東大生のダンジョン突入
この世界では、ほとんどすべての国が国力をダンジョンに依存している。
それだけダンジョンの恵みが大きいということではあるのだが、一方で、他の産業や技術の発展が遅れているという弊害もある。
この世界でも第一次産業、第二次産業は十分に花開いているのだが、第三次産業がまだまだ未熟だ。
小売、飲食、輸送などはともかく、情報、金融といったセグメントはほとんど発達していない。
で、何が言いたいかというと、大事なのは次の二点だ。
①力を手に入れるにはやっぱりダンジョンだよねっていうことと、②どこの国にもたいていダンジョンがあるってこと。
この国の大迷宮はワグナスの支配下におかれているが、何も大迷宮だけがダンジョンではない。ダンジョンに潜る必要があるなら、国の外のダンジョンに行けばよいのだ。
というわけで、追手がかからぬうちに塔の町を出てきた俺とナナミは、王都へと続く街道を進んでいる。
政治的混乱のただ中にあるためか、普段は荷馬車の行き交うこの国の大動脈も、ほとんど通行する者はない。
ナナミの脚力強化の魔法を発動させた俺たちは、砂礫の荒野を貫く広い道を軽快に駆けて行く。
念のため人里を避けたりしながら数時間ほど進んだころ、ちょっとした洞窟が口をあけているのを見つけ、そこで休憩をとることにした。
「脚力強化じゃ……心肺機能は向上しないんですね……」
すっかり息が上がった俺は、洞窟の床に大の字になって寝転がり、ぜーはーと大きく呼吸を繰り返して酸素を取り入れる。
一方のナナミはまったく呼吸を乱すことなく、ケロッと平気な顔をしている。
そんなナナミは、ちょっと首をかしげて、寝転んだままの俺に質問を投げかけた。
「ねえ、ヒデトシくん。なんで国から出るっていうのに、王都のほうに向かってるの? 逆じゃない?」
どうやら聞いていなかったか、聞いていても右から左だったナナミのために、俺は身を起こして、嘆息しつつもう一度説明する。
「それ、説明しましたよね……? いま、ナナミさんは確実に亡命を警戒されているので、国境は厳重に封鎖されてるはずです。素直に出ようとして出られるものではありませんよ」
「それはそうかもしれないけどさ、王都といえば敵の総本山でしょう? さすがに危ないんじゃないの?」
「そりゃまあ、王都まで行けばそうですけどね。俺たちの目的地は王都じゃありません」
「そうなの? こっち方面に王都以外に何かあったっけ」
「ありますよ、大物が」
*
「これはたしかに大物だ」
ナナミは、目的地が目に入ってきたところで、納得したように声を上げた。
遠目に見てもわかる、荒野の地面に大きく口を開けた大穴。中へと降りていく階段が穴の壁に沿って刻まれている。
前世の露天掘り鉱床のような壮大な光景だ。
露天鉱床と違うところといえば、大穴の周りにはぐるりと重々しい柵がめぐらされ、正規の入場者以外の侵入を拒み続けていた。
その柵の途中で一ヵ所だけ設けられた出入り口には、立派な建物が併設され、入り口の脇にはこの大穴の通り名が掲げられている。
――大迷宮。
新たに発見された方ではなく、「死んだ」方だ。
すでに死んだダンジョンとされているため、大した戦略的価値はないはずだが、ワグナス朝の国旗を掲げた警備隊が警護しているようだ。出入り口の建物に旗が翻り、立番をしている兵士の姿がうかがえる。
「でも、ここはもう死んだダンジョンなんでしょ?」
「そうですね。でも、俺の推測では、ここに突破口がある可能性があるんです」
「じゃあ、さっそく潜りましょうか」
そういうが早いか、ナナミは旧大迷宮の入り口に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください! まずあの警備隊をなんとかしないと……」
「だいじょうぶよ」
ナナミは軽く言うと、手に持っていた杖を軽くかざした。
すると、杖の先からふわっと少しピンクに色づいた煙が出てきて、前方に流れていった。
