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バトルオブビブリオ

作者: 柊鏡

 西暦二○二五年。

 ロボット技術や遺伝子工学、人間工学は日進月歩の発展を遂げ、自律思考型AIを搭載したアンドロイドの開発まではいまだ難しいものの、音声認識による制御が実用レベルで可能なものに関しては数体が製造された。現時点ではコスト的な観点から有用性が見出せず、希少ながらも、コスト削減がなされれば巷へ溢れること、必至である。

 日夜、研究者も技術者も一丸となって開発に(いそ)しんだ。結果、一年後にはコスト面で三十パーセントの削減に成功する。

 

 西暦二〇二六年。

 競艇、競馬、競輪のうち、競馬が最も人気があるのは何故だろうか? 理由は極々簡単なもので、馬は生物でありボートはマシンであると()うことに尽きる。即ち、時折のハプニングが競馬では起こり易く、その分会場が白熱するのだ。

 (ふる)くのSFに夢抱いた人々はロボット=プロレスがいずれ興行されるのではないか、と思っていたが、それが実現することはなかった。プロレスをやらせるに十分なアンドロイドは製造可能であったにも関わらずである。やはり、馬が唐突に走らなくなるのと、アンドロイドが突然故障するのとでは客の反応に大差があるらしい。

 この年ロボット=プロレス興行を行おうと準備していた『アルファ=マトリクス社』が倒産した。

 

 西暦二〇二七年。

 この年、宇宙人が飛来した。突如の宇宙人の登場は、襲来と考えられ一時世界は騒乱と混乱に充ちたが、一月後には滞りなく沈静化した。民衆とはかくも醒め易いものである。

 二十世紀の後半には世界中の空でUFOが確認されたり、アブダクティーやキャトル=ミュートレーションなど色々と話題を浚っていた宇宙人と云う存在であるが、くだんの宇宙人に問い合わせたところ、そのような事実はないことが判明した。

 彼らの言い分に完全な信頼を寄せるとするならば、彼らは平成三十九年になって初めて地球を訪れたそうであり、自分たち以外の知的生命体に遭遇するのも初であるとのこと。

 外惑星航行を可能とする宇宙船を持つ彼らに、鼻の下を伸ばしながら接近したのはアメリカ政府であった。アメリカせいあおあl;l@cぁ@hっさそぱそ98あおしjさkんさそぴdっささいsds@あdsdm

 

 

「うがああああああああ!」芥川(あくたがわ)竜子(りゅうこ)は叫んだ。「なんじゃこりゃああああ! こんなんじゃぁ、小説になってないじゃんかああああ!」壊さんばかりにキーボードをバシバシ叩きながら、更に絶叫。「説明してるだけじゃあああん。年表じゃあああん!」

 彼女の眼前にあるノートパソコンの発光ダイオード煌く画面――。世界基準のワープロソフト『MSワード2025』が立ち上がっている。その仮想の原稿用紙の上には、めっちゃくっちゃにキーボードを叩いてしまった所為で、全く意味をなさない文字列が何行も何行もタイプされていた。竜子はハァと深く嘆息した。同時に両肩もさがった。ありったけの肺の空気を全部外に出してみると、怒りが少々和らいだ。

 もともと行き場所のない憤怒なのだから、さっさと落ち着いた方がよいとも思った。自分のあまりの不甲斐なさに発狂し、ついつい叫んでしまったのも馬鹿らしくなった。図書館では静かにしましょう、と口を酸っぱくして小学校時代言われたではないか。本好きのくせに何と云う失態であろうか。

 BSキーをこつこつ小刻みに叩いて、意味のない文字列を消す。一文字消すごとにカーソルが巻き戻っていく。デジタル作業と云うのは随分楽なもので、文字列はあっと言う間に跡形もなくなった。そのうちメモリーも上書きされて本当になかったことになるだろう。それはそれで哀しいことに思われたが便利さには代えられない。

「才能ないのかなぁ……」

 背凭(もた)れに全体重を預けると身体の重心がズレ、自然と腰が下方へ落ち込み、視界が斜め上を向いた。図書室の白いベニヤボードの天井が目に入った。執筆に集中している間には聞こえなかったのだが、喚起の為の空調がゴウゴウ唸っている音が耳に舞い込む。あたかも「帰れ、帰れ」と告げているみたいだった。

「帰ろう……」

 竜子は電源を落とし、ノートパソコンを畳んだ。メタリックなブラックの塗装が何処か嫌味たらしいこのノートパソコンは竜子の戦利品だった。臥薪嘗胆、艱難辛苦の末にようやく手に入れたマイパソコンである。並々ならぬ愛着があって名前だってつけている。名前は『ブラッキー二号』である。もちろん一号も存在するが、それは機械ではあるのだがパソコンではない。

 不幸にも、小遣いなんぞ殆どくれないケチ臭い親の元に生まれた彼女にとって、パソコンは高嶺の花だった。小説家になろうと小学生の頃から常々思い抱いていたのだが、ずっと執筆作業は大学ノートが相手だった。賞に投稿する際のみ、原稿用紙で清書した。

 高校二年生になって初めてパソコンを手にすると云うのも、今の世の中恥ずかしい話だ。誰でも小学生になれば買ってもらえるのだから。虚しい気持ちもしたが、その虚無感を霧散せんと、旧い時代の作家たちは皆万年筆を握り、四百字詰め原稿用紙と首っ引きしたのだと思うことにしていた。そうすれば少しは気も楽になった。大切なノートパソコンを丁寧にトートバックに詰めると竜子は図書館を後にした。

 市立図書館に来たときには、空は晴れていたが何時の間にやら陽光は厚い雲に遮られ、小雨がパラパラと降っていた。生憎と、竜子は傘を持参していなかった。自宅を出るときに確認した天気予報では今日一日晴れと言っていたのだから、必要ないと思った所為だ。はて、如何したものかと雨粒を見ながら困り果てていると、横合いから声がかかった。「芥川さん」

「んみ? 源くん?」

 声の(あるじ)はクラスメートの源であった。柔和な態度で彼は微笑んだ。つい心を許してしまいそうになるような、人好きのする顔である。彼はスポーツマンでもなければ取り立てて秀才であるわけでもなかったが、不思議と人気が高く、竜子も源のことを嫌いではなかった。寧ろ、こうして学校が休みの日に図書館へやってくるあたり本好きなのだろう。ちょっと嬉しかった。

