをすると同時、戦闘が再開された。
悪魔は炎の玉や風の刃による攻撃も織り交ぜできたが、アンリさんのシールド魔法によりそのことごとくを防ぎ、マレクさんが風魔法で、ペスが機動力を活かして噛みつきによる攻撃をしかける。
俺は情けないが、かなり足手まといだ。悪魔がシールドをはるアンリさんを狙うので、その都度、悪魔に鎌で斬りかかったり、邪魔できるよう位置取る。アンリさんのシールドで守られているとはいえ、すごく怖い。でもやるしかない。
お互いに決めてが無いまま、戦況は膠着した。そして変化は唐突に訪れた。
「グッ!!」
悪魔が胸を抑えて距離を取る。
「はぁっ!はぁっ!……」
疲労困憊で俺達の息も荒い。特にずっと激しく動き回ってるペスが辛そうだ。アンリさんはシールド魔法を使いすぎて魔力が欠乏しているのか、顔が青ざめている。
これ以上の戦闘は厳しいだろう。悪魔を警戒しながら俺達も集まる。
「――どうやらここまでのようだな。中途半端な召喚をしやがって」
そう言うと同時、悪魔の姿がかき消えた。
――後には黒い灰だけが地面に残っていた。




