327 クリスと迎えた朝のこと
「・・・・・う」
(・・・・・佳奈)
「・・・・・よう」
(・・・・・佳奈)
佳奈がねっとりと絡んでくる。佳奈が若いからこれは夢だ。だけど、絡み方が佳奈そのもの。間違いない、これは夢だ。帰っていないのに佳奈が絡んでくる訳がないからな。夢だから、もう覚めなくてもいいわ。そうなんだよなぁ、いっつも佳奈のペースでしてたからなぁ。
「・・・・・はよう」
(佳奈・・・・・ううっ)
「おはよう・・・・・」
「!!!!!」
目を覚ますと、俺の横でクリスが寝ていてビックリした。な、なんでクリスが! 俺は混乱した。
「ク、クリ・・・・・ス」
そうか・・・・・ 昨日、クリスと一緒にベッドで寝たんだったな。ヤバいと思ってパンツをさらりと確認したが、湿っておらず大丈夫だった。どうやら夢の中の話で済んだようだ。しかし、前にもあったぞ、こんな事・・・・・
「どうしたの?」
「・・・・・い、いや。一緒に寝たんだな、って」
「うん」
ちょっと恥ずかしそうに頷くクリス。いやぁ、仕草が凄く可愛らしい。・・・・・いやいや、それよりも間違いを起こしていないかの方が問題だ。夢の中は佳奈だったから大丈夫なはず。クリスには手を出していないはずだ。手を出していたら記憶に残っているはずだと、信じ込むことにした。そうでないと平常心は保てない。
「よく寝られたか?」
「ええ。少し飲んだし」
「頭は痛くないか?」
コクリと頷いた。昨日飲んだ量は少しどころじゃないんだが。やっぱりクリスはレティより強い。一見するとレティの方が飲めるように見えるのだが、それは騒がしく飲むからであって、淡々と飲むクリスの方が強かったという訳だ。まぁ、ドーベルウィン伯や、スピアリット子爵並に飲んでるんだから当然だよな。
クリスが顔を洗いたいと言うので、化粧室に連れていき、お湯を沸かしてぬるま湯を作った。笑ったのが、いつもなら火打ち石で火を熾すところ、クリスが魔法で火を付けてしまったところだ。俺はこちらで火打ち石を使っての熾し方を覚えたのだが、まさか魔法で火を付けるなんて。聞くと、火を付けるのはいつもクリスの仕事らしい。
人に火を付けさせるよりも簡単に火が付くからだそうで、木炭に火を付けて顔を洗う湯を作るとのこと。化粧の方は大丈夫なのかと聞いたら、一緒に寝るつもりだったので、乳液だけにしていたのだと胸を張って言ってきた。
おいおい、そんなところで胸を張られても困る。というかクリスが、妙なことを一生懸命に考えていたことにビックリした。更に聞いてみると、学園にいる時には基本的な用意はシャロンがしてくれているので、今回はシャロンがいなくても大丈夫なようにしてきたというのである。しかし、最初から俺と寝るつもりで学園に来ていたとは・・・・・
ヤバすぎるだろ、それは。ということは・・・・・ 今頃トーマスとシャロンは血相を変えてるんじゃ・・・・・ トランクに入っていた服を『装着』で着替えて、一人喜ぶクリスに向かって本当に大丈夫なのかと聞いてみた。
「大丈夫よ。今日には帰ると伝えていますから」
「誰に伝えたんだ?」
学園に一人で行くと言って「はい、そうですか」と送り出すような家じゃない。夏休みの時だって、クリスが領地に帰ると言い出したら、警備がどうのこうのと担当者が出てきて大騒動になったじゃないか。というか、あれは今ノルト=クラウディス領で元気にしているのか?