「芥川さんも図書館きたの?」

「うん。今、帰りなんだ」

「へぇ。ぼくは雨が降ってきて暇だから、来たんだよ。でも、芥川さん、傘持ってないけど、帰れるの?」

 くいくと自身の青いビニール傘を源は上下させた。

「えっとねぇ――そこ、困ってたんだよね」

「じゃあさ、送ろうか?」

 竜子は驚いて目を剥いた。まさかの提案だった。色づき始める高校生と云う時分、中々臆面もなくこんなことが言える男子生徒は早々いないだろう。臆せず口にできるのは、ニブチンか軟派な男かの二択だ。源は浮いた話もなく、間違いなく前者だった。

「本当?」

「うん。女の子を濡れネズミにするわけにもいかないよ」源はハリウッドスターも顔負けの笑顔を振り撒いた。笑顔があまりに眩しくて、それこそ今は暗雲に隠れて見えない太陽の輝きのようだった。うっかり惚れてしまいそうになった。頬が上気するのを覚え、慌てて竜子は顔を伏せた。そして、取り繕うにして言った。「源くんが源氏って言われてるのが解った気がするよ。うん」

「何、それ?」

「んーん。こっちの話」

 適当に竜子は誤魔化した。

 源順(じゅん)は学校の女子連中の間では『源氏』と渾名されている。彼のスマイルに多くの女子が篭絡され、ハートブレイクされたことと苗字が源姓であるのがその所以だ。今の今まで何を馬鹿な――と鼻を鳴らしていた竜子だったが、篭絡されそうになった手前、真実味を帯びて感じるのだった。

「行こうか」と言い、源は傘を開いた。

 相合傘と云うのは気恥ずかしい気もしたが、濡れるのはもっと嫌だった。竜子は軽く首肯して、傘に入った。二人へ連れ立って住宅街へと向かった。傘は少々小さかったが、小柄な竜子は濡れなかった。その代わり、源の左半身が濡れていた。すまないことをしたかもしれないと、ちょっとだけ悔いた。

 

 ***

 

 突然電話がかかってきたのは、夜も九時を回った頃だった。風呂からあがり、ドライヤーで髪を乾かしているところでもあった。全く誰だろうとぼやきながらもベッドから腰を上げて、勉強机の上でアラームを垂れ流すケータイを手に取った。ケータイのサブディスプレイには『夏目』と表示されている。竜子は眉を歪めつつ、受信ボタンを押した。「はい、もしもし」

「もしもーし? 竜ちゃん?」朗らかな鈴のような声が耳を打つ。

 電話口の向こうにいる彼女は夏目雪(すすぎ)。クラスどころか学校も一緒ではなかったが、顔見知り以上大親友未満と言っていい相手である。一応、気の置けない仲と称してもさして問題ないだろう。

「何よ。もう、突然」

「つれないなぁ。つれないなぁ。超つれないなぁ」電話口の相手はぶつくさと言った。

()っちゃんさぁ。普段、電話くれないじゃない?」

「そんなこと、ないよ。全然ないよ。全然ないよ。全然、全然、全然ッ! オールネバー、オ――――ルネバ――――ッ!」

「切るよ……」

「あー。待って。ストォォォップ」マイクが激しくハウリングした。怒鳴り過ぎだ。こんなに大声を張らなくても別に切らないのに、と竜子は思った。「竜ちゃんにねぇ、言わないといけないことがあるんだぁ」

「何?」

「今度ね、読書会のルール変更があって――」

「嘘。ウェブページじゃ何もお知らせなかったよ」

 竜子は毎日かかさず読書会のサイトを閲覧している。何か新しい情報が掲載され、取りこぼしがあったらコトだからだ。彼女にとって読書会は大切なイベントである。

「解ってないなぁ。お役所が仕事するのは五時までって法律で決まってんの。アンダーゥスタン?」

「別に残業はしてもいいと思うんだけど……」

「――で、肝心なルール変更ねぇ。今度からタッグでの参加になるんだって」

「それって本当なの?」

「マジ、マジ。めっちゃマジだってッ!」

「でも――タッグって、如何云うこと? チーム戦なの?」

「平たく言えば、そうだよ。で、来週の読書会からの予定だからね。ちゃんとパートナー見付けておきなよぉ」

「そんなこと急に言われても困るよ。私、読書仲間なんかいないよ? いても、雪っちゃんとかナナとか、皆、既に読書会メンバーじゃない」

「それこそ、私に言われてもねぇ。まいっちんぐッ!」

 竜子は通話を切った。ツーツーツーと受話器が言う。

「どうしよう……」

 ただでさえ、活字離れが進んでいる上、一昔前から読書と云えばパソコンやケータイでするものになっている。所謂電子書籍の普及である。その為、竜子の知り合いにも友達にも読書を趣味にしているような人間はいない。

 来週の読書会からタッグ戦になるなどと言われても、正直困惑するのだ。

 パートナー候補に心当たりがない。誰かいないだろうか、と頭を捻ると一人の人物が脳裏に浮かんだ。数時間前に自分を自宅まで送り届けてくれた源の姿だった。頭の中の彼は微笑んでいた。記憶の中に浮かぶ情景だからだろうか、実物よりも二割り増しで爽やかだ。

「源くん、大丈夫かなぁ……」

 とりあえず、他に当てもないので彼に頼むことにした。電話番号やメアドは()らないので明日にでも学校で訊いてみよう。この日の夜、何だか寝付けなくて竜子は三時半まで起きていた。

 

 ***

 

 源はリノリウムの床を歩いていた。ぺったんぺったんとソールの(めく)れたボロボロの上靴が軽快なリズムを響かせている。

「ねぇ、源くん」と突然背後から声をかけられて振り返ると、芥川竜子が立っていた。言い難そうに短く切り揃えたパッツンの前髪を指先で(もてあそ)びながら彼女は続けた。「あのさ……。今週末、土曜日ね。暇だったりしないかな?」

 源は目をぱちくりさせた。今週の土曜日には別段予定が入っているわけでもなかったが、一体何の誘いだろうと思ったのだ。竜子の様子からは、何度か女子たちから受けたことのあるデートの誘いにも思えなかった。

「えっと、暇だけど」

「わ。本当?」竜子の声音のトーンが一段高くなった。

「うん」

「だったらさ――」竜子は目を輝かせて上目遣いに見てくる。「私と読書会に参加してくれないかな? 別に無理だったらいいし……。そもそも、源くんが本好きか如何かも、私識()らないし――」

「いいよ。ぼくも結構本好きだし。今時、図書館に出張るなんて本好き以外にいないでしょう?」

「よかったぁ。嬉しい」

 衒いのない笑顔で竜子は言った。

「でさ」

「んみ?」

「読書会って具体的に何をするの?」

「えっとね――。朗読かな」

「子供への読み聞かせみたいな感じなのかな?」

「うーん。子供じゃないんだ。でも、読み聞かせだよ。うん」

「解った。了解したよ。予定、空けとくからね」

「ありがとう」

 ぺこりと慇懃に竜子は礼をした。馬鹿丁寧なその仕草がおかしくって、源が思わず苦笑すると心外だとでも言うように竜子はムっと頬を膨らませた。何だか、愛くるしいなぁと源は思った。むっつり膨れた頬が、冬に備えてドングリを詰め込んだリスみたいだ。

