第38話 とある宿屋の受付嬢【13】黄泉がえりの儀式
彼女が牢屋から立ち去ってすぐ、俺は、格子扉付近に置かれた鍵束を拾いに行く。手錠がされていることもあり身動きが取りにくいが、なんとか拾って鍵穴に合う鍵を見つける。
――カチャ
時間がかかってしまったが、無事に手錠を解除できた。手首をひねりきちんと動くか確認する。
――よし、両手とも異常はないようだ。格子扉の鍵もすぐに見つかり、開錠して牢屋の外に出る。よかった、無かったらどうしようと思ってたんだ。確か、荷物は右横の倉庫だったか――
牢屋の右横を確認すると、彼女の言う通り、物置があり、俺のカバンや武器の鎌も置かれていた。
カバンの中をざっと確認するが、特に無くなっているものもなさそうだ。解呪の瓶もそのまま入っている。念のため取り出して外観を確認するが、特に開封の形跡もなく、中身が入れ替わってるということも無さそうだ。
操られた村人の解呪をする道具だと知らずに放置されているのだろう。もしくは、脱獄させない前提でとらえていれば、放置することもあるか。なにはともあれ、俺にとっては非常に都合がいい。
カバンと武器の回収後は脱出のため、彼女の通った先へと急ぎ向かう。確か牢屋から見て左の方だったか――。
道なりに進み周りを確認すると同じような牢屋があるが、俺の他に捕らえられている人はいなさそうだった。もう儀式とやらに連れて行かれたのだろうか……急がないと。
しばらく進むと扉が現れる。通ると先は螺旋状の上り階段だった。暗い中、手すりをつかみながら登っていくと、先にはさらに扉、というか引き戸があった。
開けた先はどこかの部屋内に出る。調度品に見覚えがあることから、建屋に侵入して1階の探索を行った際に確認した部屋の一つだろう。
あの時は気づかなかったが、うまく周囲と同化するよう扉が設置されている。部屋の窓端に潜み、顔だけ出して外を確認する。
暗くてはっきりとはわからないが、中庭に多数の人影と明かりを確認した。
――やばい、もう儀式は始まろうとしているのか! 急がないと。
だがそこで悩む。マレクさんと合流してから向かいたいところだが、彼が今どうなっているのかがわからない。
2階の探索時に俺は捕まり牢屋に連れて行かれたが、マレクさんは牢屋にはいなかった。そもそも捕らえられているのか……あの人ならそんな簡単に捕まると思えないが、もし2階で縛られて転がされているのなら、解放して一緒に向かいたいところだ。
そして俺にはもう一つ悩みがあった。
根本的なところだ。彼女の言うように、生きた人間を魂の器にせず用意していたホムンクルスを用い、村人も呪文の詠唱だけを行い危害が無いのであれば、今、ここで強制的に介入して止める必要はあるのか……。
誰だって親しい人を犠牲なしに蘇らせられるならそうしたいだろう。長い間悲願だったようだし――。いや、それも彼女の発言だけを信じればの話だ。老婆は俺を生贄にしようとしていたし、この後、どのように儀式が進められるかは確認しないとわからない。
時間をかけたつもりはないが、思考に没頭してしまっていたようだ。窓の外に動きがあった。
どうやら円状に等間隔で配置された村人の輪の中に巨大な魔法陣が描かれており、その中に歩み進む人物がいる。背の曲がった小柄な体躯を見ると、あれは老婆か。
――いや、もう一人いる。彼女かと思ったが、体格が明らかに違う。若めの青年といった感じだろうか。手錠にひも状のものがついており、老婆に引かれながら抵抗なく歩を進めている。
あれがホムンクルス?かは分からないが、服装はどう見ても他の村人と同様のものにしか見えないが……。
――いや、そもそもホムンクルスならまだ魂が入ってないのだから歩けないだろう。――では、あれは村人か!
彼女の説得は失敗したのか、やはり老婆は生きた人間を魂の器に使うつもりなのだ。
もう迷っている時間は無い。俺一人だけでも向かわないと。
今すぐにでも窓から出ていきたいところだが、さすがに目立ちすぎる。円形の儀式場の右手側は、近くに茂みがある。あそこを目指そう。
少し遠回りだが、入ってきた裏口から見つからないように注意し進むことにする。なるべく足音を立てないよう、しかし急いで裏口へと向かい、扉を開ける。外には誰もいないようだ。そう言えば――
「ペス」
そう、マレクさんの相棒犬が待機してるはずだ。名前を小声で呼びかけるが反応はない。どこかに移動したのだろうか。できれば一緒に向かいたかったが。
裏口から出ると、建屋の陰に隠れながら中庭に向けて移動する。周囲には誰の気配も感じない。まぁ、素人の感覚だからあまりあてにはならないけど。
中庭近くの茂みに着くと、かがんで隠れながら儀式場の近くまで移動する。背負った鎌が邪魔だ。手持ちに変える。
夜で見通しが悪いことも味方してくれたのだろう、発見されずに目的地にたどり着いた。ここからなら、儀式場の様子もよくわかる。儀式の進め方は知らないが、先程見た時よりもだいぶ進んでいるように見える。
魔法陣を円形に囲う村人の輪の中に、一人の青年が台の上に寝かされている。そして、村人の輪を確認してぎょっとする。
(マレクさん、受付嬢さん……)
そう、二人が輪に加わっていた。操られているのだろう。視線が定まってない。他の村人達同様、膝立ちになりながら手を合わせ、うつろな目で輪の中央を見ている。
これは二人とも操られてるな……やはり、彼女の説得は失敗していたようだ。それにしても、実の孫まで操るのか――、もう老婆はなりふり構ってないな。
その老婆はちょうど魔法陣の調整を終えたのか、輪の中央、青年の隣に移動してきた。手には本と杖を持っている。そして再び青年の横にきて、おもむろに本を広げた。
「------」
そして言葉として認識できない何かを口ずさむ。呪文の詠唱を開始したのだろう。周囲の村人も続き詠唱を開始し、内側の魔法陣が淡く紫色に輝く。台に寝かされた青年の身体がビクンとはねる。
(しまった! 出遅れた! 俺のバカ!)
