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東大生対ベロちゃん

「さっきの猛獣、一体何だったんでしょうか?」


 俺は歩きながら前を行くナナミに聞いた。普通の犬にしては凶暴な姿形や性質をしていたが、噂に聞くような魔物にしては脆弱な気がする。


「ああ、あれは魔素が抜けた魔犬(ヘルハウンド)よ。ダンジョンから魔素がなくなると、魔物がいなくなるんじゃなくて、魔素が抜けた魔物になるのね」


「魔素が抜けると、どう変わるんですか」


「私もさっきのやつらが初めてだから、正確なところはわかんないけど、確実に言えるのは、生命力が弱くなってるってことね。さっきの戦い、ずいぶんあっけなかったでしょう?」


「ま、まあ決して楽ではなかったですけど、思ったよりは……」

「それに、数もだいぶ少ない。こんな深いところまで来て、まだ1度しか魔物に出くわしてないなんて、普通じゃありえないわ。魔素があるからこそ魔物は普通の動物とは別格の生き物になってるの。魔素は魔物にとってのエネルギー源でもあるし、魔物の力や回復力を高めたりしているそうよ。魔素がないと、魔物も普通の動物とたいして変わらないわ。もちろん魔物だったときの身体や性質はそのままだけどね」


 ナナミがよどみなく説明してくれたことに、俺は少し驚いた。


「ナナミさん、詳しいんですね」


「そりゃあ私だって第一線の冒険者だし、魔法使いでもあるからね……って、また何か来たわよ」


 ナナミが足を止めて、きっと前方をにらみつける。

 同時に、杖の明かりの光量を上げて周囲5mほどまでは見渡せるようにした。燃費がよくないらしいが、戦いやすくするためだろう。


 耳をすますと、土の地面を踏みつける足音と、それに混じって荒い鼻息のような音がだんだん近づいてくるのが聞こえてきた。


 俺はふたたびフォークと皿を取り出して、ナナミの隣で身構える。

 やがて、闇の中から明かりの届く範囲に現れたのは、巨大な三頭の犬だった。

 その大きさは、軽くオフロード車くらいあるのではないかと思われる。

 

 前世でも有名だった名付き(ネームド)の怪物。地獄の番犬、ケルベロスというやつだ。


「大迷宮名物のベロちゃんがこんなところに……」


 ナナミがつぶやく。


「名物なんですか?」


「そうよ。本来なら最深部手前の通称『ベロ部屋』で待ち構えているんだけどね。魔素を求めて出てきたのか、それとも部屋の拘束力が魔素と一緒になくなったのか……」


 近づいてきたケルベロスは、すぐに襲いかかってくるでもなく、俺たちと一定の距離をあけてこちらをうかがっている。


「これは引っかき音でどうにかなるような相手じゃなさそうですねえ」


「わかんないわよ。ここぞというところで怯ませることはできるかも」


 ナナミはニヤッと口角を上げたが、その目は決してケルベロスからそらさず、杖を構えている。


「ナナミさんは戦ったことあるんですか?」


 ナナミに聞きながら、俺はフォークと皿をしまい、代わりに荷物の中からムチを取り出した。ムチは剣や槍などと違って、とりあえず使うだけなら技量のいらないすぐれものである。


「そりゃもちろん。大迷宮は攻略済みダンジョンだし、踏破ルートや魔物対策も確立してるわよ」


「じゃあこのケルベロスも?」


 俺は期待を込めて聞いたが、ナナミの口調と表情は厳しい。


「もちろん、攻略法はあるわよ。ただし、いつもの『ベロ部屋』にいたら、ね。こんな通路に出てこられたら、ろくに魔法も使えないし、厳しいわね。防御はともかく、攻撃手段がない」


「ちなみに、その攻略法っていうのは?」


「ケルベロスは前方突破力が強いけど、魔法耐性はそんなにないし、遠距離攻撃がないのよ。だからパーティーの場合は前方で誰かが気を引きつつ背後を突くのがセオリー。ソロだと、遠距離から水系魔法で封じちゃうのが一番ね」


「なるほど……」


 この狭い通路では、ナナミの魔法が十分に使えないのが痛い。俺が背後を突こうにも、あんなに大きな魔物にムチのダメージが通るとも思えない。そもそも、ナナミの明かりの範囲から出てしまうと俺が動けない。