 そう云えば、土曜日に読書会があるのはいいとして、集合場所とか会場とか聞いていないと思った。加えて、彼女のことも少しは気になった。先日市立図書館で会ったのもあるが、彼女が本好きであるのは識っていた。ちょくちょく学校の図書室で目にしていたのだ。

「ちょっと、話さない?」

「……んみ。――いいよ」

 二人は図書室へ向かった。

 入るなり、竜子は席へは向かわず書架から一冊の本を取り出し、持って来た。

「何か、読むの?」

「んーん。別に読まないんだけど、何となく、ね。あると落ち着くって感じなのかなぁ」

 彼女が手にする年季を感じさせる古ぼけた文庫本の背表紙には『羅生門・鼻』と書いてある。日本人であれば誰でも識っているに違いない芥川龍之介の有名な著作である。

「あ……もしかして――」

「あ、うん。そうなんだ。読書会によるとね、私は芥川龍之介の子孫にあたるらしいんだ。自覚も、家系図もないんだけど、ね」

「へぇ。凄いんだね」源は至極感心したようだった。しきりに(かぶり)を上下に振った。

「凄いか如何かは解らないよ。でも――おかげで自分専用のパソコン、手に入ったからいいかな」

「そうなんだ」

「うん。じゃ、座ろう」

 図書室には人がいなかった。テスト前ならば勉強しに来る生徒もいるだろうが、今はテスト期間まで大分(だいぶん)間がある。音はなく、閑散としていた。閑古鳥の啼き声も聞こえないほどで、ようするに二人以外の誰もいなかった。二人は貸し出しカウンターからやや離れた隅っこの対面で並ぶソファへ向かった。そこで土曜日の集合場所や時間などの詳細を決めた。読書会は最寄駅から三駅分離れた町で行われるので、くだんの駅前で集合と云うことになった。

 

 ***

 

 源が駅前につくと、既に竜子は待っていた。「おーい」と言いながら彼女が手を振ってきたので、彼も手を振って(こた)えた。彼女は取り立てておめかしすることもなく、制服姿だった。学生鞄の代わりにリュックサックをさげていた。

 源は駆け寄って、一緒に改札を(くぐ)った。電車は直ぐにやってきて、十分程度揺られた。車内には何故だか解らないが殺伐とした空気が蔓延しており、乗客の大半が竜子たちと同じ駅で下車した。大勢の乗客たちの行き先は竜子たちと同じだった。列をなして、うねうねと読書会会場へ向かっている。

「凄いところだなぁ」源が歓声をあげた。それもそのはず、読書会なんて言うものだから、てっきり公民館のような狭々(せせこま)い場所で開催されるものだと思っていたのだ。

 それが如何したことだろう、室内野球場並みに大きな施設だった。駅から徒歩五分に立地する読書会会場は東京ドームとまではいかないが、それなりに巨大なドーム状施設だった。壁は一見にして目新しく、表層の塗装には剥げ一つなく、最近建設されたことは明らかだった。しかも周辺にビルどころか民家もないので、一際大きく見えたのかもしれなかったが、それ抜きにしても吃驚(きっきょう)したのは確かだった。

「あー、来た。来た! 竜ちゃーんッ!」

 ドームのエントランス前に設えられた受付の前、多くの人々の波間から顔を出すようにして大声を張っている女の子。頭頂部近くで結わえたおさげが上下左右に揺れている。女の子の視線は竜子を向いていた。

「雪っちゃんー!」応えるように、竜子が声をあげた。彼女たちは知り合いのようだ。

「ほう。そっちがパートナーねぇ……」目と鼻の先までやってきて、にやにやしながら夏目が言った。舐め回すようなねちっこい視線が源に注ぐ。

「うん。そうなんだ。――で、雪っちゃんの相方はいないの?」

「ははは。先に入場してるよ〜♪」

「そうなんだ」

「で、自己紹介とかしないわけ? そっちのお兄さん」

 夏目の瞳が源の瞳を見据える。彼は彼女の要望通りに応じた。「ぼくは源順。えっと、芥川さんとはクラスメートなんだよ」

「へぇ。それはそれは……」見るからに含みのある表情をして夏目は笑うと、やおら踵を返した。「会えたら会おうね! シーユーレイラーッ!」

 既に受付を済ませているらしく、素通りする彼女を受付係は咎めなかった。

「それじゃ、行こう」

「うん」

 受付係は渋い顔をして言った。「あの……。タッグって何の話でしょうか?」

「その――。今度からチーム戦になったって」

「そんなことは聞いていませんがね……」

「え……そんなぁ」

 ハメられた、と竜子は思った。夏目が()いた嘘だったのだ。このままでは読書会のルール違反を犯してしまうかもしれない。歯噛みする彼女を心配そうに源は覗き込んだ。「如何したの?」

「何でもないよ……。源くん」

「源?」受付係の眼光が鋭くなった。「ちょっといいですか?」

「はい?」

 受付係は長机の下から何やら血圧計のような装置を取り出した。血圧計同様、ケーブルに連なってマジックテープつくのバンドがついている。受付係はバンドを掴んで言った。「これ、つけてもらえますか? 源さん」

 源はわけが解らなかったが、言われるままに腕に巻いた。見た目は血圧計そのものだったがバンドが締め付けてくることはなかった。ピピピッと計器が鳴った。計器の表示を確認した受付係は一瞬驚きに顔を染め、直ぐにそれは鳴りを(ひそ)めた。やがて笑みに変じた。

「どうぞ。ご入場ください」

 礼儀正しく受付係は言った。受付から暫くして、エントランスの吹き抜けを過ぎた辺りで源が口を開く。その眼には(いぶか)しむような色が見える。「今の、何だったの?」

「読書会に初参加するときは、私もやったんだ。何なんだろうね」

「本当に読書会会場なの? ここ」

「そうだよ」

 ホールへ続く大扉を開けようとする源を竜子は制した。「こっち」

「こっち?」

 竜子は念を押す。「私たちはこっち」

 『関係者以外立ち入り禁止』と云うプラカードが取っ手に捧げられた扉へ竜子が向かうのを源も追った。

 扉の開いた先には非常灯の緑が照らす暗い廊下があった。いかにもバックヤードと云う雰囲気で充ちている。左右に幾つか部屋があり、それぞれに紙が貼られていた。『芥川様』と明朝体でプリントされた紙が貼られたドアの前で竜子は止まった。どうやら竜子の為の部屋であるらしい。控え室だろうか。

