426 いつかはクラウン
(「いつかは子爵」って、「いつかはクラウン」じゃん!)
レティがモーリスの側にいたエレーヌに対し放った一言に、俺は伝説の名文句が脳裏に浮かんで、噴き出しそうになってしまった。同時にその一言を聞いた貴族子弟から一斉に笑いが起こったことで、それまでの静寂が打ち破られたのである。緊張感を打ち破り、笑いに変えるというレティの芸風。その本領が遺憾なく発揮された。
どうやらレティの放った一言、「いつかは子爵に!」という言葉。かつて子爵家より降爵したポーランジェ男爵家の合言葉という事で、貴族子弟は知っているらしい。皆から笑われた形となったエレーヌが恥ずかしさのあまりか、顔を真っ赤にしている。
「ええぃ、黙れ、黙れ!」
モーリスが顔を真っ赤にして叫んでいる。だが、一旦破られた静寂は収まらない。モーリスの訴えも虚しく、皆の笑い声に叫びは掻き消されてしまった。それまでの緊迫した空気が一気に緩んでしまったのである。
「おのれぇ、余を侮辱しよって!」
「私が言っているのは閣下ではありませんよ。|ポーランジェ男爵の御息女様に言っているだけですから」
何故かレティが挑発しまくっている。確かに煽るのが大好きなレティだが、本当に大丈夫なのか? 腹が立っているのかもしれないが、少し飛ばしすぎだろ、レティ。
「エレーヌへの侮辱は、私への侮辱と同じこと! 何をしておる! 出合え! 出合え!」
(はぁ? 「出合え!」って、何の時代劇なんだ!)
モーリスの呼びかけに応じ、貴族服を着た十人程度の男子生徒が慌てて出てきた。会場の空気は再び緊迫する。しかし、俺にとったら噴き出すどころの話ではない。時代劇のクライマックスシーンで見る、悪党の頭目が手下を呼ぶシーン過ぎるじゃないか! 悪党の頭目がモーリスで、貴族服を着た取り巻きが手下といった感じか。
「何用ですか、貴方達は! 控えなさい!」
カテリーナを立たせて並んでいたクリスは、前に出てきた取り巻きを牽制した。するとクリスの横にいたカテリーナもそれに続く。
「領袖家の御嫡嗣が道を誤りし際には、直言を以て諌めるのが務めではありませんか!」
ノルト=クラウディス公爵令嬢クリスティーナと、アンドリュース侯爵令嬢カテリーナという高位家の令嬢の叱責に、モーリス配下の貴族子弟の腰は引けている。悪役令嬢の夢のコラボを前にして、国王派第一派閥ウェストウィック派の貴族子弟達もタジタジだ。これに業を煮やしたモーリスが叫ぶ。
「ええい、汝等! 何を怯んでおる! 我が派を侮る狼藉ぞ!」
「モーリスよ。この騒ぎ、何事ぞ」
感情の高ぶったモーリスを制したのは群青色の髪の毛を持つ人物、正嫡殿下アルフレッド王子だった。殿下は正嫡従者フリックと、何故か剣豪騎士カインを左右に従えて登場してくる。まるで助さん格さん状態。従者エディスが何処にいるのかと思ったら、何故か殿下の真後ろだ。今日はお風呂が出番である「かげろうお銀」の役目なのかもしれない。
「で、殿下!」
まさかの正嫡殿下登場に、モーリスが狼狽えている。殿下がモーリスとその一味の前に立ち、クリスやレティ、カテリーナの間に立った。殿下達はモーリスと向かい合う形となったので、ちょうど二者を割って入ったような感じである。そして助さん格さん宜しきフリックとカインが、モーリスの手下のような貴族子弟を威嚇していた。
「モーリス。一体どうしたというのだ」
会場内に漂う緊迫感とは裏腹に、浮世離れしたお公家さんのようなトーンで殿下が聞く。フリックとカインの睨みとは対照的な雰囲気。殿下の空気もある面、異次元である。
「はぁ。斯様なる事態、誠に些事でござりますが故、殿下御自ら足を運ばれる事にはございませぬ」
「些事とは如何なる事態なのだ、モーリス」
「・・・・・」
殿下に問われたモーリスは黙ってしまった。傍若無人のモーリスと言えど、流石に不味いと思ったのであろう。
「殿下! 恐れながら申し上げたき儀、ございます」
「うむ。リッチェル子爵夫人。申してみよ」
前に進み出て、殿下に一礼したレティは話を始める。
「此度、ウェストウィック卿モーリス閣下があらぬことを理由として、婚約者のアンドリュース侯爵令嬢にその破棄を申し渡しました故、異議を申し立てております所存」
「あらぬこと事とは何事ぞ!」
「モーリスよ、ここはリッチェル子爵夫人の話を聞いておる所。今は静かにしておれ」
騒ぐモーリスを殿下が抑えたところで、今度はクリスが殿下の前に進み出た。
「アンドリュース侯爵令嬢が、そこにおわすポーランジェ男爵家の息女とモーリス閣下の仲を妬み、その仲を裂こうと策動したと濡れ衣を着せ、佞悪奸智の輩と罵られた由」
「それはまことか?」
「私めは事実を申し上げただけのこと」
モーリスは殿下を前にして居直った。だが、そんな事を許すようなクリスやレティではない。
