東大生のダンジョン踏破
ケルベロスを倒した俺たちは、本来そのケルベロスがいたはずの大きな地下空間、通称「ベロ部屋」に到達し、そこでようやく一息ついていた。
荷物を下ろすやいなや、ナナミがカンジに詰め寄る。
「あんた、ヒデトシくんのお金を持ち逃げしたんじゃなかったの? なんでこんなとこにいるのよ」
「持ち逃げなんてしねえよ。仕事はきっちりやって、ブツはちゃんとギルドに預けてあるさ。ヒデトシんとこに届けに行く前に、手土産代わりに大迷宮をもう一回調べようと思って忍び込んだんだ。そしたら、この通り中はすっかり様変わりしちまっててよ。おまけに、さっきのベロ公みたいなはぐれボスがうろうろしてやがって、大変だったぜ」
カンジは肩をすくめた。
よくよく見てみると、カンジの鎧や服は相当汚れており、戦闘や探索を繰り返していたのだろうということが察せられた。
「カンジさん、それっていつごろの話ですか?」
「うん? この通り、ダンジョンの中は真っ暗なんで正確なところはわからねえが、中に入ったのは5日くらい前ってとこかな」
「5日もソロでボス狩りしてたの? 魔法もできないのに? よくやるわね……」
ナナミはあきれたように言って、カンジから離れ、腰をおろした。
「5日くらいのダンジョン探索なら珍しくもないだろ。それより、お前らこそなんでこんなとこにいるんだよ」
今度はカンジが質問する番だった。
俺はちらっとナナミの方を見たが、ナナミは任せたというようにちょっと頷いてみせた。
「のっぴきならない事情があって、この大迷宮の最深部に行かないといけないんです」
俺は慎重に言葉を選んでいく。
カンジがワグナス派でないという保証はどこにもないのだ。
「ナナミはともかく、商人のお前が来るところじゃないと思うぞ。よくお前ら二人でここまで来られたもんだ」
通路戦じゃ魔法も使いづらかろうに、とカンジ。
「苦労したわよ。さっきのベロちゃんだって、危ないところだったわ。うまくヒデトシくんの策がハマったからよかったけど」
「いえ、策なんてありませんでしたよ。有力な方法がないなら、たとえ先まで見えていなくても、まずは何かやってみる。そうすれば、やっているうちに何か思いつくかもしれませんし、一歩でも二歩でも前に進んでいたほうが、何か状況に変化があったときに、その一歩が決め手になるかもしれませんからね」
数学の証明問題なんかでも、とりあえず知っている方法を進めてみれば途中から道筋が見えてくることはしょっちゅうあるし、そうでなくても部分点がもらえるかもしれない。
何もやらないより、少しでも可能性があるならやってみるというのが合理的というものだ。
「実際、俺だってケルベロスが穴にハマってたからこそ、難なく仕留められたわけだしな」
カンジが腕組みしてしきりに頷いている。
「なるほどねえ。頭の回転だけじゃなくて、そういう粘りとか、手間を惜しまない、みたいなところがヒデトシくんの才能なのかもしれないわね」
ナナミも納得顔をしている。
まずい……なんだか買いかぶられている。
この調子でなんでもうまくやるだろうと当てにされるのはちょっと困るぞ。
「今回はたまたまうまくいっただけですって。俺たちがここまで来られたのは、魔犬とケルベロスにしか出くわさなかったからですよ。魔物がいないと思ったら、カンジさんが五日間も魔物狩りを続けてくれてたんですね」
俺が話をそらすと、まんまとカンジが話に乗ってきた。
「それもおかしな話なんだよな。普通なら魔物なんて倒しても早ければ数十分でまた湧いてくるもんなんだがよ。ダンジョンに魔素がなくなると、魔物も湧かなくなるらしい」
「倒した魔物の魔石はどうなってた?」
首をひねるカンジにナナミが聞くと、カンジは荷物袋からゴロゴロとたくさんの魔石を取り出した。
「魔石はこのとおり、おかしなところはなさそうだが」
ナナミは、カンジからひとつ魔石を受け取ると、眺めたり透かしたりして確かめはじめた。
魔石は、ダンジョンの魔物が体内に持つ魔素の結晶だ。そこに溜め込まれた魔素が、魔物の動力源になっているらしい。
魔物が取り込んだ魔素が体内で凝縮されて結晶化したものだそうなので、俺は胆石みたいなものだと解釈している。
「この魔石には魔素が結構残ってるわね。私たちが倒した魔犬のは、ほとんどすっからかんだったけど」
ナナミはカンジに返しながら言った。