「あー!」背後から裏返った声がした。「何で、何で(はい)れたの? 無関係者の連れ合いは禁止されてるのにッ!」

 夏目だった。長ったらしいおさげを揺らしながら、腰に手を当てている。

「騙したね……?」凄むように低い声で竜子は言った。

「そ、そんなことしなよぉ? しないしないしないッ!」

 目が泳いでいた。如何見ても図星だ。やましいところがある人の反応そのものだった。

「べ、別にッ! 次の試合相手が竜ちゃんだからって、そんなことしようだなんで思わないもん。思わない。思わないッ! 無関係者の連れ込みでルール違反犯して、不戦敗で勝ちあがろうなんて少しも思ってないもんッ! ノットシンキング=ミー!」

 夏目は自爆した。お見逸れするレベルの自爆っぷりだ。あまりにも見事だったので、言い返す気が竜子は失せてしまった。

「……はいはい。解ったよ、もう」あしらうように竜子は言った。「準備しなきゃ……。源くんも入って」そう云うと夏目を置いたまま控え室に消えた。ドアが閉まってから夏目は呟く。「くぅ……。何だってのよ……。あー、ベリーイリテッドッ!」

 

 ***

 

『レディース、アンドジェントルメェンッ!』

 銀に光るマイクを持ったスーツ姿のMCが声高に告げると、会場全体からどっと歓声があがった。圧倒的歓声は鉄筋コンクリートの室内を揺らすほどに強烈だった。

『皆ぁ! お待ちかねかーい?』

 おもむろに、マイクを客席に向ける。客たちは一丸となってMCへと咆哮する。「お待ちかねー!」

『ヘイ。じゃあ、さっそく始めようッ! 本日最初のカード、小林滝蔵バーサス太宰治夫(はるお)! 両者の入場だーッ!』

 客席のボルテージがガンガンに高まっていく。季節は秋だと云うのに会場はまるで夏。熱気にやられてしまいそうだ。ガラス張りになった二階席から、あんぐり大口をあげて源は会場を見下ろしていた。「えっと、何? これぇ」

「読書会」さも当たり前のように傍らの竜子は答えた。しかし、納得がいかない。読書会にMCが召致されるなんてありえない。紙芝居屋などを呼ぶなら解るとして――。

 後頭部をぞんざいに掻きながら、彼女に聞こえないくらいの音量で呟く。「如何見てもプロレス……」

 源の感想も(もっと)もなことである。会場中央にはマット地のリングが設置されており、ぐるっと外縁部をロープが囲っている。雛壇状になった(すし)詰め状態の客席からは、これでもかとはち切れんばかりの歓声が際限なくあがり、プロレラーの入場風景そのものだった。

 東の出入り口が軋む音をさせながら爽快に開け放たれると、マントを羽織った小林滝蔵が入場してきた。翻るラメのあしらわれたマントはレスラーのそれだったが、小林本人の体格は至って普通、平均的日本人男性のものであった。

「滝蔵――――ッ!」「プロレタリアの鑑――――ッ!」

 観客が口々に声援を飛ばす。

 彼は後ろにロボットを連れ立っていた。曲線で構成されたボディ、女性型のアンドロイドだと一目で解った。人間を模したロボットが既に開発されており、実用段階に入っているとは識っていた。しかし、源はアンドロイドの本物を見るのは初めてだった。が、一見して人工物だと解るのは、腕部などの間接部が剥き出しであるからだ。つまり、一矢纏わぬ素っ裸であった。

 小林が自分専用のマイクを持って叫んだ。『今日の朗読は蟹工船だぜぃ! 派遣切りが叫ばれる昨今、今ぞプロレタリアートの力、見せてやるぜ――――ッ!』

「いやっは――――ッ!」観客たちの怒号。

 小林がリング内にアンドロイドを伴って入場すると、今度は西のゲートから太宰治夫が姿を見せる。彼も小林と同じくマントを着込み、アンドロイドを同伴していた。ただし、女性型ではなく男性の風貌をしている。さきの小林のマイクパフォーマンスに対抗せんとするように叫ぶ。

『プロレタリアートの何たるかを俺が教えてやるぜ、小林ッ! だが、今日の朗読は人間失格だぁ! どっちが長年読み継がれる名作か証明してやるぜ――――ッ!』

「そうだ、そうだッ! 小林なんかぶっ殺せッ!」

 本来穏便なはずの読書会に飛び交う科白があろうことか、「ぶっ殺せ」である。もう源は如何でもよくなっていた。どうでもよいと思わなければ、自分の中の常識の砦が崩壊してしまいそうだったのだ。早々に白旗をあげ、砦の瓦解は(まぬか)ることにした。太宰がリング入りすると、続くようにMCもリングに入った。彼は着ていたスーツの上着を勢いよく脱ぎ捨てる。すると、ズボンをサスペンダーで吊り、蝶ネクタイを首元に締めたレフェリー姿に早変りした。しかしマイクは離さない。『それじゃあ、朗読者はリングアウトだッ!』

 小林と太宰がリングから出た。そしてマントのポケットからそれぞれ本を取り出す。小林は文庫版『蟹工船』、一方太宰はハードカバーの『人間失格』。片手で支えながら本を開き、片方の手でマイクを握る。

『それじゃあ、始めるぜッ! 試合開始ッ!』

 ゴングの()と共に読書会は始まった。さっそくマイクに小林が言う。『おまえ地獄さ行くんだでッ! 蟹光線ッ!』

 リング上の女性型アンドロイドの目が光った。ビームが(ほとばし)る。熱を帯びて、白く染まった光子ビームは一直線に太宰の男性型アンドロイドへ進む。直撃したらただでは済むまい。負けじとマイクに太宰が朗読。『恥の多い人生を送ってきたのはおまえだッ! 人間失格ッ!』

 現状を一言で要約するとすればロボットバトルだった。いや、リングの形状からしてロボットプロレスだろうか。

 男女のアンドロイドが素っ裸でくんずほずれつするのだ。妖しい格好に組み合うごとに歓声が沸いた。

 小林が『ケチケチすんじゃねぇッ! 何だ、飯の一杯や二杯ッ! 殴ってしまえ!』と朗読とも云えない朗読をすると、彼のアンドロイドはパンチを繰り出した。

 太宰が『その出鱈目の曲に合わせて、インディアン踊りを踊って見せろッ!』と自身のアンドロイドへ告げれば、妙な踊りをしながら小林のアンドロイドの攻撃を躱した。

 一進一退の攻防が続き、一ラウンド十五分――三ラウンドに突入し、五分経過したところで小林が勝利した。

 太宰のアンドロイドはマットの湖に沈んだ。決まり手は『帝国軍艦だなんて大きなこと言っても、金持ちの手先でねぇかッ! 国民の味方? おかしいや、クソでも喰らえッ!』の『クソでも喰らえッ!』攻撃であった。