やがて煙が警備についている兵士のところに到達すると、兵士たちはプツリと糸の切れた操り人形のように、脚から崩れ落ちた。
「ほらね」
ナナミが振り返って笑顔を見せる。
「便利ですねえ。眠ってるんですか?」
俺が感心して聞くと、
「や、死んでる」
ナナミは軽く答え、大迷宮の入り口の方にスタスタと歩いていく。
俺は衝撃を受けながらも、先を行くナナミの後を追う。
「殺しちゃったんですか」
「都合よく眠らせるなんて魔法はないのよ。効きが弱くて昏睡になるだけのことはあるけど、それを狙ってわざと弱くしちゃうと、失敗したときのリスクが大きいから、普通やらないわね」
「なるほど……」
何も殺さなくても、と言いかけたが、思いとどまる。
前世では殺人は絶対悪とされていたし、現世でも命のやりとりとは無縁の商売人生活を送ってきた俺は、そのあたりの感覚がヌルいのかもしれない。
あたりに転がる警備兵の死体には一瞥もくれず、ナナミは出入り口の建物の前にやってくると、入り口からまたピンクの煙を流しこんだ。中からは、重いものが木の床に落ちるような音が立て続けに聞こえてくる。叫び声や、大勢の人の足音や、何かが割れるような物音も響き渡り、建物の中は外からでもわかるような大混乱に陥っていた。
入り口まで到達した人もいたようだったが、ナナミが何らかの魔法的な力でドアを抑え込んでいるようで、中の人が出てくることはなかった。
しばらくそうして流しこみ続け、やがて中から一切の物音がしなくなると、ナナミが振り返った。
「大迷宮の入り口に行くには建物を通り抜けないといけないんだけど、ちょっとしばらく入れないから、外で待ってましょう」
バルサンみたいだな……。
俺は思わず浮かんだ品のない連想を振り払い、改めてあたりを見回した。
柵の向こうにある、大穴に目をやる。
ほんの数週間前まで活気にあふれ栄華を極めていたはずの大迷宮は、いまはただ、荒野の真ん中に佇む大穴と成り果てていた。そこには活気どころかなんらの気配も存在せず、強烈に死を感じさせた。
これからこの穴に入るかと思うと、少し寒気がする。
俺が両腕で身体を抱えるようにしていると、ナナミが声をかけてきた。
「そろそろ入れるわよ。行きましょう」
「あ、はい。行きます」
俺はナナミに促され、柵を離れて建物の前へと戻ってきた。
一瞬、中を想像して躊躇したが、意を決してドアを開ける。
中では何人かの兵士が倒れていたが、努めて視界に入れないようにし、反対側のドアを目指して建物の中を横切った。
反対側のドアから外に出ると、もう目の前は大穴だった。
「大迷宮、ひさしぶりな気がするわ」
ナナミが俺の横に並んで感慨深げに言った。
「俺は初めてです。一見すると、ただの穴ですね」
「まあ、これはただの穴だからね。この穴の底が、本当の入り口よ」
「えっ、そうなんですか」
俺は驚いてナナミの顔を見る。
たしかにこれでは迷宮も何もない。この穴の底から、地下空間に大迷宮が広がっているのだろう。
「もっとも、本来ならダンジョンからあふれる魔素で、キラキラした光が穴全体から立ち上ってキレイだったんだけどね。もうすっかりなくなっちゃってるわね。味気なーい」
その様子を想像してみたが、あまりうまくイメージができなかった。
チンダル現象かダイヤモンドダストみたいな感じだろうか。
俺は在りし日の大迷宮の想像を諦めて、気を取り直す。
「魔素がすっかり枯れてるってことは、中の魔物もいなくなってるでしょうね。好都合です。ぱぱっと行っちゃいましょう」
ナナミと一緒に、穴の壁面に刻んである階段を下りてゆく。
けっこう深い穴だったが、それほど時間はかからず最下部に降り立つことができた。
ナナミの言っていたとおり、そこには横穴が空いており、いかにもダンジョンらしい洞窟の内壁が覗いていた。
「ここが入り口ですね。真っ暗だな……」
「そうね。魔法で明かりを灯していくから大丈夫よ」
そういってナナミはまた杖を振ると、杖の先にぽっと光が灯った。
暗闇を明るくしてくれるような光量ではないが、懐中電灯のように前方の地面を照らして歩きやすくするには十分だろう。
