641 終幕
日記も最後の一冊。ここで、二人の間にとんでもない事態が発生した。何と一夜を共にしたというのである。サルンアフィアが「やってしまった・・・・・」という一文を見た俺は、何をやってんだと唖然としてしまった。合宿と称して私塾に押しかけてきたマリア王女と、関係を持ってしまったというサルンアフィア。
「それって・・・・・」
「サルンアフィアとマリア王女が、男と女の関係になったって事だ」
俺の言葉にトーマスが固まっている。サルンアフィア、いや拓弥は越えてはならない線を越えてしまった。これは俺とクリスが黒屋根の屋敷で一緒に寝たのとは明らかに違う。俺は寝ただけだが、あいつは実際にやってしまった。あろう事か、マリア王女に手を出してしまったのだ。これでは婿探しどころの話じゃなくなってしまうじゃないか。
魔導書ならぬ日記には、マリア王女がワインを持ってきただのと言い訳がましく書いているが、相手が完全にロックオンしてきているのは明らか。それなのに警戒心を怠り、流されてしまって一夜を共にした以上、そんな言い訳が通る筈がない。それは現実世界でも同じ。俺の場合はセーフだが、拓弥のそれは完全なアウト。
しかし一度関係を持ってしまえば、それで終わる筈がないのは俺でも分かる。人間というもの、一線を越えれば後はなし崩し。マリア王女は個別授業を受けるといいながら、私塾にやってきてはサルンアフィアと愛し合った模様だ。流石に王宮では出来んわな。しかしマリア王女、相当な猛者だな。凛として美しい、あの肖像画からは全く想像できない。
しかしサルンアフィア。いや拓弥も拓弥だ。マリア王女といたした後で、「また、やってしまった・・・・・」と書いたって、そんなものは免罪符にもならないではないか。俺の様にもっと自制しろよ。度々関係を持つ二人。当然ながら、健康な若い男女がする事をしてしまえば、次に起こる話はもう決まっている。
「・・・・・遂にこの時が来てしまった・・・・・」
マリア王女が子を宿してしまったのである。まぁ、会う度にしていたら、そりゃ妊娠もするだろう。平民が王女殿下を孕ませてしまうという、あり得ない事態が起こってしまった。筆がかなり乱れている事から、拓弥の衝撃の大きさが窺える。俺なんか佳奈から出来たといきなり言われて、訳の分からぬ内に結婚式になっていたが、これはそうはいかない。
「えっ!」
トーマスが驚いている。何を驚く。頻繁にしていれば、普通は出来るだろ。しかしトーマスは「マリア陛下はお相手がおられない中で、お子を宿されたのでは」と聞いてきたので、そんな虚構を信じてどうすると返した。トーマスは思った以上に純粋だ。女帝マリアの処女懐胎の話を根っから信じているのだから。
「トーマス。お前、シャロンと一緒にいるだけで子供が出来るなんて思ってないだろうな」
「・・・・・」
「出す所に子種を出さないと、子供なんか出来ないから。これは自然の摂理だ」
「!!!!!」
俺の話に顔を真っ赤にしている。いやいや、本当の話なんだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいだろ。男の女のやる事ぐらい決まっている。だから当然、女帝マリアもする事はして、息子であるカールが生まれた。問題は誰が父親だったかって話。それが今まで不明だったから、相手がいなくて孕んだという、神聖不可侵の話になっていただけ。
「これで父親がサルンアフィアだってのが確実になったって訳だ」
「いや、それは・・・・・」
「だって、女帝マリアは即位をして程なく出産したんだろ」
「いや、そうなんだけどさ。いきなりそんな話を言われたって、俺は困るよ」
トーマスは、本当に困っているようだ。あまりにあまりな話の展開に、どう反応すればいいのか分からないようだ。俺はトーマスに聞いた。女帝マリアが即位をした経緯についてである。前国王ロマーノが娘マリアに王位を継承させる旨の証書を書き残し、突如失踪した為、マリア王女が十八歳の若さで即位した。その際、既にお腹に子を宿していたと。
「だから、時系列的に話が合うんだ。だってこの話、マリア王女十八歳の時の話だからな。トーマスの話とピッタリと符合する」
「・・・・・」
俺の指摘にトーマスは絶句した。認めたくはないが、認めざる得ないといった感じである。トーマスの言うように、マリア王女が即位をして、処女懐胎で長子カールを授かったというのが、エレノの歴史が記す話。しかしそんなバカな話があるって話。子作りした経験のあるヤツなら、ナニをしたって誰だって分かるじゃないか。
が、まさか長子カールの子種がサルンアフィアだったとは・・・・・ アイリやクリスに拓弥の血が流れているかと思うと、少し複雑な気分だ。二人で相談してとサルンアフィアこと拓弥は書いているが、やった後に相談してどうするって話。いずれ子供は生まれてくる。それに相手は王女様。しかも唯一の王位継承者で、必ずや婿を取らねばならぬ立場。