 実際に戦うのはアンドロイドなので、太宰の『人間失格』は通じなかった模様。なるほど、アンドロイドに人間失格もクソもない。しかし、クソ攻撃は通じたようだ。

 がっくし腰を落とし、敗北に打ち(ひし)がれながら太宰はブーイングを背中に浴びつつ会場から消えた。その後、勝者小林滝蔵によるマイクパフォーマンスが五分間続いた。

「じゃあ、行って来るね」とマントを羽織りつつ竜子が言った。

 源は現在間近で行われている常軌を逸したイベントに精神の大半を打ちのめされていたが、何とか気を持ち直して言う。「ぼくも行くよ」

「如何して?」

「折角来たんだし」

 一応、近場でこのイベントを拝んでおこうと思ったのだった。やや迷ってのち、竜子は首肯した。

 

 ***

 

『それじゃぁ、次、行ってみようかッ!』

「いってまえーッ!」

『本日、第二戦目ッ! 我らのアイドルぅ! 猫耳娘の夏目雪と、パッツンヘアーが昭和の香、芥川竜子の一戦だぁッ!』

 先ほどよりも歓声が大きく熱っぽい。

 女性同士、しかも女子高生同士の戦いに観客たちは興奮しているのだろう。女子プロレスみたいなものか。

『まずは夏目雪の入場だぁッ! 今日はどんな猫耳でくるのかな〜♪ 今から俺もドキワクなんだぜ――――ッ!』

 東のゲートからスポットライトの光を一身に受け、夏目雪が現れた。彼女は毛羽立った感じの黒猫耳カチューシャをしていた。白ロリファッションに身を包んでもいる。ふわりとした衣装は彼女が一歩歩くごと、たわわに揺れた。

『おおうッ! 今日は黒の野良耳だぜ――――ッ! 俺の心は既に敗北しちゃったぜ。ガラスハートが決壊したぁぁぁぁ。そのうち鼻血がブーの大洪水、鉄砲水の如しだぜッ! やっはー!』

「やー! 夏目ちゃーん!」「可愛いー!」「大好き、好き好き、超愛してるぅ――――ッ!」

 自分を褒め称える声援に気をよくして、夏目は軽やかなステップで爪先立ちになると、華麗に一回転。リング衣装の縁を彩るフリフリが揺れた。スカートが(めく)れあがるも、パンツが見えそうで見えない。中々あざとく計算高い。

『皆―! 応援ありがとー! 私、ハッスル、ハッスル、ハッスルするからねー! チェケラーッ!』

 レスラーなのかラッパーなのか、皆目解らないマイクパフォーマンス。しかし、観客は呆れるどころかテンションアップ。野太い声援が会場を支配した。

『今日、皆に読み聞かせるのはひいひい爺ちゃんの往年の名作ッ! 吾輩は猫であるッ! 私も大好き、にゃんこがにゃんにゃん。キャットウォークッ!』

 と言って同伴するアンドロイドと共にムーンウォークする。

「それ! ムーンウォーク!」間髪入れずに客席から繰り出されるツッコミ。

『ナイスつっこみ、ムイビエンッ! イッツァ、グレイトアスホーッ! ファッキン』

 客と一体化している。会場の支配者は夏目だった。まさに女王だ。汚い英語が増えたあたりも、別の意味で女王様らしい。

 西のゲートはまだ閉ざされている。閉まっているにも関わらず、扉越しに会場の白熱ぶりがビシビシ伝わってくる。扉が突き破れるのではないかと思えてしまうほど。

 竜子は自分の後ろに佇む女性型アンドロイド『ブラッキー一号』を見た。名前の通り、彼女のアンドロイドはやや褐色がかった膚色をしている。

「がんばろうね」と告げた途端、眼前のゲートが開いた。やおら熱風が訪れる。会場に立ち込めた酸っぱい汗の臭いがする。熱気と臭気の煽りは、胸焼けしてしまいそうになるほどだった。

 会場を照らす白熱灯が眩しい。視界がホワイトアウトしそうになる。頭上のライトを見ないようにして、竜子たちはやや伏目がちに足を進めた。

『次ぃッ! なーんと、今日はカレシ同伴で来ちゃった芥川竜子――――ッ!』MCの両目がカッと見開かれた。『カレシいたなんて聞いてないぜッ! またしても俺の心臓、ぶっ壊れたぜ――――ッ! もう、俺のハートはビキニ環礁ッ! 放射能の残り()で半世紀は魚も棲めないんだぜッ! キッシングラミーも死んでちゃ、キスできねー!』

「カレシ……」ぼそっと頬を染めながら竜子が呟く。

 無意味に傍らの源を意識してしまう。意識を逸らそうと、試合のことだけを考えるように努めることにした。

「そんなー! 文学少女だと思ってたのにぃ!」「裏切りものー!」「だが、そこがいいッ! (なぶ)って――――ッ! 踏んで――――ッ! 広辞苑で引っ叩いて――――ッ!」

 一斉に客席から怒涛の如くブーイングが飛ぶ。ブーイングの中にイケナイ趣味に目覚めてしまった人間失格なファンも数名。

 源は竜子の耳に囁いた。「迷惑じゃない?」

「大丈夫だよ。元々、ファンとか要らないから」

 夏目と竜子はほぼ同時にリングイン。先に入場したにも関わらず夏目のリング入りが遅れたのは、パフォーマンスのやりすぎによる。

 仁王立ちになりながら、マイクを使わずに夏目が口頭で告げる。「カレシだったんだねぇ。私、びっくり、びっくり、超びっくり。アッサムッ! アッザムじゃなくて、アッサムッ! アッサムオレンジのアッサム」

 試合に際して、彼女のテンションもおかしい。

 竜子もマイクを外して言った。「ボッコボッコにしてあげるんだから」

「やれるもんならね!」

「上等だよ」

『そいじゃ、両者リングアウトッ! さぁ、ゴングッ!』

 キーンとゴングが甲高い音色を木霊させた。夏目と竜子の戦いが始まった。

 宣言通り、夏目の朗読本は『吾輩は猫である』。彼女はこの作品以外使ったことがなかった。自身も猫耳キャラで売っているので、イメージも考慮してのことだ。

 一方、竜子は『蜘蛛の糸』。

 芥川龍之介の著作の中から『我輩は猫である』に最も有効であると思われる作品だ。

 彼はその短い人生の中で短編作品しかものさなかったので、文章量が少なく長期戦には向かないものの、(こう)数が少ない為、簡単にページから一文を探れるので臨機応変な対応が可能となる。