カバンから解呪の瓶を全部取り出し、等間隔で輪になっている村人やマレクさん、受付嬢さんの足元に投げ入れる。マレクさん、受付嬢さんの足元に一つずつ、残りは適当に村人の輪の足元に投げ入れた。
焦っていたためか、単純に俺の投擲コントロールが悪いからか、いくつかは見当違いの位置に飛ぶ。
「何者じゃ!」
老婆がこちらを見て大声で叫ぶが、もう遅い。着地した瓶が割れ、中の粉末が空中に拡散する。よし、これを吸い込めば操られた人は元通りになるはずだ。これで儀式は妨害できるだろう。俺は効果に期待するが――
急に突風が吹いた。状況を察した老婆が儀式魔法を中断し、風魔法を使用したのだろう。老婆の手が緑色に発光している。空中に拡散した粉末が急速に押し出されていく。うまく吸い込ませられなかったからか、誰も正気に戻る気配はない。
「しまった……」
忘れていた。そうだ、風の影響のない屋内で使用すべきなどはマレクさんと話していたことでもあったのに! しっかりと接近して直接吸わせるべきだった。焦っていたゆえの致命的ミス――
いや、まだあきらめるのは早い! マレクさんと俺が一つずつ持つ、スプレー噴霧状のアタッチメントがついた瓶を緊張から震える手で取り出し、マレクさんや受付嬢さんに直接吸わせようと急いで駆け寄――
「させんわ!」
老婆の手が黄土色の光に輝き、それと同時、俺の身体が硬直する。走り出した体勢から急停止したためか、筋肉が悲鳴を上げる。マズい、上半身含め、まったく身体が動かない。金縛り、バインド系の魔法か。
「まったく……おや、あんたは」
近づいてきた老婆が俺に気づく。
「アンリはお前を逃がしたと言っていたけどね……まだいたのかい。あたしが甘かったわ。やっぱり、とどめはきっちり刺さないといかんね」
口調はたんたんと、だが、明らかな殺意が老婆の目に宿る。俺は冷や汗を流すが、老婆の殺意は急に消失する。
「いや、やっぱり、器はあんたにしようかね……これも運命じゃろう」
あの青年でなく、俺を魂の器にしようというのだ。俺は金縛りにより身体が動かず、口も動かせない。
(マズい!マズい、マズい!!)
激しく狼狽するも、身体が動かず何もできない。老婆はゆっくりとこちらに近づいて来て――
「あぎゃぁぁぁっ!!」
突然、老婆が悲鳴を上げる。
直前、俺が潜んでいた近くの茂みから何かが急に飛び出してきて、老婆の手に噛みついた。それは、一緒に行こうとして見つからなかったペスだった。
ペスは老婆に追撃を加えてうずくまらせると、俺が手に持つ小瓶を咥えて奪い、マレクさんのもとにかけよっていく。マレクさんのところにたどり着くと、どうやってか瓶を割り、マレクさんに粉末を吸わせる。
至近距離で直接粉末を吸い込んだからか、すぐさまマレクさんは覚醒し、辺りを見渡し状況を察する。
マレクさんは隠し持っていたスプレータイプの小瓶を取り出し、急いで周囲の村人達に粉末を吸い込ませていく。次々に村人が覚醒し辺りを驚いた顔で辺りを見回している。受付嬢さんも同様に覚醒したようだ。
村人の混乱する喧騒の中、マレクさんと受付嬢さんがこちらにそれぞれ近寄ってくる。受付嬢さんが短く呪文を唱えると右手が緑色に発光し、手を向けられた先にいる俺の金縛りが解ける。
「っはぁ!はぁ!はぁっ!!……」
金縛りから急速に解放された俺は、緊張状態からの急な解放による呼吸の乱れを整える。その間、マレクさんは老婆に近づき、衣服をちぎってこしらえた手錠を老婆にかけていく。
受付嬢さんは俺にごめんなさいと一言謝ると、手錠をされたまま座り込む老婆に向かい、かがむ。
「おばあちゃん、もうやめよう?誰かを犠牲に生き返ることは、ユーリもきっと望まないよ」
ユーリというのは彼女、アンリさんだったか――の弟さんだろう。老婆は顔を伏せ、アンリさんの顔も見ない。これで一件落着かと思われたが、
「いけません! みなさん離れてください!!」
突如、マレクさんが大声で叫ぶ。ハッとして老婆を見ると、巧妙に身体の陰に隠された手が黒色に発光していた。すぐに気づかなかったのは、周囲の暗さのせいもあるだろう。
急な事態からか、アンリさんが動けていない。ヤバい、助けに行かないと、と駆け寄ろうとするが、先に気づいたペスがアンリさんの服の裾を加え、急ぎ引っ張っていく。
「きゃあ!」
体勢を崩しながらもアンリさんがペスに引っ張られその場から離れる。俺とマレクさんも急ぎその場から離れるが……その間にも老婆には変化が訪れていた。
身体が黒色光につつまれ、小柄な体躯から、メキメキといった異音が聞こえてくるように、急速に異形へと変わっていった。
「おばあちゃんっ!!」
アンリさんが悲鳴を上げるが、老婆の異形化は止まらない。そして、まもなく2m程の異形へと変貌するのだった。