「置き手紙をしてきましたから大丈夫よ」
大丈夫じゃねえだろ、それ! ニッコリと笑っているのを見ると、本人的には伝えている事になっているようだが、絶対に違うぞ、これは。これは早々に屋敷へと帰したほうが良いよな。しかし額面通りに言ったら、クリスが激しく抵抗しそうだ。何しろ本人が凄く楽しそうだから。まずは黒屋根の屋敷からクリスを出す事から始めよう。
俺は朝を食べようと、クリスを誘ってロタスティに向かう事にした。本人は機嫌よくホイホイとついてくる。恐らく冬休み中に屋敷を抜け出して、学園までやって来た真の目的。俺と話して一緒にベッドで寝るというミッションを達成した事で、テンションは最高潮に達しているのだろう。そこまで思ってもらえるのは嬉しい。嬉しいが、あまりにも危うい。
身分に差が有り過ぎるのだ。通常であれば直接話をする事すら憚られるぐらいの身分差。それも女が身分が高くて、男が身分が低い。何をどうやっても破滅。実際、ゲーム内でもその描写があって、その道を選んだ女性は亡くなっている。因みにその女性も物語のキーパーソンの一人。クリスをそんな境遇にすることは絶対に避けなければならないのである。
俺とクリスはロタスティの個室で朝食を食べることにした。普段、クリスは朝食を個室で摂っているらしい。俺が朝一に食べているのでクリスとは遭遇する事もない訳で、クリスの行動パターンを知ったのは新鮮だった。クリスはゆっくりと食べながら、あれこれ話してくる。他愛もない話なのだが、楽しそうに話すクリスは、可愛らしく輝いていた。
「今日はねぇ、街に出たいなぁ♪」
朝にも関わらず、かつてないほど気分が高揚しているクリスが、とんでもない提案をしてきた。恐らく昨日、屋敷の執務室で見たタウン誌の『週刊トラニアス』を見たからだろう。お店特集に出ていたアクセサリー店「シルベスター・スタローン」に入ってみたいと思ったのではないか。
しかし気持ちは分かるが、屋敷を飛び出して学園に来た上に、単身街に行こうなんてとんでもない話。大体、ノルト=クラウディス公爵家は「別格」。それゆえ前回クリスを街に連れ出した時だって、トーマス、シャロン、アイリ、レティ、そして俺の五人がかりだったんだぞ。
それを俺一人でやるなんて無理だ。俺がそれを言おうとしたタイミングで、ドアをノックする音が聞こえた。ハッとするクリス。目つきが鋭くなった。おそらくは・・・・・ 俺がドアを開けると、そこにはトーマスとシャロンが厳しい表情をして立っていた。
「お嬢様! どうして何も仰らずに!」
真っ先に声を上げたのは黒髪の女従者シャロンだった。シャロンは部屋に入ると一気にクリスの元に近づいた。クリスの方は座ったまま硬直してしまい、背中を丸めている。
「どうして私達がいない間に消えたのですか! お答え下さい」
クリスに強く迫るシャロン。これだけを見ると、どちらが主人でどちらが従者なのか分からない。クリスは親から悪さを指摘されて怯えている子供のようにボソボソという。
「こうでもしなければ・・・・・ 一人で来ることが・・・・・」
先程までのハイテンションが消え去って、しょんぼりと肩を落とすクリスが可哀想になってきた。
「だからといって、夜まで部屋に入らないように皆に伝えて、置き手紙をするなんて!」
やっぱりなぁ。そういった策を弄していたのか。シャロンの話から俺の予想が外れていなかった事が分かる。しかし、トーマスとシャロンを半ば強制的に休ませて、念の為にお出かけまでさせるとは。気遣っているフリをして、こちらにやってくる隙間を作りに行くというその手法たるや、まさしく悪役令嬢の悪知恵。
クリスは乙女ゲーム『エレのオーレ!』で定められた悪役令嬢という箍からは決して逃れる事はできないのだろう。しかしそれだけでは終わらないのがリアルエレノ。従者であるシャロンが一方的に問い詰めて、悪役令嬢のクリスが黙ったままという展開。意気消沈している今のクリスには、いつものようなオーラもガードも全く無かった。
「お嬢様。御身に何かがあったらとお考えに・・・・・」
ここでシャロンが泣き出してしまった。常に黙々と仕えるシャロンだが、元からそうなのではなく、地を押さえてのもの。シャロンが泣いているのは相当心配していたからだろう。これはクリスが悪い。
「クリス」
俺はバツの悪そうなクリスに促した。俺が今、シャロンに声を掛けたって慰めにもならない。シャロンは主の事を思って泣いているのだ。声を掛けるのは主人の務めだろう。
「・・・・・ご、ごめんなさい。シャロン」
クリスはゆっくりと立ち上がった。
「ごめんなさいね、シャロン」
シャロンを抱きしめるクリス。シャロンは「お、お嬢様・・・・・」と言いながら抱きしめ返した。この二人は主従であると同時に親友でもあるのだ。トーマスの方を見ると、少し複雑そうな表情をしている。こういう場面では、男が入り込む余地がないからな。家族であっても母娘の間に入れない時があるぐらいだから。
「まぁ、今更慌てて帰ってもしょうがないだろう。トーマスもシャロンも座わって話そう」
俺が言うと、トーマスが頷く。多分、トーマスも空気を変えたいのだろう。
「折角来たんだ。紅茶ぐらい飲んでもバチは当たらないだろう」
そう言うとトーマスがドアを開けて給仕を呼び、紅茶を頼んでくれた。それを察したのか、抱き合っていたクリスとシャロンが離れて、皆が椅子に座る。とりあえず空気は落ち着いたようだ。給仕が食事の皿を片付けると皆に紅茶を用意してくれた。学園が休みなので、普段はできない事も余裕があるのでやってくれる。
「で、屋敷の状態は?」
「お嬢様が学園に向かわれた事は置き手紙や、御者の話から明らかでしたので、今日我々が迎えに行くことが決まりました」
「話し合ったのは?」
「べスパータルト子爵閣下とメアリー様が・・・・・」
トーマスの話から宰相閣下の承知ということが良く分かった。宰相の従者でもあるメアリーに取り扱いを一任しているのは明らかではないか。クリスは視点を机に落としたまま黙って聞いている。
「お嬢様とは・・・・・」
泣いたことで落ち着きを取り戻したシャロンが聞いてきたので、俺はありのままに話した。鍛錬場で立木打ちをしていたらクリスがやってきた事や、ロタスティで一緒に食事をしながら話していた事。黒屋根の屋敷でピアノを弾いていた事や、応接室で干からびたチーズをアテにワインを飲んだ事などを話す。この説明に嘘偽りはない。