 二人は同時に本を構えた。両者とも見栄えよりも機動性を重視し、ハードカバーではなく文庫本を携えている。尤も全集はルール違反だ。

 早くも夏目の攻撃が始まった。『書生が動くのか自分だけが動くのか解らないがむやみに目が回る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして――』息を吸い込む。『――目から火が出たぁッ!』

 夏目のアンドロイドの目から本当に火が出た。雄鶏の尾っぽのように放射状に拡がりながら、ブラッキー一号へと迫る。

 暖められた周囲の空気が膨張してリングサイドの竜子たちの前髪を巻き上げた。

 回避の為に竜子も読む。『お釈迦様は地獄の様子をご覧になりながら、このアンドロイドには蜘蛛を助けたことがあるのを思い出しになりました。そうしてそれだけの善いことをした報いには、できるならこのアンドロイドを地獄から救い出そうと考えましたッ!』

 リング上方にお釈迦様のホログラム映像が登場。

 その後光が煌き、火の手はブラッキー一号を避けるように、モーセの海割りの如く左右に分かれた。まさにお釈迦様の御手(みて)によって、煉獄の炎から助け出されたかのよう。シュチュエーションの合致具合に観客たちが色めく。

 見事なカウンターの一文であった。

 くぅと夏目は歯噛みした。『まだまだ――――ッ! ただ興味の薄いことには木の上で口を咥えてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出すときは大方死んでいる。いくらじゃらし――』

「来た」と竜子は思った。『じゃらし』と云うワードを夏目が口にするのを待っていたのだ。猛然と早口でマイクに()くし立てる。アナウンサーもびっくりの滑舌(かつぜつ)のよさだった。明瞭な発音がマイクに吸い込まれ、会場のスピーカーから流される。

『お釈迦様は蜘蛛の糸をそっと御手にお取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを下ろしましたッ! 蜘蛛の糸ッ!』

 ブラッキー一号が両手を突き出す。その指先――十本の指から糸が飛び出した。

 これを見た夏目の顔が引き攣る。何とか対抗できる一文を『吾輩は猫である』の作中から探そうとページを()る。されど、あまりにも長編過ぎた。適格な箇所が見付からない。

 焦燥感に駆られている()に、夏目のアンドロイドは糸へと飛びかかっていた。

 完全に猫のようになってしまった夏目のアンドロイド。無心に糸へじゃれつく。じゃれつくうちにブラッキー一号の糸に絡め取られた。全身の間接部に糸が入り込み、ぐるぐる巻きにされ、最早なす術もない。

 そして、動かなくなった。

 MCが叫んだ。『勝者芥川竜子――――ッ!』

「やったね」と源が言った。

「うん」と満面の笑顔で竜子が応じようとしたときだった。突如として、会場中に設置されたスピーカーにけたたましいノイズが走った。

『何だ、何だ――――ッ!』

 慌てるMC。

 ざわつき出すオーディエンスたち。

 ノイズがやんだ。

 MCがマイクに何かを言っているが、スピーカーから音は流れない。如何やら何者かによって会場内の機材が乗っ取られたようだ。ブツっとスピーカーが一回再びノイズを垂れた。『私を差し置いて何をしているか――――ッ!』

 リング上空から十二単(ひとえ)に身を包んだ女性が降ってきた。

 十二単は重く、マットが大きく撓む。

 会場の喧騒が増す。客たちは何かのパフォーマンスと判断したらく、野放図に無責任に「やれー! やれー!」と繰り返し始めた。

 十二単の女性に続き、陰陽師姿のアンドロイドも降って来た。落下視点が夏目のアンドロイドと同じ場所だったので、陰陽師の足に夏目のアンドロイドは潰されてしまった。

 胸部から火花を飛ばし、外装が千切れてマット上に散った。

「ああああん。私の! 私のアンドロイドッ!」悲壮な叫びを夏目があげた。

 そんなことなど委細構わず十二単は持参したマイクに告げた。『日本文学最高傑作、源氏物語の紫式部の後裔を招待しないなんて言語道断ッ! 私は式部の子孫、紫四季(しき)ッ!』

「竜子ちゃーーん。やっちまえー!」

 観客が叫ぶ。

 観客が自分を応援しないので自称式部の末裔は気分を害したようだった。眉をひくつかせながら言う。『ふん。こっちからやってくれるわい』

「どうしよう……」竜子がしょぼくれた声を出した。自分を(たばか)った夏目を下したはいいが、あまりに不測の事態だ。哀願するような眼差しを源に寄せた。

 源は彼女の眼差しを受けて、考える。竜子は見るからにおどおどしている。彼女の気持ちを落ち着けなくては、と思った。特段、男気に溢れているわけでもなかったが、ここは男の出番だとは感じた。

「ニセモノだよ」と彼は言った。

「どうして?」

「この読書会には、作家の子孫がきてるんだよね?」

「うん」と竜子は小さく頷いた。

 源は彼女からこのキテレツな読書会の概要を(つまび)らかに聞いてはいないが、検討はついていた。なにせ、出場者の苗字が芥川、夏目、小林、太宰ときている。これらの苗字から想起される名前は芥川龍之介、夏目漱石、小林多喜二、太宰治だ。

 それに加えて、以前竜子自身が言っていたではないか。「読書会が云うには、自分は芥川龍之介の子孫だ」と。尤も、何の為にロボットプロレスをしているのかは検討がつかなかった。

「紫式部の子孫にしても、苗字が紫ってのはないよ。あれはペンネーム。紫は『源氏物語』の紫の上から、式部は親の役職名から。よって、ニセモノ」

「そ、そっか!」

 何度も何度も竜子は首を縦に振る。

「決心はついたか?」と四季は侮蔑の籠った目で竜子を見た。

「つきましたよ。即行、しばいてあげます」

「ほほう。いい度胸だ」

 さすがはMCと褒めるべきなのか、彼はこの非常事態に臨機応変に対応した。マイクを四季から奪って、代わりに夏目が使っていたマイクを彼女に渡すと口上をぶち始めた。

『おーとッ! ちょっとしたハプニングがあったが、気にしちゃ駄目だぜ。皆!』

 すっかり仕込みだと思っている客たちはノリノリだった。「気にしてないぜ――――ッ!」

『それじゃ、四季! リングアウトだ』

 意外にも闖入者のくせして、四季は大人しくリングアウトした。何処からともなく現れたスタッフが夏目のアンドロイドの残骸を片付けて、リング上には陰陽師とブラッキー一号が残された。

