172 商人会議
ジェドラ、ファーナス、アルフォード。我ら三商会連合と対峙するノルデン最大の商会フェレット商会。そのフェレット商会の当主『領導』の娘ミルケナージ・フェレットについて語るウィルゴットの話を聞いたジェドラ父が、やや不快そうな顔をして言った。
「しかし年端も行かぬ女を『領導』と仰ぎ、我々とどう対峙するというのか」
「確かに。三商会と『金融ギルド』『投資ギルド』を中核に、多くの職業ギルドを擁する我々に『貴族ファンド』とやらで対抗できるとは、とても・・・・・」
ジェドラ父にザルツが続く。いくら有能で明晰な頭脳を持っていようと、人は固定概念という枠から逃れるのは本当に難しい。読み難い局面に立てば、より経験に頼ろうとする訳で、より固定概念に囚われる事になるのだろう。隣のリサを見れば複雑そうな顔をしている。それを見た俺は、クリスの言っていた仮説を話した。
「追い詰められた有力商会が、野心のある有力貴族と手を結んでいるのではという話がありまして」
「!!!!!」「それは!」「なんだと!」
場の空気が一変した。冷静なシアーズやザルツも色めき立つ。凄いなクリスは。
「実はレジドルナにあるトゥーリッド商会の商館へ頻繁に出入りしている貴族がいるとの情報が・・・・・」
「・・・・・その貴族の名は?」
シアーズが俺に問う。
「アウストラリス公が陪臣モーガン伯」
「アウストラリス公だと!」
シアーズが右手で机を叩いた。が、皆シアーズの心理を測りかねているようで戸惑っているようである。事情を知っているリサだけが平静。俺は貴族事情について説明した。
「アウストラリス公は貴族派最大派閥の領袖であり、反宰相の急先鋒と言われる人物。そのアウストラリス公の所領はレジドルナの北西部に位置しております」
「そのアウストラリス公とトゥーリッド商会が繋がり、そのトゥーリッドは・・・・・」
「フェレットと組んでいる」
ジェドラ父と若旦那ファーナスは伝言ゲームで答えを出した。
「つまりは最大貴族派と最大商会との連合と言ったところか・・・・・」
ザルツはため息をついた。フェレット一つで三商会よりも大きいというのに、その上でかといった感じだろう。シアーズが俺に話の出処を尋ねてきたので正直に答えた。
「ノルト=クラウディス公爵令嬢」
「なんと! 宰相閣下の御令嬢が!」
「曰く「我が家を快く思っていない家と、グレンと反りの合わない商会が手を結ぶ。似た者同士、ごく自然な事ではありませんか」と」
俺がクリスの言葉を話すと、みんなお互い顔を見合わせている。合点がいった、そんな感じだ。凄いよな、クリスの威光。
「お金と権力が結婚式を挙げました。そのような形では?」
リサの言葉に皆が笑い出した。ハンナとの会合のときと全く同じ。リサのブラック・ユーモアというのか、冷笑というのか、そういうものは人に受けるのか。
「なるほど。まさにその通りだ。いやいや、実に卓見。女だからと見くびっておったら、逆に寝首を掻かれますなぁ。ワッハッハ」
シアーズが愉快そうに笑う。その言葉は場の意識を変えた。
「仮にフェレットの娘が意図的に有力貴族と手を結ぶ動きに出たとしたら、これは全く侮れませんな」
「全くだ。我々は警戒が必要だ」
ザルツの言葉に若旦那ファーナスが応じる。女だからと軽く考えていたら大火傷をしかねない。警鐘としてクリスの言葉は非常に有効だった。
「フェレットとトゥーリッドがアウストラリス公という貴族に付いたというなら、我々三商会は宰相閣下に付けばいい」
「いや、既に我々と宰相閣下とは一蓮托生。むしろ戦いの構造がハッキリしたと考えるべきだろう」
息巻くジェドラ父にシアーズが話す。シアーズの言うことは正しい。意図したものではなかったが、結果としてお互いを必要としたがため、阿吽の呼吸で成立したと言えよう。この認識の違いは直接宰相閣下と会った事があるシアーズと、そうではないジェドラ父の差である。若旦那ファーナスが疑問を投げかけた。
