東大生の道連れ
閉じていた目を開くと、そこはやわらかい日差しが木々の間から漏れてくる、明るい森の中だった。
ふと気がついて、いつのまにか右手に握っていたナナミの手を慌てて離す。
だがナナミは、そんなことはまったく気にも留めず、目の上にひさしのように手をかざし、あたりをぐるりと見渡した。
「ふー、無事に外に出られたみたいね。脱出ポイントをずらすのもうまくいったみたい……って、ええええ!?」
ナナミの視点がある一点で止まり、ナナミの顔に驚愕の色が広がった。
「……カンジ!?」
そこには、木々の間で仰向けにひっくり返ったカンジの姿があった。
異様な体勢だったので、一瞬死んでいるのかと思ったが、すぐにその腕や脚がもぞもぞと動き始め、カンジはむくりと身体を起こした。
「いててて……おいお前ら! 俺を置いていこうったってそうはいかねえぞ!」
「カンジさん、どうしてここに……って、一緒に転移してきたに決まってますよね」
「おう。なんとかお前さんの荷物の端に手が届いてな。ギリギリだったからか、こっちに着くときにちょっと吹っ飛ばされたが、なんとか間に合ったようだぜ」
言いながら立ち上がったカンジは、俺とナナミのところまで歩いてくると、俺の頭をすぱーんと叩いた。
「あそこまで一緒に行動しておいて、置いていくやつがあるかよ。うまくいったら説明するって言ってただろ。説明しろ、説明を!」
「いたっ! それを言ったのはナナミさんでしたよ……」
「うるせえ! どうせお前の差し金だろうが!」
俺はちらっとナナミの方を見た。
ナナミは苦笑しながら肩をすくめる。
どうやら、話してもいいということのようだ。
「どこから話したらいいんだろう……。そもそも、カンジさんが大迷宮に潜ったときって、ワグナスの王位簒奪より前でした? それとも後でした?」
「ワグナス? 誰だそれ」
カンジは首をひねる。
まあ、普通の冒険者は子爵クラスの貴族の名前なんて知らないのが当然だ。
「オーケー、わかりました。そのへんからですね」
俺はカンジとナナミに座るように促し、俺たち三人は車座になった。
俺はことのあらましと、ナナミが粛清から逃れて国を取り戻すために国外脱出を図っていることをカンジに説明した。
「お、おおう。何というか、情報量が多い話だな……」
一通り説明を終えたが、すべてをすんなり飲み込むには、たしかにカロリーの高い話ではあった。
そして、導き出すべき結論がもうひとつ。
俺はカンジの目を見て告げる。
「つまり、俺たちと一緒に行動するということは、一国家を敵に回すということと同義です」
カンジの喉元がゆっくりと上下に動いた。
しばし重苦しい沈黙があたりを支配する。
「……私個人の事情だから、アンタが付き合う必要はないわ。さっきは助けてくれてありがとう。もしすべてがうまくいったら、褒美をとらせてしんぜよう……なんてね」
あえて深刻な空気を振り払うように、ナナミは冗談めかして言った。
それを聞いたカンジも、はっと気がついたような顔をした後、にやりと頬をゆるめた。
「あー、なるほどな。そういうことなら、このあともお前らに力を貸してやれば、うまくすると王様にバカでかい貸しを作れるってわけだ。これは乗らないわけにはいかねえなあ」
「ちょっとカンジ! そんな簡単な話じゃ……」
ナナミが反論しようとしたところを俺は手で制す。
「さっきの大迷宮でもそうでしたが、俺とナナミさんだけでは、直接的な打撃力に欠きます。カンジさんに一緒に来てもらえるなら、助かります。ただし、命の保証はありませんよ?」
「あったりめえよ。命の保証がある仕事なんて、張り合いがなくてつまんねえってもんだぜ。そうと決まったら、さっさと行こうぜ」
挑戦的に放った俺の言葉を蹴っ飛ばすようにして言い返すと、カンジは立ち上がって俺たちを促し、歩き始めた。
「え、ちょっと待ってよっ」
「カンジさん! 行くって、いったいどこにですか?」
ナナミと俺も慌てて追いかける。
迷いなくずんずん進んでいくカンジは、振り向きもせずに答えた。
「とりあえず森から出るぞ。こっちから往来の音がする。街道からそんなに遠くないはずだ」
少し歩くと、カンジの言うとおり、馬車の音や人の行き交う声が聞こえるようになってきて、やがて森を抜けたところには人通りの多い大街道が走っていた。
「こんなに人通りの多い街道、初めて見た……」
ナナミのつぶやきに、カンジも「まったくだ」と同意する。
もちろん21世紀の日本に比べると見劣りはするのだが、この世界に来てからは、俺もこれほどの往来を見るのは初めてだった。
三人で街道に出て、人の流れに乗って歩きながら話をする。
「よほど大きな街の近くなんでしょうね」
「それだけじゃこの活気は説明がつかないぜ。祭りか市でもあるんじゃないか?」