 試合準備が整ったところで、ゴングが会場に響き渡った。試合開始である。

 竜子は『蜘蛛の糸』から朗読本を『羅生門』に切り替えた。元々『蜘蛛の糸』は夏目用に用意したものだ。カウンターには適しているが攻撃には向かない。

『何をしていた。言え、言わぬと――』

 朗読本を切り替えていたタイムロスが仇になった。先んじて朗読を開始していた四季の方が早かった。

『初草の生ひ行く末も知らぬ間に如何でか露の消えんとすらんッ! 消えろ! 消えろ! 露のように消えろッ!』

 さすがは日本を代表するなどと喧伝されているだけのことはあった。陰陽師はロープの反動を利用してブラッキー一号に迫った。そして、繰り出される拳。ブラッキー一号はいとも簡単に吹っ飛び、リングから消えた。

 リングアウトは読書会ルールで負けである。

 あまりにも早かった。客たちはぽかーんと口を開けている。会場が台風一過の渚のように、水を打って静かになった。時間が停止しているかのようで、慌てたMCがマイクに告げる。『勝者紫四季ッ!』

『あはは。当然じゃぁないか。日本代表は私だッ!』

 勝ち誇って咆哮する四季だが、オーディエンスたちは試合結果に納得がいかなかったようだ。すぐに静寂は消え、リングに向かって空き缶やマックの空袋が飛んできた。

 ライトに照らされたアルミにスチールが中空を舞う。幾つも幾つも飛来して、その幾つかはMCや竜子たちに(あた)った。空き缶投擲から庇うように、竜子の後ろに源は立った。「ちょっと、しゃがんで。しゃがむと中りにくくなるから」

「うん……」

 相変わらず気配りのできる男だと竜子は思った。忍びない気もしたが、傘のとき同様ついつい好意に甘えてしまい、言われた通り身を(かが)めて中腰になった。

『皆、落ち着くんだぜッ!』

 必死に制止を訴えるが効果はない。乱舞する空き缶は一向に減らない。むしろ、増えているかもしれない。

『あんたち、何が気にいらないのさ!』

 四季もご立腹だ。声に怒気がある。

「エロ小説じゃねーか!」「そーだ。そーだ!」「日本代表がエロ小説とかふざけんじゃねー!」負けじと観客も言い返す。

「日本代表って何?」冷静にも源は竜子に訊ねた。

「えっとね……そのままの意味なんだ……。さっきの小林さんと太宰くんの試合は三位決定戦で、さっきのが決勝戦。つまり――」

「優勝したのは芥川さんなんだね?」

「うん、そう……」

 源はMCを見た。クレームをつけるつもりだった。

 すると、MCも源のことを見ていたようで目が合った。彼は一瞬思案顔をつくった。直ぐにその案件は解決したようで、にっこり笑う。やや含みのある笑顔ではあったが、悪意は見えない。

『へい、カレシ。きみがリベンジしないかい?』

「え? ぼく?」

『そうだぜ。カノジョの前でいいカッコしたいだろー? 皆も見たいよなッ!』

 会場へマイクを向ける。

「見たいぜー!」本当にノリのよい客たちである。瞬間にして、空き缶の投擲がやんだ。

 投擲もやんだので、源は竜子の前に進み出た。すると、上着の袖を握られた。

「本、あるの?」不安そうに竜子が見上げていた。

「あるよ。だって、読書会って言ったじゃない」

 源は上着のポケットを上からポンポンと叩いて見せた。そこには厚みが解り、文庫本でも入っているのだろう。

「あ――うん」

「ぼくはやりますよ」

『よーし。カレシもやる気満々だッ! 四季、ネクストマッチだぜ!』

「ちょっと、ふざけないでよ」四季はノリ気でないらしい。しかし、源がマイクを手にすると態度を変えた。

「いいだろう」と言って、自身も『源氏物語』を手にした。

「ブラッキー一号、ぼくでも使える?」

「多分……。あ、でも源くんって誰か作家の子孫?」

「解らないけど」

 アンドロイドは作家の末裔――それも読書会に選ばれた人物にしか動かせないと竜子は聞いている。普通ならば、源には起動できないと考えるべきだったが、受付係は彼をパスさせた。パスさせたと云うことはそこに意味があるわけだ。もしかすると動くかもしれない。これに賭けるしかなかった。

『それじゃ、行くぜ! ゴーングッ!』

 今日四度目のゴングが鳴った。さっそく四季が朗読開始。

『初草の生ひ行く末も知らぬ間に如何でか露の消えんとすらん――』

 四季は竜子との戦いと全く同じ箇所を読んでいる。戦い慣れしていないのだろう。同じ攻撃では相手に見切られる。

 一方、源が朗読する為に開いているのは――『竹取物語』。日本最古のSFと称される作品だ。中性的な声音がスピーカーから流れ出す。

『峰にてすべきやう教へさえ給え。お文、アンドロイド並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せ給え』

 源には読書会の才能がありそうだと竜子は感じた。本来の文章のうち、『不死の薬』の部分を『アンドロイド』に置換して読んでいる。

 夏目との戦いで竜子がとった手法だ。彼はそれを上手くトレースしている。読書会に参加したのは今日が始めてのはずにも関わらず、源がここまでできることに彼女は驚きを禁じえなかった。

 陰陽師がさきほどと同じように相手を殴り飛ばすべく、ロープに取り付く。弾みをつけるため、後方に体重をかける。ブラッキー一号は陰陽師に取り付き、並べて燃やそうと、移動を開始する。一直線に敵へと進む。

 並べる為、ブラッキー一号が陰陽師の腰に両手を回そうとした瞬間、ロープの弾みで陰陽師が前に飛び出た。やおら、正面からぶつかり合う二体。そして、激しく跳ぶ火花。金属同士の擦過音が軋んで響く。

 最初の一撃はどちらも不発に終わった。

 何度も攻防が繰り返される。

 中々勝負は決さない。

 手に汗握るのは観衆だけではなく、竜子とて同じだ。自分の掌がヌルヌルするのを感じている。彼女の隣、目尻には泪を浮かべ、真っ赤に充血した瞳の夏目が言った。「カレシ、やるじゃん……」