「では我々は今後どのように動けば・・・・・」
「ただひたすら小麦を売る、高値で売って利を得る事に専念する。それで良いのでは」
ザルツの言葉に若旦那ファーナスは頷く。ザルツは続けた。
「多くの利を得て『金融ギルド』の拠出金を更に積む。最終的には相手以上のカネを積んだ方が勝つ。今、我々には小麦を売る大義と、売るべき小麦がある。そしてその小麦は我々だけが売れるモノ。負けるはずがない」
「よし。毒消し草を運び出して小麦を運び入れよう!」
「全くだ。売ろう。徹底的に売ってやろう。ウチの貨車もフル回転だ!」
ザルツの力強い言葉に若旦那ファーナスとジェドラ父が応じた。シアーズも言う。
「何かございましたら『金融ギルド』も『貸金ギルド』も加勢いたしますぞ!」
「おお、心強い!」
ザルツがシアーズに声をかけると、皆が頷く。三商会の方針は決まった。やるべきことはただ一つ。小麦を間断なく売り続けること。シンプルで簡単な仕事だ。ジェドラが運搬を、ファーナスが倉庫を、そしてアルフォードが国境での取次を、それぞれがそれぞれの持ち場で頑張り、小麦を売ろうと確認して会合は終わった。
会合が終わった後、若旦那ファーナスが俺の元に駆け寄ってきた。「君がシアールさんを呼んだ意味が分かったよ」と声を掛けてくれたのだ。会合が始まる前の事を気にしてくれていたのである。シアーズに来てもらって良かったと言う反面、「これからの商売は複雑になるね、これは」と嘆息していた。確かに従来型の商売から大きく変わりそうだ。
「すまんが・・・・・ 一つ頼みたいことがあるんだ」
俺はウィルゴットに声を掛けた。「今度は何だ?」ウィルゴットはニヤリと笑う。
「実はな「コメ」という食材が手に入ってな。このコメを調理できるヤツを探している」
「コメ? なんだそりゃ」
ウィルゴットがそう言うので、【収納】で小袋に入れたコメを取り出す。
「こんなものがあるのか・・・・・ で、どう食べるのだ?」
「炊くんだよ」
ふぅ~ん、と不思議そうにコメを眺めるウィルゴット。じゃ、一度飲食店を回ってみるよと答えてくれた。ジェドラは不動産をやっているので飲食の方面には強いのだ。現に学園で以前クリスが主宰した『学園懇親会』の際には、ジェドラの声掛けで飲食も参加している。俺はコメをウィルゴットに託し、返事を待つことにした。
――翌日、宰相府に向かう馬車に俺は乗っていた。同乗しているのはザルツ、ロバート、そしてリサ。朝、『グラバーラス・ノルデン』に集まって出発したのである。昨日、帰る前にラウンジでザルツと雑談しているところ、アルフォンス卿の従者グレゴールが突然現れ、宰相府への出頭を求められたのである。
俺はグレゴールにザルツを紹介。ザルツは俺とグレゴールが知り合った事情を知ると「人の縁とは不思議なものだな」と言いながら、大いに喜んだ。一方、グレゴールの方はといえば「学園でお前と会うより気が楽だ」とボヤく。どうしてだ? と問うと「お嬢様に気疲れする」らしい。
アルフォンス卿とクリス。同じ家の人間とは言っても関係性のある者とそうでない者とでは気苦労に差があるということか。リラックスしたグレゴールと暫し肩の力が抜けた話で盛り上がった。
宰相府に到着するとグレゴールが待っていてくれた。グレゴールの案内で宰相府の一室に案内される。そこは会議室のようなところであった。中央に一脚、左右に四脚ずつある。相手側はアルフォンス卿を含めて五人か、そんなことを思いながら起立姿勢で待っていると、ドアが開きアルフォンス卿が入って来る。
アルフォード家の人間が一礼すると、アルフォンス卿の後ろから四人の官僚と思しき人物が入ってきた。うち一人は知っている。クルトの父ジェフ・ウインズだ。アルフォード家と官僚達がお互い名を名乗る時に分かったことだが、ジェフ・ウインズは財務卿補佐官から内務部民政処長へと異動していた。どんな仕事なのかは分からない。