それを婿探しの立場であるサルンアフィアが、あろうことか手を出して孕ませてしまうなんて、これはもう論外ではないか。これは総族処分も免れない事態である。これは洒落にならないなと思って読んでいると、ここでサルンアフィアがとんでもない事を書き出した。マリア王女を現実世界へ連れて帰ろうと考えているという。
いやいやいやいや、無茶にも程があるだろ。あいつ、こんなトチ狂った事を考えるヤツだったか? 拓弥、相当追い詰められているな。第一、帰られる方法なんて見つかっていないだろ。いや、正確にはあるにはある。それは「達成」。ケルメス宗派の創設者、ジョセッペ・ケルメスが記すところによれば、達成とは「成すべき事」を果たすというもの。
エレノ世界に召喚された役割を果たせば、その魂は現実世界へ帰られるのだという。しかしそう記述したケルメス自身は、同志と共には帰らなかった。そしてケルメス宗派の創始者としてエレノ世界に留まり、生を全うしたのである。ケルメスによれば、この「達成」が行われると昼間にも関わらず、空が夕焼けのように真っ赤に染まるらしい。
そして満月の夜を迎えると、白い靄がかかって、眼下に現実世界が見えるのだと。ケルメスの同志は現実世界に飛び込んでいったが、ケルメス自身はその後について確証は無かったから、二の足を踏んだ部分もあると正直に書いていたな。俺だったら躊躇なく踏み出すが、ケルメスは慎重だった。いや、それを留まる理由にした可能性もある。
サルンアフィアによると、空が真っ赤に染まる現象を「達成の天」というらしい。それが発生したというのである。この「達成の天」が起こると、満月の日に世界と世界を隔てる境界線が一時的に溶けるので、現実世界に帰る事が出来ると。実はサルンアフィア、魔導書には書いていなかったが、色々と調べていたのだ。
ただ、この世界であいつらのように「できちゃった」なんて許されないと書いてあって、おいおい俺達の事かと思わず苦笑してしまった。俺だって成り行きでそうなっただけの話だし、佳奈と合意があっての交渉だったからなぁ。あんなにすぐにできるとは思わなかったが。
そもそも俺達はサルンアフィアとマリア王女のような「許されざる関係」じゃないので、一緒にして欲しくはないところ。大体、やらかしたら帰るなんて、身勝手ではないか。拓弥はマリア王女との関係を解決するには、二人で現実世界へ行くしかない。現実世界で一緒になる以外、マリア王女を幸せに出来る方法はないと、決意について書かれている。
しかしそうなったら国王ロマーノは天涯孤独だ。アルービオ唯一の王統、サイファン王子も既に臣籍降下している。姓をエルトラス=アルービオと改め、今はエルトラス公。これまでサルンアフィアがやってきた事が全てフイになるのではないかと思ったが、今のサルンアフィアにそんなものを考えている余裕はなさそうだ。
サルンアフィアはマリア王女に全てを告げた。現実世界の転生者である事や、近々世界と世界の境界線が消えるので、現実世界に帰る事が出来る。そこで一緒になろうと。こちらのような身分制ではない現実世界ではそれが可能だと話すと、マリア王女は喜んで抱きついてきたと書かれている。
今日は満月、実行するのは今しかない。サルンアフィアは力強い決意を記している。ここで日記は終わっていた。恐らく、拓弥は現実世界に帰ったのだろう。ただ日記に書かれているのとは違い、マリア王女を連れて、一緒には現実世界に帰ってはいない。拓弥ことサルンアフィアは現実世界へ戻ったのに、マリア王女はエレノ世界に残ったのだから。
どうしてそうなったのかは分からない。意思を翻してエレノ世界に留まり、カール王子を産んだのか? しかしサルンアフィアから話を聞いて、抱きついて喜んだというマリア王女が、掌を返したように自分の意思をひっくり返すなんて無いだろう。となると、拓弥が黙って帰ったとしか考えられない。
だとすれば、拓弥はやってはならない事をやってしまったのではないか。年端もいかぬマリア王女に手を出し、あろうことか孕ませてしまって、挙げ句の果てに置いて去るなんて最低だろ。現実世界に帰るつもりだったら、俺のように自制ぐらいしろよ。こっちだって、色々辛抱しているんだ。これはもう、帰ったら直接言ってやるしかないな。
気が付けば拓弥の所業に呆れながらも、俺は帰ったつもりになっていた。現実世界へ必ず戻る事が出来るという確信が持てたので、何というか心にゆとりが持てたのである。今までにはない感覚だ。これまでは本当に帰られるのだろうかという不安が、心の何処かにあった。しかし今はそういったものは全くない。不安は自信に取って代わったのである。
側にいた司書が「時間です」と閲覧の終了を告げた。俺は『サルンアフィアの魔導書』、いや拓弥の日記全二十八冊を無事に読破したのである。俺の周りにいた司書達は、皆一様に不思議そうな表情をしている。俺が解読不能とされる魔導書を本当に読んでいるのが、見ている内に分かったからだろう。しかし、彼らは何一つムダな事は言わなかった。




