東大生の情報分析
「軍資金は本当にありがたいんだけど、まず11年経ってることをもうちょっと考えたほうがよくない!?」
目先の大金にテンションが上ってしまったが、ナナミのツッコミはもっともである。
「たしかにそうですね。ここには情報を集めに来たはずなのに、億り人ドリームに目がくらんでしまいました」
「億り人……? なんだそれ?」
元の世界で、資産一億を超えた個人投資家のことを、ドラマのタイトルをもじってそのように言っていたのでついぽろっとこぼれたが、もちろん通じていなかった。
死ぬ直前にかなりの資金をぶっ込んだ俺の仮想通貨、どうなったかなあ……
「まあとにかく、今度はちゃんと情報収集しましょう。ギルド側が気を使ってこの個室を貸してくれてよかったわ。こんな大金を誰かに見られたら、すぐ噂が広まって情報収集どころじゃなくなっちゃう」
「そうですね。とりあえず街の様子からしてハイパーインフレでもなさそうなので、金は紙幣に替えておきましょう」
俺たちはギルドの職員を呼んで、当座の必要資金を現金化し、残りを再びカンジの預かり口座に入れてもらった。
「よし、じゃあ改めて情報収集といこう。俺はさっき受付で大騒ぎしちまってるからな。悪いけどナナミ行ってきてくれないか」
「はいはい、わかったわよ」
ナナミは俺とカンジを残してもう一度ギルドの受付に向かう。冒険者でもあるナナミは、ごく自然な態度で受付スタッフの女性ににこやかに話しかけた。
「こんにちはー。この街、初めてなんですけど、オススメの依頼とか、気をつけた方がいいこととか、ありますかー?」
「あ、さっき大騒ぎしていた人の……」
バレバレである。
まあ、受付では別行動していても、その後同じギルドの建物の中で一緒に行動していたわけで、当然といえば当然だ。
「あはは、お騒がせしちゃって……」
ナナミはとりつくろうように笑ったかと思うと、急に表情を引き締めた。
「実はあいつ、11年前の某国で起きた政変に巻き込まれてね。よっぽど大きなショックを受けたのか、そのあとうまく年月の経過を認識できなくなっちゃったのよ」
受付スタッフはハッとしたように口を押さえる。
「あ、もしかしてワグナス魔王国関係の……?」
「そうそう。その魔王国……で、何か治療の手がかりはないかと思って冒険者をしながら旅して回ってるってわけ」
魔王国という聞きなれない単語に一瞬動揺の色を見せたナナミだが、すぐにとりつくろってぺらぺらとそれらしい事情を語ってみせた。
「そうでしたか。それでしたら、やはり夜行森林には近づかない方がいいでしょうね。ご存知の通り、『大災害』以降、夜行森林でも魔素の量が激増していて、魔物も強力、凶悪になっていますから。魔物嵐の頻度も年々上がっていますしね。というわけで、このあたりの依頼がオススメです」
「いいわね。じゃあこれにするわ!」
ナナミは受付スタッフが提示した依頼書をちらっと見ると、その中の一枚をさっと選び出し、依頼の受任手続きを済ませた。
依頼書をひらひらさせながら戻るナナミを、俺とカンジは拍手喝采で迎える。
「やるじゃねえか。俺が記憶障害みたいなのはちょっと不本意だが、まあ見事だった」
「でも、かえってわからないことが増えた気もするわね。ヒデトシはどう思う?」
「いろいろ推測はできますね。ちょっとどこかで作戦会議しませんか」
「そうね。ギルドと提携してる宿の情報ももらってきたから、まずは腰を落ち着けましょうか」
ナナミはそのまま俺たちを先導してギルドの建物を出ると、依頼書と一緒にもらった地図を見ながら通りを歩き始めた。
「高いところから安いところまで、いろいろあるけどどうする?」
「せっかく金があるんだから、高いとこにしようぜ」
「アンタねえ、そんな考え方してたらお金なんてあっという間になくなっちゃうわよ」
ナナミがカンジをたしなめるが、高いところがいいというのは俺も賛成だ。
「でも、高いところの方が、秘密保持や安全面の心配が少ないです。そういうのを買うと思えば、カンジさんの提案は悪くないと思いますよ」
「そうそう、俺もそれが言いたかったんだよ」
「ヒデトシがそう言うなら、そうしましょうか。あとカンジ、調子に乗るな」
この街の冒険者向けとしては高級に属する宿にチェックインし、俺とカンジの部屋に集まった。
ちなみに、冒険者パーティーは男女混成であることが多いため、一定ランク以上の冒険者向け宿泊施設は男女で部屋を分けることを前提にコネクティングルームとなっていることが多い。
「私が個人的に一番気になったのは、魔王国っていう国名よね」
口火を切ったのはナナミだ。旧王朝の王位継承権者として、看過できないものがあったのかもしれない。
それに対してカンジが口を挟む。
「ワグナスの野郎が、単に悪ぶって付けた自称じゃねえのか? 魔王なんて、おとぎ話の中の存在だぜ」
カンジの見立ては至極常識的なものだったが、こういう場合には多少極端であっても、まずはすべての可能性を挙げて検証すべきだ。
「もちろんその可能性も高いですが、『大災害』とやらが起こって魔素量が増え、魔物嵐の頻度が上がっているというのを考えると、別の可能性も考えないといけません」