「行くわよ」
「行きましょう」
俺とナナミは顔を見合わせ、ダンジョンへと足を踏み入れた。
基本的にはダンジョンといえど洞窟の中は暗闇なので、ナナミの明かりだけを頼りに歩くことになり、慎重に歩を進めていった。
目的はダンジョンの最深部だ。
この大迷宮は既に死んだダンジョンなので、魔物が出てくる可能性は低い。トラップも発動しないだろう。そうすると、最深部への到達といっても、単に暗くて歩きにくいだけのイージーなミッションだ。
俺が何か話そうと口を開きかけたそのとき、奥の方から何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
「そんなまさか!」
俺が驚いていると、ナナミが鋭く声を飛ばす。
「ヒデトシくん、戦闘態勢! 何が来てもいいように、防御態勢をとって」
いやいやいやいや、俺は戦闘要員じゃないんだ。防御態勢ってなんだ。
わからないなりに、俺の中でもっともタフなイメージのある、サイヤ人のナッパを真似たポーズをとる。
「意外とサマになってるじゃない。この音だと、多分四足の動物タイプだわ。飛びかかってきたところを迎撃して」
「無理なので、ナナミさんよろしくおねがいします!」
いさぎよさに定評のある俺だ。
俺の専門ジャンルは戦闘じゃなくて頭脳だからな。
「もう、しょうがないわね!」
そう言いつつ、ナナミは、さっそく飛びかかってきた犬のような猛獣を魔法の杖でしたたかに打ち付ける。
打たれた猛獣は、短い叫びを上げて地面に叩き落された。
だが、近づいてくる音はやまない。けっこうな数の猛獣が殺到してきているようだ。
「ナナミさん、まだまだいます!」
「わかってるって! うーん、どうしようかな……」
ナナミは、杖をバットのように使いながら、右から左から飛びかかってくる猛獣をどんどんいなしていくが、相手の物量に、決め手を見いだせないようだった。
「魔法でなんとかなりませんか」
「洞窟だから、いろいろ制限があるのよ」
たしかに、さっきのピンクの毒ガスっぽい魔法はこんなところでは使えないだろうな。
火は酸素を消費してしまうだろうし、水だと俺たちまで流されたりとか、きっとあるのだろう。
うーん、ダンジョンといえば冒険者の一番の舞台だろうに、洞窟という環境はなかなかやりづらいんだなあ。
ナナミの振り回す杖の先に点る光の軌跡が、何かのパフォーマンスのように美しく舞っていた。
思わずそれを目で追っていると、猛獣を打つ瞬間、光に照らされ、猛獣の顔が一瞬明るく見えた。
洞窟の中で長く生きているのだろう。目はすっかり退化しているようだった。その分、耳と鼻が大きく、聴覚と嗅覚が発達していることが想像された。
……そうだ!
「……ナナミさん! 耳、塞げますか?」
「耳塞いだらやられちゃうでしょうが!」
「ちょっと思いついたことがあるので、2秒だけお願いします!」
俺は荷物をごそごそ手探りであさり、目的のものを取り出した。
「わかったわよ。じゃあ、合図して」
「3,2,1,今!」
俺はその瞬間、取り出したフォークで、陶器の皿を思いっきり引っ掻いた。
チョークで黒板を引っ掻いたときのような、精神に来る不快な音が、洞窟に反響して激しく響き渡る。
自分でやっておきながら、俺は甚大なダメージを受け、身悶える。
「おお、ヒデトシくん、やるじゃん! 全滅してるよ!」
耳を塞いでいたためノーダメージだったナナミが辺りに光をかざし、死屍累々と折り重なる猛獣がことごとく泡を吹いている様子を照らし出した。
そのうちの一匹は俺だ。
しばらくしてなんとか俺が復活する頃には、ナナミがナイフで猛獣に止めを刺し終わったところだった。
「暗闇に適応して、視覚が退化した分、聴覚と嗅覚が発達してるなら、聴覚を攻撃したらいいと思ったんですよ」
「今度から、ヒデトシくんも耳に何か詰めてやるといいわよ」
「そうですね……」
ともあれ、ダンジョンでの戦闘を無事にこなした俺は少し自信を付けたのだった。
だが、その自信はそう長くは続かなかったーー。