「大迷宮の中の魔素が枯れてから、どの魔物も周りの魔素を吸収できなくなった。でもカンジさんに早々に倒されたやつは、その段階ではまだ体内に溜め込んだ魔素がけっこう残っていて、比較的長く生き残ってたやつは、体内の魔素を消費し尽くしてたってことでしょうね」
俺が推測すると、カンジもそんなところだろうな、と同意した。
「じゃあ、いよいよこの大迷宮の魔素も、ここにあるカンジの魔石に含まれるものでおしまいってことね」
「その可能性が高いです」
「世界に知れたあの大迷宮の成れの果てが、たったこれだけの魔石とはな。なんだか切ないもんだぜ」
カンジはため息をつきながら、謎の感慨に浸っている。
だが、いまカンジが呟いた事実は、カンジが考えているよりはるかに重大なことだ。
「しかしその魔石は、この国を救います」
俺がカンジの目を見てきっぱりとそう言うと、カンジは驚いて顔を上げた。
「へ? そりゃあ、どういうことだ?」
俺はカンジの質問に答えず、すっくと立ち上がった。
荷物を背負い、ベロ部屋の出口の方を向いた。
「さあ、行きましょう。最深部へ」
カンジとナナミを促すと、二人は顔を見合わせてから、立ち上がった。
「ヒデトシくんって、ときどき唐突よね」
「そうなんだよな。だが、こういうときのヒデトシに乗っておけば間違いないぜ。俺はそれでいくら稼がせてもらったかわからない」
俺は二人の会話を気に留めず、さっさとベロ部屋から外に出た。
またしても先は暗闇だが、後方のナナミの杖からの光で、そう遠くない先に、もうひとつの地下空間の入口があるのが見えた。
あれがこの大迷宮の最深部。通称「凱旋門」だ。
俺が足を止めて「凱旋門」の入り口を眺めていると、二人が追いついてきた。
「ヒデトシくん、もうすぐね」
「ええ、そうですね」
そう。あそこが俺たちの最初の目的地だ。
俺たちの会話を聞いて、カンジはまたしても腑に落ちない顔をする。
「一体、何があるってんだ? 凱旋門にあるのは、『帰還の泉』くらいだろう。しかも、大迷宮が死んじまった以上、『帰還の泉』も動いてないぜ」
「そうでしょうね。でも、だからこそチャンスがあると思うんです」
俺はそう答えると、ふたたび歩き始めた。
「お、おい! ちょっと待てよ。チャンスって、一体何のだよ」
「国外脱出よ」
ナナミが、何事もないようにカンジに暴露した。
「え、ちょっとそれはまだ……」
俺が慌てて止めようとするが、もう遅い。
カンジはバッチリ聞いてしまって、足を止めたかと思うと、頭の上に疑問符を浮かべていた。
「は? 国外脱出ってどういうことだ……?」
考えてみれば、カンジがこの大迷宮にもぐったのが5日前だとすると、ワグナスの王位簒奪も知らないだろうし、ましてやナナミが王族で、粛清から逃れようとしているなんて思いもよらないだろう。
「うまくいったら説明してあげるわ」
ナナミはそんなカンジをほったらかして、さっさと「凱旋門」に入っていった。
俺とカンジも慌ててあとを追う。
そして、俺たち三人は「凱旋門」の中、空中に浮かぶ大きな魔石の前に立ち尽くした。
「これが『帰還の泉』ですか……」
俺はこんなに大きなサイズの魔石を見るのはもちろん初めてだった。
「そうよ。これに手を触れれば、大迷宮の入り口まで瞬間的に移動できる。これがあるおかげで、冒険者は帰り道の苦労から解放され、心置きなく探索ができるってわけ」
ナナミが説明すると、カンジが混ぜっ返すように続けた。
「もっとも、今は動いちゃいないがな。ほら、このとおり」
カンジは「帰還の泉」にペタペタと手を触れるが、彼のいうとおり、何も起こらなかった。
俺はぐるっと「帰還の泉」の周りを一周してみたが、やはり大きな魔石というだけで、他に変なものは特に見つからなかった。
「やはり、この『帰還の泉』はワープの魔法をプリセットされた魔石のようですね」
俺の推測はほぼ確信に変わった。
複雑な機構がない以上、いかに大きな魔石であろうとできることはそんなに複雑であろうはずがない。
であれば、帰還用の単発の魔法があらかじめセットされ、起動条件を満たすとそれが発動する仕組みだと考えるのが自然だ。
起動条件は、大迷宮から魔素が供給されていることと、冒険者がそれに触れることだ。
現在は魔素が絶たれているため、ひとつめの条件が満たされず、カンジが触れても発動しなかった。