話しているうちに、街道沿いに店や家などが増えてきて、やがて自然と街に入っていった。
「城壁がないってことは、ここは自由都市・ステラーかしらね」
ナナミがあたりを見回しながら見当を付ける。
その名は俺も聞いたことがあった。
俺たちの国と国境を接する国の一つ、アルビロポリ共和国の中心都市だ。
君主制ではなく、共和制をとる珍しい国家だが、実際は少数の門閥による寡頭制と聞く。
「お。ありゃあ冒険者ギルドじゃないか? ちょうどよかった。行っていろいろ情報を聞いてこようぜ」
超国家的組織である冒険者ギルドは、万国共通の紋章を看板に掲げている。
この街でも、やはり大通り沿いの一等地にその看板を掲げた大きな建物を構えていた。
冒険者ギルドには、多くの人がひっきりなしに出入りしており、俺たちも他の人たちにぶつからないようにしながら、建物の中に入った。
「ちょっと話を聞いてくるわ」
カンジは迷うことなく受付の方へ向かっていった。
さりげなく情報を聞き出すことに関しては、カンジの方が俺より数段上なので、ここはおとなしく任せて、俺とナナミは壁に貼られたクエスト一覧を眺めて待つことにした。
「なんか、物騒なクエストが多いわね……」
ナナミのつぶやきに、よくよくクエストの内容を見てみると、たしかにオーガやグリフィン、さらにはドラゴンなど、強力なモンスターの討伐といった依頼が非常に多く出ているようだった。
そのとき、カンジの素っ頓狂な声がギルド内に響き渡った。
「はあ!? 共通歴1279年って、どういうことだ!?」
俺とナナミは顔を見合わせ、カンジが騒いでいる受付カウンターへと走っていった。
「どうしたんですか、カンジさん」
「おお、ヒデトシ。いや、今このお姉ちゃんと話してたらよ、今日が1279年の7月21日だって言うもんだから、驚いちまってよ」
カンジの対応をしていたギルドの受付スタッフに目を向けると、困った顔をして俺の方に助け舟を求めるように視線を投げかけてきた。
「ええっと? 今は1268年ですよね?」
俺は、受付スタッフに確認すると、彼女は途端にうさんくさそうな表情を浮かべて言った。
「いいえ、今は1279年です。お客さんたち、ふざけているんですか?」
「あ、いや。そうですよね。すみません、お騒がせしました!」
受付スタッフが嘘をついたり冗談を言ったりしているようでもなかったので、俺はカンジとナナミを促してその場を離れた。
こんなところで目立つのは得策ではない。
俺たちが受付から離れると、騒ぎを遠巻きに見ていた冒険者たちや他のスタッフたちも、興味を失ったかのように俺たちから視線を外した。
そのまま部屋の隅まで来ると、俺たちは頭を突き合わせ、周りに聞こえないように小声で話し始めた。
「おい、どういうことだよ、ヒデトシ!」
「彼女、嘘を言ってるような感じじゃなかったわよね」
「はい。これは、現実として今が1279年であるということを受け入れた方がよさそうです」
「そんなことありえないだろ! さっきまで1268年だったのに!」
「さっきって、いつですか?」
俺が聞くと、カンジは一瞬答えに詰まった。
「……!」
「考えられるとしたら、大迷宮から『帰還の泉』で出てきたときに、11年が経過したという可能性でしょうね」
「ええっ! どうしてそんなことが? 私、時間魔法なんて使えないわよ……っていうか、そんな魔法、おとぎ話でしか聞いたことないわ」
帰還魔法を起動したナナミが言い立てる。
「時間と空間って、そもそも非常に近いものなんです。魔法で空間をすっ飛ばすということは、その移動にかかる時間をすっ飛ばすということと同じです。つまり、『帰還の泉』に実装されていた魔法は、空間と時間のどちらにも影響を及ぼす魔法だったんだと思います。これまでは時間軸を移動せず、空間軸だけ移動するものだったのが、再起動にともなって時間軸も11年分移動した。それだけの話です」
考えてみれば、帰還すなわち転移というのは四次元時空を歪めるのだから、時間も歪むのが相対論的に当然の帰結だ。
「まったくわからんが、俺たちは1279年に来ちまってるってことは間違いないんだな?」
「はい」
「じゃあ私たち、一体どうすれば……」
「とりあえず……」
俺はもう一度ギルドの受付の方を見やった。
「カンジさん、ちょっと一緒に来てください」
俺はカンジを引っ張ってギルドの受付に声をかけ、必要な手続きをとった。
そして30分後。
俺たちの前には山と積まれた金塊があった。
「ちょっとすごいわね……どうしたのよ、これ」
「俺がカンジさんに依頼した、買付けの結果ですよ。11年分の利息とインフレ効果がついた、ね」
俺がドヤ顔をし、カンジが畳み掛けた。
「軍資金はこれで十分だろう。さあ、反撃といこうじゃねえか」