 そんなことを考えているうちに、ついにケルベロスがゆっくりと身をかがめた。どう考えても攻撃態勢だ。

 一拍の後、耳をつんざくような吠え声を上げたかと思うと、巨体に似合わぬ俊敏な動きで駆け出し、一気に距離を詰めてくる。


「……壁っ!」


 ナナミが短く叫んで杖を下から上に振り上げると、地面がみるみる盛り上がり、俺達とケルベロスの間に土の壁が生えてきた。

 壁ができあがりきらないうちに、壁の向こうから鉄塊が地面に落ちたかのような激突音がして、壁はボロボロと崩れ、土くれと砂埃が立ち込める。

 かろうじてケルベロスの突進は止めることができたようだが、たったの一度で壁は崩れ落ちてしまった。


「これで倒せた、なんてことは……」

「ないわね」


 俺が最後まで言うより前に、ナナミが断言する。


「ですよね」


 ため息とともに、俺は考える。


「土を操作する魔法はここでも使えるんですね。他はどうでしょうか?」


「うーん、やってみないとわかんないけど、魔素がほとんどないから、大型のは無理ね。土は周りにいっぱいあるからなんとかなるけど」


 土か……。すぐ思いつくのは落とし穴だけど、あんなに脚力ありそうなヤツなら、すぐに上がってきちゃうだろうから、上がってこない工夫をしないと。

 よくあるのは、油だ。つるつるすべって登れない仕組みにするというやつだな。もちろん都合よく油なんて持っていないし、あっても土に染み込んで終わりだろう。

 あとは、穴の中に串を仕込んで串刺しにするという仕掛けか。だからそんな串がどこにあるんだって……!


 考えているうちに、砂ぼこりの中からケルベロスが大きな吠え声を上げながら飛び出し、こちらに飛びかかってきた。


「危ない!」


 ナナミは俺を突き飛ばし、自らも転がって地面に身を伏せた。その拍子に、ナナミの杖の先の光が消え、あたりは闇に閉ざされた。

 倒れた俺の身体のすぐ上を、ケルベロスの大質量の気配と猛風が通り過ぎる。

 ずざざざーっと、反対側の地面に脚を滑らせながら着地していく音が聞こえた。


「ヒデトシくん、大丈夫!?」


 少し離れたところから、ナナミの声が聞こえた。


「はい、なんとか……」


 ケルベロスが脚で地面をこすり、体勢を整える音がする。

 俺はなるべく音を立てないようにしてそろりと身を起こす。

 近くでナナミも立ち上がっている気配が感じられる。


 さあ、どうする。

 考えろ、考えるんだ。落ち着いて考えて、最善の手を打つんだ。


「ナナミさん、落とし穴、作れますか」


 俺はぼそぼそと小声でナナミに話しかける。

 ナナミも、同じように小声で返事をしてきた。


「できるけど、すぐ出てきちゃうと思うわよ」


「いいんです。とにかく作ってください」


「わかったわ」


 直後、杖を振ったような空気の動きを感じたかと思うと、ケルベロスがいる方からボコッと地面が陥没する音が聞こえてきた。


 俺たちの動きを感じ取ったのか、ケルベロスが激しく吠え立て、四本の脚で地面を繰り返し激しく蹴るような音が響く。


 ケルベロスが疾走に入った途端、またもや土が崩れるような轟音とともに、ケルベロスの驚愕したような吠え声が上がる。


「ギャウッ!?」


 何かが地面に激突する音とともに地面が揺れた。

 暗闇の中なので、はっきりわかるわけではないが、ケルベロスが落とし穴に落ちたのはまず間違いないだろう。

 俺は飛び出し、ムチをめちゃくちゃに振るう。


「喰らえ、死ねっ!」


「キャウン! キャウン!」


 俺のムチに手応えがあったかと思うと、 思いもよらぬ可愛らしい鳴き声が返ってきた。

 ちょっと罪悪感……。

 だが、すぐに可愛い鳴き声は怒り狂った吠え声に変わる。

 やばい、超怒ってるよ。 


「ヒデトシくん! そんなムチじゃ効かないよ! 早く下がって。逃げるわよ」


「は、はい!」


 逃げやすくするためだろう、ナナミは改めて杖に光を灯した。

 すると、怒り狂った三頭の犬が吠え狂い、今にも落とし穴から飛び出そうと後ろ脚に力を溜めているところだった。


 さっき飛び越えていったときの脚力を考えると、俺たちが逃げようと背中を向けた瞬間にヤツの牙は俺たちを噛み砕くだろう。


 そして、ケルベロスがひときわ深く沈み込んだかと思うと、ケルベロスの後ろ脚に溜められていた力が、爆発的に開放される。


「やばい!!」


 俺は思わず目をつぶり、身を固くした。

 終わった……! ナナミさん、ごめんなさい……!

 

 …

 ……

 ………?

 いま、なんか固い物をぶった切るような音がしたような?

 そのあと、ゴトリと重いものが転がる音が聞こえたような……?


「え!? ちょっと、どういうこと?」


 ナナミの声に、俺も慌てて目を開けると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。


「よお、ヒデトシ。久しぶりだな」


 ケルベロスがいたはずのところには、俺がよく知っている男が、血まみれの大剣をかついでサムズアップしていた。


「カンジさん!」


 よく見ると、カンジの足元には大穴が口を開けていて、その中でケルベロスが首を落とされて絶命していたのだった。


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