他の三人は宰相府官房付シュワッチ、民部行政処長レンドラー、外務部外事監ボウマン。どの人間もどんな仕事をやっているのか俺にはサッパリだ。そんな肩書を言われたって全く分からない。分かるのは全員平民だということ。ただシュワッチという人物の次にジェフ・ウインズが座ったのを見ると、クルトの父親の地位は高いのだろう。
「早速だが、小麦の調達状況について聞きたい」
アルフォンス卿からの問いかけに、ザルツはこれまでの自身の不在を謝しつつ、説明に入る。途中、アルフォンス卿や官僚達からの様々な質問に答えながら、毒消し草と小麦の関係性や取引の方法、国境の状況などについて、およそ三十分を費やして解説した。
「ディルスデニア王国との交渉も纏まりました故、西域にあるラスカルト王国と共に近々、国内に搬入することができる状況となりました」
「して、その量は如何ほどに」
「総搬入量についての取り決めはございませんが、貨車が動く限り間断なく執り行うことになっております」
民部行政処長のレンドラーの問いにザルツは答える。統計が曖昧で人口さえ把握できていないエレノ世界の行政体が量を把握して何をするつもりだ、と心の中で笑ってしまった。
「その小麦を王国が買うというのはどうだろうか?」
一番上席に座る宰相府のシュワッチがこちらに聞いてきた。沈黙するザルツ。これはアルフォンス卿の意志か? そう思ってみるとシュワッチの方を見ている。これは違う、シュワッチが私案を述べていると確信した。シュワッチは続ける。
「王国が買って小麦を配布する。これで不足分を補えると思うが」
ザルツは沈黙を守った。見ると思案しているのが分かる。が、どこまで踏み込むべきかについて考えるあまり躊躇しているようだ。ならばと、俺が口を開く。
「それでは王国の財政が持ちますまい」
場の空気が固まった。本当の事を言えば空気が氷結するのはもう経験済み。こういうとき、俺は思ってしまうのだ。「所詮、俺はエレノ住人ではないからな」と。
「二割の収入で全体を支えるのは暴挙に存じます」
シュワッチが「いかなる所見か?」と正してきたので、俺は実情を解説した。
「この広いノルデン王国。行政が実際に影響力を行使しうるのは、国土の二割。その二割を以て全土を見るのは無謀だと思われます」
シュワッチの顔が引きつっている。本当の事だからしょうがない。残りの国土は貴族が抑えているのだから。脆弱な財政基盤で全土を見ようと考えるのがいかにも官僚らしい。管理したがるのが官僚とはよく言ったものだ。しばらくの沈黙の後、シュワッチの横に座るジェフ・ウインズが口を開いた。
「グレン殿の申されるとおりです。王国内で行政が徴税できるのは約二割の直領のみ。その税収で全ての領土を見ることは難しいと思います」
「なるほど。シュワッチの論、確かに上策だが、我が王国の実情を鑑みるに難しい。そういうところかな、シュワッチ」
「ははっ。閣下、そのように思われます」
シュワッチはアルフォンス卿に頭を下げた。これは・・・・・ おそらくアルフォンス卿、シュワッチの意見を知りながら敢えて判断せず、ここで言わせて難しさを知らしめようとしたか。
「ディルスデニア王国との交渉。首尾よく進んだとの事だが、今後国交を開くべきだと思われるか?」
外務部外事監であるボウマンが尋ねてきた。外務部ということだから外交部門なのだろう。ほとんど鎖国なエレノにそのような部署がある事自体驚きだが。
「今回の場合、相手が毒消し草、こちらが小麦とお互いの利害が一致した故に上々でしたが、仮に共に小麦が足りないとならば、逆に相争うことになるでしょう」
「開く益もあるが、開く害もあるとの事か」
ザルツの所見を聞いたアルフォンス卿が正すと、ザルツは「左様にございます」と頭を下げた。要は国境を開くなと言ったのである。確かに開けば豊かさが手に入る。だが同時に争いの萌芽を取り込むこともなる訳で、それを天秤にかければ害多しとザルツは考えたのだろう。宰相府での協議は予想外に長引き、昼食を挟んで三時間半に及んだ。