「アンドリュース侯爵令嬢は単婚制の原則に基づき、婚約者としてポーランジェ男爵息女との仲を諌めていただけのこと。しかしモーリス閣下は我欲を満たさんが為、あろうことかアンドリュース侯爵令嬢を貶めたのでございます!」
「そもそも我が国に、婚約者がいる相手に近づく泥棒猫を許す決まりが定められたのでしょうか!」
二人はモーリスのカテリーナに対する所業を激しく指弾した。その様は悪行を列挙して成敗する時代劇の役者のようである。紅炎クリス、電閃レティみたいなものか。クリスの背後に立つシャロンは、黒髪シャロンとかになってしまうのかもしれない。二人に続いて、カテリーナも言葉を発した。
「私はモーリス様の婚約者として、モーリス様にはそれに相応しい振る舞いを求めただけでございます。そこにおわす方など、眼中にもございませぬ」
三者からのやり玉に当てられたエレーヌの顔が歪んだ。いくら言い返したくとも身分は相手の方が上。殿下のいる手前、モーリスも容易にモノ言えぬ空気となっている。しかも三人が言っている方が正論なのだから、エレーヌはただただ沈黙するしかない。しかし泥棒猫とはレティも滅茶苦茶言うなぁ。本当の事だけど。
「モーリスよ。今の話、事実か?」
殿下はモーリスに訊ねた。モーリスはバツの悪そうな顔をしながら、殿下からの問いかけに答える。
「事実にございません。私めはただカテリーナのあまりに無体な振る舞いを目の当たりとし、止む無く破棄に及んだ所存。決して他意はございませぬ」
モーリスは悪党が最後の申し開きをするかのように言った。時代劇なら、その申し開きも虚しく砕かれてしまい「ええい、斬れ! 斬れぃ!」とか「殿下の名を騙る不届き者」なんて文言が出てくるのだが、誰がどう見たって殿下は殿下。群青色の髪の毛が目に入らぬかである。うっかり顔を忘れたなんて、お決まりの話が通る筈もない。
「モーリスよ。アンドリュース侯爵令嬢に婚約破棄を宣したのは事実か?」
「・・・・・」
殿下からの問いかけにモーリスは沈黙してしまった。問題の核心部分はカテリーナの所業ではなく婚約破棄の部分。おそらくは自ら婚約破棄を宣告した事実をモーリスは隠したいのだろう。そもそも婚約破棄に至る事由全てをカテリーナのせいにしようとしているのだから、殿下からの問いかけに黙るしかないという訳である。
「事実であるか?」
「カテリーナの振る舞いに・・・・・」
「モーリス! 婚約破棄を宣言したのは事実かと聞いておる!」
煮えきらぬモーリスに苛立ったのか、殿下が珍しく語気を強めた。するとモーリスは渋々ながら、自らが婚約破棄を宣言した事を認めたのである。その上で言い訳をしようとするモーリスに対し、殿下が問うた。
「婚約破棄の話、叔父上はご存知か?」
「・・・・・」
「叔父上の判断かと聞いておるのだ!」
声を荒らげた殿下に、モーリスが驚いている。おそらくは普段お公家的な殿下の振る舞いを見て、内心見くびっていたからではないかと思う。モーリスは慌てて答えた。
「こ、これから父上に申し上げるつもりで・・・・・」
「これから?」
殿下がゆっくりした口調で言った。
「モーリス。つまりはそち一人の判断で婚約の破棄を宣したということだな」
「はぁ・・・・・」
モーリスは小さく頷いた。すると殿下は大きな声で会場の生徒達に問いかけた。
「ウェストウィック卿は婚約者のアンドリュース侯爵令嬢に対し、独断で婚約破棄を宣言したと話しておる。この事実、本日この『学園親睦会』に参加した者全てが知った。すなわち皆が証人である事をここに表明する!」
これにはモーリスが呆気に取られている。つまりこの婚約破棄がモーリスの身勝手によるものだと、殿下が宣言してしまったのだから。これでいくらモーリスが言い訳しようとも「婚約破棄の宣言はモーリスの身勝手」という「事実」は動かせなくなった。何故ならその「事実」が、モーリスの従兄弟でもある正嫡殿下お墨付きとなったからである。
「これで良いかな、モーリス。そしてアンドリュース侯爵令嬢」
殿下がゆっくりと両者を交互に見ると、二人共頭を下げた。カテリーナが静かに頭を下げたのに対し、モーリスの方はわなわなと震えながら下げているのが印象的である。その二人の姿を見届けた殿下は、軽く頷くと「これにて一件落着!」と言わんばかりに二人の従者と何故かカインを従えて、颯爽と立ち去っていく。
また殿下の合わせるかのように、カテリーナとクリスがそれぞれの従者を従え、その場から離れていった。その後ろをレティが続いた。取り残された形となったモーリスとエレーヌ、そしてウェストウィック派の貴族子弟達は居心地が悪かったのか、慌ててその場を後にする。そして婚約破棄騒動の役者達は、誰もいなくなってしまったのであった。