「別の可能性ってなんだよ?」
俺は少しもったいをつけ、カンジとナナミの二人と順番に目を合わせてから意見を開陳した。
「魔王なるものが現に存在している可能性です。さらに、それを前提に、ワグナスが魔王と手を組んでいる可能性、ワグナスがすでに魔王に取って代わられている可能性、もしくは……ワグナスが魔王になっている可能性を検討すべきでしょう」
「魔王がこの世界にいるってのか……?」
「それはいくらなんでも……」
カンジもナナミも、さすがにあまりに常識に反していたのか、にわかに受け入れがたい様子だ。
俺は自分の推測を二人に説明する。
「ギルドの人が言っていた『大災害』は、俺たちが潜っていた『大迷宮』の死のことで間違いないでしょう」
「そうなの? どうしてわかるの?」
「『大災害』って、固有名詞じゃないんですよ。ダンジョンの死は、300年に1度くらいの頻度で起こる自然現象と言われていて、これまでの歴史上、いずれも『大災害』と称されていました。『ウラビヌスの大災害』とか『カミハドの大災害』とか」
「それは聞いたことあるな」
カンジはしきりに頷いた。
「たかだか11年で別の『大災害』が起こったとは考えにくいですから、今問題になっている『大災害』は、俺たちが知るあの『大迷宮』の死です」
「なるほどぉ……」
ナナミが腕を組んで唸る。
「で、これがなぜ起こるかというと、魔素の流れの変動です。あるダンジョンが死ぬと別のダンジョンが発生するのは、元々のダンジョンで噴出していた魔素が新しい場所で噴出し始めるからと考えるのが自然です」
「ちょっと待てよ、ダンジョンの死の原因は不明ってことになってるはずじゃなかったか?」
「いろんな説はあるみたいですけどね。俺は今回実際に死にたてのダンジョンに潜ってみて、この説が間違いなさそうだと確信を持ちました。そこまでなら、普通に『大災害』でいいんですけどね。どうやら今回はそのレベルではなさそうな気がしてきました」
「どういうこと?」
「ここ、アルビロポリ共和国と元々俺たちがいた国、今で言うワグナス魔王国は国境を接してはいますが、大森林と夜行森林は相当な距離があります。大陸の端と端ですからね。それにも関わらず、ギルドの受付さんは魔素がずっと増大していると言っていました。これは単に地域的な魔素の流れの変動に留まらず、大規模な魔素環境の変動が起こった可能性があります」
俺がイメージしたのは、元の世界でいう地磁気逆転だ。磁石のN極は北を指すものというのが常識だが、これは地質学的にはまったく常識ではない。長いスパンの間に、地磁気は何度も逆転を繰り返してきたことがわかっている。
同じような現象が、この世界の魔素に関して起こったのではないかというのが俺の推測だ。
「で、もしそういう現象が起こって大変化した魔素の流れが表出したのが大森林の新・大迷宮だとすると、そこでは想像を絶する魔素の噴出が起きていたとしても不思議ではありません。魔素を浴びて身体に蓄積した動物が魔物になったんだとしたら、人が大量の魔素を浴びたらどうなるんでしょうね……?」
カンジとナナミが息を飲んだ。
俺は自分の推測を吟味しながら、はっきりと胸の鼓動が高まるのを感じていた。
「それが、魔王だって言うのかよ……」
「あくまで伝聞からの推測です。しかし、俺としてはその可能性を頭に入れてこれからの計画を立てないといけないと思っています」
俺が冷静を装って告げると、その場にしばし沈黙が舞い降りる。
俺たちは、勇者でもなんでもない。そこそこ腕の立つ冒険者二人と、戦力にならない単なる商売人一人という、どこからどう見ても普通の冒険者パーティーだ。
魔王を相手取るような身分じゃない。
でも……正直に言って、俺はそういうものをずっと待ち望んでいた。
いつだって冒険は始まる予感がしていたし、世界を救ってみたいと思っていたんだ。
かつて生きた前世の最後の記憶は、暑い夏の日だった。何かが始まる予感がした日に、前世が終わって今生が始まった。
そしていま、二人を前に話をしながら、俺の胸にはふたたび同じような予感が沸き起こってきていた。
俺は、もし自分がたった一人だとしても、絶対にこの冒険に挑むのだろうと自覚した。
いかに無謀であろうとも、俺はきっと挑戦する。それが俺という人格のあり方だからだ。
そのとき、ナナミが椅子を蹴って立ち上がった。
「面白いじゃない! それってつまり、私たちの行動が、個人的な国の奪還から、魔王の脅威から人類を救う壮大な使命になったってわけでしょう? 望むところだわ!」
一瞬あっけにとられたカンジも、口角を上げてニヤリと笑い、立ち上がる。
「なるほど、悪くねえな。おい、ヒデトシ、やってやろうじゃねえか。まさかやらないとは言わないだろうな?」
二人の反応は意外ではあったが、心のどこかでストンと腑に落ちる思いもしていた。
まったく最高のパーティーメンバーである。
俺も立ち上がり、二人を見やると、三人で示し合わせたようにゴツンと拳を合わせた。
「もちろん、やりますよ。さっそくですが、俺に考えがあります」
さあ、ここからが、人類を救う冒険の始まりだ。