「ナナミさん、さっきのカンジさんの魔石から魔素をこの『帰還の泉』に流し込むことってできますか?」
魔法使いなら、魔素の扱いはさほど難しい技術ではない。ナナミほどの魔法使いであれば、それこそ朝飯前のはずだ。
「え、そりゃできるけど……。もしそれでこれが動いても、大迷宮の入り口に戻るんじゃ、意味なくない?」
ナナミの疑問はもっともだ。
だが、俺の考えは違う。
「この『帰還の泉』、明らかに自然発生したものじゃないですよね。こんな都合よく、最深部に入り口に戻れる謎の魔石がひとりでに浮いているわけがない。むかしむかしに誰かが、大迷宮からの帰還が楽になるように設置したものと考えるべきでしょう」
「そう言われてみれば確かに……。俺たちは昔から当たり前にあるものだから、何の疑問もなく元々そこにあるもんだと思って使ってたが、そんなわけないよな」
「じゃあ一体誰が設置したっていうの?」
「それはわかりません。でも、誰かがそのように作ったんだとしたら、理論上、同じ材料と技術があれば、同じように作れるはずですよね」
俺はナナミに向かって挑発的な笑顔を浮かべてみせた。
「それは、私にやれってこと……?」
「はい。一流の魔法使いであるナナミさんならできますよね」
俺が再度ダメ押しをすると、怪訝そうな顔をしていたナナミも不敵な笑みを浮かべた。
「言うじゃない。わかったわよ、やってやるから見てなさい」
ナナミはそういって、杖を「帰還の泉」にかざした。
「お、おい! そんなことできるわけないだろ! できたらとっくに誰かがやってる!」
カンジが指摘するが、俺はその意見には同意しない。
「それは、これまでずっと『帰還の泉』が起動していたからですよ。動いているプログラムを止めずに書き換えるなんてことはそうそうできません。でも今は、止まっています。止まっている状態ならプログラムを書き換えて再起動すれば、意図通りに挙動を修正できるはずです」
「プ、プログラム? 書き換える? 一体何を言ってるんだ、お前は……。いつも意味不明だが、今日は輪をかけて絶好調だな……。わかった、俺はもう何も言わん。どうなるものか、見物させてもらうぜ」
カンジは降参するように両手を挙げ、どっかりと座り込んだ。理解を放棄したようだ。
「ここをこうして……こうなって……ああ、こうなってたわけね。位置……? 適当に距離だけ遠くにしておけばいいか……」
ナナミは杖をかざしながら目をつぶり、必死で「帰還の泉」の中に魔法を構築しているようだ。
ちょっと不穏な言葉が混じっているような気もするが、気のせいだろう。
やがて、ナナミはつぶやくのをやめ、かっと目を開けた。
「できたわ! まさか本当にできるなんて……さすが『帰還の泉』。容量が尋常じゃないわ」
「さすがはナナミさん。じゃあ、次は、この魔石の魔素を流し込んでください」
俺はカンジの荷物袋から魔石を取り出し、ナナミに手渡していく。
「ちょ! お前ら、俺の魔石を勝手に……!」
カンジの抗議を無視して魔素を流し込み続けると、やがて「帰還の泉」は淡く光を発し始めた。
「マジで復活しやがった……」
カンジが唖然としてつぶやく。
「自分でも信じられないわ。理論はわかっても、実際にこの規模の魔法を組み上げて発動することなんてほとんど不可能だもの。『帰還の泉』に残された痕跡と、膨大な受け入れ容量があったからできたことだわ」
「でもこれで、ナナミさんは大魔法を実現した「大魔法使い」の仲間入りですね」
俺が指摘すると、ナナミは初めてそれに思い至ったようで、驚いた顔をした。
「そう、なるのかしら……なるのね……。全然実感ないけど……」
「とりあえず、行きましょうか……あ、そうだ。カンジさん」
ナナミを促して、さっそく一緒に『帰還の泉』に触れようとしたところで、俺はふと気がついた。
なんとなくここまで行動を共にしてきたカンジだが、ここから先はさすがに別行動だ。なにせ、俺たちはお尋ね者の国境破りなんだから。
「ん? なんだよ」
「僕らはこの国を出ます。魔石、ありがとうございました。頼んでいた金の買い付けのお仕事、追加報酬はお渡しできませんが、買い付け金は差し上げます。またどこかでお会いしましょう」
俺はカンジに頭を下げると、改めて『帰還の泉』に手を触れる。
「ちょっ……待……」
一気に『帰還の泉』の光が膨れ上がり、カンジの声はかき消え、俺たちは光に包まれたーー