「カレシじゃないってば」

「そうなの?」

「そうだよ」

 会話はしているが二人とも目線はリングに釘付けだ。

 目など外せるわけがない。例え、泪で視界がぼやけていようとも。

「――じゃあ、貰っていい?」

「駄目」

「やっぱ、カレシじゃん……」

「違うってば」

「カレシ、誰の子孫?」

「識らない」

「え?」

「識らないんだ」

「でも――」何か言いかけて、しかし夏目は言わなかった。暫くうんうん唸って、言うか言うまいか迷ったが、結局言わなかった。

 竜子と夏目が短いやり取りをする中、喧騒を割るようにゴングが鳴った。四ラウンド目が終わったのだ。

 残るは最終ラウンドだけになった。

 マイクから口を離し、源は額に浮かんだ玉のような汗を袖で拭った。五分の休息の為のパイプ椅子に座り込む。長時間の朗読による疲労感が顔に(あらわ)だ。

 リングを差し挟んだ向こう側で休息する四季の顔も同じく、厳しい。本来読書会員ではない源に対して、ここまでの苦戦を強いられるとは少しも予想だにしていなかったのだろう。口惜しさが表情から垂れ流されている。

 両者疲労困憊状態の最終ラウンド。相変わらず元気さは失っていないMCが告げる。『最終ラウンドッ! ファイト!』

 最終ラウンド、これまでのラウンド通り激闘だった。

 激しくぶつかり合う二体のアンドロイド。四季のアンドロイドの陰陽師衣装は半ば剥がれ落ち、アンドロイド然とした間接部が露になってしまっている。

 四季がマイクに絶叫する。『そうです。それは古くなった家なのです。私に朽尼(くちあま)と申すべき母はありまして――。朽尼になれいッ!』

 陰陽師が腕を振りかぶった。長い袖が翻る。

『なにせむにか命もをかしらむ。()が為にか。何事も用なしッ!』

 源の言葉に反応し、ガツンとブラッキー一号が繰り出した一発がカウンターとなって陰陽師のテンプル部分に決まった。

 アンドロイドも人間と同じく、その頭部に制御回路を搭載している。想定外の衝撃を受けて、陰陽師は後からマットに倒れこんだ。文字通り、陰陽師は用なしになった。動かなくなったのだ。おそらく電子機器が損傷してしまったのだろう。

 試合続行不可能なのは火を見るより明らかであった。

 MCが叫んだ。『勝負あったー! 勝者源順ッ!』

「ありえない。ありえない」

 驚愕の表情で四季は右往左往する。彼女は勝つ気満々だったのだろう。すっかり覇気を欠いた四季にMCは告げる。

『おーと。四季! ニセモノじゃぁ勝てないぜ。しかも使ってるのは現代語訳版じゃないかッ! せめて古語版使おうぜ――――ッ!』

「え?」

『それじゃ、宇宙人たちは納得しないってことさ! さーて、皆。日本代表が今決まったぜ! 本来なら竜子ちゃんだけど、どうだい? 竹取物語の作者源順(みなもとのしたごう)の末裔、(みなもと)(じゅん)に切符を与えてみないかい?』

 おーッと会場が唱和する。イエスの証だった。MCの発言に驚いたのは源自身だった。

「みなもとのしたごう?」

 誰だ? それはと云うのが素直な感想だった。

『そうだぜ。カレシッ! 受付で検査受けたよね? あれが宇宙人が開発した文学スキャナーなんだぜッ! 文学者の末裔を調べられるって優れものさ! それにしても最初耳にしたきゃ、こっちが驚きだったぜ! まさか、竹取物語の作者の子孫がくるなんてなぁ!』

「はぁ……」

『そもそも、このアルファ=マトリクス社製アンドロイドは、本物の末裔の命令しか聞かないようになってる。竹取物語の作者はこれまで諸説あったが、今確定したってことでもある! まさに歴史的瞬間だ』

「でも、四季さんのは動いてたのだけれど、そこは如何なのですか?」

『そりゃ、読書会が用意したアンドロイドなら、セーフティーがかかってるって話だからね。他に出回ってるヤツを四季は使ったってことさ。本物だったら、最初から読書会に参加しているはずだろう?』

「すごいや、源くん」

 竜子が目を輝かせていた。

 何となく気恥ずかしくって、後頭部を掻いて気を(まぎ)らわせた。

 

 ***

 

 源は観客たちに送られながら会場を後にした。何時の間にやら、芥川様控え室が源様控え室に変っていた。スタッフの対応の早さに驚き、呆れた。

 控え室のソファに二人して腰を落とす。中々いいスプリングが入っているらしく、臀部が吸い込まれるように沈んだ。

 源は隣に座る竜子に訊いた。さっきのMCの発言で気になった点があるのだ。「宇宙人って何?」

「宇宙人は宇宙人だよ」

「えっと……」

「つまりね――」

 竜子が語ったことを纏めるとこうだった。

 二〇二七年――去年の話だ――に宇宙人が地球にやってきたのだそうだ。そこで宇宙人たちは地球人の文化に興味を持った。しかし、彼らは戦闘民族であり活字文化を読むことで理解しなかった。そこで開発されたのが文学スキャナー、開催されたのが読書会である。

 世界の文学を文字通り戦わせる。

 それが宇宙人が地球人類の文化を査定する為に選んだ手段だったのだ。如何して作者の末裔を選ぶのかと云うと、彼らの戦闘民族的価値観では、優秀な戦いの血は子孫に受け継がれるからだそうだ。

 そこで宇宙人の提案したプランに便乗したのがアンドロイドメーカーの大手『アルファ=マトリクス社』である。この会社は去年倒産していたので、正確には『アルファ=マトリクス社』の研究部を買った企業が、と云うことになる。

 有効手段が見付からないアンドロイドの市場として目を留めたわけだ。

「信じられないな……」

「どうして?」

「あれだけの観客がいたのに、ぼくは今まで宇宙人の話も読書会の話も耳に挟んだことがなかったから……」

「当然だよ。観客は皆誰かの子孫か、もしくは国のお偉いさんだからね。読書会は機密なんだよ――」と自分で言ったところで竜子は気がついた。

 そうなのだ。読書会に慣れすぎていまっていたが、読書会がタッグ性になったところで赤の他人を連れて来ていいはずがない。夏目の話は嘘だとハッキリしていた。何て、自分は馬鹿だったのだろう。でも――結果オーライである。

 源は竹取物語の作者の子孫であったわけだし、こうして仲良くなれたのだ。自分のドジに竜子は感謝した。

「あはは。芥川さん、おもしろい人だね。機密なのに、ぼくを連れてきてさ」

 彼も同じことを思っていたようだ。

 竜子は取り繕うようにして言った。「そうそう、アメリカの代表はフィリップ=K=ディックの息子なんだ。気をつけて――なんて言っても、夢も見て、セックスもするアンドロイドを描いた作品『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』の作者だからね。エドガー=アランポーが決勝戦で負けて――」

 竜子は長々と喋る。

 日米読書会対決はSF同士の衝突らしい。

 そんな彼女の横顔を源は眺めた。そして、小さく頷く。「うん」

 何だか、凄いことになっているのだが、源はただ微笑むだけだった。

 

 了


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